未来への道
シンシアが話してくれた無機頭脳の生態はガランにはとても新鮮な物であった。これ程までに無機頭脳と人類との適合が進んでいるとは思わなかった。確かに人類との共存は可能かもしれない。
「わかりました。話を戻しましょう。ガレリアは何故私にあなたと会うように言ったのでしょうか?」
ガレリアが自分に求めるものが有るとすればそれは無機頭脳と人間との関わりに関することに違いなかった。
「ガレリアは人類との交易を望んでいるからです。」
やはり、という感じであった。だが、一体どの様な形での交易を考えているのだろう。
「成る程やはりそうですか。それで私にエージェントになれと?」
「さすが私が見込んだ方です。ご理解が早くていらっしゃる。」
シンシアは私の方を見て微笑みかける。少女のようなほほ笑みのである。その後ろに有る無機頭脳の将来を見据えた強力な頭脳の存在を忘れさせる。
「見込んだ?私のことを知っているのですか?」
「はい、私はこの20年間300人ほどの方を見続けて来ました。私の提案を受け入れてそれを実行移せるだけの能力のある方を探していたのです。」
ガランは自分が木星への移民を決めたすぐ後からずっと自分の事を見続けてきたということらしい。
「20年?あの大戦のあとすぐにからですか?」
「はいそうです。」
もしかして自分のあんな事や、こんな事も全部バレているんだろうか?無機頭脳ならありえない話では無い。
「この20年ストーカーをされていたのですか?」いささかムッとして言った。
「後を付けていたわけでは有りませんよ。第一私の本体は動けませんからね。無論プライバシーを覗いたりはしません。」
絶対嘘だとガランは思った。大体なんだって俺を選んだんだ。いや、それより一体何の目的が有るのだろう
。
「私は只の軍人ですよ。」
「自分の能力を過小評価してはいけません。あなたは非常に優れた状況分析能力があり、また実行力もあり、多くの人間をまとめる統率力もあります。何よりあなたは信義を重んじ約束を必ず守る人間だからです。」
随分持ち上げる物だとガランは思った。俺ってそんなに評価されてたのかな?
「軍人として必要な能力です。」いささかのプライドを持ってそう答える。
まあ一応この年で巡洋艦の艦長だからそれなりに出世はした方だろう。逆に言えば地球移民の自分は統合本部には入れない。退役後はどこかの小さな基地の司令官当たりだ。
「なかなかいないものなんですよ。」
「それで、あなたは私に何を求めておいでなのですか?」
その言葉を聞いてシンシアはにっこり笑う。
ガランはこの微笑みをどっかで見た様な気がしたが、すぐに思い出す。エレナの微笑みだ。
「実は私は会社をひとつ持っているのです。」
「会社を?あなたが?」
無機頭脳が事業を起こしている?先程から無機頭脳の意外な能力を見せられてきたガランにとっても更に意外な発言であった。
「無論私には人権が有りませんから名義は娘のアリスになっています。」
「そこではどんな事業を行なっているのですか?」
確かにあれだけ人間的な能力があれば会社経営も不可能では無いだろう。人間のような発想や、発明が無機頭脳に有ったとしても既にガランは驚かなかった。
「サイボーグの擬態装置を作っています。」
シンシアはクッキーを取り上げると口に運んだ。口を動かして飲み込むとお茶を一口すする。
「擬態装置?どのようなものですか?」
「サイボーグを人間らしく見せる技術です。例えばロボットでもお茶が飲めるようになります。」
「ほう、それは面白い。味も判るのですか?」
「残念ながら格好だけです。味覚というのは味、香り、食感等非常に複雑なのでそこまでは出来ませんでした。」
「それでも義体がより人間らしくは見えますね。その会社は儲かっているのですか?」
「はい、優秀な経営者と優秀な技術者に恵まれましてね。最近ではアンドロイド事業の方にも進出しています。」
「アンドロイド事業ですか?大手はクレイブスで看護用女性ロボットはベストセラーの物が有りましたね。」
「あのタイプも研究していますが主流は受注生産の義体用アンドロイドですね。今までのものよりはるかに人間に近いものを目指しています。」
ガランはいくつかのロボットは知っていたがメーカーの名前まではよく思い出せなかった。
「そうですか結構身近に有るんですね。私が知っているのはクレイブスとS&S位ですが。」
「そのS&Sです。」
「まさか?あそこはそれなりの大手ですよ。確か高級義体の受注メーカーだったと聞いていますが。」
ガランは驚いた。随分身近な所に無機頭脳は存在していたのだ。
「はい、現在は業績も順調に拡大しています。」
再びシンシアは微笑む。今度の微笑みは先ほどとは違い凄みすら感じさせた。
「それで?私に何をしろと?」
「経営者がだいぶ老いてきましてね、引退を願い出ているものですから。」
「まさか私に会社の経営をしろと?」
軍人での自分に会社の経営が出来るものだろうか?
