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第二十三話 運命の糸

山代王邸にて


 

 「山代王様、私でございます」

 

 「あぁ、来たか。入りなさい」


 冬韻(とういん)が静かに部屋の戸を開いた。明るい陽射しの中で山代王を囲むように王妃の紅衣(こうい)と側室の白蘭(はくらん)が座り談笑しながら茶を飲んでいる。


 「王妃様と白蘭(はくらん)様がお越しになられていたのですね。では、また後程出直してまいります」


 冬韻(とういん)が開けた戸を閉めようとすると山代王が口早に言った。


 「待ちなさい。そう急ぐでない。わざわざそなたを呼んだのは他でもない、早急に礼を伝えたかったからだ」


 「えっ?」


 冬韻(とういん)は目を大きくしてぽかんと口を開けた。その様子を見て王妃と白蘭(はくらん)は目を合わせてクスクスと笑い出した。山代王が二人に止めなさいというように手を振った。


 「実は先日そなたが、大唐より取り寄せてくれた煎じ薬が白蘭(はくらん)の体によく合ってな、この通り無事回復したのだ」


 山代王の隣でにっこりと微笑む白蘭(はくらん)はすっかり顔色も良くなり、少しふっくらしたようにも見える。


 「さようでございますか、良かった。もう食事は取ることが出来ますか?」


 冬韻(とういん)は安堵の表情を浮かべると白蘭(はくらん)に尋ねた。


 「えぇ。そなたの煎じ薬のおかげでつわりもだいぶ治まり、粥も少しずつ取れるようになりました。今では食べ過ぎてしまう位です」


 白蘭(はくらん)はそう言うと愛おしそうにお腹をさすりながら山代王を見て微笑んだ。冬韻(とういん)は二人の仲睦まじい姿を見て再び安堵し胸をなでおろした。


 「しかし、そなたに生薬の知識があったとは知らなかったぞ」


 「はい、実は先日大唐より帰国されました高向玄理(たかむくのくろまろ)先生にお会いする機会がございましたので、なにか妙案はないかと伺ったのです」


 冬韻(とういん)が少し照れたように答えた。


 「さようであったか、さすが先生は博識であるな、国博士になる日も近いであろう。先進の大唐からの情報は非常に役立つものばかりである。学ぶべきことも多い。さすが、大国であるな」


 「はい」


 冬韻(とういん)が静かに頷いた。


 「あっ」


 白蘭(はくらん)がお腹を押さえて甲高い声を出した。


 「どうしたのだ⁈」


 「今、初めて赤子がお腹を蹴ったような気がしたのです」


 白蘭(はくらん)が目をパチパチとさせながら驚いた表情で言った。


 「誠か⁈なんと喜ばしいことだ、男児かもしれぬぞ。我らの話を聞きすぐにでもこの世に誕生したいのかも」


 「王様なんと気が早いことを」


 王妃が少し呆れたように言い笑った。


 「話は変わるが、田村皇子(たむらのみこ)様のご容態はどうであろうか?」


 山代王が冬韻(とういん)に尋ねた。


 「はい、朝廷の医官の話によると容態は今も尚、思わしくないそうです。近く宝皇女(たからのひめみこ)様を筆頭に百済大寺で病気回復の祈願祭を執り行うそうです」


 「さようか、我々も協力せねばな。手抜かりがないよう入念に準備をしてくれ」


 「承知いたしました」


 冬韻(とういん)が頭を下げた。


トントン、トントン


 戸の向こう側からしわがれた声が聞こえた。


 「王様、私でございます。三輪(みわ)でございます」


 「入りなさい」


 慌てた様子の三輪(みわ)が部屋の中へと入ってきた。


 「どうしたのだ?」


 山代王が聞くと大臣三輪(みわ)があたふたと膝をついて答えた。


 「はい、今、近江皇子(おうみのみこ)様とお付きの者が参りまして、王様への謁見を求めておいでですが、どうされますか?」


 「ほう、さようか…近江から戻ったのだな…」


 山代王が顎を片手でさすりながら呟いた。


 「では、王様私共はこれにて失礼いたします。さぁ、白蘭(はくらん)部屋に戻りましょう」


 と、場の流れを察知したのか王妃と側室の白蘭(はくらん)が立ち上がり戸口へと向かった。


 「待ちなさい王妃、そなたも近江皇子(おうみのみこ)に会うのは久しぶりであろう、白蘭(はくらん)にいたってはまだ会っことがないな?せっかくの機会であるから、挨拶だけでも受けてゆきなさい。白蘭(はくらん)体調はどうだ?もう少しここにいられるか?」


