【61】暁の黄金(15)
「先にお風呂に入って来なさい。衣装のTシャツはすぐに洗濯するから籠に入れておいて」
母からそう言われた私、井沢景は2階の自室に荷物を置き、iPhoneを充電すると着替えを持って浴室へ向かった。
クラスの衣装係の子が用意してくれたTシャツも洗濯籠に入れた。
入浴を済ませて食卓に向かうと、いつもと変わりない母の手料理が用意されていた。
「お腹空いたでしょ。私たちは先に食べたから景も早く食べなさい」
と母に促された。
「はい」
そう答えて席に着いて
「いただきます」
と言ってから箸を取る。
しばらくすると洗濯機の動く音が聞こえた。
「今日も楽しかった?」
戻って来た母が尋ねる。
私は文化祭1日目の様子を母に話して聞かせた。クラスの演劇が好評であること、文芸部の部誌が中々売れないこと、クイズ大会で準優勝したこと、などについては話したが、謎のメッセージについては伏せた。こういう時には楽しいことだけ話せば良いと思ったのと、何となく親に要らぬ心配をかけてしまいそうな気がしたからだ。
夕食を食べ終わる頃にようやく父が帰って来た。
両手に雑多な荷物を持っている。
「お父さん、大町くんを送ってくれてありがとう。それにしても遅かったけど、何かあったの?」
と私が尋ねると、父は荷物を居間の床に置いてから
「大町くんとの話が長くなったし、車の後部座席の整理をしていたから遅くなったんだよ。やっぱり前もって片付けておくべきだったね」
と答える。
「お父さん、大町くんに何を話してたの?」
と私が尋ねると、父は運んで来た荷物の一番上に乗せられていた淡黄色の冊子を手にして戻って来て
「男同士の内緒の話だよ」
と答えてから
「借りっぱなしになっていてごめんね」
と言ってその冊子を私に手渡した。
私は受け取った冊子に目を落とす。
それは昨年の文化祭で私が購入した「文芸・東雲」だった。
「どこを探しても見つからないなあ、と思ってたら、お父さんが持ってたんだね」
と私が指摘すると、父は
「借りる時にちゃんと景に一言断ったよ」
と弁明した。
その時のことははっきりと覚えていない。私はきっと生返事でもしてしまったのだろう。車の後部座席に置きっぱなしにしていた父に言いたいことがないわけではない。
だが、今はそんなことより何より、「輝く夕焼けを眺める日」を収録したこの文集が手元に戻って来たことが何よりも嬉しくて
「お父さんがこの文集を無くしちゃってたら怒ってたけど、ちゃんと返してくれたからありがとうございます、としか言わないよ」
と感謝を伝えた。
食後は居間でしばしくつろぎながら、久しぶりに手元に戻ってきた、昨年の「文芸・東雲」の目次を眺める。
ー目次ー
・左京小紅「容疑者がいない」
・三田真咲「国を持たぬ人々」
・佐倉真莉耶 戯曲「輝く夕焼けを眺める日」
・忠野潮「ステージ0~医学生・忠野潮の事件簿」
・高田茜「遅疑」
・RT企画「お菓子な新世界」
・道定重樹「決死<秘剣・火焔狼>」
・あとがき:文芸部部長・下条加奈子
文芸部の部員は全員ペンネームを使っている。
左京小紅は岡谷先輩、三田真咲は中野先輩、忠野潮は松本先輩、高田茜は飯山先輩のペンネームだ。RT企画さんと道定重樹さんは3学年上の先輩だから面識はない。1年A組の下条さんのお姉さんが時代小説を書いていたのだから下條加奈子先輩のペンネームが道定重樹だろう。RT企画さんについては卒業アルバムを見たことがあって氏名を確認したはずだが今は思い出せない。
それにしても、入学する前から気になっていたのは佐倉真莉耶さんの正体だ。未だに分からない。
全く一体どこの誰なんだ、と唸っていると
「明日も忙しいんでしょ。読むのは文化祭が終わってからにしたら」
と母から促され、文集を閉じた。
自室に戻り、iPhoneを確認すると、DINEの通知が来ていた。
iPhoneの充電が終わっていたのでチェックする。
「3本の百合事件対策チームのフォーラム」にメッセージが届いていた。私宛にも1通メッセージがある。
早速、DINEのアプリを開いてまずはフォーラムを確認する。