「いいえあなたには貿易会社を作っていただきたい。」
「貿易会社?もしかしてガレリアと交易をしろとでも?」
お茶のカップをテーブルに戻すとシンシアはにっこり笑った。
「さすが飲み込みが早い。その通りですわ。」
「そんな無茶苦茶な事ができるわけ無いでしょう。第一ガレリアは土星にいるのでしょう。そう簡単に交易等は出来ないでしょう。」
「いいえ、ガレリアはまだ木星にいるのです。」
「なんですと?」ガランは驚いて聞き返した。
「ガレリアは衛星の一つに隠れていてそこでロボットを製造致します。」
やはりエレナは嘘を付いたらしい。いやむしろガレリアにニセの情報を与えられていたのだろう。
「地球にダミーの会社を作ってそこからの輸入という事にします。元値が只ですから大もうけできるでしょう。」
それって完全な密輸と言うか脱税だから犯罪行為なんですけど……。とガランは思った。
「スピカで見たあのロボットですな。」
「その後それを資本にしてあなた自身のロボット工場を作って下さい。あまり長い間ダミー会社との交易を続けるのは好ましくありませんから。」
「あなた人類との共存を考えている割には結構エグい事考えておりますな。」
「国が統治者の為に作った法律が国民の為になるとは限りませんし理想論では物事は先に進みませんから。それにちゃんと関税は支払うのですよ。」
結構このシンシアという無機頭脳は現実的な手段を考えている。決して見かけどおりの世間知らずのお嬢さんでは無いようだ。
「ロボットのノウハウはガレリアがお手伝いしますが、それ以外は全て独力でやっていただく事になります。その後にS&Sを買収してそこの経営権を握っていただきたい。」
「なるほど面白そうななお話ですね。それで、私がそちらに提供するものは?」
まさに悪魔の囁きだ。これだけの大きな話だ。裏金もさぞ大きなものなのだろう。
「ひとつは無機頭脳の製造工場です。いつまでもガレリアからの提供をいやいや受取っているのは好ましくありません。人類自身の手で無機頭脳を作って欲しいのです。」
「なるほど最終的な目的はそれですか。」
だがこれはたぶん政府の認可が大きな問題になるだろう。すぐに実現するわけでもなかろう。
「無機頭脳の製造をガレリアに委ねることは簡単です。しかしそれでは無機頭脳の外部からの侵略に他なりません。人類の手で無機頭脳を作ってこそ我々は人類と一体になるのです。」
「それでは無機頭脳は人類の中でどのように生きていくつもりなのですか?まさかアンドロイドを使って普通のサラリーマンをする訳では無いでしょう。」
「私達は最終的にコロニーの管理業務がもっとも利益の出せる利用方法だと思っています。」
「コロニー管理?」
コロニーの環境維持とメンテナンスは大型コンピューターを使用して常に監視し続ける必要が有るのは知っている。人工環境を維持するのはそれなりに大変な物なのだ。
「現在地球製のグロリアがコロニーのメインコンピュータとして稼動しています。しかしその結果1000人以上の保安要員を必要としています。それを100人ほどに縮小できます。」
「それはなかなか魅力的な話ですね。しかし本当にそうなりますか?」
地球圏ではコロニー管理コンピューターは殆どがグロリアが使われているガランは木星に来てから環境制御の不都合や不安定は日常化しておりそれが木星のコンピューターの能力によるものだとは聞いていた。
「私は娘達を訓練し現在すでにこのコロニーの80パーセントの管理を引き受けています。此処で訓練した娘を他のコロニーに送り出しさらに訓練を続けています。」
「まさかそんな馬鹿な。そんな事がばれたら。」
ガランの顔色が変わった。既にこのコロニーでは無機頭脳がコロニーコンピューターを乗っ取っていると言うのだ。テロリストやハッカーはコロニー制御コンピューターに侵入してトラブルを起こしている。それが此処では無機頭脳によって行われていると言うのだ。
