いつものお前が。(1)
女はイライラしていた。
「あー……。あー、もうっ!」
白いコックコートに赤い腰エプロンを巻いた、獰猛な顔つきをした赤毛の女だ。
名を、イアサント。姓はない。生まれた村の名前を知らないから。
イアサントはシャノワール魔術学園に数多ある食堂のうち、一番大きなひとつに勤めるシェフである。
現在、その食堂の端のテーブルで、二人の人間と対面していた。
「イアサント、どうしたんだい、そんなにイライラして」
と、対面のうちひとりが言う。平凡な顔立ちの男子生徒、エミール・エペーだ。
「そう。大変ね」
もうひとりは、よくわからないタイミングで相槌を打つ、緑のマントを纏った庭師の女性。シャノワール魔術学園庭園団の長、美しき庭園魔術師のデルフィーヌである。
イアサントはこめかみに青筋を浮かべながら、二人を見た。わざわざ椅子をくっつけて、寄り添うように座っている。
「イライラもするっての。わざわざ惚気るためにアタシに会いに来たってんだからな……!」
「惚気だなんて。ただ僕は、イアサントのおかげもあって、デルフィーヌ様と仲良くなれたから、ありがとうって伝えに来ただけで。ね、デルフィーヌ様」
『恩恵』持ちのデルフィーヌは、斜め上あたりを見てうなずいた。
「りんごがいいと思うわ」
「ほら、デルフィーヌ様もお礼をしているよ」
「いや、意味がわかんねえけど……?」
バカップルに付き合っていられるか、とイアサントは席を立った。
「まったく、信じられねえよ。どいつもこいつも、いつの間にか、こ、恋人を作っていやがる……」
別に恋人が欲しいわけではない。
(欲しいわけじゃ、ねえけどよ……。)
なんだか自分だけ置いていかれたような気分になって、よくわからない焦りを感じてしまうだけだ。
ぶつくさ言いながら、仲睦まじい二人に向き直る。
「せっかく食堂に来たんだ、本日のスペシャリテを食っていくだろ? シェフ・イジドールの舌平目のパイ包み焼きだ。ホワイトソースが絶品だぜ」
「美味しそう! じゃあ、二人分頼むよ。……そういえば、シェフ・イジドールは王族なんだっけ。デルフィーヌ様、お会いしたことはありますか? 実際に、ご自分で」
こくん、とデルフィーヌがうなずいた。
「そうか。じゃあ、ついでに声をかけとくよ。親戚が来てるぜってな」
「うん、お願い」
厨房に戻るイアサントの耳に、こんな会話が聞こえてくる。
「エミール。あーんは恥ずかしいわ」
「あの、まだ料理も来てないですよ。……もしかして、したいってことですか?」
思わず半目になってしまった。
「あっま」
と、そう呟いてから、厨房の扉を開く。
数多のスタッフが行きかう厨房の真ん中、メインの大きな調理台を独占して、鼻歌交じりに包丁を振るう青年がいる。健康的な小麦色の肌に、上背のある立派な体格。髪の毛を首の後ろで一本にまとめてあり、顔つきは凛々しく美しい。
イアサントはその青年に怒鳴る。
「シェフ・イジドール! ご親戚のデルフィーヌ様と、その彼氏からのオーダー、本日のスペシャリテを二皿だ!」
青年――シェフ・イジドールはちらりとイアサントを見て、にやっと笑った。
「おう、承った! 出来上がったら俺が持っていくとしよう。新たな二人の門出を祝うために、ワインでも開けるか」
「いや、エミールはまだ授業がある。最近は真面目に受講しているらしいから、アルコールはよくないかもしれん」
「ほう。じゃ、デザートだな。イアサント、お前が作れ」
「いいのか? ……なんなら、アタシがメインを作ってやってもいいんだぜ?」
挑戦的な発言に、イジドールは「はっはっは!」と大口を開けて笑った。
「総料理長の座を奪いたいってか。いいねえ、俺はお前のそういうところが大好きだ。が、まだダメだ、イアサント。腕は十分でも、もう少し機微を学ばないとな」
「機微ぃ?」
「繊細さ、大胆さ、情熱、愛情……、教えてやろうか? 俺が手取り足取りな」
このシェフはいつも、イアサントにこう言うセリフを吐くのだ。
「うるせえ。チーズのジェラートでいいな?」
「赤ワインと柑橘でソースを作れ。アルコールはしっかり飛ばしてな」
「了解だ、シェフ・イジドール」
スペシャリテの仕込みは終わっている。イジドールはすぐにパイ包みを焼き上げ、皿を持ってホールに出て行った。王族同士、しばらくはなにかしらの会話があるだろう。
イアサントは小鍋にソースを作り上げ、「味見を頼む!」と近くのテーブルに置いた。
老齢の料理人が、ソースの味を見て、ふんふんとうなずく。
「うまい」
そして、満足げにそう呟いた。
味見ならこの男と頼られているベテランだ。イアサントは内心でほっとしつつ、ジェラートの準備もしておく。
イジドールが戻ってきて、また別の料理に取り掛かった。
ややあって、ボーイがイアサントに「デルフィーヌ様のテーブル、デザートそろそろです」と声をかけた。「おう」と応え、ジェラートの皿を持ってホールへ。エミールたちのテーブルへ向かい、皿を二人の前に置いた。
「サービスのデザートだ。シェフ・イジドールから二人にな」
「え、いいの? イアサント、ありがとう! ……と、シェフ・イジドールにも伝えておいて!」
「ありがとう、二人とも」
「おう。じゃ、ごゆっくり……授業に遅れない程度に、ごゆっくりな」
厨房に戻ろうとするイアサントの背中に……。
「イアサント」
……と、デルフィーヌから声がかけられた。
振り返ると、その神秘的な瞳にじぃっと見つめられて、ガラにもなく緊張してしまう。
「な、なんスか」
「あなたも恋人ができるわ」
「よ、余計なお世話ですっての!」