 「はい、大丈夫でございます。近江皇子(おうみのみこ)様にお会いしご挨拶したく思います」


 山代王は大きく頷くと再び二人を両側に座らせた。


 「よし、三輪(みわ)、急ぎ皇子を通しなさい」


 山代王が低い声で言うと、


 「ははっ」


 と、三輪(みわ)は軽く頭を下げ急いで部屋から出ていった。しばらくして、


 「王様、皇子様が参りました」


 戸の向こうから三輪(みわ)の声が聞こえた。


 「通しなさい」


 山代王が答えると、戸があき近江皇子(おうみのみこ)と側近の鎌足(かまたり)の二人が部屋の中へと入ってきた。二人は床に頭を伏せると丁寧に挨拶をした。


 「山代王様にご挨拶申し上げます」


 「顔を上げなさい」


 二人はゆっくりと顔をあげた。山代王はまじまじと皇子の姿を見たあと、感慨深げにため息をついた。


 「皇子よ実に久しぶりであるな、しばらく見ぬうちに随分と立派になった」


 「ありがたきお言葉でございます。山代王様のように威厳ある君子にるべく、日々精進に努めております」


 山代王は目を細めフンと嬉しそうに頷き微笑んだ。


 「王妃様もご無沙汰しております、お元気でお過ごしでしょうか?」


 「ああ皇子よ。実に久しぶりであるな、元気に過ごしていたぞ。そなたのその若くはつらつとした気力を私にも分けて欲しいものだ」


 「何をおっしゃられるのです、王妃様は初めてお会いした時から何一つ変わっておられません。いつまでもお若くて大変美しいお姿のままでございます」


 「まぁ、なんと世辞まで饒舌になったか。成長したなフフッ」


 王妃は両手を口に当てまんざらでもないように笑うと山代王を見た。


 「世辞などではございません」


 皇子は少し顔を赤らめたあと慌てて否定した。


 「それと皇子、ここに居るのが昨年娶った側室の白蘭(はくらん)だ。会うのは初めてであるな?」


 山代王が隣で微笑む白蘭(はくらん)に視線を向けた。白蘭(はくらん)は軽く頭を下げ挨拶をした。彼女の白く透き通る肌と玉のような美しさを前に皇子が感嘆のため息をついた。


 「噂はまことであったのですね。大変高貴で美しい女子をお娶りになられたと聞いたのです。白蘭(はくらん)様、王様から大変なご寵愛を受けていると風の噂でお聞きいたしましたが、誠のようですね」


 皇子はもう一度大きなため息をつき、白蘭(はくらん)を見つめた。


 「まぁ、お恥ずかしい…王妃様へのご寵愛にはかないません」


 白蘭(はくらん)はそう言うと、顔を赤らめうつむいた。


 「王妃も白蘭(はくらん)も、王室には欠かせぬ存在だ。このように王室が繁栄、安定していられるのも後宮の者たちがしっかりと私を支えてくれているからなのだ。誠に感謝しかない。そなたももう数年すれば王妃を娶る日がくるであろう。良き縁があるように今から大臣に手を回しておこう」