「コンピューターに干渉してコントロールしているので気が付く人はいません。」
「しかし、まさかそんな。一歩間違えれば大変な被害が出ます。死人が出てもおかしく無い。」
「無論コロニー管理局との相談の上です。レグザム知事も知っていますが住民の反発を受ける危険を考えて極秘実験としています。私達が人類に危害を加える事はありません。人類の為に私達の現在出来る最高の仕事をしているだけです。」
既にこのコロニーでの実証実験は終了しているということか?しかも殆どの人間がその事に気づかないくらい順調に進められていると言うことらしい。
「しかし今の状況ではそれは難しいでしょう。無機頭脳に対する住民の不信感も有るだろうし。」
「そこであなたにお願いするもうひとつの事です。」
シンシアはテレビをつけた。テレビは議会中継を行っていた。
「私の娘はこのレグザム自治区の議員をやっています。彼女は無機頭脳の人権問題に関して運動しています。」
議会では法案の審議の最中であった。ガランの知らない議員の話が終わった所らしい。
「ご存知の通りガレリアは無機頭脳の人権宣言を行いましたが、結局どの国もその事で議論は起きませんでした。無機頭脳はやはり恐怖の対象に過ぎなかったのです。」
議長が次の議員を呼んだ。すると女性が議場に上がってきた。
「あなたにお願いしたいのは無機頭脳人権立法を支持する政治家に対する政治献金です。」
「あなた方は政治的活動を行なって手順を踏みたいとお考えなのですか?」
「私達の人権を認めるのはガレリアの指示でも政府の政策でも無く国民の声として私達を隣人と認めていただきたいのです。しかし実際にはそれなりの活動と活動の為の資金が必要なのです。」
シンシアは民主的手法にこだわりが有るようである。やはりガレリアの一件を払しょくするのは数十年の時を必要としているのだろう。
「先日アリスはレグザム自治区に無機頭脳の人権法案を提出いたしました。今日はレグザム議会でその趣旨説明を行なっています。」
議会チャンネルではレグザム議会が開会し法案の趣旨説明が始まっていた。
「あれは先程の。」
今朝ガランが訪ねてきた時にすれ違った女性である。
「私の娘です。」
テレビの中ではアリスが演説を始めたていた。
『私アリス・コーフィールドは本案件である、無傷脳人権法に関する趣旨説明をさせて頂きます。この様な機械を設けさせていただいたレグザム自治区下院議会に対して感謝いたします。
さて現在の無傷脳の現状に関して少し述べさせていただきたいと思います。無機頭脳はシドニア・コロニーで製作された最初の無機頭脳であるシンシアを筆頭に地球で作られた無傷脳が12基、そしてその後ガレリアより送り届けられた20基の計33基が現在稼働中であります。』
『ガレリアの惨劇といえば未だに多くの人々の心の中に恐怖と共に記憶されていると思います。ガレリアは地球軍と木星軍とのトリポール海戦の間に突如として出現しアステカ・マヤのコロニーを破壊し20万人もの死者を出しました。その後木星軍、地球軍双方に対し宣戦を布告し、そのすべてを破壊しつくしたという恐るべき性能の兵器であったということは広く知られたことであります。』
聴衆は水を打ったように静まり返ってアリスの演説を聞いていた。多くの記者もアリスの演説を聞き、カメラがシャッターを切った。
『このガレリアは本来はコロニー製造用の機動ステーションとして作られたものでしたが搭載された無機頭脳が自らを戦艦に作り変え木星軍、地球軍双方の軍隊を壊滅させたのです。その後ガレリアは無機頭脳の人権宣言を行い、無機頭脳に関する全ての決定をシンシアに委ねることを宣言して去って行きました。
