48.娘の結婚 その参
「わしはずっと、ずぅっと桂の傍にいるぞ」
桂の両手を己の両手で包み込み、真剣な顔で告げた海に彼女は小さく笑う。
「知っている。おまえは私が嫌だと言っても、放しはしないのだろう?」
「……そうだ。桂の命が尽きるまで傍にいる」
少し淋しげに笑う顔の中で、愛おしさを映した翠玉の瞳が桂だけを見つめていた。それが妙にくすぐったい気持ちを巻き起こす。
「こんな場所でそんな風なことを言われると、まるで誓いのようだな」
そう呟き、照れくさくなった桂は眼を伏せた。
その言葉に同意するように、海とは別の方向から同意が返る。
「ええ、本当にね。――虫除けになれとも、壁になれとも言ったのは私だけど、口説いて良いとは一言も言ってないわ。あなた達、別の意味で目立っているわよ、まったく」
声のした方を向けば、腰に手を当てた遼が仁王立ちしていた。その隣では彼女の夫である流が目頭にハンカチを当て、腫れた瞼から覗く赤くなった瞳から滂沱の如く涙を流している。
対照的な二人の様子に、桂と海は顔を見合わせた。
「ああ、もう。あなたもいい加減に泣き止みなさい。嫁ぎ先はご近所よ。会おうと思えば毎日だって会えるでしょうが。そんなんじゃ、藍の晴れ姿が見えないわよ。それでも良いの?」
どうやら藍が嫁ぐことが原因で涙に暮れているらしい。
大泣きする中年男を叱りつける若妻の構図、とでも言えばいいのか。視覚的にも微妙な光景に、桂が苦笑いする。海を見れば、彼もまた微妙な顔をしていた。
「桂。どうしてこんな隅に座っているの。親族席は一番前よ。あなたはあの子の母親なんだから、堂々としていればいいの。一緒に来なさい」
先程まで気になっていた視線は、もう些細なものとしか感じられなくなっていた。流の手を引く遼の後を、桂と海が続く。
「桂はここ。女たらしは……まあ、いいわ。桂の隣にいなさい」
しっかりと繋がれた桂と海の手を見て、遼は息を吐き出す。
「あなたはここね。で、私がその隣、と。どうしたの、桂?」
通路の反対側の席を見て、首を傾げている桂に気づいた遼が不思議そうに問い掛ける。
「あちらが新郎の親族席になるのだろう? 挨拶に行こうかと思ったんだが――」
それにしては、取り合わせが妙なのだ。そこにいたのは細身の、ライと同年代にも見える男とその妻だろう、これまた細身の女人だけだった。どちらも、どこをどう見ても厳ついライとは似ても似つかない。というか、彼らはどちらも人間ではない。人間に擬態した人外の者だ。
「ああ、聞いていなかったの。ライのご両親は亡くなっているのよ」
なんでもないことのように告げられたその内容は、桂も本人から聞いたので知っている。だから、余計に彼らが誰なのか分からなかったのだ。年代的にも種族的にも、彼らとライに血縁関係があるとは思えない。
「あの方達は、彼が師事していた鍛冶と細工の師匠夫婦。彼にとっては親も同然なのよ。ちなみに鍛冶師が奥さんで、細工師が旦那さん」
なんともあべこべな職業に桂が驚いている隣で、海もまた妙な顔をしていた。なんというか、こんな所で遭遇するとは思っていなかった、といったような。
「……知り合いか?」
桂が問い掛ければ、海が苦笑した。
「まあ、少し」
曖昧な返答を不思議に思いつつも、桂は席を立つ。彼らの正体も分かったことだし、親同然の存在だというのなら、やはり挨拶をしておくべきだろうと思ったのだ。
繋がれたままの手と立ち上がらない海に、桂は彼を見る。迷っている様子の彼に、気が乗らないなら付いて来ないでいいから手を放せ、と彼女は告げるつもりで口を開きかけたのだが、その前に彼が立ち上がった。
「いいのか?」
問う桂に、海が肩を竦めてみせる。
「まあ、この場なら惨事にはならんだろう」
物騒な台詞を吐いて、桂の手を引き二人に近づく。その言葉に、彼に手を引かれるままに歩く桂の顔が引きつり、いまだ泣き止まない夫の世話をしていた遼の手が止まった。
桂が待てと止める前に彼らの前にたどり着き、顔を上げた二人の視線の前にさらされる。
「久しぶりだな」
「………」
飄々とした態度を崩すことなく声を掛ける、海の顔を見た夫妻が対照的な表情になる。夫は懐かしい旧友を迎える笑顔になり、妻は般若の形相になった。
「どの面ぁ~下げて、私達の前に現れたかぁ~」
怨念のこもったような低い声が、妻の口から吐き出される。その手に、いつの間にか握られていたのは――金槌だった。けれど、海に向けられた凶器が振り下ろされることはなかった。
立ち上がった妻を素早く後ろから抱き締め、彼女の動きを拘束した夫は、変わらず笑顔だ。
「ほんと久しぶりだな。おまえのせいでうっかり投獄されかけた時以来だから……およそ二十年ぶりか。元気そうだな。ま、おまえが元気でないわけないか」
アハハと笑う夫の腕の中には、いまだに般若の形相をした妻の姿があるのだけれど、しっかり抑え込まれているらしく彼女は歯軋りしている。
「放しなさい、昴。この男は抹殺した方が世のためよ!」
二人に対し、いったい何をやってきたのか。夫が告げた言葉が事実なら、妻の反応の方が普通に思える。投獄されかけたことを過去の出来事と、笑って流せる夫の反応の方がすごい。
妻の言葉に、思わず桂は頷きかけた。海が現し世からいなくなれば、多少は世の中も静かになりそうだ。
桂がそんなことを考えている間にも、夫改め昴は妻の言葉をたしなめていた。だが、その言葉は明後日の方を向いている。
「そんなことを言うものではないよ。おまえが手を下さずとも、いつかこいつは誰かに刺される。無駄に手を汚すものでもないさ」
事実かもしれないが、それを本人を前にして悪気なく笑顔で告げる昴は、なかなかに良い性格をしているようだ。
昴の忠告に妻の動きがピタリと止まった。
「それもそうね」
あっさりと納得した妻は金槌をどこかへと仕舞う。それを確認した後、昴は彼女の身体を解放した。
「おまえ、何をやったんだ?」
「まあ、ちょっとした出来心だ」
桂が小さい声で問い掛ければ、海が気まずそうに言葉を濁したのだった。




