第14話 駒ではない
大聖堂が、轟音と共に揺れた。
祭壇の後ろから、左右の壁の扉から、柱の陰から――灰色のローブを纏った聖庁の私兵たちが次々と現れ、わたしたちを取り囲んだ。一人、二人、三人……十二人、十三人、十四人。最後に数えたとき、十六人になっていた。
全員、武装している。剣を持つ者、杖を持つ者、呪文を詠唱し始める者。
「ロウ」
「見えている」
ロウの声は平静だった。でも、わたしはロウの背中が、ほんのわずかに緊張しているのを感じた。
「思ったより多い」
「三十年ぶりに本気を出すことになるかもしれない」
「三十年ぶり?」
「最後に本気を出したのは、北の山で封印術師と渡り合ったときだ。あのときより多い」
それは頼もしいのか心配なのか、判断がつかなかった。
「ミラ、聞け」とロウが素早く言った。「左側の三人は私が抑える。右側の詠唱者を最優先で止めろ。封印術を完成させると、私の影が縛られる」
「右の詠唱者を止める。分かりました」
「証拠は絶対に守れ。術師のトゥルは外で待っている。何かあれば、外へ走れ」
「逃げません」
「逃げろと言っている」
「一緒に戦います」
ロウは一瞬だけわたしを振り向いた。何か言いかけて、やめた。
「……足を引っ張るな」
「足は引っ張りません」
私兵の一人が、合図の声を上げた。
その瞬間、全員が動いた。
ロウの大鎌が一閃した。足元から影が広がり、左側に走り込んできた三人の足首を影の手が掴む。同時に、右側から詠唱者が声を上げ始めた。
わたしは走った。
右側の詠唱者まで、十メートルほど。でも、その間に二人の私兵が立ちはだかる。正面の一人が剣を構えた。
胸の紋様に意識を向けた。炎が生まれる。でも放つより先に、ロウに教わったことを思い出した。感覚を広げろ。敵の動きを、身体で受け取れ。
剣が振り下ろされる一瞬前に、身体が勝手に動いた。右に半歩。刃が空を切った。
わたしはその隙に、詠唱者に向かって炎を飛ばした。命中させるためではなく、集中を乱すために。
詠唱者が声を止めた。
でも、二人目の私兵が背後から来た。気配を感じた瞬間にはもう遅かった。腕を掴まれて、引っ張られた。
「っ」
強い。生者の力だ。わたしの身体は境界人だが、力そのものはまだ弱い。
引き倒されそうになった瞬間、影が伸びてきた。ロウの影が、わたしを掴んでいた私兵の足を絡め取った。
「前に出すぎだ」とロウの声。
「すみません」
「謝るな、動け」
だが、その一瞬の隙に、詠唱者が再び声を上げ始めた。今度は、別の私兵が詠唱者の前に盾のように立ち、わたしが近づけないようにしている。
ロウの影が次々と伸びるが、私兵の数が多すぎた。一人を縛ると、別の一人が動く。ロウが左右を同時に相手にしている間に、中央から新たな私兵が迫ってくる。
「ロウ、大丈夫ですか」
「問題ない」
問題なさそうには見えなかった。ロウの大鎌が左右に飛ぶ速度が、わずかに落ちている。影を広げすぎているのか、あるいは封印術の影響を受け始めているのか。
詠唱の声が、高くなっていく。完成が近い。
わたしは考えた。盾役の私兵を炎で弾いても、すぐに次の人間が立つだろう。同じことの繰り返しになる。
突破口は、別のところにある。
わたしは、詠唱者の気配を感じた。目を閉じて、一秒だけ集中した。
詠唱を続けるために、あの人は呼吸をしている。声を出している。意識を術式に向けている。だから、術式の方向を感じ取れるはずだ。
感じた。詠唱者の意識が向いている先に、封印術の術式が形成されつつある。その術式は、ロウの影に向いている。
ならば。
わたしは、ロウの影ではなく、術式そのものを狙った。