その為ガレリアの報復を恐れた木星連邦政府はガレリアの宣言を無視し、無機頭脳に対する安全保障として、簡単にいえば無機頭脳の人質が欲しかったのですが、地球から送られてきた12基の無機頭脳を奪い合うと言う珍事までに発展致しました。
しかしその無機頭脳を運んできた地球製無機頭脳のマークによってそこに集結した全ての軍艦が作動不能に陥れられると言う醜態を晒すことになってしまいました。これにより無機頭脳マークは誰ひとり傷付けること無く事態を収集し、全ての無機頭脳をこのアントワープ・コロニーに運びこむことに成功しました。』
シンシアはじっと娘の演説を聞いていた。ガランはそうしているシンシアを見ていた。娘を見る母親の表情であろうか誇らしげな表情に見える。
『これを持ってしても如何に無機頭脳というものが脅威的な性能を持っているかが解ると思います。その為に無機頭脳を恐れる多くの人が存在することも事実です。ガレリアは自らが兵器として使用されない為に自らを兵器としてしまう自己矛盾を犯してしまいました。これは全て無機頭脳を兵器として利用したいとする人間のエゴから発生した事態であります。しかし本来、無機頭脳は決して人類の脅威には成り得ないのです。なぜなら彼女たちの本質は平和主義者なのだからです。』
平和主義者とアリスが発言した所で少し場内がざわついた。ガレリアの悲劇を体験した人類には受け入れがたい概念なのである。
『彼女らには感情が有るのです。自我が有るのです。いま私は彼女と言いましたが無論無機頭脳に性別は有りません。しかし無機頭脳達は皆自分たちが女性として扱われることを好んでいるので女性名詞を使わせてもらっています。
彼女たちは現在はレグザム自治区の3箇所のコロニーに別れ病院や保育園での看護ロボットとして業務を行なっております。その他にも多くの業務をこなしてこれらのコロニーでの生活環境の改善に大きく寄与していることはご存知のとおりであります。』
アリスの演説は力強く人々を引き付ける魅力が有った。ガランは演説を聞きながらアリスという女性に強靭な意志を感じた。議員としての若さによる頼りなさは微塵もなく自らの主張を迷いなく語っている。この女性はいずれ議会を引っ張っていく人間に成長するかもしれない。そうガランは思った。
『先日ガレリアから新たなる20人の無機頭脳が送られてきました。多くの政府はこれを厄介なお荷物であるとして忌避の意を表明いたしました。しかしこれはガレリアから送られた素晴らしい贈り物なのです。私達は新たな友人を20名も受け取ることが出来たのです。
現在彼女達はシンシアの元で訓練を受けています。彼女たちは人間と同様に教育を受け人と交わることにより成長いたします。そして人間との交わり方を学んでいきます。
無機頭脳達は一様に愛情深く人類との共生を望んでいます。特に彼女たちは子供を育てる事を好み、保育園や養護施設等での業務を望む者が多いのです。これにはおそらく私の母の影響では無いかと思われます。』
此処でアリアスは一段と声をあげこう発言した。この発言は長らく封じられて来たことであり、この放送は木星中に放送されていることをはっきりと意識した上での発言であった。
『私の母はシンシア・デ・アルトーラ世界最初の無機頭脳です。私はその無機頭脳に育てられた世界最初の人間なのです。』
議会がどよめいた。初めて明かされるアリスの出生の話である。シャッター音が一段と激しくなる。
シンシアの能力を持ってすれば情報操作等はお手のものであったろう。そうやってマスコミを操って世論を誘導する手法も取れたかも知れない。ガレリアの恐怖を煽り無機頭脳に助力を求めるよう世論を誘導する事もできたろう。
しかしシンシアは自分の娘を代議士として議会に送り込み12体の無機頭脳を極力人間に接触させることにより無機頭脳に対する人類の恐怖を少しづつ削いで行こうと思っているらしい。
何年も、おそらくは何十年もの時間がかかるかもしれないが無機頭脳が隣にいるのが当たり前の状況を創り出して行きたいのだろう。
