30.物資②
三階の執務室を満たしていた静寂が、一瞬で極低温へと氷結した。
マキナが放った衝撃的な言葉に、老兵であるグラッブでさえ思わず目を見開き、肺の中の空気をすべて吐き出すように息を呑んだ。
「……そりゃ一体、どういうことですか? 魔物が『仕込まれている』とは」
管理長であるダンクは半信半疑の表情を浮かべながらも、マキナの射貫くような眼差しの真剣さに気圧され、縋るように詳細を問うた。
「数日前、私は街の祭りの最中に、この国の清浄な空気とは明らかに異質な、淀んだ魔族の魔力を感知しました。当時は人混みと喧騒に阻まれ、残念ながら出所の特定までは至りませんでしたが……」
「魔物だけではない、魔族そのものが結界の内側に足を踏み入れたというのか!?」
次々と繰り出される防衛上の重大な過失、あるいは脅威の情報に、ダンクもグラッブも思考の整理が追いつかない。
だが、主役であるマキナだけは、冷徹なまでに冷静であった。
「魔族が如何なる手段で結界を突破、あるいは回避したかは、未だ判明していません。しかし、いまこの瞬間、我々が優先して解明すべきは侵入経路の特定ではありません」
「……それが、積み荷のリスト確認というわけですか」
ダンクの問いに、マキナは迷いなく力強く頷いた。
「証拠は、まだありません。ですが、私の直感が告げる確かな根拠はあります」
「……お聞かせ願えますか」
「先日、この中央関所を経て王都で開かれた、あの祭りです」
その答えにグラッブは怪訝そうに首をかしげたが、物流の現場を長年統括してきたダンクの瞳には、一瞬、暗い納得の色が浮かんだ。
「祭りの期間、国内には平時よりも圧倒的に多くの荷が、それも祝祭用の名目で持ち込まれたはずです。検査を潜り抜けやすく、かつ普段とは異なる形状や種類の物資が、山のように届いたのではないですか?」
「……ええ。確かにあの期間の搬入量は増えます。各国の特産品から装飾品、出店用の備品に至るまで、多種多様な荷が関所を通過しました」
「その中に、用途が不明瞭な、あるいは形式的な検閲だけで通してしまった荷が含まれていませんでしたか? 祭り用という、あまりに便利な名目のもとに」
「…………あります。確かに、一つや二つではありません」
鋭く核心を突くマキナの問いに、ダンクはしばし苦い沈黙を守った後、己の職務上の隙を認めるようにしぶしぶと口を開いた。
「……それらの中に、王都を蹂躙した今回の魔物たちの『核』が紛れていたと……?」
「その可能性が極めて高いと考えています。敵は、我々の心の隙と、物流という社会の血管を利用したのです」
兜を脱ぎ、素顔を晒したマキナの瞳が、至近距離からダンクの魂を射抜く。
物的確証はまだ存在しない。しかし、彼女の言葉には、幾多の死線を越えてきた者にしか宿らない、嘘偽りのない信念と重みが宿っていた。
話を聞き終えたダンクは、しばらく激しい逡巡を繰り返した末、ついに覚悟を決めた色を瞳に宿した。
長きに渡って人類の盾として魔族と戦い続けてきた『英雄』の言葉を、そしてその泥にまみれた誠意を、友との絆に懸けて信じることにしたのだ。
「分かりました。支所長の名において、全面的な協力を約束しましょう。しかし、マキナ様。具体的になにを探せば良いのです? ここ数日で運び込まれた物資は星の数ほどあり、我々だけで精査するには一日や二日では到底足りません」
「まずは定期的に運び込まれていた『日常的な物資』をリストから除外しましょう。関所の方々なら、荷物の内容や梱包の癖に精通しているはずです。不自然な『異物』を絞り込むのは、現場の目こそが最も早い」
マキナの合理的な提案に頷いたダンクは、すぐさま実務へと行動を移した。部屋を出て間もなく、彼は数名の実直そうな職員たちを伴って戻ってきた。
呼び集められたのは、ダンクが私的に最も信頼を置く精鋭の職員たちであった。
彼らは長年、積み荷の種類や重量、搬入時期を肌感覚で覚えており、調査は劇的な効率と正確さをもって開始された。
「私の信頼の置ける部下たちです。彼らの目は、関所のいかなる偽装も見逃しません」
「ありがとうございます、ダンクさん! 皆さん、手分けして始めましょう」
こうして、マキナ、グラッブ、ダンク、そして職員たちを中心とした、深夜に及ぶ極秘の調査が開始された。
ダンクの言葉通り、集まった職員たちの手際は極めて鮮やかであった。大量の台帳をめくり、荷物の搬入時期、依頼主、用途を瞬時に照合していく。
少しでも記述に不自然な揺らぎがある物資に対しては、迅速に現物のチェックが入っていく。
だが、それは同時に、マキナが立てた予想を次々と裏切り、空振りさせていく過酷な作業でもあった。
「この不審な液体容器はなんだ?」
「単体では正体不明でしたが、隣のリストにある醸造用の発酵剤と組み合わせれば、祭りで振る舞われた地酒の原料だと判明しました」
「……だとすれば、こちらの不自然な粉末も、香辛料として用途がはっきりするな」
