69.再出発
魔族による蹂躙の痕跡が残る集落の平穏を確認したマキナは、装備を締め直して発つ準備を整えていた。
「なんだ、もう行っちまうのか」
集落の長、マルクは名残惜しそうに声をかけたが、マキナの意志の重さを察して、それ以上は言葉を飲み込んだ。
「はい。魔族が近隣に潜んでいないことは確認できましたし、調べたい不可解な事柄も増えましたので、次の国へ急がなくてはなりませんから」
「そうか……命を救われた身で引き止めるのも酷だが、終始アンタの善性に頼りっぱなしで申し訳ないな」
マルクは済まながるように眉を下げつつも、『英雄』マキナが背負う責任の大きさを理解し、静かにその門出を認めようとしていた。
「次は、どこの国へ向かうつもりなんだ?」
「そうですね……今は緊急の救難要請も届いていませんし、ここ最近は多忙で足を運べていなかった三大国家の一つ、スカラビア帝国に行こうかと思います」
「スカラビア帝国……噂では、魔道具を始めとする近代兵器開発で圧倒的な軍事力を誇る国だったか」
壁の外に生きる者独自の密かなネットワークがあるのだろう、マルクは得た知識を反芻するように、その強大な国家の名を口にした。
「そうです。あの精巧な魔道具を見て確信したんですが、もしかしたら彼女は、同じように帝国のどこかで魔道具の知識を得ていたのではないかと思いまして」
「なるほどな。アンタを導いたあの嬢ちゃんの足跡を辿ってみるわけか」
マキナの推測に、マルクも納得したように深く頷く。
「あとは……先程の襲撃も不可解でしたが、魔族の行動が僅かに変化している予感がするので、研究の盛んな帝国領なら何か真相を掴んでいるのではないかとも考えています」
「確かに、こんな辺境の集落まで執拗に現れているしな……そういや、奴の言葉で、一つだけ奇妙に引っ掛かっている言葉があるんだ」
「魔族が残した、気になる言葉ですか?」
マキナが聞き返すと、マルクは記憶の断片を慎重に手繰り寄せ、その禍々しい響きを反芻するように思い出した。
「そいつは『魔力が足りないとはいえ、何故私がこんな僻地にまで足を……』という風な不満を漏らしていたんだ」
「……魔力が、足りない?」
その場にそぐわない言葉は、マキナの思考に鋭い波紋を投げかけ、違和感となって胸に沈んだ。
魔族も人間と同様に、体内で生成される魔素を基点として魔法を発動させるが、その保有量は人類の二倍を優に超え、枯渇するなど通常は有り得ない事態だ。
対峙したあの傲慢な魔族が、あえて『足りない』と口にしたという事実は、魔族の生態系に何らかの異常が起きていることを如実に物語っていた。
「なるほど……それは確かにおかしいですね、無視できない異変です」
「俺は魔族の生態に詳しいわけじゃないから何とも言えないが、ちょいと気味が悪くてな。アンタならこの情報を有効に活用してくれると思ってさ」
「ありがとうございます。尚の事、技術の最先端を行くスカラビア帝国に向かう理由が増えました」
マキナは深く、ゆっくりと頭を下げて、マルクへ真摯な礼を伝えた。
「よしてくれ。こんな情報提供なんて、命を救われた礼にすらなりゃしないよ。道中、くれぐれも気を付けてな」
「はい、マルクさん達も、どうぞお気をつけて。皆さんの平穏を祈っています」
そう穏やかな決意を言い残し、マキナは迷いなく踵を返し、夕闇の迫る荒野へとその姿を消していった。
●●●
租外の集落を背にしてからおよそ半日の時間が経過していた。
日が沈んで境界の向こう側が濃い藍色に染まり始めたため、マキナは手際よく野営の準備を進める。
魔族はもちろん、魔物の中には夜行性の特性を持つ危険な個体も多い。
夜目が効くマキナであっても、視界が制限される夜間の会敵は不利に働くことは間違いない。
そのため、可能な限り単独での不測の遭遇は避け、夜間は体力を温存しつつ気配を殺すのが、彼女が長年の放浪で培った生存戦略のセオリーであった。
必要最小限の寝床を確保し、焚き火の火種は小さく留めて煙を抑え、自らの魔力も極限まで内側へ封じ込めて休息を取る。
ロゼルス王国を発つ際に持たされた食材を静かに口にし、質素な夕食を済ませたマキナは、懐から取り出した桜色の髪飾りを掌の上で大切に眺めていた。
「……本当に、きれいだなぁ」
それはリベルの屋敷を後にする際、ラヴィスの手によって見繕われ、贈られた『オネスト』という名の髪飾りだった。
身に着けたままでは戦闘の激しい衝撃で傷付く恐れがあったため、マキナは常に胸元の最も安全な場所に忍ばせ、自らの一部のように大切に保管していたのだ。
清潔な布で繊細な宝石の表面を丁寧に磨き、木々の隙間から僅かに漏れ出す青白い月明かりに透かすと、マキナはその神秘的な煌めきに思わず溜息を漏らす。
