◆尊厳
ウォラガ・ヴァールを購入した俺たちは、次の日に野宿などに必要な装備一式を購入した。ランプやフードつきの外套、食料は王城で支給されていることが決まっているから買う必要は無かったが、鍋も買ったから結構な重さになった。
その後、しばらくこの街をリーアと一緒に観光したり、この世界の風習や習慣などを教わった。
文化の差異は俺のいた世界のヨーロッパと大差ない。ただ、宗教は日本の浸透に近く、人によって信じる神が違うようだ。農民には農民の信じるべき豊穣を司る露出狂な女神、商人は商売繁盛の神様、そして戦士は勝利を与えてくれる神様を信仰している。
文明レベルはざっと16世紀くらいだろうか?ある程度建築も発達しており、街路もしっかりと石畳で整備されていた。
暦も俺達の世界と同じで、一日24時間で一年は365日という物だった。
はっきり言ってこの世界は俺の知っている世界と大差ない。魔法が露骨にある以外は。
†
そして王様との約束の日。リーアと大輔は迎えに来た軽装歩兵に随伴された馬車に乗って、王城へ向かった。
「うわ……こんな立派な馬車に乗るなんて初めて……ダイスケは?」
かたかたと石畳に馬蹄と車輪の音が小気味のよいリズムを刻む車内でリーアは頬を膨らましながら大輔に言った。
「俺は馬車自体始めて」
「もしかして、ダイスケって田舎もの?」
「ちげぇよ。都会過ぎて馬車なんて無かったんだ」
大輔の言葉に訝しそうな表情をリーアは浮かべた。
確かにこれは初めての馬車だ。背もたれはフカフカしていて座り心地は良く、外装や内装も高級感あふれる金細工がされていて俺みたいな子供が乗って良いのもじゃない……しかも、車内に酒瓶もある。この馬車って俺の世界で言うダックスフンドみたいな『リムジン』的な存在だろ。
というかこの世界は初めてで満ちている。魔法や俺が今、スキー板みたいに持っているウォラガ・ヴァールを始めとする剣……俺がいた世界では絶対に見たり触ったりできる物なんかじゃない。
馬車に揺られること15分。
王城のゲートを潜り、多くの馬車が停めてある駐車場のような空間に到着した大輔とリーアは馬車に随伴していた兵士よりも立派な甲冑を装備した、いわゆる近衛兵達の先導されて王が待つ『ユークトの間』へ大輔たちは向かう。
「ユークトの間って何すか?」
大輔は先頭を歩く隊長らしき人物に問うた。
「はっ、ここ武官宮の一室であります。騎士王ユークトの名を借りた広間で、功績を立てた兵士の叙勲などに使われたりします」
「そうなんですか……」
大理石の柱と戦で功績を挙げた騎士たちの彫刻。それらが醸し出す荘厳な雰囲気が廊下を行く一行を冷たく包み込んだ。
「この扉の向こうがユークトの間であります。ここから先はダイスケ殿とリーア殿のみとなっております故、小官らはこれにて」
近衛兵達はそう言って二人を残して元来た道を辿った。
「じゃあ行くわよ」
リーアは重々しい造りのドアに手を優しく乗せたが押すようなそぶりを見せなかった。かわりに魔力を手から放出する……柔らかい光が出るや否や重々しい音を立て扉は開いた。
「よく来た、魔術師リーアと勇者ダイスケ」
奥行き50メートルはあるユークトの間の奥部に鎮座する玉座に王は腰を下ろしていた。その後ろにアリアとジェザルトが控えている。とりあえず二人は奥に進んで、玉座につながる階段の下で膝を折って一礼した。
「おもてを上げよ」
王がそう言うと二人は顔を上げた。
「勇者ダイスケよ、調子はいかがかね?」
「まぁまぁです」
「さようか。ならば主らを呼んだのは他でもない。勅書の受け取りと勇者に相応しき甲冑を授けるためじゃ。まずは魔術師リーアよ、前へ」
「はい」
リーアは王に名を呼ばれ、階段を上り彼の前に膝まづく。そして彼はアリアから紙が載せられている銀の盆を受け取りリーアの前に差し出す。
「これが勅書と小切手じゃ。主の銀行の口座にきちんと報酬は入れておいた」
「ははっありがたき幸せ」
小切手と銀行か……経済基盤がきちんとできてる国なんだな……すごい。
「そして勇者ダイスケよ、貴殿には『勇者の鎧』を用意した。是非ともこれに着替えてもらいたい」
王が手を叩くのを合図に典型的なメイド姿をした侍女達が台車やら簡易式のカーテンらしき布を持ってこの間に現れた。
「おい、彼に鎧をきさせよ」
「仰せのままに、こちらへ」
「あ、はい」
てきぱきと組み立てられた着衣所に大輔は連れて行かれた。一抹の不安とともに。カーテンで仕切られた向こうは何人も見ることは出来ない。という事はここで鎧に着替えさせられるって事だ……それぐらいは解る。鎧は手を借りないと装着するのは難しいもんな。
でも……
「ちょっ!!」
女の人に服を脱がされて、あまつさえパンツ以外丸裸にされるのは予想は出来ないだろ!?