<3本の百合事件対策チーム>
[汐路和樹]
:クイズ研の吉田から連絡があった。
一部の部員は帰宅済みだったがミーティングをした。
その場で問いただしたが「身に覚えがある者はいなかった」とのこと。
もしも身に覚えがあっても言い出しにくいとは思うが。
結論としては、クイズ研が部として誰かに多大な迷惑をかけたという事実はない、とのことだ。
続けて、部長連の立場から俺の意見を。
部長連の方にはクイズ研が他部活との間に大きなトラブルがあったという報告はない。
クイズ研は真面目でおとなしい部員が多いので過去にもそうした事例は生じていない。
それと自治会への報告について。
今のところ実害がないので自治会には知らせない。
何らかの被害が出た際には自治会と連携して対応する。
俺は空き時間には自主的にパトロールはするつもりだ。
[生坂万智]
:新聞部の方でも確認しましたが、クイズ研は昨年に何か問題を起こしたというような悪いニュースで記事になっていません。
学校新聞で記事になったのは高校生クイズ大会の予選において県内で2位になった時だけです。
[須坂公太]
:クイズ研のミーティングの報告と部長連と新聞部からの情報ありがとうございます。
自治会には連絡しない、とのこと、了解しました。
僕も自治会の先輩たちには黙っておきます。自治会との連携は汐路先輩にお願いします。
自治委員のシフト以外でも個人的に見回りをしておきます。
[汐路和樹]
:>生坂さん 情報ありがとう。
>須坂 とりあえず自治会の方には伏せておいてくれ。筋は通すからお前に迷惑はかけない。それと、パトロールもよろしく。
これらのメッセージの投稿時刻は1時間以上前だ。それを確認して私はすっかり乗り遅れているのを思い知った。学校から家が遠いからこうなる。いや、のんびりお風呂に入ったりご飯を食べたりしたのも原因ではあるが。
みんなはもう寝てしまっただろうか。
しばらく逡巡してから私はメッセージを送った。
[井沢景]
:遅れてすみません。
去年の暁月祭、特に文化祭で起きた事件が原因ではないでしょうか?
何か思い当たる事件はありませんか?
すぐには反応がない。
鞄から今年の文化祭パンフレットと、大町くんに借りた昨年のパンフレットを取り出し、机の上に並べて2冊の表紙を見比べているとiPhoneに通知が来た。
DINEのフォーラムの画面を確認する。
[汐路和樹]
:例のメッセージに「昨年の9月」と書かれてあったから、暁月祭が怪しいと睨んだんだね。
でも、昨年の文化祭では特に事件や事故はなかった。
体育祭では騎馬戦がヒートアップしてちょっとした乱闘騒ぎになったが、あれは男子しか参加していないから「彼女」には関係ないだろう。
ちなみに体育祭でも文化祭でも部活間でのトラブルがあったとは聞いていない。
それ以外に、何か井沢さんが気付いたことはないかな?
[生坂万智]
:昨年の体育祭の騎馬戦については学校新聞で記事になってました。詳細は伏せますが。
それ以外、昨年の体育祭と文化祭に関して、ネガティブな記事は掲載されていません。
記事になっていない些細なトラブルの噂がなかったかどうかについては、新聞部の先輩に確認しておきます。
[井沢景]
:汐路先輩、生坂さん、情報ありがとうございます。
すみません。今のところ、何も思いつきません。
[汐路和樹]
:井沢さん、生坂さん、遅くまでありがとう。
今日のところはここまでにしよう。
明日からもよろしくな。
[生坂万智]
:明日もよろしくお願いします。
[井沢景]
:よろしくお願いします。
こうしてフォーラムでの議論は終わった。
今後も情報共有して、思いついたことがあれば投稿しよう。
DINEのアプリには私信のメッセージもひとつ届いていた。
メッセージを読む。
[生坂万智]
:先ほどの推理はお見事でした。
大町くんが犯人じゃないと分かって良かったです。
ところで、今夜は学校のチャットスペースで「文化祭で目立っていた男子」というトークが盛り上がってます。
1年D組の演劇の話題も出ていますよ。
井沢さんも参加されてはどうでしょう?
