51.対キメラ⑬
状況的にやむを得なかったとはいえ、最後に残された『ヴェノム・ストーカー』による被害は甚大であった。
食い止めるために放たれる兵士達の威嚇攻撃が、周囲に毒液を撒き散らせ、地表を焼くように溶かしつつ草木や岩を腐蝕させながら侵していく。
更に拡散した毒は徐々に空気そのものを汚染し、周囲に留まることさえ困難な環境へと変えつつあった。
グラップの迅速な判断によって、部隊は徐々に戦闘地点を移しながら対処を続けてきたものの、移動するたびに新たな汚染地帯が広がるばかりで、状況は悪化こそすれ好転する気配はない。
更に、シモンに続いてミアリーまでもが戦線を離脱したことで、後方支援を担う最後の魔法使いに負担が集中する状況に陥っていた。
魔力操作を続けながら移動し続ける過酷な状況の中、その額に滲む汗が戦況の苛烈さを如実に物語っている。
「シェリー、大丈夫か」
隣に並び立ったグラップが声を掛けると、シェリーと呼ばれた女性は一度ゆっくりと呼吸を整え、額に浮いた汗を指先で拭い取ってから答えた。
「問題御座いませんわグラップ訓令兵長。これでも魔法部隊のトップですので」
『エルゼルク王国』魔法部隊師団長、シェフェリア・レイズウォッド。通称シェリー。
彼女は『エルゼルク』王国の貴族、レイズウォッド家に生まれた令嬢でありながら、魔法部隊の兵士、しかも師団長にまで上り詰めた希代の魔法使いでもあった。
元来、貴族とは与えられた名声の中で安穏と生き、魔族との戦争など遠い出来事に過ぎず、多くは国内で悠々自適の生活を送っている。
レイズウォッド家も例外ではなかったが、シェリーはその在り方に幼い頃から疑問を抱いていた。
多くの人々が戦火に苦しんでいるというのに、自分は何も知らず、何も見ず、何も悩まず生きていて良いのだろうか、と。
そして齢十五の時、彼女はこのままであってはならないと、その結論を出し、貴族という立場を一度捨て、家族の猛反対を押し切り兵士に志願する。
当初は身分を理由に拒絶され続けたが、魔法使いとしての卓越した素質と膨大な魔力量を見込まれ、一年に及ぶ試練の末、ようやく魔法部隊への配属を許される。
初めて立った戦場では、さすがの彼女も恐怖に足を竦ませたが、それでも逃げ出すことはなく、持ち前の強靭な精神力で恐怖を乗り越え、立ち向かい続けた。
当初こそ貴族出身という理由で距離を置いていた魔法部隊の兵たちも、次第に彼女への姿勢を改めていく。
努力を惜しまず、結果を積み重ね続けたシェリーは、僅か十数年余りでついに師団長の地位へと登り詰めた。
ガイルのように、師団長クラスともなれば前線に出ない者も多いなか、シェリーの信念は違った。
現場を知らずして、正しい指揮は取れないという信条のもと、彼女は今なお自ら前線に立ち続けている。
さらに師団長という立場を得たことで、一度は縁を切ったはずのレイズウォッド家からも再び声が掛かった。
シェリーはそれを拒むことなく受け入れる。
しかしそれは貴族の生活に甘んじるという意味ではなく、彼女は流れるような手続きの末に家督を継ぎ、レイズウォッド家の当主へと至り、その権力を手中に収めることに成功した。
いまや彼女は、『エルゼルク王国』魔法部隊師団長にしてレイズウォッド家当主という、常人では考えられない二つの肩書きを持つ人物となっている。
だが、それでもなお彼女が多くの兵に慕われる理由は、肩書きなどにではなく、ひとえにその人柄にある。
「……君がどういう人物なのかはよく分かっているつもりだ。だからこそ、隠しきれないほど疲労の色を出していることを心配しているのだ」
グラップの鋭い指摘に、シェリーは堪えきれないように小さく苦笑を漏らした。
「グラップ様には隠し事は出来ませんわね」
観念したように呟きながらも、その声色にはまだ気丈さが残っている。
「現状、魔力は最大の約半分ほどです。焦る程ではありませんが、余裕があるわけでもありませんわ」
その言葉に嘘は無いだろう。
確かに疲労の色は見える。しかしそれは魔力の枯渇ではなく、暴れ回る『ヴェノム・ストーカー』に合わせて動き続けていることによる肉体的な消耗も大きい。
魔法使いは本来、激しく動き回る兵種ではなく、いかに鍛錬を積んでいようとも、魔法行使を維持しながらの移動は常の数倍の負荷が身体にかかる。
それでもなお、この長時間にわたる戦闘を維持しており、むしろ称えられるべきは、その持久力にあった。
「ですがあの魔物と対峙していると、魔力や体力の心配よりも、本当に攻略できるのかという焦りが先に立ってしまいますわ」
シェリーの視線の先では、今もなお『ヴェノム・ストーカー』が暴れ狂っており、紫色の粘質な体躯を震わせるたび、毒の瘴気が霧のように周囲へ広がる。
その周囲では兵士たちが距離を保ちながら隊列を崩さぬよう動き回り、隙を窺いつつ必死に対処を試みていた。
「物理攻撃は特有のスライムボディでほとんど効果なし。有効打になりそうな魔法攻撃も、あの毒素が邪魔をして明確なダメージを与えられません……ここまで無力を感じたのは、初めて戦場に立った時以来ですわ」
悔しげに歯を食いしばるシェリーを横目に、グラップは周囲に漂う紫色の毒霧にゆっくりと視線を巡らせた。
ここまで『ヴェノム・ストーカー』と対峙してきたシェリーの話によれば、この魔物の毒は単なる毒素ではなく、魔力によって形成されたものだという。
