過去
「今日は何が知りたい? 一通り教えられるものは教えたような気もするが……知りたいことがあれば何でも教えるぞ」
師匠と初めて会ってから何ヶ月か経った。この関係は以前と変わらず、問題なく続いている。今日も師匠は楽しそうに魔導書のページをめくっていた。
深夜の学園は、フレアの知るどこよりも静かな安寧の場所になっていた。季節が変わり、この時間になると少し肌寒い。以前は胸あたりの長さだった師匠の髪は、今では腰ほどまでに伸びている。
この数ヶ月、二人はいくつかの事件を起こした。教師の思考を書き換えて休日と勘違いさせ、全校の教師を休ませる。フレアを馬鹿にした生徒が、学園内に大量のスライムを発生させるように仕向ける。どれもしょうもないものばかりだった。
だが、フレアは思い通りの生活を手に入れていた。退屈だった学園生活は、今や見る影もない。いつもフレアは師匠に会うことを心待ちにしている。こんな生活を、いつまでも続けたい。そんなふうに思っていた。
しかし、師匠との師弟関係を続けるうちに、いくつかの疑問が生まれた。
私は師匠の名前を知らない。初めて会った時から「師匠」と呼び続けてきたが、これだけの期間を共にして名を知らないのは、どうにもおかしく思える。
そして、噂を流した人間は誰なのか。なぜ師匠の存在を知っていたのか。噂の条件を、運よく見つけられるとは思えない。師匠と関係のある人間が、私以外にもいる。
フレアはそう考えた。
今日、フレアは二つのことを聞くつもりだった。師匠を名前で呼んでみたい。そして、もし私以外の弟子がいるのなら、その事実を知っておきたかった。
「さっきから、なんで全然反応しないんだ? 眠いのか?」
若干不服そうに、師匠は頬を膨らませた。
「眠いなら無理はするな。私の部屋で寝てもいいぞ?」
師匠と話していると、たまに話に追いつけなくなる。
師匠の部屋とは、どんな場所だろうか。
質問よりも今は、そちらのほうがフレアの好奇心をくすぐった。
「師匠の部屋ってどこですか? 別にそんなに眠くないですけど、見てみたいです!」
「気になるか」
師匠はニヤリと笑い、指を鳴らした。手に黒炎をまとわせる。見たことのない魔法だ。指先の黒炎に息を吹きかけると、それは輪のように広がり、ワープホールを作り出した。
師匠は顎でその方を指す。
黒炎のワープホールをくぐり、師匠の部屋に辿り着いた。部屋は教室よりも広く、どこか古めかしい内装をしている。ホコリ一つなく、実に清潔感にあふれる空間だった。
ただ、ここはどうやら客間のようだ。眠れそうな場所は見当たらない。
フレアの思考を読むかのように、師匠は「こっちだ」と手を引いた。
客間を出ると、召使だろうスケルトンが掃除をしながら、小さく会釈で出迎えてくれた。
「お久しぶりです。前回お会いしたのは、三十年前でしたか?」
低く上品な声だった。スケルトンは師匠の背に隠れているフレアに目をやり、何かに気付いたように言う。
「ああ、これは失礼。どうやら私の記憶違いのようですね」
一礼だけして、廊下を歩いて行った。
「スケルトンが怖いのか?」
不思議そうに師匠が聞く。
「ちょっとしたトラウマがあって、怖いです」
雑談しながら少し歩き、寝室に着いた。部屋は客間の半分ほどの大きさだった。正面の壁の上半分が窓になっており、開放感がある。窓のすぐ前には、天蓋付きの大きなベッドが置かれていた。
師匠は暖炉に向かって指を鳴らし、火を灯す。温かな光に包まれる。暖炉の上には、大型で使い古された杖が飾られていた。
「好きに使っていい。いい部屋だろ。昔、親とここで寝ていたんだ。尤も、私を置いて先にいなくなってしまったが」
一瞬だけ、師匠が悲しそうな顔をした気がした。だが、深掘りすることでもないと思い、フレアは追及しなかった。
フレアはベッドに顔からダイブした。雲のような寝心地だ。身体が沈み込むほどふんわりとしたマットレスに、羽のように軽い羽毛布団。いい匂いもする。
大して眠くもなかったはずが、ベッドの力に抗えず、強烈な眠気に襲われる。気づけば、フレアは眠っていた。
◇◇◇
フレアが眠ったことを確認し、師匠は寝室を後にする。
ドアのすぐ側で、スケルトンが待っていた。
「何だ、クレシェコ。さっきは随分とやらかしてくれたじゃないか」
「その節は申し訳ありません」
クレシェコは笑いながら言った。
「そんなことより、あの子は誰ですか? とっても可愛らしい子を弟子に取ったようですねえ。なんだか、ちょっとだけ意外です」
外向きの顔とは裏腹に、饒舌なクレシェコに、師匠は呆れ半分で言う。
「そんなことを聞くために、掃除をサボって出待ちしてたのか。呆れたやつだ。そういうところが好きなんだがな。あいつは新しい弟子、フレアだ。荒削りだが、あの頃の私よりは十二分に強いだろう」
「ほほほ」
クレシェコは嬉しそうに笑った。
「ああ、あと、どなたかがお見えになったようですよ。ご主人様のお知り合いですか?」
「誰だ?」
師匠が首をかしげた、その瞬間。
クレシェコの腹部を、紫色の魔剣が貫いた。