「そこはさわんないで!!」
侍女たちは4人がかりで慣れた手つきで俺に鎧を身に着けさせた……所要時間は5分くらい。だけど、この5分は人生最大の恥ずかしさを感じた5分だった。
「姿を見せよ」
「はい」
装備の着用は終え、侍女達がいそいそと撤収作業をしている姿を尻目に鎧姿の大輔は出てきて王前へ。大輔の鎧を見た王は口元を少し歪ませて
「ほぉ……これまた見事よな」
大輔の鎧は軽装とも呼べる出で立ちだった。真紅を貴重に金細工を施された板金鎧に篭手と脛当て、そして下に着る服は黒い吸汗性に優れたウィンザリオ綿で作られたTシャツだった。
「この鎧の仕立ての題は伝承と貧血じゃ。勇者の身にまとう赤き衣を思わす胴、貧血たる貴殿の足かせとならぬように素材をミスリルと鋼の合金を使ったのじゃ」
そこまで考慮してくれてたのか……嬉しいな。確かにこの鎧は軽いな。剣道の防具に似た構造だから間接も動かしやすい、それに兜がないから視界の確保も出来る。装甲の硬さは解らないけど、俺はこの鎧が気に入った。
「ありがとうございます。王様」
「うむ。そして、その背負っている長剣も見事ぞ。銘は?」
「ウォラガ・ヴァールです」
「ほほう。春呼びの剣か……まさに冬を終わらす貴殿の旅路に相応しき銘よな」
――――――冬を終わらす旅路?
王が言葉を発した直後だった。侍女たちも去ったユークトの間に5人以外の誰かの声が冷たく空気を振るわせた。
刹那、ユークトの間に吹雪が吹き荒れた。
「なっ、なんだ!?」
吹き飛ばされそうになるも大輔の瞳は吹雪の向こうに人影を捉えた。
「転移魔術……!?」
「そんなはずは無いです!!ここは無数に結界を張っています」
「だとすると……まさか!!」
ジェザルトは王の前に立ち、腰に携えている剣を抜かんとする。
「ま、魔女殿か!!」
「気付いたか?たわけ共」
吹雪が止むと、ユークトの間の中央に見知らぬ白衣を身に纏い、水晶で出来た杖を右手に持った女性が現れた。
美しい。白銀の雪を思わせる長髪に整ったシャープな顔立ちの女性だった。だけど見ていると凍ってしまいそうな雰囲気の女性だった。そして大輔は直感した。こいつが魔女だと。
「いかようか?」
王は魔女と呼んだ女性に厳しい面持ちで問うた。
「少々無礼な話を聞いたのでな……まぁ、それは良い。私は何人も倒すことは叶わぬ故に。私がここまで来たのは他でもない。以前より欲していた生贄の巫女の受け渡しよ」
その言葉に王は少したじろいだ。言葉に詰まる王に魔女は続ける。
「以前は巫女の体調が悪いと申しておったが、今回は顔色も良い……受け渡してもらうぞ」
「待ってくれ!!種まきの日程がまだ決まっておらん!!ここで巫女を奪われると、わが国の農業は……」
「私の知ったことではない。はよう、この娘を差し出せ」
そう言って魔女はアリアを指差した。
「……ざけるな」
小さな怨嗟の声が大輔の耳朶をかすかにくすぐった。俺の隣……ジェザルトは下を向き震えていた。
「ジェザルト?」
「ふざけるな!!」
ジェザルトは怒りに身を任せてその剣を抜き放った。
「なんだ?小童」
「俺はジェザルト・ヤルマーニ……アルフェリア様の騎士。彼女を死しても守ると誓った者……彼女を脅かす者はこの剣に誓て打ち滅ぼす!!」
