聖女僧侶 書籍発売記念SS
オルビド村は地図に載っていない村だ。いや、正確には“存在しない村“である。
国にとって生きていると都合の悪い人間を送る場所。存在を消された人々の暮らす僻地。他所へ移ることは絶対に許されない。新しい人間が入ってくることはここ数十年なかった。
そんな村へ一人の僧侶がやってくることになったらしい。村長のオルロはその話を聞いた時には歓喜したが、村の教会が出来あがる様を眺めているうちに段々とその相手に同情し始めた。
(このような村に教会を建てて暮らすなら、僧侶さまもまた……存在を消される人間なのだろう)
尊いはずの僧侶が何故このような処遇となったのか、それはこの村で生まれ育ったオルロには計り知れない。外の情報など殆ど入ってもこないのだから当然だ。
だが村としてはありがたい。僧侶がいれば病や怪我に怯える必要がなくなる。去年は病が流行り、少なくはない村人が死んでしまった。若者や子供を優先して薬を飲ませ、何人かを見捨てることとなってしまった。オルロの妻と息子の嫁だって、まだ小さな孫娘を助けるために薬を彼女に与えて息を引き取っている。……あんな思いは二度としたくない。
薬を作れる僧侶さえいてくれれば、月に一度しか薬を買うことのできないこの村でなければ、助かったはずの命なのだ。
(僧侶さまはきっと落ち込んでこられるだろう。我らができるのは感謝を伝え、もてなすことくらいしかないが……)
そう考えて迎えた僧侶の少年は、驚くほど穏やかな顔で馬車から降りてきた。柔らかな顔立ちに濃い髪色をした、それはたいそうな美少年である。若い娘たちは色めき立ち、そうでない村人も一目見て心を奪われただろう。そんな彼らの歓声を浴びて驚いてはいたが、その表情に陰りは一つも見当たらなかった。
しかもその僧侶――マコトは神に愛されているとしか思えない不思議な少年だった。彼の作った薬は今まで見たことも聞いたこともないような強力な効果を発揮し、彼の育てる薬草畑はありえない速度で成長する。危険な魔獣の討伐に赴いた村人たちが無事に帰って来られたのは次々と奇跡が起きたからで、それはマコトに神の加護があるおかげではないかと噂になった。
誰もがマコトという僧侶がこの村の住人となってくれたことに感謝をしている。だからこそ、彼からは一線を引き、絶対に深く踏み込んではならない。彼がこの村に送られた理由や、王都に呼ばれる理由を考えてはならない。
「ねぇ、おじいちゃん。僧侶さまは女の子だよね?」
ルルはオルロの孫であり、幼くして母親を亡くした後も周囲を思い遣って明るく笑うような敏い子供だ。そんな彼女はマコトから文字を習い、直接顔を合わせる機会が多い。だからこそ、何かに気づいてしまったのだろう。
「いいや、僧侶となれるのは男だけだからね。僧侶さまは男の方なのだよ。何があっても、何を見ても、何を知っても……あのお方は立派な僧侶さまなんだ。ルル、分かるかい?」
「……うん!」
聡明な孫娘はじっとオルロを見つめ、やがてにこりと笑って頷いた。
ルルだけではない。本当はもう気付いている者も何人かいる。そんな村人から相談を受ける度にオルロは同じ答えを返していた。
「あのお方は、何があってもこの村の恩人である僧侶さまだ。わたしたちは絶対に、あのお方を裏切ってはならない。わたしたちはただ……あのお方に頼るばかりではなく、支えられるところは支えよう」
夜中に城へと出発するマコトとリオネルをオルロは窓から見てしまった。だからマコトが連れている不思議な白馬が何であるか、気づいても気づかぬフリをする。見たことは誰にも言わないし、見ていないことにしている。
ここは存在しないはずの村で、オルロはそこに住む存在しないはずの人間だ。そんな人間が何かを見たところで、何の影響があるだろう。居ない人間なのだから、見たも見ていないも同じだ。
(僧侶さま、あなたがこの村を、安息の地と思えるように、わたしたちは決して一線を踏み越えません。……たとえあなたがこの先に子を成そうとも、それは神のもたらした奇跡として受け入れましょう)
ただ、存在しない人間が願っても良いのなら。優しい僧侶が穏やかに暮らす場所を提供できたらいいと、そう思う。
村人たちの真の認識はどうなっているのかという感想を頂いたことがあるので、オルロの視点で書いてみました。実は色々気づいていて、気づかないふりをしています。
本日5/19は書籍の発売日です。お手に取っていただけたら嬉しいです!




