フォルコン「待って! お嬢さん、お茶とお菓子を御一緒しませんか、私は海の英雄、キャプテン・オーストリッチ!」
とうとう実現してしまった、リトルマリー号への国王陛下御上船。
理想のマリー船長に誘われ、うきうきとリトルマリー号に乗り込んで行く国王陛下。
現実のマリー船長は、遠くで指をくわえてそれを見ておりました……
私は港の四階建ての高層住宅の屋根の上の、煙突の陰に居た。良かった、よく見える場所が見つかって。下は私の身長だと人垣に埋もれて見れないのだ。
リトルマリー号はドックから出されて桟橋に跳ね上げブリッジで接続されていた。
桟橋の警備は先程まで様々な色の制服が入り乱れていたが、後から来た一際立派な制服に駆逐され、今ではほぼ一色になっている。当然だが風紀兵団は居ない。
そして更に立派な姿の人々が、数人ずつ固まってリトルマリー号に近づいて行く。どれが王様なんだろう……良く解らない。
あ。あの女の人が出て来た……黒いドレスを着た、背の高い、赤い薔薇のような美人……はあ……遠目にも存在感があるなあ……私なんて目の前に居ても見落とされるのになあ。
私は腕組みをして思案する。
事態はあの女の人が現れた事で好転したのか。
このまま中止になると思われていた国王陛下の御上船が、予定通り行われる事になった。
煙突の陰から見守る私のはるか前で、王侯貴族のような人達が何人もリトルマリー号に乗り込んで行く。あの中のどれかが国王陛下なのだろう。
パレードを見守る市民の皆さんの喜びようは大変なものだった。やっぱり王様は人気者なのだ。
警備の皆さんは……ちょっと面子とか縄張りとか、そんなものに拘り過ぎなような気もするが、やり甲斐があるのは良い事だ。
リトルマリー号に掛けられたブリッジが外される……そして乗組員がマストに登り、畳んでいた帆を開く……
ええっ!? 何ですかその帆は!? 色取り取りのたくさんの帆が開くのだが、リトルマリー号にあんな帆あったっけ?
いや無いよ……ていうかあの帆、裏帆を打ってるんですけど何で前に進むんだ……って良く見たらタグボート四隻で曳いてるじゃん!
私は屋根の上で這いつくばる。私の涙腺は何故か先程から崩壊していて涙がボロッボロ流れていたのだが、それが屋根の上にぼたぼた落ちる。
あの人が自分をマリー・パスファインダーだと言っただけで、世の中がこんなに綺麗に回るというのか。
じゃあもうあのお姉さんが本当のマリー・パスファインダーで良くない? 私なんて名も無きお針子でいいじゃないか。
不都合な事実と理想的な真実。どちらか選べと言われた時に、前者を選択する人なんて居るのか? 私が王様でも後者を選ぶわ。
私はそのまま屋根の上にうつ伏せになり、大棟に顎を預けて、タグボートに曳かれ湾内へと漕ぎ出して行くリトルマリー号を見守る。
あのお姉さんが、実は国王陛下の命を狙う刺客とかだったらどうするのだろう。いや、知りませんよそんなの。
だけど万が一そんな事になったら、私やパスファインダー商会の皆に八つ当たりが及んだりしないだろうか? そんな事になったら嫌だなあ。
私はそんな事を考えながら、ぐったりした猫のように屋根の天辺に覆い被さり、ただぼんやりと、リトルマリー号が湾内を曳かれて行くのを見ていた。
大きな雲がゆっくり、ゆっくりと空を流れて行く。リトルマリー号もゆっくりと、湾内を進む。一生懸命オールを漕ぐ、タグボートの海兵さん達に曳かれて。
遠くの広場からは愉快な行進曲のような笛太鼓の音が聞こえて来る……町はお祭りのような気分に、いやお祭りそのものに包まれている。林檎の縄張りの町だけど、振る舞われているのはワインですね。
屋根の上なんかに登ったものだから、空が広くて敵わない……戦列艦のような大きな雲が何隻も、ゆっくりと空を渡って行く、その下で。
私の父の船、リトルマリー号は、アイビス王国の国王陛下を乗せてセリーヌ川の河口のレブナン湾を一周するという大役を無事果たし、何事も無く、元の桟橋に戻って来た。
私は登った時と同じように、人目につかないよう用心しつつ、建物の屋根の上から地上へと降りた。
「きちんと開催されて良かったなあ」
「タダ酒より美味いものは無いよな」
建物の隙間から野良猫のように這い出して来る私を見て、ちょうどそんな話をしながら通りがかったお兄さん方が少し驚いていた。
確かに、開催されて良かったな。
父が恐ろしい海賊や暴風雨、もっと恐ろしい借金取りなどから守り抜いて来たリトルマリー号が、国王陛下の御上船というこの上無い名誉を賜ったのだ。
今頃どこで何をしてるんだろう。良かったね、お父さん。
◇◇◇
宿に戻る途中の広場で、私は風紀兵団の一隊を見掛ける。四人ほどの分隊が、いつもの恰好で……広場の掃き掃除をしている……
「ああ、マリーさん、もしかしてパレードを御覧になっておられたのですか? 鼓笛隊の演奏はお聞きになられましたか。立派なものでしょう」
一人が私を見つけて、暢気にそんな事を言う。私は脱力感を感じていた。いや、これは無力感というものか。この人達は今朝私が言った事を聞いていたのか。
いや、別に私が憤る事じゃないんですよ? 風紀兵団が町のささやかな平和と美観を守る爽やか兵団に変わるというのも、別にいいと思います。
だいたい風紀兵団なんて私にとってはどうでもいいのだ。こいつらは私を網に掛けて捕えるような奴らなんだから。
「ええ、陛下の御上船も恙なく済み市民の皆さんに振舞いも出来て、良かったんじゃないですか。それで皆さん……スポンサーや偉い人へのアピールはどうしたんですか!」
私が目を細め腕組みをして鋭く小さな声で言うと……ひえっ!? 残り三人の風紀兵団も駆け足でやって来て、皆で私の前に並んだ。な……何ですか……?
