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わたし、小さな騎士の主になりました。

淀んでいた路地から繋がったとは思えない緑豊かなパークの入口をくぐる。大した広さはないが噴水とベンチ以外に無駄な装飾を省かれており、すっきりとした開放感は狭い家でいつも体力の消化不良でいる子供やペットには恰好の発散場所であるだろう。



「着いたぜ。ここになんの用なんだ?」



少年がミレイユを振り向いて、くいっと親指で公園を示す。



「こちらです」



ミレイユは白いレースの日傘を持ち直しながら公園を進み、陽の降り注ぐ草原の真ん中でなく木々が緑の壁となって生い茂る公園の端へと向かっていく。近づくにつれ、高い木々で影の落ちたその場所に、とあるものを見止めた少年は目を凝らした。



「あれは…」



簡易テントがいくつか一列に並んで立てられていた。その下ではテントに入りきらない数の人間が密集して列をなし、幾人かの係りによって配給されるパンやスープを受け取っている。遠目から見ても彼らの装いはくたびれてボロボロだ。



「身寄りもなく帰る家もない者たちにせめてと思い、兄に内緒で私が立てました」

「…?なんであんたがテントを立てるのに兄貴に内緒にする必要があるんだ?」

「民が自らの生活に必要な衣食住であるならそれは労働の対価によって得られるべきだ、と言って無償の慈悲を快く思っていないんです」

「…すげーマジレスきたな。そりゃ〝べきだ〟なんて力強く言われたら『ですよねすみません』としか言えねーわ…いやじゃなくてだな。別に兄貴の意見聞くことねーんじゃないのか?あんたがしたいならすればいいだろ」

「そうなんですか…?そう思います?そうですよね、あぁよかったぁ!いくら私でも領主に無断で民に施すのはどうだったかなってちょっと反省してたところでした」

「…え」



厳しい日差しを受け取めてくれているテントの下で配られた食事にありついている彼らから目の届かないぎりぎりの位置まで来たところで、何気なく発されたミレイユのとんだ重大発言に少年はビタッと足を棒にした。



「領主って…あんたの兄貴が?…ってことは、あんたまさかフォーカス家のお姫様なのかっ?」

「あら?まだ申し上げておりませんでしたか?」




聞いてねーしそれ以前にありえねぇ、と少年はごく間近に居るミレイユを遠い目で見た。確かに高貴な身形をしてあんな治安の悪い場所をふわふわ出歩くなど「私お金持ちよっ!どうぞ襲ってくださいな♪」と言いふらしているも同然の、感覚がちょっと残念な女が居るなとは思って声をかけたら思慮ではなく礼儀が欠落したような少女ではあったが、まさか馬車も使っていなければ従者も伴っていないその女が貴族の姫君であったなんて、不用心で無警戒で無計画にも程がある。


と、言ってやりたいことは色々あったが、当の本人からはまるでなんでもないことのようにきょとんとされてしまったのでどうにも気が抜けてしまい、喉まで来ていたそれは深い溜息になって霧散してしまった。



「…はぁ、まあそう言うことなら確かに、よく練って寝かしてもいねー案を領主様に内密で実行しちまったのはまずいかもな。領主の姫君がやったことならただの思い付きじゃすまない、領地の仕組みを動かす政策になっちまうぞ」


「…はい、承知しております。お叱りも処罰も受けるつもりです」


「なんでそこまでしてこんなことしたんだ?」


「…あなたならしませんか?籠いっぱいに食べきれないほどパンを持ってる私の目の前で今にも餓死してしまいそうにおなかを空かせている人が倒れているのに、なぜ、分け与えるなと兄は言うのか、私には理解ができません」


少し、怯んだ。ついさっきまで頭がふわふわしていたお嬢様はどこへ行ってしまったのか、目の前の少女の意志の強さと、自分の正義を疑いもせず他者の意見を差し挟まない、傲慢とさえ言える凛然とした姿勢に、どうやら少女を侮りすぎていたようだとひっそり舌を巻いた。



