3-3 試練
王宮内は柱の一本にいたるまで、旧様式で作られていた。
それだけこの建物が長く使われているということだろう。
中には色とりどりのh名が咲いていて、文字通りの華やかさがある。
この王宮は王都とは思えないほど、静かで、緩やかに時間が流れていた。
絨毯が敷き詰められた長い廊下を抜けると、扉が現れた。
「これから先は謁見の間だ。少し身だしなみを整えてくれ」
整えるといっても、僕の格好は旅用の服だ。
変な風になっていないかの、確認だけだと思うけど……。
「アストラル、すこしじっとしていてくれ」
「え?」
キョトンとした声を上げたのも、つかの間。
真正面を向いた時には、セレナの顔はすぐ近くにあった。
「……!?」
さらさらとした髪から、匂ってくるいい香り。
それが、セレナを女性だと再認識させる。
彼女の顔がどんどん近づくに連れて、僕の心臓の鼓動も大きくなる。
これほど近くに女性の顔があった経験はなく、言われたとおりにじっとしていることしかできなかった。
「よし、これで大丈夫だ」
どうやら、セレナは僕の身だしなみを整えてくれたらしい。
「あ、ありがとう……」
……たぶん、僕はかなり赤い顔をしていると思う。
ああ、暑いなぁ……。
「アリシアも大丈夫だな」
「は、はい! ありがとうございます!!」
アリシアも、ほほが赤くなっている。
やっぱり、慣れてないとそんなものなんだよなぁ。
「もう国王陛下はお待ちになられている。……大丈夫、心配するな」
セレナは優しく微笑む。
その笑顔から、仲間の死を経験したとは、到底思えなかった。
――― ―――
「ノワール王国騎士団・第7小隊所属騎士、セレナ参りました」
「此度の任務、ご苦労であった」
跪きながら、セレナは頭を下げる。
僕らは、どうすればいいかわからなかったので、それに従った。
周りには王国の重鎮だろうか、とても偉いのであろう人が左右それぞれの椅子に座っていた。
それはまるで、僕らを監視するかのように、冷たい視線を向けている。
「それで、今回の騒動の関係者は誰か」
国王は静かな、それでいて重々しい声で問いかける。
「……!」
返事をしなきゃ……!
そう思っているのに、声が出ない。
(はやく、はやく返事をしなきゃ……!)
『落ち着け』
頭に響く無感情な声。
ただ、いまはそれがありがたかった。
「ぼ、僕です」
「ほう、おぬしか」
顔を上げると、国王と目があった。
国王は僕の顔をじっと見ている。
僕は、蛇に睨まれた蛙のように、動くことができなかった。
それだけ、国王には威圧があった。
「今回の件、詳しく説明をしてもらいたい」
「は、はい……!」
僕はできる限り、事実を詳細に話す。
カインのこと、魔剣のこと、僕のこと、騎士のこと。
そして、もう一振りの魔剣の狙いも。
レーヴァティンから聞いた話も、僕自身が経験した話も、包み隠さず。
話し終わるころには、周りの空気は先ほどよりも重々しいものに変わっていた。
威圧とは程遠く、暗い、そんな空気だった。
「にわかには信じられないが……」
「彼の言っていることは事実です。私も何度か魔剣と入れ替わっている姿を見ています」
「ふむ……ならば、いまここで変わってもらえるか?」
「レーヴァティンと入れ替わるということですか?」
「うむ」
(だそうだけど、大丈夫?)
