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十七 一人前になれるまで


 坂橋の本社への移籍と同時に、もう一つの移籍が発表された。りえ子が、グループ内のゴルフ場開発・運営会社に移るという。

「最終的に担当するのが何になるかは適性を見てってことらしいけど、最初は、キャディーから始めるの。キャディーって奥が深い仕事らしいよ。やってみようかなと思って」

 りえ子はスッキリした表情で語った。「こまどりの森」では見つからなかった夢が、移籍先にはあるような気がしていた。

 残るのは、遠山、佐藤、それから友恵、紗莉。七人いた同期が四人に減る。

「半年とちょっとで、こんなに減るなんて淋しい……」

 紗莉はうつむいた。寮の部屋をりえ子が出ていくと、しばらく一人になる。でもリストラの一環で社員寮の廃止も決まっていて、半年以内に自分で住まいを見つけるように指示が出ていた。寮の廃止に伴う家賃補助は三年間限定で月三万円。多くの寮生が不安を感じていた。

 同期の仲間で坂橋とりえ子の送別会を開催した。坂橋は、相手が誰かとは言わずに「彼女ができた」と皆に報告した。りえ子が唇を噛んでそれを聞いているのを、友恵は後ろめたい気持ちで聞いた。友恵はまだ大学時代の彼氏と別れたことを誰にも言っていなかったので、坂橋の相手が友恵だということに気づいた人はいなかった。

「遠山の『ガラスの天空風呂』の金、稼いでやるって言ったのにごめんな」

 移籍を坂橋が詫びると、遠山は不敵に笑った。

「大丈夫、おまえが残す社員旅行パックが代わりに稼いでくれるよ。それに……俺の理想はもっと高い」

 全員をぐるっと見回すと、遠山は希望に満ちた瞳で宣言した。

「うちの課長は、あれでもやっぱ、優秀だよ。俺たち全員が志として持ったほうがいい、いい訓辞をくれた。いい、教えてやるからちゃんと聞くように。

『部下を使うのは誰でもできる。いい仕事っていうのは、上司を動かすような仕事のことを言うのよ』――だって、さ」

 意味を理解するのに全員がほんの数秒かかったが、すぐに理解した。

 上司が「これは」と動くような、それまでの枠組みや決まりを超えるような素晴らしい提案をして、会社を動かすほどの仕事ができるなら、それこそが「いい仕事」。全員がそれを噛みしめる少しの沈黙が流れた。会社の枠組みの中でただ働いて、客が満足する、金が入る、それだけのことを「いい仕事」とは言わない……。

「俺たち、もっと上を目指そうぜ」

 全員を若干感動させた後、遠山は次に、坂橋に向かって挑戦するように言った。

「おまえは本社に行くがいいさ。俺は、こまどりから、グループを動かしてやる。これまで、でかいことを考えようとは思ってたけど、実際はウチの箱庭の中のことばかり考えてた。でも、おまえが本社に出ていくって聞いて、思ったね――上司を動かすだけじゃなくて、グループや、業界を動かしてやろうってね」

 佐藤が慌てて横から口を挟んだ。

「でかいことばっか考えて、足下をおろそかにするなよ。俺はもう、メリーゴーランドの復活までは目処つけたからな。こまどりの座席にするのはまだ無理だけど……もう、うちの上司が稟議書作ってる。俺は上司を、ちょこっとだけだけど、動かしたよ」

 坂橋がそれに対抗するように続いた。

「こっちだって、『こんな時代、むしろ今こそ社員旅行を』ってことで、部署全体が法人向け新商品の準備に入ってるから。ホントは俺がそれを売って回って営業成績トップになって、日本中の企業にちょっとした社員旅行ブームを起こす予定だったんだけどな。本社で次の夢をまた見つけてみるよ。定年近くなったらでいいけど、園芸担当でこっちに戻ってきて、地道に花を育てるのも夢だし」

 そこに、珍しく、紗莉が割り込んだ。

「あの、ね……私も、受付がつけてる来客のリスト、坂橋くんが紙のノートなのをびっくりして『データベースにして、トラブルの記録とかも残して共有すればいいのに』って言ってたの聞いて……データベースソフト、勉強してるの。よく営業に来る業者さんのデータも、坂橋くんが、ほしいって言ってたよね。坂橋くんはいなくなっちゃうけど、データベース化と、情報共有は、提案できるようにしたいなって思ってる」