「…と、つい先程までは思っていました」

「え?」



彼らの目に入らない距離を保ったまま、ミレイユはテントの下の彼らへ寂しげに細めた瞳を向けている。



「もしかして、さっき襲ってきた奴らのことか?」



少年の問いに、頷く代わりに困ったような苦笑を返したミレイユの表情が、他愛もないそれであるはずなのにどうしてなのか、彼女が打ちのめされていることに少年は気づいてしまって、悲しいその笑顔がやたらと瞳に焼きついた。



「彼らの力になりたくてやったことでしたから、あのテントの中に入ることを拒む者がいるなんて考えてもみませんでした。私は思い上がっていたのですね。『施し』は恵まれたものが恵まれないものに与えるのであって、そこにだって格差が生じていることにやっと気づくなんて」



善意は『恩』になるとばかり思ってしまった。

誰かにとっては『仇』かもしれないなんて、考えもしなかった。



「金持ちの気まぐれ…と言われても、これでは何も言い返せませんね」



善意ひとつがこんなにも難しいなんて、と。

そう言ったミレイユは、あくまでも困ったような笑顔を崩しはしなかった。



「泣かねーの」



それは端から見たら意地の悪いからかいだったかもしれない。泣いてしまいそうな自分を隠す人間にわざわざバレてるぜと教えるも同然のことを、しかし少年は彼女になら純粋な問いとして誤りなく届くと感じたから、そのまま問うた。彼女は物事をありのまま受け止める精神力を持っていることを、出会ってほんのわずかな時間の共有で理解できたほど、彼女は意識的にでなく自然体でそれをやってのけているのだ。



「救いのつもりが傷つけてしまったことは、彼らに申し訳なくて落ち込みますが…泣くことはありません。私は彼らに学ばせていただいたのです」

「あんた…」

「だからといって、めげて差し上げるつもりもありませんよ?これを糧により民の目線に立った善意を民に還元すればいいのですから」



そう言う当のミレイユこそ気付いていない。この紅い瞳に、屈託なく笑うミレイユの姿が今どれほど美しく気高く映っているのかを。



ーーー強ぇ女。



もちろん泣かない人間が強いなんて絵空事を語る気は、かつて血なまぐさい戦いのなかに身をおいていた自分にはないけれど、ミレイユのその『涙を隠すための笑顔を意識しない笑顔』の下に、彼女の人となりが少年の目にははっきりと見えた。その優しい強さは『温室育ち』の賜物か、生まれた落ちたときすでにその胸の中に持っていたものなのか。


どちらにしても。



(俺は好きだけど…な。そーいうの)



「さぁ、帰りましょう。送ってくださるのでしょう?」



少年にそう笑いかけると、遠く彼らの居るテントから背を向けるミレイユ。おそらく彼らに、この簡易慈善施設について意見や要望を募りにここまで来たのだろうに、彼らの前に顔を出すことなくそのまま来た道を戻っていこうとした彼女は、だから少年のとった行動にはさすがに度肝を抜かれたのだ。



「失礼」

「ひゃ!?」



少年が突然目の前に回り込んできたかと思うと、なにを考えたのかミレイユに足払いを仕掛けたのだ。

白い日傘が空に放り出され、バランスを崩されたミレイユは背中から倒れ込んでしまう。たいした痛みがなかったのは豊富な草のおかげであり、少年のそれを見越しての行為であったからだ。



「うぅ…なにを」

「こうでもしないと届かねーから」



なにが届かないのだろう、

と思うより、それは早かった。

仰向けに倒れたミレイユの左右に少年が手をついたと認識したと同時に、ふわりと、一枚の羽が触れたような、そんなキスが額に落ちてきた。



「ひゃっ…!?」



まったく予期せぬ突然の出来事にミレイユの見開いた目の下は混乱と動転でボンっと真っ赤に発火し、やがて離れていく少年をただ唖然と見送るしかできない。


だがミレイユにとっては突拍子もない出来事であっても、少年にとってならもうすでにこれは始まりで、彼の心は決められていた。



「―――あんたに決めた」

「へ…」

「イイ女だ。俺はあんたにつきたい。〝試用期限〟は無し。返品不可。」

「へ…!?」



勝手にデコチューされたあげく売り物を強引に押し付けられたミレイユは、ただ今頭の中で発生した台風によってあれよあれよと脳みそを巻き込まれている。目までがぐるぐると回り出した彼女の様子を、少年は悪戯が成功した子供のようにニヤリと眺めつつ、もう一つ重要な物事を進めた。