『面倒だが、仕方があるまい。それに俺自身もこの国王に興味がある』
(わかった、それじゃあ……)
僕は意識を集中させて、レーヴァティンの手を取った。
――― ―――
「ふぅ……入れ替わったぞ」
その一声に驚いたのか、周りの人間がざわつく。
「うるさいな、国王の前だぞ。少しは黙れないのか」
プライドだけは一人前の奴らは、少し苛立ったように俺をにらむ。
ふん、そんなことはどうでもいい。
ただ、これで静かになった。
「それで、お前が現国王か?」
「うむ、そうだ。魔王の剣よ」
「なるほど、一通りの話は聞いているというわけか」
「我が王家には、魔剣のおぬしが知らぬ話も伝わっているぞ」
「ほう……」
面白いことを言う。
「それで、俺に何の用事だ? 呼び出した以上は、何かあるのだろう?」
「ならば問おう。おぬしはなぜ、ダーインスレイブを止めようとしている」
なるほど、魔剣である俺には関係ないのに……ということか。
「それがお前に関係あるのか?」
「信頼できぬ奴を、野放しにしておくわけにはいかぬからな」
「ふん。俺はただ、奴との決着を付けたいだけだ」
「前回……なるほど、”あの時”か」
「お前はそもそも生まれていないだろう」
「確かに伝え聞いている話ではある。ならば、今はその話を信じるとしよう」
「ならば、もういいか?」
「うむ」
本当に、面倒だ。
(終わったぞ、さっさと変われ。聞きたいことがあれば、後で聞く)
『わ、わかったよ』
あとで主からの質問攻めが待っていることだけがうんざりだ。
――― ―――
「ふぅ……」
「おぬし、名は?」
「アストラルです」
周りの視線が痛い。
レーヴァティン……これ全部僕に返ってきてるんだけど
「おぬしはこれから、その友人を止めに旅を続けるのだな?」
「はい、僕にできるかどうかは……わからないですけど」
「旅の無事を祈っているぞ」
「あり」
ありがとうございます、そう言おうとした時だった。
「少し待っていただきたい」
「どうしたのだ?」
国王に一番近い場所に座っていた、甲冑姿の男性が声を出した。
「私はこの男が、ふさわしいとは思いませぬ」
「どういうことじゃ?」
「王国の未来がかかっているというのに、どこぞの学生に任せるというのはいささか、問題かと」
「おぬしに案があるのか?」
「明日、試験をしてもらいましょう。それで私が資格なしと判断すれば、騎士内で適合者を探します」
『なるほど、考えたな』
「え、ちょ、ど、どういうことですか?」
「明日になればわかる。明日の試練を待っていろ」
はいとも言う暇もなく、それで話は終わった。
僕は明日、試練を受けなければならないのか……?
――― ―――
国王との謁見を終えると、僕らは王宮内にある貴賓室に案内された。
どうやら、ここが僕らが寝泊まりする部屋らしい。
「それでは私たちは扉の前にいますので、何かあればお申し付けください」
多分騎士だろう、二人がそう言い残すと、扉は静かにしまった。
(ようは、僕が逃げないようにするための監視ってわけ)
実際、信頼されていないのは確かだ。
無理もない。
(でも、試練って……一体、何をするんだろう)
『さあな、それはわからない。だが、試練を受けるのは俺ではなく、お前だ』
(僕!?)
『さしずめ、一騎打ちといったところだろう。騎士団長相手では並大抵の人間では太刀打ちできないであろうが』
(騎士団長相手に一騎打ち!? 無理だよ! そんなの、できっこない!!)
『ええい、黙らないか! まだ予想の段階であろう!!』
(ごめん……)
『だが、俺が憑依できる間なら、問題ないだろうが……もしも俺が憑依できなかったとき、お前はどうするのだ?』
(どういうこと?)
『お前ひとりで戦えるのか、ということだ』
(僕が!? いや、無理だよ! まともに訓練したことないし……!)
『ならば鍛錬するだけだろう』
(無理だって! 僕、体動かすの苦手なんだよ!!)