「あ、あの、我々は決してその事を忘れていた訳ではないのです」
「レブナンには国王陛下の他にユロー枢機卿もお越しになっているんです、枢機卿も時々私共に仕事を下さるので、仲間の一隊は枢機卿が滞在されている郊外の修道院に向かいました」
郊外……枢機卿……あれ? 何か引っかかるな。
そもそも枢機卿って……枢機卿!? あの、私がグラストでちょっとその……お話する事になったあの枢機卿ですか!? レブナンに居るんですかあの人!
「マリーさん? どうかなさいましたか?」
「ああいや……枢機卿とお知り合いとは、皆さんやっぱり凄いんですね」
私は自分の動揺を誤魔化すため、適当にそう言って彼等を持ち上げる。
「や、たいした事はありません」
「我々を枢機卿に紹介して下さったのは、他ならぬ国王陛下なのです」
風紀兵団はそう言って胸を張る。彼等には言わないでおこうと思うが、私はグラストで枢機卿が別の風紀兵団を連れているのを見ているので、今さら驚きは無い。
「なるほど、枢機卿なら皆さんに仕事と活動費を下さるかもしれないんですね」
私は腕組みを解き、屈託なくそう言ってみた。
しかし風紀兵団は、端から順番に順番に俯いて行く。
「枢機卿は陛下の御友人でもありまして……そもそも陛下は、風紀兵団なら無料で働くからと言って、我等を枢機卿に紹介して下さったのです」
「それでも枢機卿は弁当代くらいは出して下さっていたのですが……先月、枢機卿のグラスト出向にお供させていただいた仲間が、何かの仕事に失敗したそうで」
「それ以来我々は枢機卿から仕事をいただけていません。それでも、国王陛下直々の御紹介で得た縁ですから、何とか仕事をいただけないかと、仲間が交渉を」
ぎゃふあああ!?
私は受けた衝撃を顔に出さないよう必死に堪える。
そ、その仕事の失敗とは……風紀兵団がグラスト港の監視塔士官のバラソルさんから受け取りに行った枢機卿の手紙を、私が奪取した件では……?
「え……えー。枢機卿の伝手は大事にすべきとは思いますが、それだけに頼ってはいけません、伝手というのは広く浅く持つべきものなんです、特に皆さんが風紀ある市井を守る正義の軍団、風紀兵団であるなら」
「は……はい! そう思います!」
私の適当な言い訳に、食い気味の良い返事で答える風紀兵団……ああ……重い罪悪感が、私の心にのしかかる……
そこへ。
「ハッハッハ……とにかく肩の荷が下りた。今日はもう休ませて貰うぞ私は。残りの仕事は明日でいいだろう」
広場にある市内でも随一と思われる高級ホテルの前へと、立派な身なりの貴族が多数の随行員を連れて歩いて来る……あれはあのレストランで見た、真実のマリーさんを連れていたドパルドンという人ではないか? 他のお客さんが何か言ってたような。海軍……なんだっけ。ちゃんと聞いてなかったので覚えてない。
……
私は剣帯ごと竹光レイピアを外し、風紀兵団の一人に押し付ける。
「マリーさん?」
「それを持って、ここで待っていて下さい」
私は大急ぎで、近くに居た花屋の露店で一輪の白い花を買い求め、これからする事を頭の中で練習する。ううっ、恥ずかしい……だけど急がないとドパルドン卿がホテルに入ってしまう。
「うふふふっ。あははっ」
やけくその私は足取り軽くスキップをしながら、ホテルの入り口へ向かう。