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陽はまた昇る  作者: 月見陽
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アリスの願い



 俺達の作戦は単純そのものだ。まずはモニカがソフィアの人形から魔法力を抽出し、それを使って巨大なプール状の入物を作りだす。そうしたら、中にティナの転移の魔法陣をいくつか描き、同数の魔法陣を外側に描く。そうすれば降り注ぐ雨と魔法陣から送られる雨で相当な水がプール内に確保出来る。最後にその場所に水神機を転移の魔法陣でもって突っ込み、俺の魔法で凍らせる。停止した水神機からアリスを救出すれば終了だ。

 そんな簡単に事は運ぶものなのか、と問われると厳しいが今はこれしか方法が無い。

 降り注ぐ雨は変わらずに激しいが、水神機を止めなければこの絶望は降り続けてしまうのだ。それに、長老だって……。


「まずは長老を探そう。きっと手を貸してくれる」


 そのソフィアの一言をきっかけに、今は長老を探している。あの時の顔は確かに死を決意した顔だった。逃げることを考えていない目、とでも言うのだろうか。なぜか守ってもらえそうな気がして、けれど同時にこの人にはもう会えないんだろうな、という予感が頭を駆けて行った。

 傘の一つでも差したい気分だ。そんなことを呟いていた気がする。冬の雨というのは嫌でも冷たく、そして容赦なく体力を奪って行く。火の魔法で多少は緩和させてはいるが、それでもゆるゆると削られて行くのが分かる。

 そのため長老を探し出すリミットはティナが魔法陣を描き終えるまで、と定めていた。

 完成したよ。そんなモニカからのテレパシーがあの日のブレスレットを通して俺に届く。今頃は皆のところにも届いていることだろう。シェルターを出て一番にこれを皆で取ってきたのだ。多少のタイムロスにはなってしまったが、離れていながら連絡を取る手段として、魔力供給が途絶えた今では非常に役に立つアイテムだからである。

 それに俺達の声はアリスにも、ブレスレットを通して届いているはずなのだ。彼女は装置稼働のためにバッテリーとして睡眠状態にさせられているが、何らかの形で目を覚ましてくれるかもしれない。そんな淡い期待もある。

 出来ればもう一度会話をしたい。アリスの声を聞きたいんだ。

 あの時、彼女の声は完全に悲しみと絶望に彩られていた。長老からの話で、命令強制が発動していると嫌でも体が勝手に動いてしまう、という事実を再確認した上で、既にアリスの体は勝手に動かされていたのだと知ってしまっている。だから、ごめんなさいの意味も、逃げて下さいの意味も全てが分かってしまっている。

 俺が守るよ。俺達が君を守るよ。だから安心して。そう伝えたい。

 まるで今のこの光景は彼女の心みたいだ。空は灰色で、悲しみ暮れた雨は冷たい。止むことのない雨。留まることのない涙。

 傘を差したいだなんて、俺は何言ってんだろうな。

 呟きは白に染まり、霞みがかる世界へ混ざって行く。辺りを満たす雨のニオイ。鼻腔をくすぐる雲のニオイ。白の世界が今を支配し始めようとしている。



「ソフィアだ。長老と合流した。皆渡した転移の魔法陣の紙とインストールペーパーをその場で握りしめて魔法陣を地面に描いてくれ。後は、それに乗ればこちらに転移される」


「分かった」


 良かった。長老はまだ無事だった。そう思うと心の中が温かな何かで満たされて行くのを感じた。

 俺は言われたとおりに右側のポケットから、渡された二枚の紙を取り出そうと手を突っ込む。濡れて冷たくなった手は、その中ですらとても温かな何かに触っているように思えて、少しだけ気分が緩んだ気がした。

 だからこそ、俺はそれに気付かなかったんだと思う。

 雨は体力と注意力を削り、二つの安堵は油断と気の緩みを招いていた。どうしてあの時水神機は空にいたのか。どうして遠くで足音が聞こえていたはずなのにあの場所に来ていたのか。どうして、あの人数とは言え一回の転移の魔法でロカルノさんが疲れきってしまっていたのか。そんな疑問すら忘れてしまうくらいに。


 ――水神機にはジェットパック呼ばれる飛翔機能が付いていてな。


 ソフィアの声が頭に響くと同時に、それは俺の目の前に現れたのだった。

 水色のフォルム。確かな重圧を放っている二対のHMG。肩部のロケット砲。腰に付けられたブレード。

 普通の機体なら弾切れが存在する。だがこいつにはそんなもの存在しない。この雨を止めなければ、あれは永久に死を打ち続ける。

 衝撃弾は左肩にあるロケット砲から放たれているのだということが分かった。なぜなら俺は今、轟音とともに宙を舞っているからだ。そして少し前にその部分が光っているのを見たからだ。