 負けじとりえ子が声をあげる。

「私はキャディーのプロになって、あのゴルフ場ならあのキャディーさんがいいって指名されまくる人になるからね。そして……」

 りえ子はさりげなく坂橋に視線を送った。

「私、ゴルフ場で、金持ちのいい男も見つけるから!」

 そこはりえ子らしいと思いつつ、友恵はみんなの夢をドキドキしながら心の中で繰り返した。そして、もしもまだ近田がいたのなら、どんな夢を語ったんだろうと思った。

「おまえは? なんかないの?」

 坂橋が友恵に、あくまで同期の顔をして聞いてきた。友恵は控えめな笑顔で答えた。

「私はみんなみたいに上手く夢は見つかってない。でも、宣伝課で仕事してて気になったのが、うちの宣伝対象エリア、遠くばかり見すぎてるんじゃないかってこと。ここは都心から急行で四十分も乗れば着いちゃって、大自然の中でもなくて、近場の手っ取り早い遊び場でもない。でも沿線に住んでる私にしてみたら、こんな近場で自然の中で温泉入ってバーベキューや森林浴、一泊旅行ができて、会社勤めしてる身にはすごくいいレジャー施設。でも、ウチの会社って、旅行で来るような少し大掛かりなイメージでお客さんを見てる。だから……近隣の顧客を開拓できる広報活動をしてみたい。もっと近場の、家族連れとか高齢者とか……遠出は大変だけどレジャーを楽しみたい人、たくさんいるはずだと思う。そういう人に向けて、手作りの壁新聞を配って、沿線の学校とか商店とかに貼ってもらえたらいいな。楽しいニュースを、あえてささやかに、手作りして配るの」

「メルマガとかじゃなくて? メルマガは、企画でもリニューアルを考えてるけど……」

 遠山が言うと、友恵は首を振った。

「メルマガは、元々登録してくれる、ある程度ファンの人しか見ない。近場で、こまどりの森に興味のない人に来てほしいの。普通の販促や宣伝・広報は、それはそれでやるけど、地道な土作りみたいなこともして、周辺から、ここを豊かにしていきたいな」

 友恵が言い終えるのを待って、坂橋が場をさらった。

「夢が出揃ったな。俺さ、――ホントは、この会社に入ったことを最初の最初から後悔してたんだよね。すっごいダメな会社入っちゃったなって。いつ出て行こうか、でもすぐに出て行ったら世間にどうレッテルを貼られるかって、いつも悩んでた。でも……今はホント、ここに来て、よかったよ」

 友恵はうなずいた。自分も最初の最初から後悔した。でも世間体を考えたら辞めようがないとくよくよした。ちらりと目を馳せると、同期たちは友恵と同じような顔をして話を聞いていた。

「教えてくれる人もちゃんといて、見てて勉強になる人もいて、刺激になる仲間もいて、よかった。もちろん、文句言いたいこともいろいろあるけどさ、なんだか結局、どこに行っても、自分次第なのかな……って思った。確かに正社員になれたこと自体も大きいけど、まあそこそこ立派に成長できて、俺たちの社会人第一歩はとりあえず成功したって思っていいよな!」

 同期の仲間で笑顔を交わし合う。これから少しずつ立場は変わっていくのだろう。けれどいざという時は仲間でいたい。「こまどりの森」だけでなく、グループ企業全体でも、何かあれば協力し合えたらいい。友恵たち「こまどりの森」大卒新入社員の同期たちは、これからも続いていく社会人の道へと、ともにまた新たな一歩を踏み出した。


 たった二週間で早くも訪れた坂橋の「こまどりの森」最終出勤日、友恵は思い出の川原で坂橋を待っていた。

 ほどなく自転車のベルが鳴り、坂橋が土手を上がってきて、自転車を遊歩道の柵にくくりつけた。

「……半年……七ヶ月か、短い間だったけどおつかれさま」

 友恵は声をかけた。会社で会えなくなると思うと心細い。これまで坂橋のエネルギッシュで機転の利く働きぶりにどれだけ助けられたか。目配り気配りにどれだけ安心したか。同期のまとめ役が、頼りになる仲間がいなくなる。仕方ないことだけれど、やっぱりちょっと不安だ。

 坂橋は友恵のそばに歩いてきて、優しく言った。

「おまえはまだまだ、こまどりでがんばれよ。おまえは、大丈夫だから」

「うん……」

 不安を隠さずにうなずくと、坂橋は大声で叱咤した。

「おまえは内にこもる傾向があるよな。不安ならそう言え。言う相手を選ぶのは大事だけど、誰かを選んでちゃんと言え。見極めは間違えるな、でも、一人で悩むな」

 坂橋の指が友恵の髪に触れた。

「それと、一つ頼みがある。俺、前にちょっと言ったけど、女の子の『本当はそうは思ってない』とか『思いと行動は裏腹』みたいなの、上手くわかってやれない。だからどんなに恥ずかしくても、照れて心にもないことを言うのはナシにして。――それで、だ」

