五 第二の犠牲者
五 第二の犠牲者
夕食後の施設は、異様に静かだった。
食器の片付けをする音すら、遠くの洞窟で反響しているように聞こえる。
誰もが「次」が来ることを感じていた。─次の犠牲者。
窓の外、森がざわめく。風はないのに、木々が押し合いへし合いしている。
天井の照明は小さくチリチリと唸り、時折一瞬だけ暗くなる。
まるで建物全体が息を吸い込むたびに、電気まで引きずり込まれているようだった。
「…ねえ、また来るよ」
花森あゆがぽつりと言った。
彼女は無邪気な声でそう言うが、誰も笑えなかった。
冴子が苛立ったように言う。
「縁起でもないこと言わないでよ。…あたし、寝られないかも」
「寝なきゃだめだよ。だって、夢見てないと殺されちゃうから」
「は?」
「夢を見てる人は、こことあっちの境界から少し外れるの。だから、潰されないんだよ」
「ふざけないで!」
冴子が声を荒げる。
だがその言葉は、自分の恐怖を振り払うための刃にしか聞こえなかった。
茉莉香は、ベッドに腰掛けていた。
その表情は不安に覆われていたが、胸の奥では別の存在がすでに目を開けている。
『今夜、必ず起こるわ。あなたがどう思おうと、止められない』
莉理香の声だ。
冷たい氷柱のように、だが甘く耳に沁み込む声。
(止めたい…でも…)
『止める?愚かね。止めるためにはまず、起きるところを見なきゃならない。観察なしに解決はない。犠牲は、推理の燃料よ』
その言葉は残酷だった。
だが真実でもあった。
茉莉香は唇を噛む。血の味が広がる。
─次の瞬間、視界が切り替わった。
莉理香が、完全に表へ出てきた。
* * *
深夜。
施設の廊下はしんと静まり返っている。
ただ、遠くからゴウン…ゴウン…と低い重機のような響きが聞こえた。
「…始まる」
莉理香は呟いた。
足元の板がきしみ、微かに波打つ。
壁の模様がズレる。
照明の光が、一瞬だけ二重にぶれる。
─境界が動いている。
空間と空間のフィルムが、重なり合ってずれている。
「この呼吸が凶器になるのね」と、莉理香は一人呟く。
そのとき、背後で物音がした。
廊下を誰かが走っている。
「やめろ!一人で出るな!」
本郷の怒鳴り声が遠くに聞こえた。
その直後、悲鳴。
* * *
莉理香が駆けつけたのは、一階の娯楽室だった。
ドアが半開きで揺れている。
中は薄暗く、非常灯だけが緑色に光っていた。
そこに─それは、いた。
くそったれ魂とあだ名される男子。
普段は大声で騒ぎ、クラスを茶化す存在。
だが今、その身体はぐちゃぐちゃに切り裂かれた肉塊に変わっていた。
床一面に赤黒い血が広がり、壁に飛沫が弧を描く。
だが刃物の傷ではない。
─無数の細切れ。
まるで巨大なミキサーに放り込まれたかのように、均一に刻まれていた。
「…第二の部屋が動いたのね」
莉理香は呟く。
境界が重なり合い、娯楽室そのものが回転刃のように人間を刻んだ。
結果、このおぞましい屍が生まれたのだ。
* * *
他のクラスメイトたちも駆けつけた。
「うわあああああっ!!!」
「やめろ、見るな!外へ出ろ!」
本郷が必死に遮るが、悲鳴は次々と上がる。
冴子は顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
花森はじっと見つめていた。無邪気な目で。
「…バラバラ…きれい」
花森の常軌を逸した言葉に、誰もその言葉に返せなかった。
影山は硬直した顔で床を凝視している。
「…やっぱり…建物自体が…」
彼の声は震えていたが、どこか確信を帯びていた。
莉理香は全員を見渡し、冷たく告げる。
「これで確定しました。この施設の呼吸こそが凶器。犯人は、それを知っていて利用している」
「じゃあ…次は誰が…?」
誰かが震える声で訊いた。
莉理香は笑みを浮かべた。
「それを解くのが、わたしの役目です」
* * *
夜はさらに深まる。
全員は娯楽室から避難し、集会室に押し込まれた。
だが誰も眠れない。
「次は俺じゃないか」
「いや、さっき花森が……」
「やめろ! 疑い合うな!」
と、生徒たちは混乱している。疑心暗鬼は、すでに全員を蝕んでいた。
茉莉香の身体の奥で、莉理香が低く笑う。
「これでいい。恐怖は刃を研ぐ。次が来れば、もっと鮮明に謎が見える」
その声は冷酷で、それでいて甘美だった。
彼女にとって、恐怖は毒ではなく、推理の燃料なのだ。
* * *
外では風が狂ったように吹き荒れ、窓ガラスを叩いている。
雷鳴が轟き、光が一瞬だけ部屋を白く染める。
その中で、莉理香は微笑んだ。
「─これで二人目。まだ始まったばかりよ。真実は、もっと深いところに隠れている」
彼女の瞳は、嵐の夜よりも冷たく光っていた。




