紅を差したのは。(3)
一年ほど、黒猫を追いかけ回していると、ギュスターヴの肉体にはしっかりと肉がついて来た。
贅肉ではなく、筋肉が。
もとより、悪精霊の襲撃を恐れて室内にこもりがちだっただけで、育ち盛りの少年である。
ひとたび体を動かすようになれば、みるみるうちに筋肉がついて体格が良くなり……。
「ギュスターヴ殿下! お慕い申しております!」
……庭園で女子生徒に、告白されるようになった。
曇りのない金髪と透き通るような碧眼で、すっと鼻筋の通った顔立ちは美形揃いの王族の中でも屈指のもの。
天使と称されていた柔らかな美貌をそのままに、背丈と体格を手に入れてしまったのだ。
(……肉がつけば、とは思っておりましたが、少々格好良く育ちすぎですな、若。)
しかも、『恩恵』持ちゆえに王位継承権を持たない代わりに、政略の婚姻からも切り離されており、許嫁もいない。
女子生徒が思いを寄せる相手としては、これ以上ない好物件というわけだ。
告白も、これがはじめてではない。
高等部二年に上がってからは、それこそ毎日のように想いを告げられている。
フミカは十歩ほど離れたところで、護衛として見守っていた。
告白を見守るのも、ずいぶん慣れてしまって、最初ほどの驚きはない。
強いて言えば、いまフミカの胸にあるものは、主を誇らしく思う気持ちと、ちくちくした少しばかりの……。
(……痛み、ではない。寂しさですかな、これは。)
そう、寂しさである。
ちくちくしているが、寂しさだ。
フミカが見守る中、ギュスターヴは女子生徒に微笑みかけた。
「すまない。その気持ちには、答えられない」
「……そうですか。そうですよね」
女子生徒が、なぜか、むっとした顔でフミカのほうを見てから、ギュスターヴに向き直った。
「殿下。ご武運を」
「ありがとう。必ず手に入れてみせるよ」
円満に断ったようで、もったいない、と思いつつ、ほっと息を吐く。
(……む? なぜ拙者は安堵の息を?)
常日頃から、メイド長たちも「若に恋人がいればいいのにねぇフミカさん」と言っている。
女の影が見えない若主に、恋人のひとりやふたりいてくれたほうが安心できるはずが、そうではない結果に息を吐いてしまった。
己の行動に首をかしげつつ、庭園から去っていく女子生徒を見送ってから、ギュスターヴの背中に声をかけた。
「若。必ず手に入れる……とは、なんのことですかな? なにか入り用なものがあるのならば、拙者がご協力しますが」
問いかけると、ギュスターヴは首だけで振り返って、微笑んだ。
「僕が手に入れたいのはフミカのことだ……って言ったら、どうする?」
魔性の笑顔でそんなことを言われると、さしものフミカの心臓も跳ねるが、表情には出さない。
昔から、こうやって姉貴分のフミカをからかうのが好きなのだ、この主は。
「御冗談を、若」
言いつつ、近づく。
告白のあいだは、さすがに十歩ほど離れていたが、フミカの本来の立ち位置はギュスターヴのもっと近くだ。
「冗談じゃ――」
ギュスターヴが拗ねたように言いかけて、くらり、と。
頭を揺らした。
ひゅるり。
風が、鳴る。
(――なにか、いる!?)
見えないが、いる。悪精霊の気配を、びりびりと肌で感じる。
ずいぶんと久しぶりな、妖精眼の暴走だ。
ギュスターヴの特別な目が、この世界とはズレた場所にある界から『なにか』を引きずり出し、それは荒れ狂う風の刃となって、庭園の空気を揺らしているのだ。
一瞬で、フミカの意識が切り替わる。
「若、お気をたしかに!」
十歩。
歩いて十歩の距離だ。
フミカが本気ならば、ほんのひと跳びでギュスターヴと悪精霊のあいだに跳び込める。
逆に言えば――ひと跳び、かかる。
「若――!」
刀を抜いて、主と悪精霊のあいだに体を跳ばす。
震える空気、魔力を纏った風の刃の群れを刀で弾く――一閃、弾き損ねて頬をかすめた。
(痛――。)
問題ない。痛みによって乱されるほど、やわな鍛え方をしていない。
主に当たる軌道の刃は、すべてはじき返した。
ならば。
「ふッ!」
返す一刀、悪鬼斬り。
フミカの血筋が代々受け継ぐ、異界を斬る剣の技が、目に見えず、触れることも敵わないはずの悪精霊を真っ二つに切り裂いた。
庭園を荒らしていた風が、ゆるやかにおさまっていく。
「……ふう。ご無事ですか、若」
「あ、ああ……。僕は、大丈夫だけど……フミカ、はやくお医者に行かないと!」
「医者……まさか若ッ、どこかに傷がッ? 見せてくだされ!」
「僕じゃなくてフミカだよ!」
言われて、ああ、と得心する。
頬を指でなぞると、ぬるりと血が付いた。
(鋭いかまいたちでしたからな。)
頬を切り裂いて、かなりの量の血が流れている。
「ははは、これは不覚でしたな。あれしきの悪精霊に傷付けられるとは――」
「笑ってる場合じゃないよ、フミカ! 頬に傷が……血もこんなにたくさん! ああ、はやくお医者に見せないと……!」
「大した傷ではございません。痕は残るでしょうが、戦士の頬傷は化粧のようなものです」
傷を負ったフミカは、少し微笑んだ。
ここまで取り乱すギュスターヴを見るのは、初めてだった。
だから。
(いつもからかわれている、お返しをしますかな。)
ほんの小さないたずら心が、芽生えてしまった。
「そう取り乱しなさいますな、若。惚れた女の一大事でもありますまい?」
からかうように、そう問いかける。
場を和ませるために、ほんの少し、ふざけたことを言いたかったのだ。
けれど。
ギュスターヴは苦しそうな顔で、ぎゅっとフミカの手を握り、指で頬の血を拭った。
唇を震わせて、絞り出すように、呟く。
「……いいや。これは、僕が惚れた女性の、一大事だ」
その様子に、さすがのフミカも――ずいぶんと時間はかかったが――気づく。
「……え? あの、若? まさか、今までの口説き文句は、もしや、その、あるいはええと……ほ、本気で……?」
ギュスターヴは、子供みたいに唇を尖らせた。
「ずっとそうだって言ってきたじゃないか。僕はフミカが好きだ。女性として、愛しているんだ」
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