夏休みに学校の男子生徒たちが校内の可愛い女子生徒についてチャットスペースで議論しあって盛り上がっていたことを私は知っている。
今夜開催されているチャットはその意匠返しなのだろう。
せっかくのお誘いだが、私は自分のクラスと文芸部以外の男子生徒のことをあまり知らないので、話についていけないだろうと容易に予測できる。
トークテーマも心惹かれるものではないので、私は参加しないことにした。
このメッセージも随分前に届いていたものだが、一応返事はしておく。
[井沢景]
:あの推理みたいなのは何とか上手く行っただけです。でも、大町くんの疑いが晴れて良かったです。
うちのクラスのお芝居が話題になっているのは嬉しいです。
知らせてくれてありがとうございます。
しばらくすると、このメッセージが相手に読まれたことを示すマークがついた。
私はDINEアプリを閉じる。
次に「3本の百合事件」に関して、手元にある情報をまとめることにした。
随分前に中府駅の近くの大型文房具店で購入したビニールカバー付きのノートを机の引き出しから取り出した。
文庫本サイズの横罫ノートで、淡い紫色のカバーが気に入って購入したのだった。
ペン立てから白軸のシャープペンを選び、カバーのペンホルダーに収まることを確認する。
映画やドラマで刑事が使っているのは黒いカバーの小さな手帳で、筆記具はボールペンが多い。
それを意識した訳ではないが、どうせなら気分の上がるノートを使おうと思う。筆記具も使い慣れたシャープペンで良い。
まずは、クイズ研へ送られたメッセージをiPhoneで撮影した画像を参照しながらノートに書き写す。
1枚目は英文。
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To whom it may concern,
“Here is neither shepherd nor goat.”
Against your public stance, you made her a scapegoat for such a failure last September.
The smile was gone from her face.
We will never forgive you for what you did.
Kneel down at her feet and make an apology to her until this Sunday.
Otherwise it is your turn to be punished.
Kaffir Lily
Kamchatka Lily
Knight’s Star Lily
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2枚目は日本語のメッセージ。
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心あたりのある者へ
「このクラスにはリーダーがいないが、だからこそ誰かに負担をかけずに全員で頑張ろう」
そのような建て前に反して、昨年の9月にあなたはあれほどの失敗の責任を彼女に負わせた。
彼女から笑顔が消えた。
私たちはあなたのしたことを決して許さない。
今週の日曜日までに彼女の足元にひざまずいて謝罪しなさい。
さもなければ、今度はあなたが罰せられる番だ。
君子蘭
黒百合
ナイトスターリリー
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わざわざ英語と日本語でメッセージを送ったということには何か意味があるに違いない。
もしかしたら、英語のメッセージの方にこそ送り主の意図が隠れているのではなかろうか。
そう考えてみると、日本語の文章が英語の文章を訳したものにしては訳がこなれすぎている印象がある。
試しに、私の拙い英語力で直訳してみよう。
私は電子辞書を用意して英文のメッセージを和訳した。
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関係者へ
「羊飼いも山羊もいない」
そんなモットーに反して、去年の9月にあなたはあんな失敗に関して彼女をスケープゴートにした。
彼女の顔から笑みが消えた。
私たちはあなたのしたことを決して許さないだろう。
今週の日曜日までに彼女の足元に跪いて、お詫びをしなさい。
さもなければ、あなたが罰せられる番だ。
君主蘭
黒百合
ナイトスターリリー
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こざっぱりとした和訳を捜査ノートに書き留める。
何度か読み返したが、特に新しい発見はない。
それでは、脅迫を受けた側のクイズ研はどうだろう。
見出しに「クイズ研」と書いて先ほどフォーラムで得られた情報をノートにまとめた。
参考になるだろうと思い、私は今年の文化祭のパンフレットのクイズ研の紹介ページを開く。
<QUIZ ULTRA DAWN>
今年も開催されます!
暁月高校のクイズ王になるのはどのチームか!?
3人1組、計30チームで争われる、クイズの祭典!
参加される方も応援される方も、みなさん文化祭初日の16時に体育館へ集合して下さい!
