31.種子
「魔物の侵入、そしてこの凄惨な襲撃の正体は――この種です」
マキナは重みのある麻袋を高く掲げ、その中から不気味な黒光りを放つ一粒の種を取り出すと、戦慄する一同の目前に差し出した。
「見ての通り、一見すれば球根のようなありふれた種に見えるでしょう。ですが、これに一定の魔力が蓄積していくと……」
彼女が指先から鋭い魔力を一点に流し込むと、漆黒の種は生き物のようにドクンと脈打ち、禍々しい紫の光を放ち始めた。
場の空気が一気に氷点下まで張りつめ、周囲の者たちは本能的な恐怖に息を呑んで身構える。
しかしマキナは、その危険な光を放つ種を無造作に握りつぶした。
「安心して下さい。魔力が臨界点まで満ちきらなければ、先程のように魔物がその醜悪な姿を現すことはありません」
種は脆く砕け散り、崩れた破片は不吉な黒い粒子となって宙を舞い、吸い込まれるように霧散していった。
「今の消滅反応……間違いない、魔族や魔物が死に際に放つものと同じだ!」
「その通りです。この種には、魔族と同質のどす黒い魔力が濃縮されて封じ込められているのです」
手元に残った微かな魔力の残滓に冷ややかな視線を落としながら、マキナは断定するように言い切った。
「な、なぜそのような品が……!?一体全体、どういうことなのだ……」
突きつけられた現実を飲み込めず、グラッブをはじめとした歴戦の兵士たちでさえ隠しきれない動揺を顔に浮かべた。
「落ち着いて下さい、冷静さを欠いては敵の思う壺です」
凛とした澄んだ声が、静止したかのように張り詰めていた室内の空気を一閃して断ち切った。
「現状を正確に把握しているのは、ここにいる私たちだけです。守るべき立場の私たちが取り乱せば、それこそ事態は最悪の方向へ転がり落ちるでしょう」
その毅然とした声音と揺るぎない眼差しに、ダンクら所員はもちろん、死線を越えてきたグラッブでさえ深く息を吐き、戦士としての落ち着きを取り戻した。
普段は人間的な弱さや少女らしい不器用さを抱えているマキナだが、一度『英雄』として振る舞えば、その言葉ひとつで凍りついた人の心を支配し、動かす力がある。
その背中は、まさしく伝説に謳われる英雄の名に相応しい威光を放っていた。
「……失礼いたしました、マキナ様。我々は、これからどのような陣を敷けば宜しいでしょうか」
冷静さを取り戻したグラッブが、軍礼をもって問いかける。
「グラッブさんは急ぎ、壁を調査している兵団の皆さんと合流して、この種が街のどの地点に、どの程度植えられているかを徹底的に調査して下さい」
「はっ! そこの者、前線との通信を繋げ。通信用の魔水晶はあるか!」
「こちらに! すぐに開通させます!」
マキナの指示が飛ぶや否や、即座に所員が応じ、グラッブは風を巻くような足取りで行動へと移った。
「マキナ様、では我々管理窓口の人間はどう動くべきでしょうか」
「まず関所にある倉庫をすべて洗い出し、不審な荷が紛れ込んでいないか確認して下さい。状況のさらなる悪化を食い止めるのが先決です。ただし、あまりにも人数が足りません……ダンクさん」
「承知いたしました。私の全権限を以て、所内の所員を一人残らず総動員いたします」
もはやマキナへの疑念など微塵もなく、管理長としての重い覚悟をもってダンクは深く頷いた。
「感謝します。ただし、現場への指示は最小限に留めて下さい。今朝の襲撃によって、多くの人々がまだ深い動揺の中にあります。混乱の火種を広げず、静かに、しかし神速の勢いでお願いします」
「かしこまりました。直ちに取り掛かります」
ダンクは残った所員たちを率い、嵐のような勢いで部屋を後にした。
「あ、すみません、そちらの方」
最後に退出しかけた若い所員の一人を呼び止め、マキナは静かながらも重みのある声を掛ける。
「この所内に、物資の鑑定に長けた専門の部署はありますか? この種の構造を至急解析したいのです」
「はっ。鑑定専門の部署はございますが……普段は工芸品や一般物資の調査が中心で、このような魔導具の類は不慣れかと」
「構いません、手段を選んでいる余裕はありません。すぐにこの種を持って行き、あらゆる角度からの鑑定を依頼してください。仕組みが解けない限り、街に潜む死の危険は残り続けます。詳細まで判明せずとも、これが本当に生物としての“種”なのかどうか、それだけでも良いのです」
「承知いたしました! 直ちに届けて参ります!」
重厚な麻袋を受け取った所員は、階段を駆け下りるような勢いで部屋を飛び出していった。
「種の調査、荷の洗い出し、国内の警戒状況……最低限の布石は打ち終えた。では、私がいま取るべき最善の行動は――」
マキナは静かな足取りで窓際へ歩み寄り、夕暮れに染まり始めた眼下の街並みを、守護者の瞳で見下ろした。
そして一瞬だけ、肺の中の空気をすべて吐き出すように深く息を止めると、重い決意を固めたように、肩を覆う白銀の鎧の留め金に手を掛けて静かに外し始めた。
●●●
重厚な鎧を脱ぎ捨てたマキナは、その身なりを隠すようにして黄昏時の街へ出ていた。いつもの活動的な私服ではなく、全身を深く覆う地味なローブ姿だ。
今朝の凄惨な騒動の直後、あの英雄の鎧姿のまま現れれば、人々がどのように動揺し、騒ぎ立てるかは火を見るより明らか。
