魔王軍観測協議会 — 黒き開幕ベル
夜は、とっくに更けていた。
それでも――この街は、まだ眠っていなかった。
石畳の路地には酔客の笑い声。
露店のランタンは、赤や黄色の光を揺らしながら、最後の客を待っている。
子どもたちはさすがに家に戻り、窓の向こうで小さな灯りが点々と瞬いていた。
「……いつも通りだな」
門兵の一人が欠伸を噛み殺しながら、城壁の上から街を見下ろす。
もう一人が肩をすくめる。
「戦がどうとか、魔王がどうとか……正直実感わかねぇよな」
「やめろよ。検問増えたって愚痴っただけで親父が牢に入れられた村もあるって話だぞ」
「はいはい。わーこわいこわい」
くだらない会話。
いつも通りの、退屈な夜勤。
その「いつも通り」は――瞬き一つ分の時間で壊れた。
ギ……ィ……
誰も触れていないはずの城門が、外側からわずかに軋んだ。
風の音かと思った。
二人は顔を見合わせ、肩をすくめようとした、その時。
ズンッ。
足元の石が、下から殴られたように震えた。
「……今の、地震か?」
「いや、違――」
言葉が終わる前に。
下から、低い声が響いた。
「開けよ」
それは、人の声だった。
けれど、門板越しに伝わる響きは、鉄を爪で引っかいたように耳に刺さる。
二人は反射的に剣に手を伸ばした。
「ど、どこの軍だ! 通行許可証を――」
「開けろと言った」
ゴン。
木と鉄で組まれた分厚い門が、外から一度、叩かれる。
それだけで、蝶番が悲鳴を上げた。
「やば……っ」
叫ぶより早く、二撃目が来た。
ゴガァァァァン!!!
城門が、外へではなく、内側へと“めくれた”。
板が裂け、鉄が曲がり、蝶番が悲鳴を上げながら吹き飛ぶ。
門そのものが、巨大な手で握り潰された玩具のように、街の内側へ転がり込んだ。
破片と塵の中に、それは立っていた。
漆黒の甲冑。
人よりひと回り大きな体躯。
頭部を覆う兜には、二本の角のような意匠。
「……あれ、騎士、か……?」
門兵の一人が、喉の奥でかすれた声を漏らす。
違う。
息をするだけで、肺の内側が冷えていくような圧。
“生き物”というより、“災害”に近い何か。
兜の隙間から、赤い光が二つ、じっとこちらを見上げた。
「ひ、ひいいぃっ――!」
門兵が叫びかけた瞬間、その視界に、何かがふわりと舞い上がる。
黒い布。
いや――翼だ。
街道の闇から、次々と影が這い上がってきた。
人間に似た輪郭。
だが耳は裂け、背中には蝙蝠めいた翼。
口元から覗く牙は、獣よりも長い。
「魔族……!」
誰かが震える声で言った。
その単語は、これまで本の中や噂話でだけ聞いた言葉だった。
今、現実になっていた。
◆
最初の悲鳴は、路地裏の屋台から上がった。
「な、なんだあいつら――ぎゃああっ!」
鉄と鉄がぶつかる音。
木箱が跳ね飛び、酒樽が砕け、路地が阿鼻叫喚に変わる。
だが、街を覆ったのは“血の匂い”ではなかった。
冷たい霧だ。
「な、なにこれ……寒っ……!」
酔客たちの吐く息が、一瞬で白く凍る。
ランタンの炎が、ひとつ、またひとつとしぼんでいく。
霧の中で、低い呟きが重なった。
「――《静寂領域》」
声が重なった瞬間、街から「音」が消えた。
悲鳴も。
怒号も。
鉄のぶつかる甲高い音も。
口を開いても、自分の声が出ない。
舌の動きだけが空を切り、喉は震えているのに、空気が揺れない。
人々は、そこで初めて“本能的な恐怖”を覚えた。
(これ……夢か……?)