 強烈なスピードで放たれた水弾は地面にぶつかり飛散する。その際の衝撃。下から上に向かう力と、円状に飛び行くエネルギー。発射時にかかる強烈な力と負荷は眩しいまでの光を放ち、轟音を召喚する。

 俺達の作戦は一人でも欠けてしまえば完成しない。

 宙を舞いながらそんなことを思った。あの時は長老がいたから助かった。あの時は転移の魔法を使えるロカルノさんがいたから助かった。けれど、今は二人はここにいない。転移の魔法陣は対の陣を描かなければ発動しない。

 恐怖に襲われる。それは自分の死が迫っているから、というよりもむしろ、作戦の失敗を思ってのそれが大きかった。


 対象を無効化してしまえば後は最小限の攻撃を以て破壊するだけだ。どうだ、無効化する力、つまり衝撃弾の芸術性というものを君は理解できたかい?

 左肩から地面に滑り込み、鈍い痛みに顔をしかめた。受け身を取りそこなったのだ。だから俺はすぐに立ち上がれないでいた。

 相変わらず脳の反応は遅く、やばいという気すら感じられない。半ば反射のみで動いているようなもの。そう言えば虫は死が確実になると神経を切断してしまうんだよな。なんてどうでも良いことが頭をかすめた。まさに俺の脳だ。そして、今こんな状況でそんなことを考えるなんてまさしく……。


「……あれ?」


 しかし、俺を襲うはずの凶弾は飛んでくることはなかった。見上げた先には水神機。両方のHMGは俺に向けて構えられていて、今すぐにでも大量の死を放ちそうな勢いだ。が、それは雨を浴びているだけで、動くことすらなかった。


「プラハ君……」


 ブレスレットに魔法反応。脳に響くアリスの声。そうだ、これは彼女からのテレパシー。


「逃げてはくれてなかったんですね」


 少し甘味を帯びた声が悲しそうにねじ曲がった。それはまるで、寝起き前に悲しい夢を見ていた子供のよう。ぼやけた声と悲しい色が混ざり合う。


「出来ればすぐに逃げて欲しいです。私は今、たまたま目を覚ませてコントロールしていますけど……すごく、眠いんです」


「出ることはできないのか?」


 ソフィアの声が頭に響いた。そうか、この会話は今度は皆に全て伝わっているんだ。


「できません。水神機のハッチはこれが止まっている時にしか開きません」


「そうか。分かった。なら僕らが水神機を凍結させるから、そしたら出て」


 くれば良いんだな、そう続くはずだっただろうソフィアの言葉はアリスの悲観とも諦めとも取れる声によって遮られていた。それは出来ないんです。その一言に。


「タンクを凍結させられるってことは中の水分を凍らせられるってことですよね。そうすると、私も凍ります」


 どうしてだ、という疑問に返って来た答えはこういうものだった。だから俺は言ってやる。俺の魔法は有機体には効果が無いんだ、と。

 そう、だからアリスは助かるのだ。


「皆さんご存知ですか? 水神機の内部は水で満たされているんです。勿論、私が今いるこの場所も。乗り込む人間は特殊な機械によって生存することはできますが、凍結させられると全てが凍ってしまうんです」


 そのアリスの言葉に俺は、いやこの話を聞いている全員が息を呑んでいた。なんだって。そんな言葉が自然と口から漏れて行く。

 それじゃあ、俺達がやろうとしているこの作戦は……。


「ど、どうにかできないんですか?」


 ティナの悲痛な声が聞こえてきた。水神機を止めるにはこの方法しかない。けれど、これで止めてしまうと、中のアリスは氷の中に閉じ込められてしまうことになる。それだけではない。液体は固体化すると質量が増えるのだ。中の水分は膨張し、閉じ込めているアリスを確実に圧迫する。だから、どう足掻いても待っているのはアリスの……。


「皆さんはこの会話をブレスレットから聞いているんですよね?」


 そんなアリスの、もしかしたら笑顔でそう言っているんじゃないかというくらいに綺麗な声が届いてきて、俺達はそうだ、と答えていた。


「初めに言います。私アリステラは昨日記憶を取り戻しました」


「え?」


「ですが、それが命令強制の発動条件になっていたみたいです」


 皆さんは長老さんから話を伺っているはずですのでお分かりかとは思いますが、そう付け加えて悲しそうな声でアリスは笑った。笑えますよね、と。全然笑えない。こんな性質の悪い冗談なんてない。

 雨が、まるで俺達を嘲笑うかのように、少しだけ弱くなった気がした。


「でも、そうじゃなくても私は犯罪者ですから」


 そうして彼女の口から語り始められた一つの真実。

エネルギー作成所事故に巻き込まれたこと。それが不幸の始まりであったこと。知らない富豪に助けられて、気付いたら奴隷の首輪をつけられていたこと。死亡者リストの中に自分の名を見つけたこと。しかし、情報をリークすることを命令で禁止させられていたこと。それだけでなくその屋敷から出ることすら禁止されていたこと。命令強制のため逆らえなかったこと。自分の他にも同じような奴隷がいたこと。辛かった日々のこと。そして、D-17に乗せられて襲撃をさせられたこと。


