機械の国のアリス2
「待て待て待て」
一斉に視線を浴びたソフィアが懸命に手を振りながら誤解を解消せんと努めている。
「僕はこの人形に、と言いたかったのだ」
現在ソフィアには、名も知れぬ少女を空に打ち上げた疑惑がかかっている。証拠も何もあったもんじゃないが、奴ならやりかねない。既にどうでも良い解説を聞かせるために、わざわざ手の込んだ魔法具を作ってきた、という前科がある。
奴の言うオチは俺の予想通りのものだったわけだが、現実もその通りになっていれば良かったのに、と思わざるを得ない。
そう、俺の手の中にはまだ少女がいるのだ。って言うか、俺はこの子を抱いたままフリーズしてしまっているわけで。動くに動けない。
俺の後ろではいまだにソフィアがモニカに責められているし、ティナは混乱状態だ。誰もこっちを見ちゃいない。俺の足が、何か紐みたいなものに絡まっている、ということにも気づいてもらえていない。
事件はそっちじゃなくてこっちで起きているんだ。だから、誰か早く助けにきてくれ。
腕の中の少女は、気を失っているのか目を閉じたまま。見慣れない服や装飾品を身につけていて、どこか貴族のような雰囲気を醸し出している。ただ、血色はあまりよくない。灯りに晒された彼女の顔は、愛らしい一方でとても大きな問題を抱えているようにも思えた。
うん、愛らしい。そのあどけなさはティナに近いものを感じる。ついつい頭を撫でてしまいそうになる。その静かくもれる吐息に心をくすぐられる。
「とりあえず、僕は良いからあっちで欲情しているロリコンをどうにかすべきだ!」
そんな叫びが聞こえたのと、俺が見入っていた少女の瞳が開いたのは、殆ど同じタイミングだった。淡い青色をした両目と、こちらの視線がぴたりと合う。今更ながら、その距離の近さに驚いて、思わず少女を押しやってしまうところだった。そのくせ俺は、目を離せずにいる。
「あの……」
そんな中、少女は困惑混じりに呟いた。
「えっと……私は誰ですか?」
俺は思わず呆然とした。万物全てが時を凍らされたような世界で、同じく俺も固まってしまう。少女は未だに疑問顔。俺はさぞかし間抜けた顔をしていることだろう。
記憶喪失。そんな四文字が俺の頭を高速で駆け抜けていった。
「え、ちょっと、プラハ。どういうこと?」
いつの間にか背後に来ていたらしいモニカに質問される。だが、俺はそれに対する回答なんて持っていない。
「まぁ、待つんだ、姫」
固まる俺とモニカの間にソフィアが割り込んできた。
「えーと、君はもしかして記憶が無いのかな?」
「……みたいです。名前すら」
「ふむ、それはまずいかもしれないな」
いつになく真剣な奴の顔が見える。こいつならもしかしたらこの問題を解決してくれるんじゃないか、というような期待感が湧き上がってくるから不思議だ。こういう場面だからなのか、妙な安心感がそこにある。
「うーん、君の名前はアリステラ。だからニックネームはアリスだ」
「アリス……?」
「うむ。そう首輪に書いてある」
「首輪?」
そう言われて気付いたのか彼女は自分の首を擦った。俺もそれに倣って視線を向ける。なるほど、確かに彼女の首には銀色の首輪が付けられており、そこに何か刻まれているような気がしないでもない。余程近くで見なければ、文字が書いてあることすら分からないんじゃないか、という程にそれは小さかった。
「なんだ、プラハは気付いていなかったのかい?」
やれやれと言った表情をして肩をすくめている。お前の視力がおかしいんだ、と言い返そうとしたが、気付いていなかったのは事実なので何も言い返せない俺がいる。
「ふふふ、どうせ君のことだ。このかわいい顔に見とれて首には目がいっていなかったのだろう」
……図星だった。
確かに俺はこの少女に見とれていた。ついでに言うならば、基本的に顔しか見ていなかった気がする。
「まぁ、それは男だから仕方のないことさ。それよりも、いつまで君達は抱き合っているんだい?」
「え?」
ふと視線を落とすと、そこには少女――アリスの顔がそこにあった。そして、いまだに彼女の重みもやわらかさも体温も、全てが自分の中にあるのだという事実を再認識した。
「いや、これは足に何かが」
ソフィアはもう何も言わなかった。その代わりに、モニカが今度は前面に出てきている。ものすごく何か言いたそうな顔をして。微妙な殺気を纏いながら。気のせいだったら良いな、と思わずにはいられない。
「あの……」
不意にアリスが口を開いた。
「なんだか、安心します」
今までは行き場を失っていた彼女の両手が、俺の胸元に伸びてきた。そして、キュッと服を遠慮がちに掴んでくる。
ドキリ、と胸が揺れた。
「もしかして、記憶を失う前って、私達……付き合っていましたか?」
アリスの両目はどこまでも澄んでいて、そのまま吸い込まれそうになる。思わず俺は頷きかけた。危なく理性というリミッターが外れてしまうところだった。
「って、後ろの人が言っているんですけど」
「……は?」
「えっと、なんでしょう、この頭に響くような声は。え、神様?」
あの野郎、アリスに向けてテレパシーの魔法を使いやがった。数秒前の胸の高鳴りをどうしてくれる、と詰め寄らずにはいられない。
だいぶ怒りを覚えて振り返ると、しかしソフィアは既にモニカによってモザイク処理が必要な状態にされていた。
「この馬鹿ソフィア!」
しかも攻撃はまだまだ続いている。上空に現れているコンボ数もそろそろ三桁の大台に届きそうだった。
「み、見ちゃだめだ。それとさっきのは忘れた方が良いよ。あれは神様じゃないから」
俺は咄嗟にアリスの両目を手で塞ぐ。あれを見せてはいけない。音は届いてしまうかもしれないけれど、実物を見せてしまうよりかはずっと良いはずだ。
「わかりました」
手の内側で、彼女がそっと目を閉じたのが分かった。
「でも、なんだかほっとするのは本当なんです」
手のひらをまつ毛が擦るから、少しくすぐったい。
「もう少し、このままで」
俺の中で、アリスは震えていた。それはなんだか、迷子のようだった。