とある少年は、家の窓からその光景を見下ろしながら、震える手で頬を抓った。
痛い。
夢じゃない。
霧の中を、黒い影だけが音もなく進んでいく。
翼を生やした魔族たち。
四つ足の異形の獣。
鎖で繋がれた影の狼が、吠えもせずに街路を駆け抜ける。
それらを従えて、黒甲冑の騎士が、ゆっくりと石畳を踏みしめた。
◆
広場の中央――鐘楼の下で、ようやく“声”が戻る。
「な、なんなんだよ一体……!」
「兵は! 城の兵はどこだ!」
逃げ惑う人々を、騎士の一瞥がさっとなぞる。
「この街の名は」
低い声が、今度ははっきりと空気を震わせた。
誰も答えられない。
誰かが口を開きかけて、喉を詰まらせる。
沈黙。
次の瞬間、鐘楼の上の鐘が――勝手に鳴り出した。
ゴォォン……ッ
誰も綱を引いていない。
にもかかわらず、その鐘は、雷鳴のような轟音で街中に響き渡った。
「宣告する」
黒騎士が、ゆっくりと剣を抜いた。
刃は黒く、縁だけが赤く光っている。
「この街は、今をもって“魔王軍暫定占領区”とする」
言葉の意味が、すぐには誰の頭にも入ってこない。
「……ま、魔王軍……?」
誰かが呟いた。
それは、昔話の中の言葉。
遠いどこかで誰かが戦っている、絵物語の中の単語。
その“絵物語”が、今、自分たちの頭上で現実になっている。
「抵抗勢力は、明朝までに城門前へ出頭せよ。
出頭なき場合――」
黒騎士は、ほんの少しだけ剣を持ち上げた。
鐘楼の上で、鐘の支柱が音もなく切り裂かれる。
ゴガァァァァン!!
石と鉄の塊が、広場へと落ちた。
粉塵と共に、中央の噴水が砕け散る。
飛び散った破片が、近くにいた屋台と空き家をまとめて押し潰した。
悲鳴。
今度は、ちゃんと声が出た。
「きゃあああああ!!」
「に、逃げろぉぉぉ!!」
黒騎士は、一歩も動かない。
「――街ごと、削ぎ落とす」
淡々と告げる。
「以上だ。伝令は不要だな。
もう、全員が聞いた」
霧の向こうで、翼の影がうごめく。
屋根の上。
路地の先。
城壁の上。
街は、すでに囲まれていた。
誰もが、その事実をようやく理解する。
“助けは来ない”。
この夜から、この街は地図の上で色を変える。
人族の領域から、魔王軍の勢力圏へ。
まだ誰も――
遠い湖畔の小国で、短杖を握る少女も。
世界地図の端で起きた、この小さな占領が、
のちに『魔王軍侵攻フェーズ1の狼煙』と呼ばれることを知らない。
ダリア王国の首都アーリンガムは、いつになく重い靄に包まれていた。
石畳の広い通りには王都兵が二重三重に警護の列を敷き、城門の前には各国の紋章旗が風に鳴っている。
宙海連邦の錨旗。
ルーデンス聖教国の聖印旗。
ノルヴァ帝国の黒鷲旗。
レーヌ湖畔公国の青い湖面を描いた旗。
――そして、この地の主であるダリア王国の、白銀の双剣旗。
王城の奥、会議の間へと続く廊下には、遠路を運ばれた湿った土と旅人の外套の匂いが残っていた。
◇
高天井の円形会議室。壁には大陸の古い地図と、新しく描き足されたばかりの境界線が重なっている。
中央には円卓。
その周りに九つの椅子。
国の数だけ、視線と利害が向かい合っていた。
ダリア王国国王、アルヴェイン三世は、ゆるやかに席を見渡した。
「……これで、すべて揃ったな」
濃紺の上衣に身を包んだ若き王の声が、静かに響く。
「北より――ノルヴァ帝国特使、ザハル・ラングレー卿」
黒地に銀の刺繍を施した礼服の男が、形だけの優雅さで立ち上がる。
笑みは柔らかいが、瞳は夜のように冷たい。
「帝都より七日七晩、不眠の急行で。陛下のご厚意に感謝を」
「同じく北方、ヨーネロ公国より。若き公主、リュシアン・ヨーネロ殿」
