風紀兵団「でかしたなお前」風紀兵団「マリーさん、怒らなかったな」風紀兵団「緊張したけど、言ってみて良かったよ」
パルキア海軍はマリーに私掠許可証まで発行してますし、グラスト海軍は全軍総出でマリー船長に敬礼してるんですけど、王都の第一海軍卿にはそういう事が何一つ伝わっていませんでした。
ユロー枢機卿の言う通り、アイビス海軍は一度解体して再編成した方がいいのでは……?
私の懸念は当たっていた。
市内の酒場はどこも一仕事終えた男共で満員だった。
「悪いわね、今日は早くから満席なのよ」
風紀兵団はここでも遅れをとってしまったというのか。国王陛下の御上船が終わったという事で、海軍に陸軍、各都市からの応援の衛兵、騎士団に僧兵まで……様々な武装勢力が一斉に勤務体制を緩めていたのだ。
「この上20人なんて無理無理、それどころじゃないんだから、ハハハ」
数人ずつなら入れない事は無いが、風紀兵団は他の軍隊よりずっと仲間意識が強い。他の仲間達より先に食べて来いと言われても、誰も行こうとしない。
結局私は風紀兵団をぞろぞろと引き連れたまま、波止場にまでやって来てしまった。しかし夕陽は既に水平線の向こう、ここに昼間の賑わいは無かった。
そしてこの辺りの屋台はサフィーラやウインダムのように宵っ張りではないらしく、皆片付けを済ませてしまっていた。
さすがに私も風紀兵団も、揃って肩を落としたが。
「昼間のお嬢ちゃんじゃないか、兵隊さんを連れてどうしたんだい」
国王陛下の御上船が急遽決まって大騒ぎになった時の、焼き貝とパスタを売っていた屋台のおじさんがまだ近くに居た。
私が事情を話すと、おじさんの店は貝もパスタも売り切れでもう商売にはならないにも関わらず、風紀兵団の為に屋台を貸してくれるという。
「ハハ、意外と早く恩返しのチャンスが巡って来たね。大丈夫、うちの屋台を出そう。食材もそのへんの仲間に頼んであげるから」
おじさんが商売仲間の皆さんに頼んでくれたおかげで、私達は彼等の売れ残りの羊のリブやソーセージやチキンレッグ、パンやお惣菜、それにシードルやカルバドスをたっぷりと売って貰えた。
◇◇◇
「見ろ、本物の肉だ……久しぶりだな、こんなの」
「ずっと合成肉ばかりだったもんな……」
「ああ……動物の脂の香りがするぜ」
とても同じ世界に住んでいる人間とは思えない感想を漏らしながら、風紀兵団達は焼きたての骨付き肉を大兜の下から摂取する。
しかしこいつら、本当に兜を取らないな……そもそもこの鎧兜の中身は本当に人間なのだろうか? 私はこれだけ風紀兵団に追われて来たのにも関わらず、未だにトライダー以外の風紀兵団の素顔を見た事が無いような。
ああ、トライダーを思い出してしまった。
「折角ですしトライダーさんの話でもしましょうか。国王陛下の御上船は無事終わりましたし、陛下も明日には王都に帰られるんですかね。そうすると、トライダーさんもこの町を離れてしまうかもしれませんね」
風紀兵団達は皆一様に、はっとしたように顔を上げ、私の方を見て、それから順番に俯いて行く。全員が同じ反応をするというのも面白いわね。
やがてその中の一人が、ポツリと呟く。
「トライダーさん、ちゃんとご飯を食べてるんでしょうか」
他の風紀兵団も、めいめいに呟き合う。
「我々だけがこんな御馳走にありついていていいのだろうか」
「トライダーさんも、ここに居たら良かったのに」
「本当に、探しに行かなくていいんでしょうか」
私はシードルを、唇が湿る程度にいただく。
「逃げる者を追い掛けても解決しないと、私は思いますよ。振り向かせなきゃ」
などと私が適当な事を言う度に……ヒエッ……全員で一斉に大兜をこちらに向けるのはそろそろ辞めて欲しい……圧が凄いよ、何かの圧が。
「人から感謝されるような仕事をして、偉い人からはちゃんと寄付を貰って、首尾よく仕事を終えた後は仲間同士で美味い物を食べて飲んで、そして笑っていたら、トライダーさんは自分から戻って来てくれるんじゃないですかね。本来、風紀兵団では皆さんのような素敵な仲間達が待っているんだから」
私はそこまで言ってから、風紀兵団の大兜越しの視線を遮る為、彼等に背中を向ける。
そして柔らかいリブを食す。確かに肉だなこれ。グリルの上では臭いの強い脂が炭火に垂れ落ちて、ジュウジュウ言い続けている。そして骨を掴んで豪快にかぶりつけば、獣の味を感じる肉汁が溢れるように口の中に広がり……これぞ肉だなあ、本当に。何気にスパイスも効いている。
もぐもぐ……肉汁が、モグモグ……肉うまい、モグモグ……
「さて……私はこのぐらいにしておきましょうかね。風紀ある市井の為、宿に帰ります。皆さんは最後に片付けを手伝ってから野営地に戻って下さいね」
