12.リベル (挿絵有)
ラヴィスの案内に導かれ、イグニヴァとマキナは静まり返った廊下を進んでいく。
歩を進めてから数分は経っているが、空間を歪めている影響か、視界に映る屋敷の広大さはマキナの予想を遥かに超えていた。
暫く黙って歩いていたものの、やがてイグニヴァが飽きたように両手を頭の後ろで組み、肩をすくめながらラヴィスの背中に声をかける。
「なぁ〜ラヴィスよぉ。アタシも一緒じゃなきゃダメか?あの二人の様子を側で見ててやりてぇんだが……」
「ダメですよ、ご主人様の指示なんですから。それに貴女、どうせ『看る』という口実で家事をサボって、自室で薬草の調合に籠るつもりなのでしょう?」
間髪入れずに突き刺されたラヴィスの指摘に、イグニヴァは図星を突かれたように口をつぐみ、ラヴィスは歩調を崩さぬまま、呆れたように小さく吐息をこぼす。
「貴女が研究に没頭することを咎めはしませんが、一度集中し出すと平気で丸一日、食事も摂らずに部屋にこもりきりになるじゃないですか」
その言葉にマキナが目を見張り、隣を歩く赤髪のメイドを振り返ると、イグニヴァはバツの悪そうな顔をして視線を逸らしていた。
彼女にも、職人気質な一面があるのは本当のことらしい。
「貴女の薬が有用なのは理解しています。私達もこれまでに何度も助けられてきました。でも……」
そこでラヴィスは初めて歩みを止め、音もなくくるりと振り返ると、感情の起伏を排した瞳でまっすぐイグニヴァを見つめる。
「食事は共に摂ること。最低でも一日一回は家族と会話を交わすこと。これはご主人様が決めた、この屋敷の大切な決まりごとです。それをおざなりにすることは断じて許しません」
その声音には、いつもの冷徹な冷静さを僅かに乱す真剣な声色が帯びており、イグニヴァは抗うことを諦め、観念したように肩の力を抜いて項垂れる。
「……ラヴィスさんもイグニヴァさんも、その……主さんのこと、本当に大切にされているんですね」
マキナが何気なく口にした純粋な感想。それが廊下の空気を一変させた。
ラヴィスの瞳が研ぎ澄まされ、そこに言い知れぬ鋭い光が宿る。
「大切……ではなく、私の全てです」
「……え?」
「全てです。私の存在意義そのものであり、生きる理由です」
その言葉に乗せられた重圧は、どこか異質でありながら、絶対に揺らぐことのない真実であることをマキナに予感させた。
「え……っと、そう、なんですね……」
圧倒されるマキナに対し、ラヴィスはふっといつもの柔らかな笑みを浮かべ、白い手を口元に当てて上品に微笑む。
「……あら、失礼いたしました。私としたことが、つい熱が入ってしまいましたね」
先ほどまでの緊張感が引き、ラヴィスは元の穏やかな調子で前を向くと、再び優雅に歩き出す。
マキナが戸惑いながらもその後に続くと、今度はイグニヴァが肩を寄せ、周囲に聞こえぬようそっと耳打ちしてきた。
「(ラヴィスは『ご主人様絶対主義者』だからな。あいつの前でこの手の話題で揶揄うのは、避けた方が賢明だぜ?)」
「(べ、別に揶揄ったわけじゃないです! 本当にそう思っただけで!)」
イタズラっぽく笑うイグニヴァの表情を見るに、きっと彼女は全てを察した上で、マキナの心を和らげようとしたのだろう。
その目論見通り、張りつめていたマキナの身体から、緊張が解けていくのを感じた。
「(それにしても……あのラヴィスさんが、あんなに感情を露わにするなんて。二人の主さんって、一体どんな方なんだろう……)」
ほどなくしてラヴィスは装飾の施された重厚な扉を前にして足を止め、扉をノックする。
「ご主人様、ラヴィスです。ご指示通り、客人をお連れしました」
『あぁ、ありがとう。入っていいよ』
返事は即座に返えされ、扉越しに響いたその声は、落ち着いた透明感のある男性のものだと分かった。
許諾を得たラヴィスは静かに扉を開き放ち、そして傍らへ控えて一礼した。
緊張から喉がひとつ鳴り、高鳴る鼓動を胸に抱えながら、マキナはゆっくりと部屋へと足を踏み入れた。
室内は中央に長いテーブルが据えられ、純白のクロスがかけられており、その上には燭台、備え付けられたキャンドルの炎が静かに揺れている。
室内はとても明るく、見上げれば天井のシャンデリアが、部屋全体に柔らかな光を注いでいた。
テーブルの周囲に椅子が配置されている様子から、ここは応接、あるいは食事の場なのだろう。
そして、その机の一番奥に、主と思しき男性が座っていた。
「ようこそ。客人を迎えるのは久しぶりだ」
ラヴィスがマキナを奥の席へと誘い、マキナが近づくタイミングに合わせて、その男性もゆっくりと椅子から立ち上がった。
「俺はリベル。一応この屋敷の主を務めてる」
名乗ると同時に、リベルから静かに右手を差し出される。
やや灰がかった黒髪に、同色の黒い瞳。整った顔立ちは穏やかではあるが、その瞳の奥には、どこか達観したような静寂が宿っていた。
「あ!マ、マキナ・アンジェリカです!」