 「ありがたき幸せでございます。王妃様や白蘭(はくらん)様のような美しい女子が良いです」


 「まぁ!」


 はっきりと物を言う動じない皇子の態度にその場の全員が笑い、部屋の中は一層和やかな雰囲気へとなった。


 「して、そなた、飛鳥の都も久方ぶりであろう。田村皇子(たむらのみこ)様にはご挨拶に行ったか?」


 山代王が皇子に尋ねた。


 「はい、それが都の着き次第すぐにでもご挨拶に伺いたかったのですが、体調が優れぬご様子でまだお会い出来ておりません…」


 「そうか…」


 「私も毎日気が気ではありませんが、近く執り行われる百済大寺での祈願祭で早期病気回復をお祈り申し上げたいと思っています」


 「そうだな…」


 山代王が深く頷いた。


 「それと山代王様、此度都に戻ってきたのは他にも理由があるのです」


 皇子が目をキラキラとさせ興奮気味に言った。


 「実は、昨年大唐より戻られました南淵請安(みなみぶちしょうあん)先生のもとで儒教、法家の学問を学べるようになったのです」


 「さようか、そなたのような若者が学識を深めこの国の将来を担うのだな。なんとも心強い。大いに精進しなさい。なにかあれば私を頼るように」


 「はい、ありがたきお言葉。王様のお心使いに感謝いたします」


 皇子は深く頭を下げ礼を言った。


 「では、これにて失礼いたします」


 皇子が体を起こそうと床に手をついた時だ


 「うっ」


 皇子が左の手首を押えうずくまった。


 「どうしたのだ?怪我をしているのか?」


 山代王が覗き込んだ。


 「はい、先日山に入った際、不注意で負ってしまったのです」


 皇子は苦笑いすると衣の袖をめくり手首を押えた。手首に巻かれた手巾が山代王の目に留まった。山代王は一瞬の間をおいたあと、凍り付くような震える声で尋ねた。


 「そ、その、手巾は…」


 「手巾でございますか?」


 皇子は少し困惑したあと、ゆっくりと手巾を外しながら言った。


 「怪我はもう治ったのですが、なぜか傷口がまだうずくのです…」


 山代王は皇子に近づき手巾を手に取ると、描かれた刺繍を瞬きもせずに食い入るように見つめた。


 「こ、これはどうしたのだ?」


 「あっ、先日、多武峰(とうのみね)の寺にて毬を探しに藪の中に入ったのです。怪我を負った時、ちょうど居合わせた女官から手当を受けました。その手巾はその時の女官が持っていたものです。私の傷で汚れてしまいました。返さねばならぬのに…」


 「多武峰(とうのみね)?」


 「はい。薬草に詳しい様子でした。すぐに傷の処置をしてくれたのです。適切な処置のおかげで軽症で済みました。どこの宮の女官かはわかりませんが、丁度その日に橘宮(たちばなのみや)の女官が食材を運んできてくれたので…恐らく連れ同士だったのではないかと…」


 皇子の言葉を遮るように山代王が叫んだ。


 「橘宮(たちばなのみや)だと⁉︎」


 山代王は手巾を握りしめ青い顔をし呆然と立ちすくんだ。


     (確かめねば…)


 「皇子よすまぬが、急な用事が出来てしまった。見送りはできぬがかまわぬか?この手巾も預かりたい」


 「は、はい。もちろんでございます…」


 皇子が呆気にとられた様子できょとんと答えた。山代王のただならぬ様子に一同無言で驚いている。


 「山代王様、どうされたのですか?」


 手巾を握りしめたまま立ちすくむ山代王に冬韻(とういん)が慌てて尋ねた。


 「冬韻(とういん)、至急馬の用意を」


 「え?」


 「すぐに馬の用意をしろ!」


 山代王が声を荒げて言った。


 「はっ!」


 冬韻(とういん)は即座に立ち上がると急ぎ足で部屋から出て行った。


 「王様、もう少しで日暮れになります。明日の朝一番で出かけられた方がよいのでは…」


 王妃がとっさになだめるように言いった。


 「……急ぎ確かめたいのだ」


 山代王はそう言うともう一度手巾に視線を落とした後、部屋から出て行った。門の外では冬韻(とういん)が美しい黒馬を連れて待っていた。


 「王様、急にどうされたのです?間もなく日暮れです」


 「確かめたいのだ…」


 そう言うと馬にひらりと飛び乗り手綱を引いた。


 「どちらに向かわれるのですか?」


 冬韻(とういん)が走り去る山代王に向かい叫んだ。


 「橘宮(たちばなのみや)だ」


 山代王はそう放つとかけ声と共に勢いよく馬を走らせた。


 (橘宮(たちばなのみや)?…まさか…)