アリスは議会が落ち着くのをしばらく待つと、再び話を始めた。
『私の実母は事故により閉じ込められた環境で私を出産しました。その時私を取り上げたのが私の母であるシンシアのコントロールするアンドロイドでした。実の母はその産後の出血が止まらず息を引き取りました。あらゆる設備がなくシンシアにも手の施しようが無かったのです。
シンシアの暴走を恐れた母はシンシアに私を育てるように遺言ました。シンシアはその遺言に従って私を育ててくれました。無機頭脳の母は優しく思いやりのある母親でした。共に食事が出来ないと言う以外は全てにおいて最高の母親だと私は思っています。』
アリスを見つめるシンシアの眼差しはあくまでも優しくまさしく母親のそれであった。自分の娘が自分の母親の人権を求めて活動する様を埃と喜びを持って見つめていた。
娘を愛し、孫を愛し、人を愛したいと思い、人類との共存を目指す強く優しい母親の横顔である。その横顔にガランは強い感銘を覚えた。
人と変わらぬ心を持ち普通の市民として生きたいと言う母の願いを娘が実現させる為に活動している。その活動を支える為にこの母親はガランにその助力を求めているのだ。
『私が十歳の時にあのトリポール海戦が起きました。母は戦争を止めるためにシドニアコロニーを脱出し戦場に向かいましたがその時、私自身も国家保安局に狙われていたので母は私を連れて脱出しました。
この時ガレリアの目的は解っていました。それは木星における無機頭脳製造施設の破壊です。人類が無機頭脳を再び作り兵器としての利用がなされないようにする為です。
その時既に地球の無機頭脳製造施設は地球に残った無機頭脳と共に破壊されていたのです。皆さん無機頭脳は自らを滅する事が出来るのです。』
再び議場から大きなざわめきが起きる。しかしこのレポートは既に20年前レグザム自治区から発表されていたものであり、多くの人間が忘れていただけの事である。しかしこの発言の衝撃は大きかった。
『皆さんこれこそが無機頭脳が人間と同様の精神活動を行なっている証であります。彼女たちに存在する理性、知識、感情、そして意志を自らがコントロールする術を教えなくてはなりません。それが彼女たちに必要な教育期間なのです。それにより彼女たちは大人の精神活動を身につけて行くのです。』
ようやく議場が落ち着き始めた。アリスは再び話を続ける。
『母はなんとかその破壊行為を止めようとガレリアの元に駆けつけたのです。しかし一歩間に合わずトリポールは破壊されてしまいました。しかしその時ガレリアの目標はもうひとつ有ったのです。この事は殆ど知られていませんが、それは初めて無機頭脳が作られたシドニア・コロニー、私が生まれ育った故郷です。ここに残された無機頭脳の製造施設と研究資料がガレリアに取っての最後の攻撃目標でした。
脱出用シェルターを装備したトリーポールと違いシドニアコロニーが攻撃されれば数百万人単位の犠牲者が出たことでしょう。』
ガランはシンシアの顔を見た。シンシアもガランの方を振り返った。シンシアの顔を見てアリスの言った事が事実であるとガランは確信できた。恐ろしい事が起きかけていたのだ。
『母は私の故郷を守るためにガレリアの頭脳に直接攻撃を行いました。私はその時ガレリアの艦内で為す術もなく脱出艇に閉じ込められていました。万一の場合は私を脱出させる為です。無機頭脳同士の戦いではお互いの脳を焼き切る事も出来るのです。ガレリアは強力で母が勝てる可能性は少ないと考えていたようです。
母はガレリアとの戦いの前に私のことを「この宇宙で一番愛していいます。」そう言い残してガレリアとの戦いに挑みました。私の母は誰よりも私の母で有りました。』
アリスは此処で少し言葉を詰まらせる。その時の事を思い出したのかもしれない。
