第32話:倒産する印刷所と、真実のメディア
モネに指示を出してから、一ヶ月が経過した。
この間、バール市街ではたびたび小規模なデモが起きていた。 文官たちによる根気強い説明会や、街中に設置した広報板による情報の透明化によって、暴動にまで発展することは防げていたが、市民の心に植え付けられた不安を完全に拭い去ることは難しかった。 だが、それもついに終わりを告げる。
執務室。マティアスが最新の報告書を手に、静かに頭を下げた。
「……第1区の製紙ギルドおよびインク工房との『独占供給契約』、そして運送ギルドの『完全買収』。すべて完了いたしました。現在、王都の地方向け印刷所には一枚の紙も、一滴のインクも納入されていません。当然、刷り上がったものを運ぶ馬車もありません」
「ご苦労。効果は出ているか?」
「はい。ここ数日、バールに持ち込まれる扇動新聞の数は物理的に『ゼロ』になりました。供給源を絶たれたことで、市民の熱狂も急速に冷めつつあります」
作戦は完璧に成功した。 資本力によるサプライチェーンの完全破壊。どんなに悪辣なプロパガンダも、物理的な生産と物流を止められればただの妄言に過ぎない。
だが、マティアスの顔はどこか晴れなかった。彼は手元の資料を一枚めくり、少し重い口調で告げた。
「……しかし、代償もありました。紙とインクを絶たれた第1区の地方向け印刷所は、昨日付で『倒産』したとのことです」
「……そうか」
「はい。あの印刷所は王宮の直轄ではなく、あくまで下請けの民間企業でした。……数百人の従業員が、一斉に職を失い路頭に迷うことになります」
執務室に重い沈黙が降りた。 前世のコンサルタント時代、俺は幾度となく企業をリストラし、解体してきた。だが、この世界に来てミカを失い、数字の向こうにある人生の重さを知った今の俺にとって、それは単なる損益の数字では済まされない事象だった。
悪いのは、不満を煽る記事を書いた王宮の官僚とメインの新聞社だ。 印刷所の従業員たちは、ただ上の命令に従って機械を動かしていただけで、何の罪もない。俺のロジックが、何百という無関係な家庭を壊したのだ。
「……政治とは、きついものですね」
マティアスが、ポツリとこぼした。彼もまた、妻を理不尽な理由で失った過去を持つ男だ。市民の生活を奪うことの痛みを、誰よりも理解している。
「俺の手は、とっくに血で汚れている。全員の人生を救済することなど不可能だ」
俺は深く息を吐き出し、前を向いた。
「だが、せめてもの『罪滅ぼし』はさせてもらう。……買収した運送ギルドの調子はどうだ?」
「そちらは極めて順調です。バール傘下に入ったことで物流網が効率化され、すでに買収額の何割かを回収するほどの利益を上げています。御者たちからの他領の情報も、続々と入ってきています」
「結構だ。ならば、独占契約で余っている大量の紙とインクを使って、次の手を打つ」
俺は引き出しから、あらかじめ用意していた一枚の設立許可証を取り出した。
「バール内で、独自の『新聞会社』を立ち上げる。印刷所は、南の工場区に新設するようヴェスタに指示を出してある。そして、そこに第1区で倒産した印刷所の職人たちを雇い入れろ。全員は無理でも、確かな技術を持つ数十人は路頭に迷わずに済むはずだ」
「バール公式の新聞、ですか。確かに広報板だけでは情報量に限界がありました。我々も、正しい情報を市民に発信すべきですね」
「いや、ただの『政府のお堅い広報誌』にするつもりはない」
俺はマティアスの言葉を否定した。
「王宮の発行している新聞の欠点はそこだ。説教くさくてつまらないから、不満を煽るフェイクニュースにしか使えない。 大衆は、押し付けられた正しい真実よりも、自分から読みたくなる『面白い娯楽』を好む。酒場のゴシップ、冒険者の活躍を描く活劇、割の良い求人広告……そういった下世話な『庶民紙』を作り、そこに正しい政治情報を巧みに混ぜ込む。それが現代の最強のメディア戦略だ」
俺がそう言った直後、執務室の裏口が静かに開き、見慣れた猫背の男が入ってきた。 情報屋のヤンダルだ。今回も人目を避けるため、極秘のルートで屋敷に招き入れていた。
「……呼ばれたので来ましたが。なんだかひどく悪巧みの匂いがしますねぇ」