マキナは震える手でその差し出された掌を握り返すと、リベルの表情が僅かに曇り、彼はマキナの手を握ったまま動かなくなった。
「……? あの……リベル、さん?」
訝しんだマキナが声をかけると、リベルはハッと現世に引き戻されたようにその手を放した。
「あぁ、悪い。君の名前を聞いて少し驚いてね。それに失礼ながら、客人が女性だとは思っていなかったんだ」
その答えにマキナは納得しつつも、不思議そうな表情を浮かべる。
「リベルさんは、私のことを……知ってるんですね」
「もちろん、当たり前だろ?まぁ立ち話もなんだし、座って話そうか」
リベルはそう言って再び自らの席に腰を下ろすと、いつの間にか背後に立っていたラヴィスが、音もなく椅子を引き、マキナの着席を促す。
促されるままに座ると、ラヴィスはそのまま奥の部屋へと下がり、イグニヴァはマキナの正面の席にどっかと腰を下ろした。
「まずはお礼と謝罪かな。うちのイグニヴァの我儘に付き合わせてしまって悪かった。そして彼女を手伝ってくれてありがとう」
リベルは穏やかな微笑みを絶やさず、静かな口調で語りかける。
「い、いえ、そんな……!むしろ、私が助けてもらったと言いますか……私の不甲斐なさのせいで、あの子達を傷つけてしまうところだったので……」
言葉を紡ぐうちに己の失態が胸を抉り、マキナは徐々に声を落として俯いていった。
「それにしても、イグニヴァが人をここに連れてくるなんて珍しい。子供だけならまだしも、見ず知らずの他人に助けを求めるとはね。君の人徳によるものかな?」
「べ、別にいいだろ! アタシ一人じゃ手が足りなくて、仕方なく手伝わせただけだっての!」
照れ隠しのように語気を荒げてそっぽを向くイグニヴァに、リベルはくすりと笑いかける。
「へぇ〜?少なくとも手伝わせても問題ないと思えるくらいには、彼女のことを気に入ったわけだ」
「~~~ッ!!」
核心を突かれたイグニヴァは顔を真っ赤に染めて、反論の言葉を失ったため、リベルは優しい眼差しでマキナへと視線を移した。
「イグニヴァは普段、あまり他人と関わろうとはしなくてね。だから、人を連れてきたと聞いたときは正直驚いたよ」
「え……そ、そうなんですか?」
出会ってからのイグニヴァを思い返す限り、特段人見知りという印象はなく、少々荒っぽくはあるが、生命に真摯に向き合う彼女が、対人関係に支障をきたしているようには見えない。
「私も驚きました。しかも連れてきたのが、私が話していたまさにその人だったのですもの」
そこへ、戻ってきていたラヴィスが会話に加わり、運んできたワゴンの上には、人数分のティーカップが並べられていた。
ラヴィスは丁寧に茶を注ぎ、それぞれの席の前へと音を立てずに置いていく。
「どうぞ、マキナさん。お疲れでしょう」
「……あ、ありがとうございます」
芳醇な香りの茶が目の前へと差し出されるが、マキナの指先は、そのカップへとなかなか伸びず、手を伸ばしても、僅かに震える指先が宙をさ迷い、取っ手を掴もうとしなかった。
その理由は、単純でありながら残酷な過去に根ざしている。
『英雄』として讃えられる彼女は、移動の度に命を狙わることが多く、魔族による襲撃は日常だが、彼女を疎むのは魔族だけではない。
『英雄』として敬われ、強大な力で武勲を立てていく彼女の姿に、不快感や異常な警戒心を募らせる人間も少なくはなかったのだ。
そうした者が取る手段は正面からの衝突ではなく、式典を偽装し、食卓に毒を忍ばせるという卑劣な策を用いる者もいた。
表面上は礼として開かれる豪奢な宴であっても、その裏で仕込まれていた毒が、マキナの喉を焼いたことがあった。
畏まった場であるほど毒を盛る機会は幾らでも存在し、今や他者から差し出された物に対して彼女の生存本能は、拭い難い不安を煽り立てるようになってしまった。
マキナには、ある特異な理由から毒で命を落とす可能性は殆どない。
だが、それは肉体的な痛みや恐怖までもを免れるという事にはならない。
毒に蝕まれる感覚、意識が白濁していく恐怖は、今もマキナの記憶の片隅で燻り続けている。
万が一『英雄』である彼女に不測の事態があれば、人類側の戦力は壊滅的な打撃を被る事となり、それがどれほど致命的かは、誰もが理解していること。
ゆえに、マキナに毒を盛った愚か者の末路は、誰の記憶からも抹消されたままであり、歴史の表舞台に再び姿を見せた者は一人としておらず、不気味な噂だけが囁かれるのみである。
※後書きです
ども、琥珀です。
そう言えば以前手掛けていた作品は、前書きにその話に登場する主要キャラを書いていたんですよね
誰だっけコイツ?防止に……
ただ、毎回それを目にするのはしんどい、というご意見もあり、今回は手掛けていないのですが……あった方が宜しいですかね?
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本日もお読みいただきありがとうございました。
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