羊の骨をバケツの中に入れ、小さなカップの底に残った少々のシードルを飲み干して、私はそのまま屋台を離れて行く。
「あ……ありがとうございました、団長」「おやすみなさい、団長」
その団長というのが何の冗談か、それは突っ込んだら負けのような気がするので、私は務めて気にしないようにして、そのままそこを立ち去る。
◇◇◇
西の空にわずかに残っていた空の明かりも、やがて紫から深い青、そして色の無い闇へと変わって行く……上弦の三日月は西の水平線に向かってはいるが、まだそこそ高い所に居る。
私の宿は市街中心からは少し離れた高台にある。私はそちらに向かい、人気の少ない坂道を登って行く。
私は風防付きの小さな蝋燭を灯しているのだが、ちょっと明かりとしては心細い。だけど松明を点ける程の距離じゃないのよね。
そんな時。
「何だァ、この野郎!? ぶつかっておいて挨拶も無しかテメェ!!」
ヒッ!? 割り合いと近くで、雷鳴のような怒鳴り声がする……あれは私のような貧弱で気の弱い人間がこの世で一番怖いと思っているもの、頭に血が登った乱暴者の罵声だ。正直、身近な脅威であるぶん巨大タコやドラゴンより怖い。
「おーい、よせよピート、ヒッヒッヒ」
「おいッ! 俺達はなァ! 国王陛下をお守りする陸軍の、そのまたエリートの教導部隊の兵長だぞ! 解ってんのか!? くそっ、皆バカにしやがって!」
ああ……しかもこれ一番たちが悪いやつだ。都会は便利でいい所だけど、こういう人間も多いんだよなあ。
酔っ払って酒場で暴れて追い出されて、どこかで飲み直そうと思ったらどの店も満員、それで道端で安酒を飲んでいたらどんどん機嫌が悪くなって来て……そんな所だろうか。これは悪酔いした酔っ払いというやつである。前に似たようなのが暴れているのを、アレクがそう解説してくれた事がある。
そんな面倒そうな相手に、誰かが絡まれている。その人は転倒していてどうにか起き上がろうとしているのだが、暗がりになっていてよく見えない。
居丈高な男は今にも転倒した人を蹴りつけようとしている。そいつの仲間は暴行を止めるよう口では言ってはいるが、本当に止める気は無さそうだ。
どうしよう。いや、衛兵さんを呼ばなきゃ。だけど今日はその衛兵さんもどこかで酔っ払っているのではなかろうか。
全く……昼間は喧嘩するくらいたくさんの警備兵が居たのに。夜になったら警備が居ない上、昼間警備をしていた兵士が狼藉者に変身ですか! この国の制度は何かにつけ、ちぐはぐなんですよ。
私はグレイウルフ号のレイヴン水兵達の顔を思い出す。大丈夫なの……? アイビスの軍隊はいざという時にあいつらと戦えるの? やめた方が良くない?
「風紀兵団の皆さん、こっちです! 市井の風紀を乱す酔っ払いが、国王陛下の御足下で暴れています!」
私は声色を変え、夜空に向かって叫んだ。しかし私の救援はもう一歩遅く、狼藉者は倒れている人を一発蹴りつけてしまった。
「ぐおっ!?」
「おい、あの融通の利かねえ風紀兵団の阿呆共だとよ、ここは立ち去ろうぜ相棒」
「くそッ、命拾いしたな! 国王陛下万歳! ヒエッ、ヘッヘ!」
私が物陰から恐る恐る覗いてみると、四人ばかりの、酒瓶らしきものを手にした乱暴な陸兵共の人影が走り去って行くのが見えた。
「風紀兵団の皆さーん! 早く、早く! 風紀ある市井!」
念の為、私はさらにそう叫んでから暗がりの中に倒れている人に駆け寄る。
私はカンテラの小さな明かりで暗がりを照らす。倒れていたのは身長180cm以上はある、細身だが肩幅の広い大の男だった。まあ相手は四人も居たし国王陛下の威を借る陸軍の兵長でもある、無暗に抵抗しないのが正解だとは思うが。
「あの……大丈夫ですか?」
「き……君は……風紀兵団なのか……?」
倒れていた男は声を震わせていた。まあ今日はかなり寒いよね。それともこんな大柄な男でも、今起きた出来事が恐ろしかったというのか。
「違います。ただの通りすがりの小童ですよ……やっぱり衛兵さん呼んで来ましょうか? ここで待ってていただけます?」
「え……衛兵はッ! 不要です……」
地面にうずくまり、声を震わせていた男が立ち上がる。
それは勿論、私の知らない人だった。明かりが少ないのでよく見えないが、顔の面積がとても広く、角張っている。
「だけど……怖かった……びっくりしたなあもう……私は理由なき理不尽な暴力は苦手なんですよ、美しさの欠片も無いでしょう、そんなの……」
その人は襟の小さいピンク色のプールポワンを着て足腰にぴったりとした黒いズボンを履いていて、帯剣はしていなかった。