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ANGEL 天使の傷が癒えるまで  作者: 法華京
エピローグ

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第27話

 地下へと続く階段を降りて、重い扉を開ける。「ハイドアウト」の客層の悪さも、あまり気にならなくなってきた。

 天羽が来たことはセキュリティを通して伝わっているはずなのに、いつもは駆け寄ってくるはずの照乃の姿がない。訝しみながらカウンターに座り、ぎょっとする。

「どうしたんですか、その痣」

 困ったように笑う照乃の目元には、痛々しい青痣ができていた。

「はは。天羽ちゃんに自慢してた年上の彼氏にね、振られちゃった。っていうか、最初から彼氏じゃなかったみたい」

「……そうですか」

 いつものようにコーラを注ぐ手が、どこかぎこちない。

「ごめんね。今日、背中押してもらいに来たんでしょ。顔見ればわかるよ、幸せそうだもん」

 そんなこと、と言うものの、彼女の言う通りだった。何とも言えず、いたたまれない気持ちになる。

「前に来てくれた時、先のことなんて考えずに、自分の気持ちに素直になれ、とか言っちゃった手前、すごく言いづらいんだけど。ちょっとは先のことも、考えた方がよかったのかなぁ」

 お酒を飲む気にもなれないようで、照乃はただカウンターに肘をついて、はあ、とため息をついた。

「……その痣を見ちゃうと、私も言いづらいんですけど。よかったんじゃないですか、その時の気持ちが本物なら。これからのことなんて、別になんとでもなりますよ。もっと素敵な男性も、きっと見つかりますし」

「そうかなぁ。……結局さ、私も自分が散々見下してた、子供だったんだよね。なんか、目が覚めちゃった。夢破れた、って感じ」

「夢が破れたら、また新しい夢を見ればいいんです。もっと素敵な夢を」

 照乃は天羽の顔をまじまじと見ると、にかっと笑った。

「いいこと言うじゃん」

 そしてその笑顔のまま、どこか外国の酒をそのままグラスに注ぎ始める。

「天羽ちゃん、ずっとここにいてくれるんだよね?いつか、二人で一緒にお酒飲もうよ」

 今はコーラでいいけど、とグラスを差し向けてくるので、天羽は自分のグラスをこつ、と当てる。

「はい。必ず」

 「ハイドアウト」を出ると、一人の恰幅のいい女性がしかめっ面をして待っていた。背中には

 大きな羽がついていて、頭には輪が浮かんでいる。

「お久しぶりです、先生」

「サマンサと呼びなさい。私はもう、あなたの先生ではありません」

 彼女の顔のしわが、前に見た時より何本か増えて見えるのは、おそらく気のせいではないだろう。彼女はひとつ大きなため息をついた。

「おめでとう、と言うべきなのかしら。まさか自力で大天使に覚醒するとはね」

「私ひとりの力ではありません」

「……そうね、それは事実。あなたが掟を破ったのもまた事実」

 サマンサはやけに嫌味な言い方をした。この一件で、彼女にも相当な心労をかけてしまったのだろう。

「本来なら、あなたには天界に戻り、有事の対応と後進の育成にあたってもらうことになります。念のため確認しますが、本当にそうする気はないのですね?」

「はい。私は、古賀様と一緒にここで暮らします」

 彼女は頭を抱える仕草をし、そのまま天を見上げた。

「あなたの処分は、あちらでも相当揉めました。数少ない大天使に覚醒したあなたを切り捨てるわけにはいかない。特大規模の『天使狩り』を祓った功績もある。しかし、あなたの掟破り、いや、掟を無視するような望みを、やすやすと聞き入れていいものか。……結論から言うと、あなたの要望は通ったわ。あなたは天使のまま、想い人と一緒にここに留まれる。その代わり、もう二度と天界には戻れないわよ。想い人が死んだ後も、未来永劫この町から離れられない。それでもいいの?」

 天羽は口をぽかんと大きく開け、すぐににっこりと笑った。

「はい。ありがとうございます」

 やれやれ、とサマンサは肩をすくめた。その口元に、ほんの少し笑みが浮かんでいた、ような気がした。

「それと、大天使に覚醒したからには、あなたにもしきたりに従って名前が与えられます。何か希望はありますか」

 天羽はもう一度にっこり笑って、溌剌とした声で言った。

「はい。大好きな人にいただいた名前ですから」


 テレビからはひっきりなしにクリスマスソングが流れていて、テーブルの上には天羽が作った豪勢な料理が並んでいる。

「メリークリスマス、古賀様。まだお給料が入ってないので、私からのプレゼントはこのお料理ってことで」

 そう言って天羽は舌を出した。天羽がここにいてくれるのが一番のプレゼントだ、なんて気障な言葉を吐くのは、まだ少し気が引ける。

 天使のまま人間に認識されるようになった天羽のために、天界の大天使たちはどうやってか戸籍を用意したらしい。その結果天羽は正真正銘の古賀出日留の従姉、古賀天羽ということになり、母親の失踪がバレた古賀の引き取り手にもなることができた。

 ついでに言うと、古賀の傷も、あの時の光のおかげか、医者に診てもらった時にはほとんど塞がっていた。

「俺は一応、用意してるよ。バイト先がなくなっちまった関係上、あんま期待されると困るけど」

 そう言いながら、ポケットから小さな袋を取り出す。

「メリークリスマス、天羽」

 わくわく、と口で言いながら袋を開けた天羽が、わあ、と驚嘆の声を上げる。

「古賀様、これって」

「……これしか思いつかなかったんだよ」

 中から出てきたのは。百均で買った指輪。ずいぶん年月が経ったから、デザインも全然違うし、色もオレンジに近い。でも、それがいいと古賀は思っていた。

「嬉しいです。すっごく」

 天羽は指輪を小指にはめ、四方から眺めまわす。こんなクリスマスを迎えられるなんて、思ってもみなかったな、と古賀は笑った。数日前、ちょっとばかり都合がよすぎるような気もする、とこぼしたら、今までが悪すぎたんです、と天羽に真面目な顔で怒られた。


「……古賀様?古賀様、寝ちゃだめですよ!」

 はっと目が覚める。時刻は午前七時手前、日付は一月一日。一緒に初日の出を見る、と言い張っておきながら、何度も寝落ちしかけた天羽を起こしているうちに、自分が眠ってしまったらしい。

「クリスマスの時の夢を見てた」

「もう、どれだけ楽しかったんですか。今はほら、こっちこっち」

 窓の外を見ると、今にも地平線から日が昇ろうとしているところだった。はしゃぐ天羽の横顔を見て、たぶん初めて、可愛い、と思った。

 ゆっくり、少しずつ、太陽が顔を出す。真っ暗な夜から黄金色の朝へ、変わっていく。

「……出日留ってさ。日が出て留まるって書くんだよな」

 天羽が何とも言えない微妙な顔をしたので、俺は苦笑する。

「冗談だよ。死ぬほど好意的な解釈だってわかってる。……でもさ、ちょっとだけ、このままでもいいかな、って思うんだ」

 天羽は何も言わなかった。ただ黙って、朝焼け空を眺めていた。

 考えなければならないことは山積みだ。失ったものも元には戻らない。それでも、今はただ、天羽と明るくなっていく空を見ていたいと、そう思った。


ご覧いただきありがとうございました。

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