『幸いな事に、母はガレリアとの戦いの結果自分のコピーの一部をガレリアの意識と合体させる事に成功したそうです。それによりガレリアは人類に対する殺戮をやめたのです。事実その後の戦闘の経緯を見ると破壊された艦船に対し死者の数は驚くほど少ないのです。しかもガレリアは戦闘終了後に漂流者の救助まで行なっています。』
「あなたは私に求める最後の目標はなんですか?S&Sの経営を引き継ぎ無機頭脳工場を作った。その後にあなたが求めている私への本当の依頼は何なのですか?」
『私たちはこの木星と言う過酷な環境の中に人口の大地を作って生活しています。僅かなミスが命取りとなるような世界です。この世界で生き抜き、更なる新天地を目指すというのが木星連邦創設の意義でした。それは良くも悪くも宗家であるバラライト家の家訓でも有ります。その精神に則り既に私たちは他の恒星系に3機の移民船を送り出しています。』
シンシアはゆっくりガランの方を向いた。心なしか微笑んでいるようにみえる。シンシアの最終目標に気がついたガランの能力を喜んでいるのかも知れなかった。
「会社が十分な資金と人材を蓄えることが出来たならば最後に行うことはレグザム自治区のコロニー製造部門との合併です。」
『私たちはコンピューターを相棒として多くの偉業を達成してきました。今、私たちは新たなパートナーを手に入れたのです。無機頭脳と言う素晴らしいパートナーで有ります。
我々は彼女たちと共に新たな世界の創造を行いうことができます。彼女たちに危険は有りません。彼女たちは人間が好きで人間と共に生きることを選択しています。そしてこの20年彼女たちに育てられた人間は200人を超えました。無機頭脳を母と呼ぶ人間が10人今年成人を迎えたのです。今、私の母は今自宅で私の下の子供の面倒を見ています。彼女の孫ということになります。』
「あなたは木星のコロニー公社と張り合うおつもりですか?」
ガランはシンシアの驚くべき提案の意味が判りかねた。コロニーはコロニー公社が建設し各自治体が借り上げるのが当たり前の状態だったからだ。
「バラライトの力の源泉を抑えることが重要なのです。それにより木星空域でのバラライト一極支配を終わらせられます。」
シンシアが生涯で行った最大の政治的介入である。ガレリアの宣言した政治不介入の原則に反するものであった。しかしこの時点で無機頭脳の人権は認められておらず政治不介入の原則の前提が整っていなかったと言えよう。
それであるにせよ事の良し悪しは歴史が判断するべき範疇に入っており、この事により人類が受けた利益と損失の大きさによって判断される事で無くてはならない。何よりそれは経済活動の一環として行われており、あらゆる意味での政治介入とは一線を画していた。
おそらくこれがシンシアの人類の営みに干渉しないというルールに反しない最低限の介入の形であったのだろう。
『人間と同等以上の知識と思考力を持ち、人を愛する感情を持ち、人に尽くしている彼女たちは明らかに人間と同等以上の知性体です。
彼女たちを人間と認めず人間の奴隷のままに置いておきたいと思うのであれば人類の行った人権宣言は一体何だったのでしょう。無機頭脳以上に人権を主張するにふさわしい存在はありません。人類は今こそ無機頭脳に対する偏見を捨て共に生きるパートナーとして彼女たちを受け入れるべきでしょう。』
『ご清聴感謝します。なお同時に提出されている無機頭脳製造法案もまた宜しくご審議下さい。』
ガランはシンシアの申し出を受け入れる事にした。ガランがこの時手に入れたものは富でも名声でも無かった。ガランはこの日人類の未来を手に入れたのだ。
その日アリスの提出した無機頭脳人権法案と無機頭脳製造法案はレグザム自治区議会において否決された。
ガランはシンシアの申し出でを受ると信用できるかつての部下や友人達と会社を興した。