『ごたごたぬかすな! やらねば死ぬだけだ! すこしは自覚しろ!!』
死ぬ。
その単語は、どこか自分とは無縁に思えてしまった。
『俺が憑依できる間なら、たしかに魔物相手に手こずりはしない。だが、お前自身の場合、ただの人であっても勝てぬだろう』
反論できない。
実際、僕は喧嘩が強い方でははないと思うから。
『何らかの理由があって、一人で戦わざるを得なくなったとき、お前は戦えるのか? 自らの命を守るために、相手の命を奪うことができるのか?』
(……)
実際、どうだろう。
僕は……魔物を倒せるのだろうか。
……できないと思う。
『甘ったれたことを言う前に、現実を見ろ。無理だ、できないといっているうちに、お前は本当にできなくなってしまっているのだからな』
レーヴァティンの言葉が、頭の中で響く。
実体を持たない、魔剣の姿。
剣ではなく、人の形をした彼は、どんな経験をしてきたのだろう。
どうすれば、覚悟は決まるのだろう。
魔剣は何も答えてはくれなかった。
――― ―――
「来たか」
早朝の騎士院の前。
日が昇ってから、そんなに時間はたっていないため、騎士院には人がいる気配はなかった。
「さて、それでは試練を始めよう。……私と戦ってもらうぞ、アストラル」
「やっぱり、そうなるんですか……!」
僕は魔剣に手を伸ばす。
「おっと、君自身が戦うのだぞ。魔剣の力に頼らずに」
「っ!?」
レーヴァティンに言われて、ある程度の予想はしていた。
だけど、本当に僕自身が彼と戦うなんて……!
「でも僕は文官志望の学生です。騎士団長とまともに戦って、勝てるとは……!」
「私に勝てない程度で、これから先の旅が務まるのか?」
「でも……!」
できるわけがない。
僕じゃ……この人には勝てない……!!
「始めさせてもらうぞ、レーヴァティンに入れ替わらなければ、魔剣は使用してもよい」
「くっ!」
『覚悟を決めろ』
「わかってるよ! でも……!!」
剣をもって戦うのは初めてなんだ!!
レーヴァティンを鞘から抜く。
その動作でさえ手間取り、構えた切っ先はがたがたと揺れていた。
「いくぞ!」
たんと、跳躍する騎士団長。
「う、うわあっ!?」
振り下ろされた斬撃を横に転がるようにして、避ける。
「よい勘をしている。だが!」
「なっ!?」
振り下ろされていたはずの斬撃は、起き上がった僕の顔めがけて走ってくる。
「がはっ!」
ぎりぎりのところで、剣で防ぐことはできたが、体勢が整っていなかったため、僕は地面にたたきつけられた。
「まだ二回しか攻撃していないのだが」
強い。
その二文字はすぐに浮かんだ。
「攻撃してこなければ、終わらないぞ!」
振り下ろされる斬撃を、かろうじて剣で防ぐ。
(このままじゃ……じり貧だ!!)
そう思っているのに、体は思うように動かない。
それどころか、彼に睨まれるだけで、体がすくんでしまう。
『何をしている! 戦わないか!!』
「だって! 戦えるわけないじゃないか!!」
「魔剣と会話をしている余裕はあるのだな」
「ぐっ!」
胸に走る痛み。
それが蹴られたことによる痛みだと知覚するのに、少し時間がかかった。
その衝撃で、僕は地面を転がる。
「がはっ……!」
胸が痛い。
だめだ。
怖い。
出来ない。
無理だよ。
頭の中を恐怖が埋め尽くしていく。
「やはり……この程度か」
気がつくと、騎士団長は僕の真横に立っていた。
「もう終わりだ」
「お、おやめください!」
セレナの悲鳴が聞こえる。
だけど、騎士団長はそんな言葉を聞くつもりはないようだった。
顔はとても無表情で、目はとても冷たかった。
「はぁッ!!」
「うわああああああああああああ!!」
振り下ろされる剣。
どこかゆっくりに見える剣は、どんどん僕に近づいてくる。
『……』
――― ―――
キンと響く金属音。
それは肉を断ち切った音とは程遠い。
「なるほど、お前が出てくるか」
目の前の男はそういうと少し笑みを浮かべる。