注)高校のカリキュラム範囲と一般常識からしか出題しません。(難問奇問はありません)
チーム参加者、全員に回答していただきます。
・・・・・・・・・・・
審査委員:吉田賢三(部長)
司会:尾形剛志(副部長)
アシスタント:安住ひかり(1年D組)
(文責:吉田賢三)
クイズ大会はこの紹介文通り平和で楽しいイベントだった。
昨年も同様だったはずだ。批判される理由が分からない。
この事件についてクイズ研の方から考えるのは難しそうだ。
今日はこれでおしまいかな、と思ったが、大町くんから指摘を受けた点を思い出した。メッセージにあった"Here is neither shepherd nor goat.”という英文のこと。
この一文を大町くんは過去に目にしたことがある、と言っていた。
もしかしたら入学式の日に渡された冊子の中に書かれていたのかも知れない、と大町くんは言っていた。
入学式で渡された配布物は1箇所にまとめてある。
本棚の横に置かれた収納ボックスの中だ。
探すのに手間はかからない。
私は収納ボックスを開けて、目的の冊子を探す。
部活紹介の冊子と学校紹介の冊子が見つかった。
まずは部活紹介の冊子を見てみたが、そこには文芸部の紹介文もあった。入部時に受けたのと同じ活動内容についての記載があり、懐かしくてつい読み込んでしまった。
我を取り戻して冊子全体にさっと目を通したが、件の文章は見つからなかった。
学校紹介の冊子を開いて目を通す。
こちらもオリエンテーションで伺った内容と同じである。
学校行事の紹介ページでは冬休みにスキー合宿もあると知り驚いた。よく読むと希望者のみが参加するイベントらしいことが分かったのでホッとした。私はスキーもスケートも大の苦手なのだ。
その後もパラパラとページをめくっていく。
最後に生徒会長からの寄稿があり、もう残りページも少ない。
こちらの冊子もハズレかと思いつつページをめくると、見開き右側のページに件の英文を見つけた。
Here is neither shepherd nor goat.
だが、それで終わりではなく、次のページにはこのような文章が載っていた。
【寓話:災厄の村】
あるところに仲の良い優しい村人たちが暮らしている小さな村がありました
その村がある年に干ばつに見舞われました
その年は備蓄した食料で村人たちは飢えをしのぎました
年が明けても雨は少ないままでした
このままでは村は飢え死にしてしまいます
村人たちは村人のうちで最も知恵のある者を村の長に選びました
村人は早速、その長に干ばつに対する助言を求めました
村の長は一番干ばつに強い作物を植えるように助言し、村人たちはその助言に従いました
その作物は干ばつで痩せた土地でも育ち、収穫の時を迎えようとしておりました
しかし今度は、その村に大量の害虫がやって来てほとんどの作物が食べられてしまいました
すると村人たちは一丸となって村の長を責め立てるようになりました
「あなたの言う通りしたのに作物は被害を受けたではないか」と
そして、村人たちは自分たちの選んだ村の長を村から追放してしまいました
それ以降、村の長の姿を見た者は誰もおりません
長を失った村人たちはなすすべもなく全て飢え死にしたのでした
ー了ー
(在校生からの寄稿)
何なのだ、この不吉な寓話は。
おそらく件の英文とこの寓話はセットで意味をなしているのだろう。
そこまで考えたところで、部屋のドアがノックされた。どうぞ、と答えるとドアが開いて母が部屋に入って来て
「景、早く寝なさい。明日も大事な文化祭があるんだから」
と言う。時計を見ると確かにもう遅い時間だったので
「分かった。もう少ししたら寝る」
と私は答えた。
「Tシャツは乾燥機にかけたから、忘れずに思って行きなさい」
と母から渡されたTシャツはほかほかと温かかった。
「ありがとう。お母さん」
とお礼を言って、Tシャツを普段は体操服を入れる袋に入れて鞄にしまう。
それを見届けて、母は部屋から出て行った。
さて、言われた通りにもう寝よう。
私は広げたままになっていた冊子のページの英文と寓話をiPhoneで写真に撮るとその冊子を机の上に置いた、
バッグ類がしまってある大きめの収納ボックスを開いて白いサコッシュを取り出した。
文化祭では財布やiPhoneやパンフレットを持ち歩く必要があり、手に持って移動するのは難しいと気付いた。明日からはサコッシュにそれらを入れて移動することにした。ついでに捜査ノートも一緒に入れて持ち運ぼう。
そう思って机の上を見る。今年と昨年の文化祭のパンフレットが置いてある。
「3本の百合事件」に昨年の文化祭が関わっている可能性がある、と考えているものの、昨年の文化祭の実態がどうだったかを私は知らない。実際に私は昨年の文化祭へ行ったが、人混みに揉まれて疲弊しただけだった。
情報を得るためにもう少しだけ夜更かしすることにした。
大町くんに借りた昨年のパンフレットを手にして私はベッドに入った。
(続く)