ジェザルトは声高々に名乗りを上げて、冬の魔女へと疾風のように駆けた。
「おやめ下さい、ジェザルト様!!」
アリアの制止は耳に届くはずも無い。彼の瞳は死を覚悟していた。疾風怒涛を体現したジェザルトは刹那とも呼べる間で魔女に自分の剣が届く距離まで間合いを詰めた。
「はぁあ!!」
怒りに太刀筋が濁らされてもその速さは変わらなかった。渾身の振り落としが魔女に向けて放たれた。俺が戦った時よりも速く鋭い一撃……これを見切れる奴はいない筈だ。ましてや魔女に見切れるわけが無い。
振り下ろされた剣が響かせた音は肉を裂く音でも頭蓋骨を叩き割る音でも無かった。鋭い金属音。
「ほう?速い剣だ」
「なっ」
「だが、あの小童よりは遅い」
ジェザルトの剣は魔女が手にしている杖に止められていた。そして魔女は杖を持つ手を翻し、彼の剣をあらぬ方向へ受け流し、がら空きになった腹部に杖で一閃。
「がっ……!!」
吐血。水晶の杖の先は槍のように尖っておりジェザルトの鎧を穿っていたのだ。
「ふふ……度胸は良いが腕が伴わってない。蛮勇よな」
魔女はジェザルトの耳元でせせら笑って魔術で彼を玉座のほうへと吹き飛ばした。
「ジェザルト殿!!」
大理石の階段に叩きつけられたジェザルトにアリアは目に涙を浮かべながら駆け寄った。
「アルフェリア様……申し訳ございません。あなたをお守り出来ずに……」
ジェザルトの手を握るアリアの白い手は彼の血に染まる。その光景を魔女は冷ややかな笑みを浮かべながら高みの見物を決め込んだ。
「貴様らはこうなる運命……強者に抗おうなど愚かな選択よな」
こうなる運命……確かに王国最強の騎士がこうまで簡単にあしらわれ、強力な悪鬼の軍勢からあらがう力も無くなったこの世界の人々の絶望を表すにふさわしい言葉だ。だけど……
「こうなる運命……?ふざけるな……」
口に満ちた血を吐き捨てジェザルトは剣に杖のように体重を掛けて立ち上がった。
「俺達は……家畜じゃない。運命に抗える力を持った……人間だ!!」
俺が言おうとしたことをジェザルトはユークトの間を壊さんばかりの声で叫び上げた。
「だまらんか。家畜も同然の分際で何を言う」
立ち上がったジェザルトをあざ笑うかのように魔女は魔術で彼の足元を掬わせ、冷たい大理石にたたきつけた。
「なぁ、リーア」
「ダイスケ……?」
「ここで俺の冒険を終わらせても良いか?」
「え……まさか、無理よそんなの!!」
悔しさと怒りが俺を突き動かす。大切な者を護ろうとした男に向けて放ったあいつの言葉。そしてこの世界で人々の尊厳を踏みにじった奴の言葉が許せない。
大輔はウィラガ・ヴァールの留め具を外し、刃を抜き放った。
抜き放たれた淡く輝く刃。破邪の光と比喩されるミスリルと芯に眠る鋼の光。大輔は切っ先を魔女に向ける。
「ほう、王国一の武士が斃れても私に刃を向けるか。面白い奴よの……名を聞いてやろう」
「俺か……?」
ただの琴村大輔。そう答えるのは簡単だ。だけど、もう遅い。宣戦布告をしてしまったからにはきちんと名乗らないと。
「俺は琴村大輔。豊穣の女神ラフィーラからテメェを倒せとお告げを受けた勇者だ!!」
宣戦布告だ。人の尊厳を踏みにじる強者への。