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1. 乳母になる

短編と同じ部分になります。

連載はこの次から!


――赤ん坊の泣き声が、世界を揺らした。


「ひっ……!?まただ!魔王様が泣いておられるぞ!」


「急げ!このままでは城が崩壊する!」


「誰か、なんとかしてくれー!!」


黒い城の廊下を、魔族たちが右往左往していた。

天井から石が落ち、床が震え、壁にひびが走る。


原因はただひとつ。


魔王の揺籠の中央で、小さな赤ん坊が大声で泣いている。


黒い髪。

赤い瞳。

額には小さな角。


――魔王ルシエル、生後3ヶ月。


泣くたびに魔力が暴走し、周囲が爆発する災害級ベビーだ。


「ど、どうすれば泣き止むんだ……!?」


「抱っこしたら腕が吹き飛んだぞ!」


「ミルクをあげようとしたら鍋が爆発した!」


魔族の幹部たちが半泣きで叫ぶ。


……え、これが新しい魔王?


私は呆然と立ち尽くしていた。


私は確か……日本のブラック企業で働いていたはず。

頭がズキズキする。

どうやら、魔王のギャン泣きで落ちてきた天井に、頭をぶつけたらしい。

そこで、前世の日本の記憶と、今世の魔族としての記憶が、ぐるぐると頭を駆け巡る。


いやいやいや、えー……

これ、よくある異世界転生パターン??

しかも、なぜか魔族。

どうして魔族?


……って、そんなことは、今はどうでもいいや。


先ほどから、赤ん坊の泣き声が胸に突き刺さってくる。


「……あ」


私は気づいた。

この泣き方、知ってる。


前世で保育士を目指していた頃、何度も聞いた助けを求める泣き声。


そっか……

怖いんだ……


魔族たちが騒ぎ、爆発が起き、誰も近づけず、赤ちゃんはただただ不安で泣いている。


私はゆっくりと近づいた。


「お、おい!危ないぞ!近づくな!」


「魔王様の魔力に触れれば死ぬぞ!」


魔族たちが必死に止める。

でも私は、赤ん坊の涙を見てしまった。


……放っておけるわけないでしょ。


私はそっと、赤ん坊を抱き上げた。


「大丈夫。怖くないよ」


ポンポンと背中を叩きながら、ゆらゆらと揺らす。


その瞬間――

暴走していた魔力が、嘘みたいに静まった。


城の揺れが止まり、空気が落ち着き、赤ん坊はぴたりと泣き止んだ。


そして、小さな手で私の服をぎゅっと掴んだ。


「……ぁ……」


赤ん坊が、初めて安心したように息を吐く。


魔族たちは全員、口を開けて固まった。


「……な、泣き止んだ……?」


「魔王様が……抱っこで……?」


「ありえん……!あいつは何者だ……?」


私は赤ん坊の頭をそっと撫でた。


「よしよし。怖かったね」


赤ん坊は、私の胸に顔をうずめて眠り始めた。

その瞬間――

魔族たちが一斉にひざまずいた。


「ぜひ、乳母になってくださいっ……!」


「どうか魔王様を……お育てください……!」


「あなたこそ、魔王軍の救い……!」


私は思わず叫んだ。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


こうして私は、あれよあれよという間に、魔王の乳母になることが決定した。


魔王ルシエルを抱いたまま、私は呆然としていた。

さっきまで暴走していた魔力は、嘘みたいに静かだ。

赤ん坊は私の胸に顔をうずめ、すやすやと寝息を立てている。


……かわいい……


いや、違う。

可愛いとか言ってる場合じゃない。


私は魔王を抱いている。

世界を滅ぼす存在を、抱いている。

でも――


「乳母殿……!」


魔族たちが一斉にひざまずいた。


「どうか……どうか魔王様をお育てください……!」


「あなた以外に、魔王様を抱ける者はいないのです!」


「魔王軍の未来は、あなたにかかっております!」


いやいやいや、重すぎるでしょ!?


私は慌てて赤ん坊を抱き直した。


「ちょ、ちょっと待って!私、平民ですよ!?魔王の乳母なんて、無理に決まって――」


そのとき。

玉座の奥から、重い足音が響いた。


「静まれ」


黒い鎧をまとった男が姿を現した。


魔王軍第一騎士団長、黒騎士ゼファードだ。


鋭い赤い瞳が、私を射抜く。


「お前、名は?」


「ミ、ミリアです……」


「ミリア……?いや、気のせいか……。ゴホンッ、お前は魔王様の魔力を鎮めた。それは高位貴族の魔族でも成し得ぬ奇跡だ」


ゼファードはゆっくりと跪き、頭を垂れた。


「どうか……魔王様の乳母となっていただきたい」


え、騎士団長が土下座寸前なんだけど!?


私は慌てて手を振った。


「ちょ、ちょっと待ってください! 私、ただ抱っこしただけで――」


「その抱っこが、できる者がいないのだ」


ゼファードの声は真剣だった。


「魔王様は泣くたびに魔力が暴走する。誰も近づけず、誰も触れられず……このままでは、魔王様は孤独のまま」


……孤独


胸が痛んだ。


ルシエル様は、眠りながら小さな手を伸ばし、私の服をぎゅっと掴んでいる。


この子……

ずっと、誰にも抱かれなかったんだ。


魔族たちは恐れて近づけない。

触れれば爆発する。

泣けば城が揺れる。

だから、誰も抱けなかった。


そんなの……あまりにも可哀想だよ。


私はそっと赤ん坊の頬を撫でた。


「……大丈夫。怖くないよ」


ルシエルは小さく息を吐き、さらに私にしがみついた。

それが、決定打となった。


「……わかりました」


魔族たちが息を呑む。


私は静かに言った。


「私が……この子を育てます」


玉座の間に、ざわめきが広がった。


「乳母殿……!」


「魔王軍に光が……!」


「これで魔王様は闇落ちせずに済む……!」


ゼファードは深く頭を下げた。


「恩に着る、ミリア。魔王軍は、お前を全力で守ろう」


守られる側になるの、人生で初めてかも……

だって、前世も、今世だって……

いや、今世はちょっと……色々アレだったけど……


私は赤ん坊を抱きしめた。


「ルシエル様。あなたはひとりじゃありませんよ」


赤ん坊は、眠ったまま頬を緩めた。

その笑顔を見た瞬間、私は確信した。


――この子を、絶対に闇落ちさせない。


たとえ魔族の世界でも。

たとえ人間の敵でも。

たとえ世界を敵に回しても。


私は、この子の乳母だ。

私は、最後の最後まで、この子の味方だ。






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