だからこそ彼女は、一秒でも早く調査を進めるために、あえて象徴たる鎧を脱ぐ選択をしたのだ。
「(あの服だと目立ちすぎるし、鎧だと動きも制限される……このローブなら、人混みに紛れるには最適だね)」
その目論見は功を奏し、通りを行き交う群衆の中に、彼女を国を救った英雄だと気付く者は一人もいない。
マキナが訪れているのは、昨日まで華やかな祭りが行われていた中央街。
目的はただひとつ、祭りの最中に一瞬だけ肌を刺した、あの魔族特有の不快な魔力の正体を掴むことだった。
種の物理的な解析は仲間に任せてある。ならば今の自分は、この事態を裏で操る根本の糸を掴むべきだと判断していた。
だが、一時間ほど石畳の通りを歩き回っても、期待していた手掛かりは一切得られない。
「(……周囲に漂うのは生活の匂いばかりで、魔力の気配がまるでない。感知の網を最大まで広げるべき? でも魔族の方が魔力操作の精度は上だ、逆にこちらの居場所を感づかれたら元も子もないし……)」
フードの奥から鋭い視線を走らせ、一人ひとりの歩様や視線を観察していくが、不審な挙動を見せる者はどこにも見当たらなかった。
「(魔物の最初の大規模襲撃は今朝だった。なら、魔族が現場の混乱を嘲笑いに来るか、あるいは次の襲撃の仕込みに来ると思ったのに……読みが甘かったのかな?)」
焦燥が胸を焼き始めた、その矢先。脳内に鋭いノイズが走り、一人の声が響き渡った。
『マキナ様、聞こえますか!!』
仲間が使う高度な魔水晶〈エーテラス〉による、精神を直接繋ぐ念話だ。
マキナは即座に立ち止まり、意識を研ぎ澄ます。
「『解析を任せていた部署の方ですね。何か、事態を動かすような情報は分かりましたか?』」
思考を言語化して送るこの術は極めて効率的だが、脳を直接指でなぞられるような独特の違和感だけは、彼女はどうしても慣れることができなかった。
『はい! 解析の途上ではありますが、至急マキナ様にお伝えすべき戦慄の事実が判明いたしました!』
念話越しに伝わる切迫した声に、マキナの胸が不吉な予感で激しくざわつく。
『まず、この種は予想どおり、外部から特定の魔力を与えることで内部の魔物を活性化させ、物理次元に出現させる触媒の役割を果たしていました』
そこまでは想定の範囲内だ。あの謁見の間で、彼女自身が身をもって証明した結果でもある。
「『それで、その先……至急の報告というのは?』」
『封じ込められた高度な術式自体は、まだ全容を解明できてはおりません。ですが……魔物が出現するまでに必要な、吸収された魔力の性質を調べたところ、決定的な奇妙な点が見つかりました』
「……奇妙な、点?」
直後に紡がれた言葉に、マキナは通行人の真っ只中で思わず息を呑み、足がすくんだ。
『この種は……魔族が持つ特有の魔力を、まったく吸い上げないのです。驚くべきことに、この種が糧とするのは、純粋な人間の魔力だけなのです!』
「……なんですって!? それは、間違いのない事実なのですか!?」
あまりにも想定外の内容に、彼女は目を見開き、喉の奥が凍りつくような衝撃を受けた。
『はい。人の体内にある微弱な魔力をじわじわと吸い上げ、一定量に達した瞬間にそれを魔族の魔力へと変換、中の魔物に注ぎ込む。すると魔物は内部で急速に異常成長を遂げ、結界の内側で顕現する……そのような恐ろしい仕組みだったのです』
詳細な説明を聞くにつれ、マキナの顔からみるみると血の気が引いていく。
辿り着いてしまった、あまりにも残酷な結論に、指先が激しく震えた。
「(まさか……今回の魔物の襲撃は、最初から人間の手によって引き起こされたものだったというの……!? 人類の一部が、自らの同胞を滅ぼすために、魔族と結託してこの種を……!?)」
心臓の鼓動が早鐘のように耳元で鳴り響き、視界が歪むほどの混乱が襲う。
それでも彼女は奥歯を噛み締め、必死に思考の糸を繋ぎ合わせた。
「(でも……もしそうだとしたら。あの不気味な種が、検閲の厳しいはずの国内へ、誰にも怪しまれずに運び込まれたことにも説明がついてしまう……)」
最も信じたくない、悍ましい可能性。それを必死に否定しようとするが、点と点が冷酷に繋がっていくのを止められなかった。
「(あり得ないと切り捨てて思考を止めてはダメ。もしこれが現実的な可能性なら……今この瞬間にも、次の惨劇が……!)」
震える手で顔を覆い、マキナは即座に決死の念話を飛ばす。
「『直ちにダンクさんを呼んでください! 至急、関所の通行記録と荷物の出所を確認する必要があります!』」
反転し、全力で駆け出そうとした、まさにその時。
「きゃああああぁぁぁぁ!!」
夕闇を切り裂くような甲高い悲鳴が響き渡り、平和だった石畳の各所が爆ぜるように突き破られ、周囲に突如として、複数の巨大な魔物がその醜悪な姿を現した――。
※後書きです
ども、琥珀です。
少し修正していて思ったのですが……
地の文の改行とスペースの修正だけでなく、長くなったセリフにもこれを反映させるべきなのでしょか……
とはいえこれが読みやすい!とまだ至ったわけではないですし……
もう少し様子を見てみて、ですかね……
本日もお読みいただきありがとうございました。
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