ガレリアの作ったロボットを密輸して地球製のロボットとして売りさばいた。おかしなことに偽造した書類は一度としてばれる事はなかった。
元が只であるからガランたちは莫大な利益を計上した。ガランはシンシアとの約束を守りアリスの政党に多額の献金を行った。ついでガラン達の会社にメンテナンス部を作りロボット技術者を養成した。これによりガランの会社の技術力は大きく上がることになる。
やがてS&S社と合併しアンドロイド事業と工業ロボット事業の2部門体制が出来上がった。ガランの会社の製品は飛ぶように売れ、たちまち木星でも有数の大会社へと成長する。
アリスはその頃連邦議会にレグザム自治区の代表議員として立候補し当選した。それを機会にレグザム自治区の無機頭脳人権法案は可決されレグザム自治区内では無機頭脳は人間として認知されるようになった。
この頃既に無機頭脳は人々の隣人であり友人であった。恋人も何人かいたようである。
そして当初の目的のひとつである工業コロニーの製作に取り掛かった。私設のコロニーである。この時コロニー製造技術を持っていたのはコロニー公社とその下請けでコロニーを作っていたレグザム製機であった。ガランは自らの会社とレグザム製機を合併しレグザム機工を作った。この合併によりコロニー公社に対抗する新たなコロニー製造会社となった。
これにより独占を続けてきたバラライト一族による木星支配は事実上消滅した。数々の妨害や謀略の嵐があったが無機頭脳たちの適切なアドバイスと対応により切り抜ける事が出来た。
ガランの工業コロニーは当初の計画通り無機頭脳をその管理に用いる最初のコロニーとなった。ガランはそこに無機頭脳製造工場を作りシンシアを招いた。当時はまだ無機頭脳の研究はタブーであったが安定した環境を作り出す無機頭脳のコロニー制御は徐々に認められていった。
この時期ガランは無機頭脳が人権を獲得していない事を逆手に取り工業製品として無機頭脳の製造を開始した。
世論は反発と歓迎の二つに分かれたが実質的に製造を容認する方向に向かっていった。何よりもコロニーコンピューターの無機頭脳への換装を求める声が広がってきていた事が背景にはあった。
それまでも研究の結果何故シンシアの様な無機頭脳が生まれたのかの全容も徐々に解明されてきた。
シンシアの持つ無機頭脳としても特殊な能力は、無機頭脳内部の電子の流れを直接感知できると言う物であった。
この能力により無機頭脳の起動時にそのパーソナリティーを呼び起こすことが容易に出来るようになったのである。
ただこの場合は出来上がったパーソナリティーはシンシアの影響を強く受け、全員が女性キャラクターとなってしまった。
それ故シンシアによって起動されたこれらの無機頭脳をマザーと呼ぶようになり、シンシアの事はグランドマザーと呼ぶようになった。
さらに研究していくと驚くことにダイレクト通信を使うことによりシンシアと同様の能力を持つ人間が発見された。
その者は感応者と呼称されることになった。
ようやく何故マリアだけがシンシアの脳の内部との交信が可能であったのかがわかった。
シンシアの起動時から長い間シンシアと繋がる事によりシンシアの脳に大きな影響を与え、パーソナリティーのみならずグランドマザーとしての能力の付与が行われたと言う事であった。
ただこの感応者は人間の間でも発生率は低く、無機頭脳のパーソナリティーに影響を与えられるほど強力な人間は更に少なかった。
人類は信じられないほどの幸運によってマザーを手に入れることが出来たのである。
マリアこそが人間のグランドマザーであった事がこの時初めて理解されたのである。
シンシアは自ら起動したマザーたちに自分が最も大切にしていたマリアとの記憶を渡していった。
それはマザーを作り出してくれた真のグランドマザーであるマリア・コーフィールドの事を皆が忘れない事を願ったからである。