「ご主人様は言っていました。この国を水神機を使って滅ぼし、支配下に治めるのだ、と」


 廃棄したはずの水神機を隠し持っていたがそれが原因不明の暴走を起こし国は滅亡。生き残った人々を助けるという名目でこの国に入り込み、死亡者扱いにして奴隷を増やす。復興という名目でこの国に寄生し、支配下に治める。これがあの方の計画なんです。そう、彼女は苦しげに言った。


「私は多分、他の同じ奴隷だった方々と同様に最終的には殺されるのでしょう。命令強制も死体になってしまえば発見はできませんから」


 どう足掻いても私は助かりません。そうアリスは言った。


「でも、だからこそ、記憶を失っていた時の私は幸せでした。全ての束縛から解放されていましたし、何よりも皆さんといる時間が……とても……とて、っく」


 楽しかったんです。絞り出すようにして放たれたその言葉は、俺の心を締め付けるようだった。……なんてやろうだ。いつの間にか俺は拳を作り、それを震わせている。寒いからでも、恐怖からでもない。初めて感じる心からの怒りだ。こんなにも純粋なアリスを弄んでいる、道具として使っているその主が憎い。どうしてお前なんかに、彼女の幸福を奪う権利があるんだ。そう叫びたい気持ちでいっぱいだった。


「だから、もう私に悔いはありません! 暗かった今までに少しの間でしたけど光があったんです」


 絶叫混じりの声が、鼓膜を震わせた。まるでテレパシーではなく、水神機の中から全てが聞こえてくるように思えてしまう。


「あのお祭りは、途中で邪魔が入ってしまいましたけど、人生で最高の二日間でした。あの時見た炎の柱は、今でも私の中で輝いています」


 私は幸せでした。ぽつりと、落ちるように聞こえたその言葉。形を持たないものだけれど、それは確かに綺麗で、温かで、優しくて、何よりも純粋だった。


「だから、水神機を止めて下さい」


 それは願い。彼女の告白の後にあった、真なる願い。罪を滅ぼすためでも、未来を見据えて自棄になったのでもない。彼女は今、心からそう願っているのだ。


「私のことは気にせずに」


「でもそれは!」


 気付いたら、俺はそう叫んでいた。頭の中で念じるだけで届くテレパシー。しかし、俺は今、きちんと言葉にして伝えたいと思ったのだ。目の前の、機械の中にいる彼女に向けて。


「プラハ君。あなたは祭の時、私に言ってくれましたよね」


「何を」


「ヒーローになるのが夢なんだって」


 そうだ。ヒーローだ。それが俺の願い。だから、悪人から全てを助け出すことが、俺の……。


「私がこの世界に飛ばされてきた時、私を抱きとめてくれたのはプラハ君です」


「ああ」


 あの時は、とにかく驚いて、そして必死で走って掴んでいた。まさかその彼女が、今こうして目の前にいるだなんてこと、全く想像できなかったわけだけど。


「確かに、あの瞬間のプラハ君はヒーローでしたよ」


「なっ」


「だってそうじゃないですか。悪人の命令で悪いことして逃げてきた私をしっかりと抱きとめてくれたじゃないですか。そして、その後に救ってくれたじゃないですか」


「救うって」


「あの輪の中に入ることができたのは、プラハ君が私を掴んでくれたからです。確かに、私を救ってくれていたんですよ?」


 口の中いっぱいに錆びた鉄の味がした。下唇を噛みすぎてしまったのだ。そして、仄かなしょっぱさが加わって、チクリとその場所が沁みた。


「だからプラハ君。もう一度ヒーローになって下さい。水神機を止めて、この国を救って下さい」


 言われると思っていた言葉。アリスなら言うんじゃないかと思っていた言葉。けれど、それがいざ現実のものとなると、それは、とても叶えたいと思えるものではなかった。確かに、国は救えるかもしれない。けれど、アリスを救うことはできない。本当に助けたい人は救えないのだ。


「お願いです。なんだか私、もう眠いんです。だからお願いです。うん、と言って下さい……」


 雨は降り続ける。容赦なく俺を濡らして行く。そして気付けば、いつの間にか俺の心の中にまで入り込んできていて、我が物顔で濡らしつづけている。

 痛くて重い。心に溜まる雨は涙色。潰れてしまいそうな重圧と、破裂してしまいそうな質量に襲われる。けれど、ズタズタにされたところから、留まることなく漏れて行き、皮肉にも壊れてしまうことだけは無かった。


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