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15. 好き嫌い


――その日、魔王城の厨房は、異様な緊張に包まれていた。


「乳母殿……!」


「魔王様の離乳食第二段階……野菜が……!」


「どうか……どうかご無事で……!」


いや、野菜だよ?

ただの野菜だよ?


私は苦笑しながら、ルシエル様の前に小さな器を置いた。


今日のメニューは――

にんじんペースト。


ルシエル様はハイチェアにちょこんと座り、赤い瞳をきらきらさせている。


「……みりあ、たべる?」


「はい、今日はね。にんじんさんです」


「……にんじん……?」


ルシエル様は器を覗き込み――


「……オレンジ……」


色で判断してる……

かわいい……


魔族たちは壁際で震えている。


「魔王様が……未知の食材と対峙しておられる……!」


「乳母殿、どうか慎重に……!」


慎重にって……

にんじんだよ?


私は、スプーンに少しだけすくって差し出した。


「はい、あーん」


ルシエル様は、素直に口を開ける。


ぱくっ。


……数秒の沈黙。


「…………」


あ、これは……


ルシエル様の眉が、ゆっくりと、ゆっくりと寄っていく。


「……みりあ……」


「どうしました?」


「……これ……すきじゃない……」


ついに来た……

好き嫌い……!


魔族たちが崩れ落ちる。


「魔王様が……『嫌い』と……!」


「乳母殿、どうか……どうか……!」


いや、嫌いって言っただけだから。


私は優しく言った。


「そっか。でも一口だけ、頑張ってみましょう?」


ルシエル様は、首を横に振る。

眉間には、深い皺。


「やだ」


「一口だけ」


「やだぁぁぁぁぁぁぁ!!」


ドンッ!!


黒い魔力が爆ぜた。

床がひび割れ、食器が宙に浮き、厨房の鍋が吹き飛ぶ。

魔族たちが悲鳴を上げる。


「ぎゃああああ!!」


「魔王様がにんじんを拒否して、世界が割れる!!」


「乳母殿、退避を!!」


退避しないでって!


私は、ルシエル様の前にしゃがんだ。


「ルシエル様。『嫌い』って言っていいですよ」


「……っ」


「でも、嫌いだから怒るんじゃなくて、嫌いだから助けてって言ってほしいです」


ルシエル様の赤い瞳が揺れた。


「……みりあ……にんじん……たべれない……」


「はい。じゃあ、『みりあ、てつだって』って言って?」


ルシエル様は、涙をぽろぽろこぼしながら言った。


「……みりあ……てつだって……!」


その瞬間――

黒い魔力がふっと消えた。

魔族たちが崩れ落ちる。


「乳母殿……!」


「魔王様の好き嫌いを……言葉で鎮めた……!」


「これはもう……母君を超えて……聖母……!」


いや、ただのにんじん拒否だから。


私はにんじんペーストを、ほんの少しだけスプーンに乗せた。


「じゃあ、ミリアと一緒に食べましょう」


ルシエル様は、私の手をぎゅっと握り――


ぱくっ。


「……にがい……」


「うん、ちょっと苦いですよね」


「……でも……みりあがいるから……たべれる……」


尊い……


思わず天を仰ぎたくなったが、我慢した。

その代わり、頭を撫でた。


「えらいですよ、ルシエル様」


ルシエル様は照れたように笑った。


「……みりあ……すき……」


食べ終わったあと、ルシエル様は私の胸に顔をすり寄せた。


「……にんじん……すきじゃない……」


「はい、嫌いでもいいです」


「……でも……みりあがくれたら……たべる……」


もう無理……

かわいすぎる……


魔族たちは涙を流しながら、ひざまずいた。


「乳母殿……!」


「魔王様が……嫌いでも食べると……!」


「これはもう……母君の権威が絶対……!」


いや、ただのにんじんなんだけど……










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