本来なら「正体不明の怪しい荷物」とされるべき物資が、熟練の職員たちの手によって、次々と正当な用途へと紐付けられていく。
すべての整理が最終段階を迎える頃には、体感で九割以上の物資が「白」と判断され、マキナの読みは完全に外れたかのように思えた。
部屋には疲労と、やはり『英雄』の杞憂だったのではないかという、薄暗い空気が漂い始める。
しかし、マキナは一人、立ち止まってはいなかった。既に彼女の意識は、さらなる次の可能性の深層を探っていた。
「マキナ様……一通り確認を終えましたが、懸念されていたような魔力を帯びた物資は、一つも……」
ダンクの申し訳なさそうな報告が耳に届くも、マキナの脳裏にはディジーの『発想自体は、悪くないさ』という確かな助言が、消えない道標となって輝いている。
周囲の落胆の視線がマキナへと集まるが、その重圧に彼女の膝が折れることはなかった。
「(着眼点は、絶対に間違っていないはず。結界そのものに異常が見つからなかった以上、何らかの物理的な形で、魔物は国内に『運ばれた』。でも、直近の大きな物資に問題がないのだとすれば……)」
思考の糸が千切れかけた、その刹那――。
ディジーの残した言葉の断片が、再びマキナの脳内で鮮烈にフラッシュバックした。
「(発想が間違っていないのなら、もう一度、前提から見方を変えて……)」
マキナはゆっくりと重い歩みを進め、職員たちの集団から少し離れるようにして、倉庫の隅に無造作に積まれた物資の列を、網膜に焼き付けるように見渡した。
「(直近の、かつ目立つ物資に問題がないなら。それ以外で、かつ人間が最も怪しみ、警戒しにくい形態。つまりは――正当な生命活動の中に、不純物として紛れている)」
祈るように視線を動かし続けていると、ふと、積まれた木箱の陰に転がっていた、何の変哲もない小さな麻袋がマキナの目に留まった。
「これは……?」
マキナが腰を落として袋を持ち上げると、中には乾燥し、黒く硬質な皮に包まれた球体が無数に詰まっていた。
一見すれば、ただの植物の種子にしか見えない。
「あぁ、それは珍しい花の“種”だそうです。祭りの直前に、他国から交易品として運び込まれました。特定の魔導肥料を使えば、ちょうど祭りの期間に咲き誇るよう調整された改良種だと聞いております」
ダンクの説明を背中で聞きながら、マキナは先ほどの推論を急速に照合させていく。
「(“種”という形態なら、魔力は微細に抑えられ、誰も怪しまない。運び込まれた時期も少し前だから、今回の直近調査からは外れていた。そして、これなら……街中の至る場所に、誰にも気づかれずに――『蒔く』ことができる)」
戦慄が背筋を走る。マキナは後方にいるグラッブたちに向け、無言で手をかざし、静かに、しかし絶対的な命令として下がるよう合図を送った。
「マキナ様……? 何を……」
グラッブが問いかけようとした瞬間、マキナの掌の上にある“種”の一つが、不気味に淡く、粘つくような魔力を帯びて光を放った。
その異常な閃光に、全員が思わず目を瞑り、身構えた。そして、目を開けた次の瞬間――。
「『パック・ハウンド』!? なぜ、こんな場所で……っ!!」
光の残滓の中から実体化したのは、つい数刻前にマキナたちが討伐したはずの狼型魔物、『パック・ハウンド』であった。
それは再び現世に姿を現すや否や、剥き出しの牙から涎を垂らし、唸り声を上げながら眼前の人々に向けて襲いかかった。
『ガゥ……ッ!!』
その牙がダンクの喉元へ届こうとした刹那、マキナの拳がより速く一直線に突き出された。
『英雄』の拳は正確に魔物の腹部を貫通し、断末魔の叫びを上げる隙すら与えない。
『パック・ハウンド』は空中で四散し、地に倒れ伏すと同時に、黒い粒子となって虚空へと消滅した。
あまりにも鮮烈で、圧倒的な一連の動作。
静まり返った執務室で、息を呑む者たちの前で、マキナはゆっくりと、折れた兜を拾い上げるようにして振り返った。
その瞳には、もはや迷いも揺らぎも微塵も存在しない。そこには、絶望の淵で光を見出す『英雄』としての覚悟が、静かに、しかし苛烈に宿っていた。
「皆さん……ようやく、見つけました」
※後書きです
ども、琥珀です。
先週くらいから、地の文の調整を試みています
というのも、どうにも「セリフ」と地の文の改行のバランスに違和感を感じており、今週は改行を減らす代わりに、スペースを用いた形にしてみました
今回のはPCからアクセスして下さっている読者の皆様をより意識してみた形式です
試行錯誤を繰り返している状況ではございますが、もし前の方が良い、まだバランスが悪いなどのアドバイスが御座いましたら、ぜひ教えてくださいませ
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は水曜日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。
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