「姉ちゃん、あんた名前は?」

「え? あ、み、ミレイユです」

「では、ミレイユ・フォーカス。俺に名前をつけろ」

「え?」

「俺は名前がない。あんたがつけろ」



正確には名前がないのではなかったが、生まれた時から自分の一部だった名前をつい数か月前に捨てることとなったとある経緯については、また別の機会にでも話そうと思う。


一方、この歳で人の子に名を授けることになるとは思いもしなかったミレイユは、絵心ならぬ名心など持ち合わせていなかったにも関わらず、この不測の事態に自分でもびっくりするほど迷うことなくそれを思いついた。



「―――レッド」



考えるそぶりもなく即答してみせたミレイユに、むしろ少年の方が目を見張る。まるではじめからそう名付けられるべきだったかのように、耳の奥で音が輪郭を伴って響いたーーーレッド。



「レッド…か。」



やがて少年は、満足げにその燃える瞳を細めた。

確かめるようにその名を舌の上で転がし味わって、レッドという新しい自分にもう一度生まれた少年は、ミレイユの上に覆いかぶさっていた自分の身体をどけると、ミレイユの手を引いて彼女の上体も起こしてやる。



「ああまだ立つな」

「え?」

「最後にもう一つ」



言いながら、まだ掴んだままでいたミレイユの手を自分の方へ持ち上げて、白い手袋がはめられたミレイユの手の甲に唇で触れた。



「あの…えっと…れ、レッド?」

「忠誠を誓うって儀式だ。ミレイユ、今日から俺の姫はあんただ」

「ひ、姫…?」



侯爵家の姫ではあるミレイユだがレッドが言うところの姫はなんだか別の意味も含まれている気がするは…気のせいではないとレッドの真剣な眼差しが語っている。


彼はミレイユを、自分が配下として仕えるに見合う主と認めると同時に、命を懸けて全身全霊を捧げるに相応しい唯一無二ーーー愛を捧げるべき相手としたのだ。



「まっ、待ってくださいレッド!あなたにとってのそんな重要ポジションが会ったばかりの私だなんて言われても…」



なんだか急に後戻りできなくなりそうな雰囲気まで来てしまっているこの状況にたじろいでしまっているミレイユなどよそに、レッドの方はいたって真摯な面持ちで地に片膝をつき、右手を自分の胸に当てて深くこうべを垂れ、まさに忠誠を誓う騎士の姿で

誠実かつ甘くクサいセリフを言ってのけた。



「姫。今よりレッドは姫の盾となり剣となろう。レッドはどんな矢からも姫を守る騎士で在ろう」



さっきまで目の前に居たあの子はどこに行ってしまったのだろう。

幼い男の子などミレイユの前にはいなかった。

その時レッドは息を飲むほど堂々と己の存在感を誇示する『男』の姿をしていたのだ。


少年から『レッド』へと姿を変えた彼を前に、ああどうしてだろうと、なぜだかドキドキ疾走しはじめた心臓に、ミレイユは自分でびっくりする。



「よろしく…お願いします、レッド」



いいやきっと、側に置いてみたくなったと、思わされたのは自分のほうだ。

レッドの本気は、それ以外の答えを選ばせない強引なまでの情熱に満ちていた。紅蓮の瞳がちりちりとくすぶらせた炎の中にミレイユを閉じこめようとしてくる、こんなに独占欲を剥き出しにした熱っぽい視線に射抜かれたのは初めてで、振り解くには魅惑的すぎた。



「この命に懸けて忠誠をーーー俺の姫」



自分の物語が彼の手で始まっていたことに今はまだ気付かないままな、再び悪戯な笑みに象られた口元へ自分の手の甲が導かれて行くまでを、ミレイユはのぼせた頭と高鳴り続ける鼓動に翻弄されながら見守るのだった。






*おわり*





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