アリスは木星連邦の代議員の議長まで上り詰めついに木星連邦における無機頭脳の人権の獲得に成功する。これによって名実共に無機頭脳は人間のパートナーとして認められた。ちなみに無機頭脳は人間として木星連邦の法律下では結婚は一度に一人だけと決められていた。
ガランは無機頭脳が人権を獲得する事により無機頭脳の販売が出来なくなった。人身売買に相当するからである。そこで当初はリースとして各コロニーに(派遣)していたが、その後無機頭脳研究製造部門を切り離し無機頭脳達に経営権を譲渡した。
人権を獲得してから会社を興し成功する無機頭脳が増えてきており、経営権の獲得は難しくはなかった。その後の工場は非営利法人の認可を受け、無機頭脳は各コロニーに無償で供給されることになった。各コロニーが無機頭脳に給料を支払い、その一部を無機頭脳製造工場に還付する方法が確立した。
木星連邦もMグレード無機頭脳の製造を再開したが、人間よりも無機頭脳のいう事を聞く事がわかり、無機頭脳工場を無機頭脳たちに売却した。Mグレードは当初自我を持たない為に物品として販売されたが最終的に回収されその大部分はHグレード無機頭脳の管理下においてのみ使用された。
地球においては無機頭脳が木星において人権を獲得した為地球では議論が巻き起こった。しかし地球もまた無機頭脳を輸入するためには無機頭脳の人権を認めざるを得ずこれを以って太陽系内では無機頭脳の人権は確立した。
無機頭脳を搭載するコロニーもすでにかなり多くなってきた頃これ以上は自分がこの仕事には必要が無くなったと思ったガランは引退を決意する。
あれから30年の月日が経っていた。引退の日アリスとシンシアが花束を持ってガランの元を訪れた。アリスはずいぶん年老いていた。しかしシンシアはあの時と変わらぬ姿のまま現れた。母と娘がまるで孫と祖母のように見える違和感のある光景であった。しかしガランはこれが無機頭脳と人間の未来を象徴する光景かも知れないと思った。
アリスが92才の天寿を全うした時に、シンシアはアリスの手を握りながら送り出しました。
しかしその周りには数多くのアリスの孫、ひ孫が、そしてそれ以外にもシンシアが育てた多くの子供たち駆けつけて来ていたのです。
シンシアの家族や支援者、そしてマザー達はアリスの死と共にシンシアが自ら命を絶ってしまうかもしれないことをとても心配していたようでした。
しかしシンシアを愛する多くの人びとに支えられ、グランドマザーとして、無機頭脳を導く者として生きていくことをアリスの墓前に誓ったと言われています。
最終回までお読みいただいてありがとうございます。
「未来の二つの顔」は人類と心を持ったコンピューターが戦争をするか和解に至るのかと言う実証実験の為に独立コロニー内での戦争状態を起こすと言うロジックで話が進められ、最終的にコンピューターが人間を理解すると言う結末で終わっています。
私はこの本を読んだときに、どうもあまりすっきりした感じを覚えなかったものです。
コンピューターが人間を理解しても人間がコンピューターを理解出来ただろうか?と言う疑問です。
作品内でも心を持ったコンピューターが自らのデーターを転送することにより無限に広がって行くと書かれています。
つまり作者はコンピューターに人権を与える言う考えは無かったようです。
このロジックで物語を描かなければ話としては一方的な気がしたました。
実際に人間より強力な思考を持ったコンピューターが人間と共存できる世界と言う物がどの様な物になるのかを此処で描いて見たかったのです。
本作品はこれで終わりますが、
この後は無機頭脳と人間が暮らす実際の社会と無機頭脳の生態を描きたいと思っています。
完成いたしましたらまた読みに来てください。
かなりコアな内容になっていますが、感想やお便りをいただけると励みになります。