炎ではなく、大災厄の残滓から生まれる「死の気配」を、術式に向けて放った。
死の気配は、生者の作る術式に干渉する。生命力を基盤にした聖庁の術式が、死の気配に触れると、拒絶反応を起こす。
詠唱者が、悲鳴のような声を上げた。術式が崩れた。
「ミラ、今のは何だ」
「即興です。うまくいきました」
「……なるほど」
ロウの声に、かすかに驚きが混じった気がした。
その隙に、ロウの影が一気に広がった。縛られていた手足が動き、詠唱者まで伸びた影が絡みつく。左右の私兵が次々と動きを止められていく。
でも、まだ動いている者がいた。
中央に残った三人が、わたしに向かって突進してきた。
逃げない。
胸の紋様から炎を出した。今度は小さくではなく、大きく。旅の最後の夜に練習した、最大の炎を。
三人が足を止めた。
その隙に、わたしは彼らの横を抜けた。目的は倒すことではない。倒せなくていい。時間を稼げれば十分だ。
ロウの影が、残りの私兵を順番に縛っていく。
最後の一人が崩れ落ちたのは、それから一分後だった。
大聖堂の中が、静寂に包まれた。
わたしは、膝に手をついて息を整えた。身体は平気だが、感覚を使いすぎて頭が少しくらくらする。
「ロウ、怪我は」
「かすり傷だ」
見ると、ロウのコートの袖に、薄く赤いものが滲んでいた。
「かすり傷って……」
「生者の剣でも、当たれば傷になる。大したことはない」
「大したことがなくても、傷です」
「うるさい。お前こそ」
「わたしは大丈夫です。それより」
視線を祭壇に向けた。
カインは、そこにいなかった。
「逃げましたね」
「ああ」とロウは言った。「だが、予想の範囲だ。祭壇の裏に扉がある。私が影を使えば追えるが……」
「追わなくていいです」
「いいのか」
「証拠はもう世界に出ています。逃げても、行き場がない」
わたしは懐を確かめた。証言書の束、フィオの記録、オルドの書類。全部ある。
「外でトゥルさんが待っています。無事かどうか確認に行きましょう」
大聖堂の正面扉を開けると、夜風が入ってきた。
扉の前に、二人の人物が立っていた。術師のトゥルと、フィオだった。フィオが走ってきた。
「ミラさん! ロウさん! 大丈夫ですか」
「大丈夫です。フィオさんは」
「外で物音がして……でも、カイン様が裏口から出てくるのを見ました。馬に乗って、北の方向へ」
「方向は分かりました。ありがとうございます」
トゥルが、ロウの袖の傷に気づいた。
「手当てを」
「不要だ」
「でも」
「死神だ。半日で塞がる」
トゥルは複雑な顔をしたが、それ以上は言わなかった。
「証拠は?」とわたしはフィオに訊いた。
「全部、各地の領主と聖庁本部に届きました。さっき、使者から確認の返事が来ました」
「……確実に、届いたんですね」
「はい。カイン様が逃げても、証拠はもう世界に出ています」
わたしは、大聖堂の白い壁を振り返った。
荘厳な建物は、今夜も変わらず立っている。でも、ここで何が起きたかを、今夜ここにいた全員が知っている。
「ロウ」
「何だ」
「セルトさんの証拠、使えました」
ロウは、少しの間黙っていた。
「……そうだな」
「百三十年、守ってくれていたんですね。今夜、全部使い切りました」
「全部、使い切った」
ロウが繰り返した。その声に、何かが混じっていた。重さとも、軽さとも違う、ただひとつの確認のような声だった。百三十年分のものが、今夜、ちゃんと役に立ったという確認。
「行こうか、ミラ」
「はい」
わたしたちは、大聖堂を後にした。
カインは北へ逃げた。でも、もうすでに証拠は世界に出ている。逃げ場はない。
いつか、必ず裁きの日が来る。
今夜のわたしたちにできることは、全部やった。