空間に漂う瘴気にはその魔力が濃く絡みついており、周囲で行使される魔法の魔力と干渉してしまうため、魔法は霧散、あるいは阻害され、本来の威力を発揮することが出来なってしまう。
「ただ魔物の力を足しているだけではなく、能力そのものを掛け合わせている……厄介な魔物が生まれたものだな」
「心より同意いたしますわ。明確な打つ手が、まるで思い浮かびませんもの」
グラップの言葉に、シェリーは肩を落としながら深く息を吐き、長く張り詰めていた緊張が、重い溜息となって零れ落ちる。
「あの毒素は魔力だと言ったな。ならば逆に、魔法で中和することは出来ないのか?」
「中和だけでしたら可能ですわ。ただ、そうなりますと攻撃にまで手が回りません。物理攻撃が効かない以上、それでは本末転倒ですわ」
毒素は広範囲に漂っており、そのすべてを中和するとなれば、膨大な集中力と魔力を消費することになる。
仮に毒を中和できたとしても、有効打となる攻撃手段は結局魔法しかないため、攻撃に転じる余力がなければ、状況は何一つ好転しない。
「シモンやミアリーが戻れば……」
「いいえグラップ様。この毒素はかなり複雑です。私も先程、ようやく構造を解読できたばかりですわ。この毒を魔法で中和し、さらに攻撃まで同時に行うのは容易ではありませんことよ」
「……一級魔法使いの君がそこまで言うか。どうやら私はまだ楽観的に考えすぎていたようだな」
師団長という立場にあるだけに、シェリーは一級魔法使いの等級を得ている。
系列こそ『ヒーラー』に分類されるが、その魔法技術は並の『ソーサラー』や『バッファー』にも引けを取らないと言われている。
そのシェリーをもってしても困難と断じるほど、『ヴェノム・ストーカー』の毒は厄介極まりない代物であった。
「魔物の巨大な魔力が二つ消えました。シモンもミアリーも、それぞれの役割を全うされたということに他なりませんわ。ですから、この毒の魔物の対処は私の役割。なんとかして見せますわ」
強がりにも聞こえる言葉だが、それを単なる虚勢と断じることが出来ないだけの実績と経験を、彼女は積み上げてきている。
だからこそ周囲の兵たちはその言葉を疑わない。
しかし、グラップだけは違う。彼はシェリーの本心を見抜いていた。
「シェリー、いい加減取り繕うのはよせ。私の前でくらい、本当のことを話していい」
そう言われ、シェリーはなおも表情を整えようとするが、グラップの鋭い視線を受けてついに観念したように小さく息を吐き、静かに口を開く。
「……実は、毒の解析が終わった段階で、範囲内の中和作業に取りかかっています」
「やはりか。これだけの毒を吸い込んでいながら、誰一人として症状が出ていないので不思議に思っていた」
これまでの戦闘の最中、彼女は『ヴェノム・ストーカー』への牽制魔法を維持しながら、同時に毒の解析を進めていた。
そして解析が終わった直後からは、暴れ回る魔物に合わせて移動を続けながら、周囲に漂う毒の中和も同時に行っていたのだ。
それは例えるなら、ランニングを続けながら、同時に複雑な数式を解き続けているようなもの。
二つの作業を並行して維持するため、常に意識を分割し続けるため、魔力も体力も、そして神経さえも確実に削られる。
その消耗は、常人には想像すら難しい。
「まったく……出来ることが多いのは君の長所だが、抱え込みすぎるのは悪癖だな」
「返す言葉もございませんわ……」
シェリーは反省したように小さく頭を垂らした。
「だが、そのおかげで助かっているのも事実だ。これを責めるのはお門違いというものだな。それでシェリー」
グラップはすぐに表情を引き締める。そして真剣な声で問いかけた。
「その作業は、あとどれだけ持つ。そして、それが切れたら、どうなる」
問いを受けたシェリーはすぐには答えず、視線をわずかに落とし、沈黙する。
やがて、重く息を吐きながら口を開いた。
「……恐らく、あと十分弱、といったところですわ。そしてもし私が中和を行えなくなってしまった場合……」
そこで言葉を切り、わずかな逡巡の後、覚悟を決めたように続けた。
「これまでに蔓延した毒が一気に身体を蝕みます。兵たちはその場で身動きが取れなくなるでしょう。そして……解毒手段が現段階で存在しない以上……」
一拍の沈黙、そして、静かに結論を告げる。
「死に至ります」
予想していなかったわけではない。それでも改めて突きつけられた現実の重さに、グラップは目を閉じた。
「万事休す、か……」
「いいえ。ここからが、私の使命です」
その時、そこに『英雄』は現れた。
※後書きです
ども、琥珀です。
今週も週5日更新でお届けしました!
来週は月水金の週3日更新で、その次の週はまた週5日更新します!
それで『キメラ編』は終わりになります!
出来る限り展開を忘れないように頑張りますので、引き続き宜しくお願いします!
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は月曜日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。
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