「さすがにやり過ぎだ」
「主の危機に出てくる魔剣……か。なるほどな」
「お前の目的はわかっている。主の適性と俺が主の危機にどう対応するかを知るためだろう」
「そこまでわかっていて、出てこなかったのか」
「ふん」
あの場で俺が出てこなければ、この男は本気で主を殺していただろう。
そうでもしなければ、俺が出てこないと確信していたのかもしれない。
「それで、こいつをどうするんだ? 気絶しているが……」
「騎士としての適性は皆無だ。むしろ、戦いそのものに向いていない」
「だろうな」
これまでの旅の中で、主が戦いに向いていると思った瞬間はない。
「だが、私の攻撃を何度か避けていたり、防いだりしているところを見ると、魔剣であるお前の影響があるのかもしれないな」
「それは俺の影響ではない」
「なに?」
「主には特殊な防御魔法がかけられている。主の膨大な魔力と相まって、俺ですら拒絶するほどの強い魔法が。きっと、それだろう」
「なるほど、無意識下での回避行動か。だが、それはお前の戦いを見ている中で成長していくだろう」
「どうだかな。主がそこまで積極的とは思えない」
「私も同感だ。アストラルが起きるまで、貴賓室で休んでいるといい」
そういうと男は去っていく。
その背中を見送ると、女騎士が駆け寄ってきた。
「大丈夫か!」
「ああ、奴も手加減していたのだろう」
「だが、アレックス騎士団長と一騎打ちをして立っているなんて……さすがだな」
「主のままだったら、死んでいただろうな。やつの最後の一撃だけは殺気がこもっていた」
「そうか……」
女騎士はすこし目を伏せる。
何を考えているか、大体察しはついたが、まぁいい。
「さあ、主が気絶している間に貴賓室へと向かおう。そこの魔女も連れて……ん?」
遠くで見ている魔女がガタガタと震えている。
「どうしたのだ?」
「ひぃっ!?」
俺の顔を見るなり、しりもちをつく。
それでも、俺から距離を取ろうとじりじり下がっていく。
だが、柱にぶつかり、これ以上下がれないと察すると、顔がさらに恐怖でひきつった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
何かに憑りつかれたように、「ごめんなさい」と繰り返し連呼する彼女。
そんな姿は、これまでの記憶からは想像しがたかった。
「私が彼女を連れていこう。貴賓室までの道はわかるか?」
「ああ」
女騎士に魔女を託すと、俺は貴賓室へと向かう。
(まさか……な。考えすぎか)
思い浮かんだ考えを振り払い、ただ長い廊下を歩く。
このもやし……主が目覚めるまで、まだ時間がかかりそうだった。
――― ―――
「うっ……!」
『ようやくお目覚めか』
「ここは……?」
『貴賓室だ。無様に気絶したからな』
「そうだ……! 試練は!?」
『さあな、何も言っていなかったが……』
「そっか……」
僕は起き上がろうとすると、体中に痛みが走った。
筋肉痛のような痛みが、すこし体を動かすだけでも生じる。
「っぅ……!」
『もやしが』
「も、もやしじゃない!」
『まぁ、骨が折れているわけでもないようだ。少し休めば大丈夫だろう。』
「……」
ベッドで横になっているうちは、痛みはない。
豪華絢爛な天井が、ただただ見えているだけだ。
試練の間、彼が見せた戦いの顔。
これから先、僕は……あんな人と戦えるのだろうか。
試練だから、彼は僕を殺さなかった。
なら、試練じゃなければ僕は死んでいたのか。
それに……僕はこれから先、あんな顔を向けなければならないのだろうか。
出来ることならしたくない。
できると思っていないし、無理だと思ってる。
だけど、やらなければ……いけないんだ。
「僕がやらなきゃ、誰がやるんだ……!」
カインを止める。
それを僕がやらなければならない。
やるんだ。
僕が……!
改めて決意する。
カイン……待っていてくれ。
必ず、僕が助けるから!!