 「山代王様、お待ちください!!」


 冬韻(とういん)が大声で必死に叫んだがもう遅い、山代王はすでに走り去りその後ろ姿が徐々に小さくなっていくだけだった。



橘宮(たちばなのみや)では、


 「小帆(こほ)燈花(とうか)様を見た?」


 都の外れにある市から戻ってきた小彩(こさ)が買い集めた食材を(かまど)の横の棚に丁寧に置きながら、小帆(こほ)に聞いた。


 「燈花(とうか)様でございますか?午後からはお姿を見ておりません、てっきり小彩(こさ)様と出かけたとばかり思っておりましたが、ご一緒ではなかったのですか?」


 小帆(こほ)(かまど)からひょいと顔を出し額の汗を袖で拭きながら答えた。


 「そんな…」


 小彩(こさ)は何かを察知したのか厨房を飛び出し東門へと走った。


 「小彩(こさ)様、どうされたのですか?」


 東門の横にある小さな小屋の前で藁を編んでいた漢人(あやひと)が驚いたように立ち上がると息を切らせている小彩(こさ)に聞いた。


 「…と、燈花(とうか)様を見た?」


 「いえ、午後からお姿を見ておりません…」


 「どうしよう…もうすぐ日が暮れるというのに…」


 ちょうど庭から出てきた六鯨(むげ)も二人の様子に気づきやってきて言った。


 「どうしたのだ?」


 「それが、燈花(とうか)様がどこにもいらっしゃらないのです」


 「燈花(とうか)様なら午後馬に乗り出かけていったぞ。どこに行くのか聞いたが、すぐに戻るから心配ないと言って、そのまま行ってしまわれたのだ。暗い表情に見えたがまだお戻りでないのか…」


 六鯨(むげ)は困った顔でう~んと唸り下を向いた。


 「確かに最近の燈花(とうか)様は元気がないように見えます。何か気を揉むことでもあるのでしょうか?」


 漢人(あやひと)が心配げに言うと、


 「……もしや、またあの池に…」


 小彩(こさ)が独り言のように呟いた。


 「池?どこの池だ?」


 「…深田池です」


 小彩(こさ)が小さな声で答えた。


 「深田池か…でも、もう日暮れだぞ」


 「燈花(とうか)がどうしたのだ?」


 背後からの突然の声に驚き振り返ると、門の入り口前に山代王が立っていた。


 「や、や、山代王様…」


 六鯨(むげ)が幽霊でも見たかのようにへたへたとその場にしゃがみこんだ。


 「燈花(とうか)と言ったな、はっきりとこの耳で聞いたぞ。今どこにいるのだ?」


 山代王が険しい顔で言った。彼が握りしめている手巾を見て小彩(こさ)は観念したのか小さな声で答えた。


 「恐らく、深田池かと…」


 「ふ、深田池だと?」


 山代王は眉をひそめたあと、再び馬にまたがり風のように屋敷を飛び出した。






 そろそろ戻らないと、すっかり考えこんでしまった…考えたところで解決などしないのに…。


 西の空は美しい茜色にそまり、東の空は緋色に染まっている。秋の草むらから鈴虫の優しい音色が聞こえ心地良かった。美しい夕暮れの空を見ながら中宮を想った。飛鳥の都に戻りもう数か月経っているがどう過ごすべきなのかわからない…自分の未来さえもわからないのに、中宮の想いを果たすことができるだろうか…その真意さえもまだわからないのに…。


 ゆらゆらと水面に映る自分の姿をじっと見つめていた。一瞬水面に人影が映った気がしたが、気のせいだろうと思い小石をつかみ投げようとした瞬間、水鳥が一斉に空へと飛び立った。直後に人の気配を背後に感じた。


 誰かがいる…おそるおそる立ち上がりゆっくり振り返った。目の前に山代王が静かに立っていた。大人の男になった山代王だ。麻布の上に深紫色の絹の薄い衣を羽織り、頭には細かい装飾が施された金の冠を乗せている。幻でも見ているのだろうか…一瞬で時が止まった。


   …ま、まさか…こんな事が…


 全身の力が抜けその場に崩れ落ちた。突然の出来事に頭の中は真っ白になり何も考えられない。それとも夢でも見ているのだろうか…。


  「と、燈花(とうか)…」


 山代王は静かに私の前に立つと肩に手をかけ立ち上がらせたが、私は顔を上げられなかった。山代王は黙ったままうつむく私の体を強く抱き寄せ言った。


 「燈花(とうか)、そなた夢ではないな…」


 十三年前と変わらない優しい声だ…。


 「や、山代王様…」


 山代王はしばらく私を抱きしめたあと、感慨深げに見つめ言った。


 「そなた、何も変わっておらぬ。なぜ、急に私のもとから去ったのだ…」


 山代王の目に涙が溢れた。真っすぐな澄んだ瞳は昔と一つも変わらない。


 「山代王様、これには訳が…」


 「何も言わなくていい…こうして私のもとに戻ったのだ。もう二度とどこにも行かせまい…」


 山代王はもう一度強く私を抱きしめた。


 日はすっかり落ち月明かりだけが池の水面と私達を照らしていた。


 「宮に戻ろう…」


 山代王は先に馬の背に乗ると私の手を掴み引き上げ彼の前に座らせた。


 「私の馬が…」


 「大丈夫、後で誰かに取りにこさせる」


 「はっ!」


 暗闇の中、私達を乗せた馬は橘宮(たちばなのみや)に向かってゆっくりと走り出した。


 宮の前では松明を持った六鯨(むげ)小彩(こさ)、そして冬韻(とういん)の姿があった。山代王は門の前で馬を止まらせ先に下りると私を抱き止めて降ろし、私を抱えたまま門をくぐった。その様子を見ていた冬韻(とういん)が困惑した声で言った。