「透明度が高いわけじゃないのに、深い奥底まで透き通って見える……この独特の色合いは三大鉱石のどれでもないし、ラヴィスさんの言っていたカラーレス・クリスタルに魔素を定着させたものかな……?」
暫くの間、髪飾りに宿る輝きを無心で見つめていたが、知識に乏しい自分では答えが出ないと悟り、マキナは再びそれを大切に懐へしまい込むと、諦めたように硬い地面へと寝転んだ。
簡易的なシーツ一枚を敷いただけでは大地の硬さと枯草の感触がダイレクトに伝わり、逃れようのない寝心地の悪さが全身を包み込む。
それでも、殆どを戦場で過ごしてきた彼女にとっては、この不自由さこそが慣れ親しんだ日常であり、マキナは特に不満を漏らすこともなく重い瞼を閉じた。
「……急げば、明日にはスカラビア帝国の国境へ着けるかな」
枝葉の隙間から覗く、吸い込まれそうな星空を見つめるマキナの心に、ふと鋭い懸念が陰を落とした。
「ロス国王、あの時すごい怒ってたな。もしあの追放同然の宣告が他国へも届いていたら、スカラビアへの入国も拒まれちゃうかも……」
不穏な想像が脳裏を掠めるが、彼女はすぐにロゼルス王国の仲間たちの顔を思い出し、その心の陰りを力強く払拭していく。
「これまではずっと一人で戦い抜いて来たけれど、ちゃんと周りに目を向けたら、手を貸してくれる仲間がいた。イグニヴァさんの言っていたことは、紛れもなく正しかったんだ」
ここ数日で経験した濃密な出会いに思いを馳せるマキナの脳裏に、自らに最も鮮烈な衝撃を与えた、あの奔放な女性の顔が浮かび上がった。
「ディジー……」
巨大魔獣『ボルム』との死闘を終え、肉体も精神も限界まで摩耗しきっていたマキナの前に、彼女は嵐のように現れ、マキナの心を震わせて去っていった。
「『発想は悪くない。ならば変えるべきは、そのやり方さ』」
あの時ディジーから与えられた冷徹かつ情熱的な金言は、今もマキナの魂の奥深くに刻み込まれている。
その言葉の真意を模索したからこそ、マキナはロゼルス王国の地下に蠢く未曾有の危機を事前に察知し、多くの民を救うことができたのだ。
その英雄的行動の結末が、理不尽な追放劇であったというのは、あまりに皮肉が過ぎる結末ではあったが。
「(魔物の『種』は、外部から計画的に運び込まれたもの。けれどアレは、人の手だけで練り上げられた代物じゃない。だとすれば、魔族が関与している確率は限りなく高いはず)」
深い眠りへと落ちるまでの短い静寂の中で、ディジーの言葉を指針として、これまでの断片的な情報を多角的に組み上げ、再構築していく。
「(魔族は本能に従い人間を襲う。けど今回の集落への襲撃は、そこから逸脱した不可思議な行動。それに、膨大な魔力を有するはずなのに、『魔力が不足している』という発言……)」
矛盾する情報を脳内で繋ぎ合わせようと、マキナは思考の糸を必死に手繰り寄せる。
「(もし『種』に周囲の魔力を吸わせていた理由が、内部の魔物の孵化のためだけじゃなくて、吸収した魔力を魔族側に還元するための供給源だったとしたら……? でも、その魔力をどうやって回収するつもりだったんだろう……?)」
幾つもの可能性を検討し、仮説を立ててみるものの、核心を突く明確な解答を導き出すには至らなかった。
「『結論が成されれば、過程もまた成されている』」
再び口の中で転がしたその言葉も、ディジーが彼女に残した重要な示唆であった。
事象として結果が既に表出している以上、そこに至るための過程もまた現実として積み上げられているという、簡潔ながらも見落としがちな真理を彼女は教えてくれたのだ。
「(どんな形であれ、魔族がこれまでとは異なる行動を取り始めてるのは事実。『種』が魔族の仕掛けた何らかの罠だとしたら、魔族は今、急激に魔力を必要とする事態に直面しているということ)」
そこまでの推論をまとめ上げるも、パズルの最後のピースを埋めるには圧倒的に情報が足りないと判断し、マキナはそれ以上の思考の迷走を断ち切った。
「……魔族に、いったい何が起きているんだろう」
最後にそう重苦しい予感を締めくくり、マキナは眠気へと身を委ねて、英雄としての鎧を一時脱ぎ捨てるように、浅い眠りへと落ちていった。
※後書きです
ども、琥珀です。
流石に後書きに毎回ツラツラ書いてあると鬱陶しいと思い、一部削除しました。
これでサッパリと後書きを通過できると思いマス……
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は金曜日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




