ヒーロー
翌日は雨が降った。窓から見える空は灰色。白の線が無数に走り、大地を濡らし続けている。土砂降り、とまではいかないけれど、外出を億劫にさせるには十分な強さで雨は降っていた。
外気は冷たい。冬の寒さが隅々まで行き渡り、温める存在は雲の向こう。服でも濡らそうものならば、たちまち中身まで冷え切ってしまうことだろう。
そんな日は布団にくるまっているに限る。
俺はそう思い、ぬくもりの残るベッドに再び潜り込んだ。
暖かい。毛布様は今日も俺を優しく包み込んでくれる。この感触がたまらない。そしてなによりも幸せなのである。やはりこんな日はこうしているに限るのだ。
やめられない二度寝の誘惑。何の障害も無い今の俺は簡単に打ち負け、どろりとした甘美な世界に溶け込んでいくのだった。
小さい頃、ヒーローに助けられたことがある。
俺がまだ両親と共にこの家で暮らしていた頃のことで、ソフィアやティナとは知り合う前のことだった。
その頃はモニカとばかり遊んでいて、揃ってやんちゃだった俺達はよく悪さをしたり問題を起こしたりしていた。
二人してしょっちゅう怒られては泣いていたのを思い出すのだけれど、それ以上に笑っていたし楽しんでもいた。
何をやっても全てが新鮮だったし、新たな発見の連続だった。俺達はそんな毎日に満足をしていたけれど、同時にもっと大きな何かを期待してもいた。
ある時、俺達は国を囲う山に冒険をしに行ったことがある。あれらの山はこの国を閉鎖的にさせている要因の一つなわけだが、当時の俺達はそんなことを知る由もなく、向こう側には何があるのか、だとか、もしかしたら雲を掴みにいけるかもしれない、だとかそういうことばかりを考えていた。
行く直接のきっかけになったのは、ある雨上がりの昼間に見た虹が山から出ていたからだったと思う。俺達で虹を掴みに行こう。そんでもって虹に乗っかってみよう。そんな話をしたことを覚えている。
まあ、小さい頃にはよくある話だ。けれど、実践してしまおうとする辺りが俺達だったのだ。
山までは、ようやく乗れた自転車で、とても長い時間をかけて行った。どうしてそこまで出来たのかは未だに謎であるが、確かに俺達は山に辿り着いていたのだ。今ですら、自転車で行けば相当な時間がかかるだろう。当時の俺達は半日近く使っていたかもしれない。
山に着いてモニカが言ったことは一つだ。手分けして探そう。力強く頷いたあの時の光景は今でも鮮明に思い出せる。うっかりすると夢にまで見てしまう程だ。それくらい、あの時のことは強烈だったのだ。
モニカが登って行った獣道は幽霊が出るから危険、と言われていた山に繋がっている森だった。俺が登ることになったのは魔物が住み着いているから危険だ、と言われていた山だった。
あの頃の俺達に怖いものなんて無かったのかもしれない。実際、モニカは幽霊を見つけたら飼うわよ、と息巻いていたことを覚えている。俺の方も、魔物くらい俺様の鉄拳で、とかなんとか言っていたような気がする。
まあ、話の展開はお約束そのもので、俺は見事に魔獣と呼ばれる存在に遭遇してしまったわけである。
確か、クーリファウスという、姿は巨大なネズミそのもので、二足歩行をして簡単な魔法が使える魔獣だったはずである。魔法管という器官を取り除いてしまえば、ペットとしても需要はあるのだが、俺が出会ったそいつは野生であり、ついでに言うと子育てシーズンだったこともあり凶暴になっていたのである。しかも、集団。
とにかく俺はそいつらに襲われた。
そんな俺を助けてくれたのがヒーローだったわけである。
自分のことをヒーローだ、と言っていた間抜けなヒーロー。けれど当時の俺からしてみれば、憧れるには十分すぎる程の存在だったのだ。
ヒーローは強かった。使う魔法は基礎のものなのだが、とにかく威力が凄かったのだ。それに、体も相当鍛えられていたみたいで、魔法無しの格闘でも十分な強さを持っていた。あっという間に10匹はいたはずの魔獣が逃げて行き、俺は助かったのだ。
その後、しばらくヒーローに叱られて、俺は山を降ったのだった。
幽霊に逃げられた、と言って悔しがっていたモニカと合流した頃には、もう辺りは暗くなり始めていて、どうしようかと途方に暮れていた俺達の前に現れたのが、俺とモニカの父親だった。
俺がヒーローに憧れ、それを目指すようになったのはその日からだ。そしてそれは未だに俺の夢であり続けている。
正確には、目標。
俺はヒーローのように、そう、あの日俺を助けてくれた父親のように強い人間になるという目標。そして、誰かを守っていける存在になりたいという目標。
それは今も昔も変わらない。
コンコンという音がして俺は目を覚ました。誰かが俺の家の窓を叩いている。いつもの面子ならば勝手に上がり込んでくるのが当たり前になっているからあいつらではないことは確かである。
誰だろう。
そう思って俺は毛布をはぎ取った。そして窓を開け放つ。
「少し良いだろうか」
そこにいたのはロカルノと呼ばれていたあの青年だった。




