90.迷霧のマリアルザ③
マキナの手の中に握られている冷たい金属の筒。
それが先程ヘーニオが使用した『魔素妨害』であると理解したマリアルザは、すぐさま大きく後方へと跳躍し、距離を取ろうと試みる。
仮に『マジック・チャフ』が直撃したとしても、卓越した魔力操作技術を有するマリアルザならば、体内の魔力を強引に制御することは可能だ。
しかし、その不安定な状態で一帯を覆う繊細な幻覚魔法の制御を続けるのには、少なからず支障が出る。
その万が一のリスクに備え、彼女は確実な回避を選んだのである。
「……は?」
だがここで、マキナがマリアルザの思考を完全に置き去りにする予想外の行動に出る。
握られていた『マジック・チャフ』は、敵であるマリアルザに向けて投げつけられることはなく、マキナ自身の顔の高さへと無造作に放り上げられたのだ。
次の瞬間、マキナの眼前で『マジック・チャフ』が激しい音を立てて炸裂する。
彼女の姿は一瞬にして眩い閃光と光の粒子に包み込まれ、完全に白く塗り潰されて見えなくなった。
それは、どう見ても正気の沙汰とは思えない自爆行為。
自分の常識と理解を遥かに超えた突飛な行動を目にし、マリアルザの顔から初めて薄気味悪い笑みが消え去り、明らかな困惑の表情を浮かべていた。
だが、白煙の中からマキナの周囲に漂う光の粒子の乱れを見た瞬間、マリアルザの脳裏に電流が走り、その狂気じみた行動の真の意図を理解する。
「……まさか、自分にチャフをかけて幻覚魔法を!?」
「その通りです!!」
声が岩場に響き渡った瞬間、周囲の乱れた光の粒子を暴力的に掻き分けるようにして、マキナが姿を現した。
視界を奪うはずの迷霧を全く意に介さず、迷うことなく一直線に、マリアルザの本体の喉元へ向かって突進して来る。
「ッ!!」
これまで感じたことのない危険を察知したマリアルザは、直ぐに体を反らせて霧の中へ紛れ込もうと試みる。
しかし、それよりも疾く風を裂いて迫ったマキナの腕が伸び、万力のような力でマリアルザの首元を正確に捉えた。
「しまっ……!?」
「く……らえ!!!!」
そのままの勢いでマリアルザの細い体を荒々しく地面へ叩きつけ、マキナは拳を大きく振りかぶる。
「(ま……ずい!!防御……魔力で防御を!!)」
次の瞬間、空気を切る轟音と共に、マキナの渾身の拳が振り下ろされ、激しい衝撃で一帯に濃い土埃が舞い上がった。
僅かな沈黙の後、激しく渦巻く煙の中からマリアルザが弾かれたように飛び出し、大きく距離を取った岩の上に荒々しく着地する。
彼女の表情は、ほんの先刻までの余裕に満ちた姿とは完全に打って変わっており、大きく見開かれた瞳は赤く血走り、剥き出しになった牙のような歯がギリギリと鳴る。
痛む腹部を庇うように強く手で覆い、艶やかだった口元からは、余裕の笑みの代わりに血がポタポタと滴り落ちていた。
一拍遅れて、マキナが晴れゆく土埃の中から姿を現し、離れた位置に逃れたマリアルザを逃すまいと地を蹴って駆ける。
「(攻撃したところを魔力で防御された!!『マジック・チャフ』で強化魔法が使えなかったから仕留めきれなかった!!一発じゃダメ!!抑え込んで本体を捉えたまま、強化した攻撃を与えないと!!)」
『魔素妨害』は、発動した一定の範囲の魔素を激しく不安定にさせ、対象の魔力操作を物理的に乱すための魔道具だ。
マキナは自身を敢えて爆心地に置くことで、自らの体内の魔力の流れを故意に暴走させた。
これにより、マキナは自身の得意とする強化魔法を一時的に扱えなくなったが、同時にマリアルザによって外部から強制的に乱されていた幻覚魔法の干渉波をも強引に上書きして打ち破った。
定石など全てかなぐり捨てた、正気の沙汰とは思えない特攻戦術。
その狂気に近い決断の速さが、マリアルザの理解速度を上回り、彼女の腹を深く抉り取る結果を生んだのだ。
「(『マジック・チャフ』の持続効果は長くて30秒!!この時間で仕留める!!)」
マリアルザは血に濡れた顔で激怒し、無数の刃を雨霰と投げつけるが、マキナは自身の肉体が切り裂かれるダメージを負うことも一切恐れず、猪突猛進の勢いで前傾姿勢のまま迫り来る。
「調子に乗るなよ人間如きがぁ!!!!」
次の瞬間、マリアルザはこれまでの妖艶な態度は微塵もなく、人が変わったかのようなおぞましい口調と濁った声色で絶叫した。
比較的人間に近い艶やかな姿をしていたマリアルザの顔面は、結膜がドス黒く染まり、瞳は血のように赤く輝き、額の皮膚を突き破って先程まで無かった漆黒の角が一本生え出る。