ヤンダルが気怠げに頭を掻く。 俺は彼に、設立許可証を突きつけた。
「ヤンダル。お前を、この新設する新聞会社のトップ……『編集長』に任命する」
「……は? お断りですねぇ」
ヤンダルは秒で拒絶した。
「俺は裏の情報屋をやめる気はありませんよ。あんたのような上客から、ヤバい情報を高値で売りつけて稼ぐ方がずっと儲かりますし、何より新聞作りなんて『めんどくさい』」
「情報屋は辞めなくていい。お前が持つ一級品の機密情報は俺が今まで通り高値で買い取る。……だが、お前が掴む情報の中には、俺に売るほどの価値がない『二流の噂話やゴシップ(B級情報)』が山ほどあるだろう? それを大衆向けに売るんだ」
俺は立ち上がり、黒板にチョークで簡単な計算式を書き出した。
「現在、バールの人口は4万人超え。隣町のヴァルザークは2万人超えだ。合わせて6万人の巨大市場。 そのうちのたった『10パーセント』がこの新聞を定期購読したとして、読者は6000人。もし新聞の価格を月額で『銀貨1枚』に設定すれば、毎月『金貨60枚(約600万円)』の莫大な現金がお前の手元に転がり込む計算になる」
ピタ、と。ヤンダルの気怠げな動きが完全に止まった。
「……毎月、金貨60枚、ですか」
「銀貨1枚は庶民には少し高いかもしれないが、部数が出れば単価は下げられるし、紙面に商店の『広告』を載せれば広告収入も入る。印刷所の運用費を差し引いても、十分すぎる利益が出るはずだ」
ヤンダルの濁った瞳の奥で、強欲な光がギラリと点滅したのが分かった。 捨てるはずだった二流の情報を紙に印刷するだけで、半永久的な不労所得のシステムが完成する。金に目がない彼にとって、これほど魅力的な話はない。
「……なるほど。確かに、悪くない商売ですねぇ」
ヤンダルは舌舐めずりをして、設立許可証に手を伸ばした。
「資金と設備は俺が出す。お前の好きに、大衆が読みたくなるエンタメ紙を作れ。独立性は保証する」
俺はそこで言葉を区切り、最も重要な『条件』を突きつけた。
「ただし、一つだけ絶対条件がある。 俺(屋敷)から『この記事を書いてくれ』と依頼された時は、文句を言わず、指定された通りの内容を必ず紙面の目立つ場所に載せること。それが、スポンサーである俺への唯一の義務だ」
ヤンダルは俺の目を見つめ返し、やがてニヤリと小悪党のような笑みを浮かべた。
「……つまり、普段は好き勝手やらせておくが、いざという時は『最強の世論誘導装置』として俺の新聞を使うと。本当に、食えないボスですねぇ。俺の怠惰な性格と強欲さを逆手にとって、こんなオモチャを与えてくるとは」
「嫌なら断ってもいいぞ」
「誰が断るって言いました? 二流の噂話が金貨の山に変わる錬金術なんて、情報屋にとって最高に効率がいい。……引き受けましょう。王都の阿呆どもが泡を吹くような、最高のメディアを作ってやりますよ」
ヤンダルが設立許可証を懐にしまう。 これで、バールは物理的な武力と経済力に加え、「情報(大衆紙)」という最強の盾と矛を手に入れた。
失われた印刷所の職人たちも、この新たな工場で再びインクの匂いを嗅ぐことになるだろう。 迫り来る戦争の足音は、もうすぐそこまで来ている。 だが、俺たちの盤面は、着実に強固なものへと組み上がっていた。
お読みいただきありがとうございます。
印刷所倒産という生々しい犠牲に対し、ルイは「全員は無理でも、せめてもの罪滅ぼし」としてバールでの再雇用を決断しました。すべてを綺麗事で済ませられないのが、コンサルタント領主の背負う業ですね。
そしてヤンダルの情報屋としての計算高さが光りました! 「6万人の10%=6000人。月額銀貨1枚で、毎月金貨60枚の不労所得」。 この数字の暴力には、さしものヤンダルも飛びつかざるを得ません。
政府のガチガチな機関紙ではなく、ゴシップを混ぜた「大衆紙」にすることで、王都のプロパガンダを自然に駆逐していく。メディア戦略の基本ですね。
次回こそ、いよいよバールの秘密兵器が姿を現します。 「ヤンダルちょろい(笑)」「ルイの罪滅ぼしの姿勢がいい!」と思っていただけましたら、 ページ下にある【☆☆☆☆☆】から、評価ポイントを入れて応援していただけると嬉しいです!
次回も【明日19時】に更新します!