 「お、王様、宮の者達が見ております…」


 「かまわぬ」


 山代王は冬韻(とういん)の言葉を無視して宮の中を歩き続けた。私は急に我に返りしどろもどろに言った。


 「や、山代王様、あ、歩けますので…」


 「こうしたいのだ」


 山代王はそう言うとそのまま宮の中を歩き続けた。冬韻(とういん)が後ろから青ざめた顔でついてきている。山代王は私の部屋の前に来てようやく私を下ろした。


 「今晩はこの宮に滞在する、そなたが消えてしまわぬようにな」


 山代王が私を真っ直ぐに見つめながら背後にいる冬韻(とういん)に聞こえるような少し皮肉めいた声で言った。


 「王様、それはなりません、今夜は屋敷に戻られるべきです。王妃様や白蘭(はくらん)様も大変心配されております」


 冬韻(とういん)が即座に強い口調で返した。


 山代王は唇を噛みしめながら振り返り、一瞬冬韻(とういん)を睨んだあと夜空を仰ぎ目を閉じた。

 

 ドラマのワンシーンでも見ているのだろうか…この重苦しい沈黙が耐えられない…とにかく落ち着いて、冷静に、冷静にと心の中で必死に自分に言い聞かせたあと、意を決して口をひらいた。


 「山代王様、私はどこにも消えません。明日も明後日も、その次の日もこの宮におります。今日は王宮に戻られて下さい」


 精一杯の言葉を並べうつむいた。本当なら彼に飛びつきたい所だがそうすべきではない事は重々理解していた。正直、私自身も突然の出来事に混乱している。まずは気持ちの整理が必要だと思ったし、そして何よりも以前冬韻(とういん)と交わした約束が脳裏をかすめていた。


 「僭越ながら王様、理由なく、橘宮(たちばなのみや)で夜を明かすことは許されることではありません。王様はもはや自由なお立場ではないのです」


 冬韻(とういん)が毅然とした態度で言った。


 「くそっ…」


 山代王はそう言うと、私の手を握り言った。


 「また、明日まいるゆえ、ゆっくり休みなさい」


 十三年前に別れた時も、同じ言葉を聞いた事を思い出していた。でも今回はそうならないだろう…きっと全て上手くいく…


 私が深く頷くと、山代王は少し寂しそうに微笑み冬韻(とういん)と共に暗闇の中を帰って行った。二人を見届け部屋に戻った瞬間、急に力が抜けふらふらと寝台へと倒れ込んだ。


 「燈花(とうか)様!大丈夫ですか⁈」


 小彩(こさ)が蝋燭に火を灯しながら叫んだ。


 「えぇ、大丈夫。ただ…驚いてしまって…」


 部屋の天井を見つめながら呆然として答えると小彩(こさ)がすかさず隣に来て呟いた。


 「山代王様が燈花(とうか)様の手巾をお持ちだったのです…確かにあれは、燈花(とうか)様のものでした…中宮様が施した橘の刺繍が見えましたから…」


 「手巾?…そういえば、多武峰(とうのみね)の寺であの皇子の怪我に使ってそのままだわ…」


 手巾の事など全く気に留めていなかった。まさかあの手巾がきっかけとなり再び山代王を引き寄せるとは想像もしていなかった。状況がどうであれ、もう逃げも隠れもできない…。これが運命なら流れに身を任せるしかない…きっと避けられない宿命でもあるのだろう…。


 「燈花(とうか)様の存在を知るのは時間の問題だと思ってはいましたが…予想よりも早く知られてしまいました…この先いったいどうなるのでしょうか?…まだ山代王様は燈花(とうか)様の事をお慕いしているように見えました…燈花(とうか)様も同じお気持ちですか?」


 小彩(こさ)が憂わしげな顔で言った。おそらく険しく困難な恋になるであろうと彼女も察しているのだろう…。でもこれが中宮が意図していた事ならば、勇気をもって受け入れ突き進むしかないと思った。私に与えられた振り返らずに進むべき道なのだろう…。


 風もなくひっそりと静まりかえった夜にリーンリーンと鈴虫の優しい音色だけがいつまでも響いていた。


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