 もう一歩、坂橋の足が友恵のそばに踏み込んだ。

「……やっぱまだ、俺のものに、なる気ない?」

 友恵はびっくりした。だって、まだキスもしていない。

「順番ってものがあるでしょう?」

 反射的にそう言って、友恵の足は坂橋から一歩逃げた。髪から坂橋の指が離れる。ただ、言われたことは決して嫌ではなかった。

「だってさー……俺、社会人にはなれたけど、大人になれてないっていうのが、どうにも置き去り感があって」

「公私混同だよ。社会人としては大人だけど、プライベートでは子供っていうの、ダメじゃないと思うよ」

「……やっぱりおまえって、ヤラせてくれないのね」

「もう……」

 呆れたふりをしながら、友恵は驚きを噛み締めていた。

(私はこの人を、嫌じゃない)

 坂橋の存在感は、甘えたい気持ちを素直に湧き上がらせるとともに、甘えたいのならかなえてあげたいと思わせる。求めてくる言葉の中に真摯なもの、温かいものがあるのを感じ取ることができる。

「とりあえず順番は守る。栄転祝いに、キス、させて」

 坂橋の言い方に友恵は渋い顔をした。

「坂橋くん、これまで、女の子がハイもイイエも言いづらかったの、わかる……」

 女性に対して「とりあえず」順番は守るとは何事か。大真面目に「キスさせて」と言われても答えに困る。このどうにもデリカシーのない言い回しをこれまでもしてきたのであれば、コミュニケーションにおいて、「恋愛の駆け引き」が坂橋の唯一の弱みだと友恵は思った。

「何が悪いんだよ、おまえに気を遣って、こんな言い方になってるのに……」

「ムードがなすぎる……。でも、言われたとおり、私……正直に言うね」

 自分の中でも始めの一歩。自分がこんな言葉を言おうと、今、体の中にエネルギーを必死で発生させていることが嬉しい。

 友恵は小さな声で、けれどしっかりと言った。

「まだ、こまどりの同僚のうちに……思い出に、キスは、したい」

 ここから始まる大人への道。今度こそ幸せな恋がしたい。

 川から下りてくる風に吹かれてゆっくり歩いた帰り道、駅の改札前で幸福な沈黙を分け合った後、坂橋は言った。

「――一か月」

 友恵は顔を上げた。

「一か月経ったら迫る。その時点でOKしてくれってわけじゃない。でも、あと一か月、おまえのために待つから、俺とのそういうこと、それまでに考えておいて。それまではガマンして今の、この位置にいるから」

 仕事では周囲と先を見てどんどん進んでいく坂橋の、思いがけない不器用さと誠実さを感じて、友恵ははにかみつつも温かく素直な気持ちでうなずいた。

「でも……ダメだったらゴメン」

 それでも不安は残る。友恵のそんな気持ちを坂橋はすぐに振り払った。

「あとは俺の、男としての実力次第だから。おまえは無理をしなくていい。俺が合格できるよう、がんばる」

 次に出会ったのがこの人でよかったと友恵は心から思った。そして今、自転車の後ろに乗せて部屋にさらってくれるなら、それでもいいのにと思った。

 まだまだ半人前、社会人一年生。でもそれなりに社会人にはなれたし、格好もついてきた。見える世界も広がってきた。次に――恋に大人になることができたら、見える世界はどう変わるだろう。働くことと同じように、愛すること、愛したうえでのその先の世界、それらを素直に「人の生きるうえでの当然の営み」と思えるようになるだろうか。

 もう冬はすぐそこ、日が落ちるのが早い。水辺を流れてきた北風で、友恵がわずかに肩に寒さを感じた途端、坂橋の手が触れた。

「ゴメン、冷えちゃったな。今日は帰ろう。その代わり、今週末、会おう」

 冷えてしまう前に気づいてくれる、優しい人――。

 温かいまなざしに包まれて、友恵はそっと思いを固めた。自信はないけれど、ひと月で気持ちを整理して、自分なりには踏み出してみようと……。


 社会人になろう、一人前になろう。

 そして、愛する人の思いも、自然な流れのまま受け入れられる大人になろう。

 その先の新しい世界は、前向きに見つめれば、きっと希望に満ちているから――

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