彼女の全身から迸る魔力はより禍々しく、そして重く高密度に膨れ上がり、その放たれる強烈な重圧の勢いだけで、マキナの猛烈な加速が一瞬止められるほどであった。
だがマキナにとって、幻覚が解けている今の数秒間はマリアルザを倒す唯一のチャンスであり、逃すわけにはいかない。
何よりも敵を討つ執念が勝り、マキナは地面を抉りながら強引に更なる加速を続けた。
轟音と共に両者の距離は一気に目と鼻の先にまで縮まり、先程までの遠距離での幻影のやり取りとは真逆の、血肉がぶつかり合う凄惨な肉弾戦が繰り広げられる。
魔法使いとはいえ、マリアルザも元来の身体能力に優れる魔族であり、人間相手ならば肉弾戦でも身体能力の差だけで容易に優位に立てる。
しかし、こと肉弾戦に関しては、マキナの方に明確な分があった。
確実に仕留められる一撃を急所に叩き込むため、マキナは大振りにならず、拳の振りを極限まで小さくし、息つく暇もない連撃の雨をマリアルザの防御の上から叩き込み続ける。
マリアルザは腕を交差させてその連撃を必死に捌きつつ、どうにか再び距離を取ろうと後退を試みるが、マキナが獲物に喰らいつくように踏み込み、その逃亡を一切許さない。
「このッ……!!魔法も使わずにどこからこんな力が!!」
マリアルザの戦況を劣勢へと傾けているのは、他でもないマキナの純粋な身体能力によるものだ。
魔族と人間の間には、本来決して越えられないはずの種族の壁がある。
にも関わらず、マキナは強化魔法無しの素の身体能力だけで、その壁を強引に打ち壊していた。
高速で土埃を舞い上げながら繰り広げられる激しい攻防の最中、マキナは自身の鋭い連撃に気を取られているマリアルザの死角を突き、自身の片足を相手の軸足へ深く絡ませる。
マリアルザが短く息を呑む音が聞こえたのと同時に、体勢を崩された彼女はその場に背中から激しく崩れ落ち、マキナは逃すまいとそれに覆い被さるようにしてマウントの体勢で倒れ込んだ。
しかし、そこで死闘は終わらない。
倒れた瞬間の反動を利用して強引に起きあがろうと暴れるマリアルザを、マキナは全体重をかけて泥臭く抑え込むべく、尚も拳を顔面めがけて振い続けた。
「あ゛ぁ゛!!鬱陶しい!!」
肉弾戦の純粋な手数と圧力では完全に劣勢だと判断し、マリアルザは至近距離からの高火力魔法でマキナを吹き飛ばそうと、手を突き出す。
しかし、魔法が放たれるよりも早くマキナがその手首をガシッと力強く掴み取ると、手の先で築かれていた魔法陣が、パリンとガラスが割れるような音を立てて脆く砕け散った。
「『マジック・チャフ』の、余波で……!?」
マキナの全身の周囲には、先程炸裂させた魔素を乱す光の粒子がまだ僅かに残って漂っており、その強制的な干渉波が、至近距離で練り上げられたマリアルザの魔法の発動を根本から妨害したのだ。
「30秒……!!」
マキナが荒い息の中でそう呟いた瞬間、彼女の周囲に漂っていた妨害の光の粒子が、その役目を終えたようにチカッと瞬き、完全に消滅する。
それと全く同時に、マキナの体内で滞っていた魔力の流れが本来の軌道へと正常に戻り、凄まじい力が魔法を通じて肉体へと還元されていく。
「や、止めなさい!!私の上からどきなさい!!退け!!」
頭上に高く振りかざされた必殺の拳の圧を見て、マリアルザはかつての余裕を完全に失って慌てふためき、死の恐怖に怯えた様子でマキナの体を必死に引き剥がそうと藻掻き暴れる。
しかし、既にマキナは復活した魔力によって自身の筋肉の限界を超越する強固な強化魔法を施しており、高位魔族の全力の腕力をもってしても引き剥がすことが不可能なほど、大岩のように微動だにしなかった。
「私の……勝ちだぁ!!!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
次の瞬間、空気を爆散させるような轟音と共に、強化されたマキナの鋼の拳がマリアルザの顔面を正確に捉え、その不快な幻惑を見せ続けた肉体ごと完全に消滅させる────筈であった。
※後書きです
ども、琥珀です。
SW特別企画の三日目です!!
このまま25日まで連日更新しますので、宜しくお願いします!
おのれ台風あぁあ゛ぁあ!!!!
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は明日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