金髪を後ろで束ね、まだ少年と呼べる年頃の青年が、力の入った礼法で頭を垂れた。
「……公父に代わり、この席に。未熟ではありますが、北境の現状をお伝えいたします」
「アルデンヌ小国よりは――」
銀鎧に身を固めた女騎士が、椅子を鳴らして立つ。
「境界伯セラフィーヌ・ダルク。剣と盾をもって、我らの答えといたしましょう」
アルヴェインは、小さくうなずくと視線を中央へ戻した。
「中央圏より。レーヌ湖畔公国代表、政務参事官エドゥアルト・レーヌ殿」
湖を思わせる淡い青のマントを掛けた中年の男が、控えめに立つ。
その顔には長旅の疲労だけでなく、「小国の代表」としての緊張が刻まれていた。
「ダリア王国は、主催国として、わたくしアルヴェインがこの場を預かる」
王は一度、全員と目を合わせるように視線を巡らせる。
「東方より。ルーデンス聖教国、枢機卿レナト・グラディス閣下」
白金の法衣をまとい、胸元には大ぶりの聖印。
枢機卿は椅子から半身を起こし、会釈だけで済ませた。
その動作一つから、自らの権威への揺るぎない自信が漂う。
「リヒト砦国からは、防衛卿ベルンハルト・ガイゼル殿」
厚手のマントに短く刈った灰色の髪。
実戦一筋の将といった風情の男が、簡潔に頷くだけで座り直す。
「ロマニア法制国より、法務卿ユリウス・サリオン殿」
細身の男が、書類の束を抱えながら柔和に微笑んだ。
「法は遠くとも、秩序の理は共通です。記録役も兼ねさせていただきましょう」
「そして西から――宙海連邦代表、評議員アレッサンドロ・マルヴェーゼ殿」
日焼けした肌に、海上用の軽装をそのまま礼服に仕立てたような男が立つ。
片耳には金の輪。
海の匂いとラム酒の香りをまとっているのに、礼儀は不思議と崩れていない。
「海路が閉ざされつつあります。……その話も、いずれ」
全員が座に戻ると、会議室の扉が重く閉じられた。
外の雑音が消え、代わりに紙の擦れる音と、緊張した呼吸だけが残る。
「では――」
アルヴェインは、王座代わりの席から立ち上がり、円卓に両手を置いた。
「本日の議題。“魔将”の独立行動と、魔王復活の兆しについて。
まずは情報の確認から始めよう」
◇
最初に口を開いたのは、リヒト砦国のベルンハルトであった。
「二週間前。北の凍土前線にて、我が砦国とヨーネロ、アルデンヌの共同監視線が、未確認戦力の襲撃を受けた」
彼は、円卓中央に広げられた地図の一角を指で叩く。
「ここだ。帝国北境の旧砦“グラーフェンシュタイン”。本来ならば、ノルヴァ帝国軍の駐屯地であるはずの場所が――」
そこで、ちらりとザハルに視線を投げた。
「――既に、地図から消えていた」
円卓に、かすかなざわめきが走る。
ヨーネロ公国のリュシアンが、唇を噛みしめるようにして続けた。
「我が国の斥候も確認しました。
砦は、外壁ごと“削られて”いたのです。爆薬ではない。火でもない。……あれは、上から押し潰されたような……」
言葉を探しあぐねる少年の肩を、隣のセラフィーヌが静かに支える。
「彼の言う通りだ。跡地には、人間の軍勢が残すべき痕跡がほとんどなかった。代わりに――」
女騎士の眼光が鋭く細められる。
「黒い旗が立っていた。“双角と竜眼”の紋。
……そちらでは、既に報告を受けているのではないか、ノルヴァ帝国殿?」
視線が、一斉にザハルへと向かう。
帝国特使は、淡々と肩をすくめてみせた。
「もちろん、把握しておりますとも。
だが、誤解なきよう申し上げておきたい。“グラーフェンシュタインの件”は、我が帝国にとっても想定外であり、被害者なのです」
「被害者、とな?」
ダリア王の声音に、わずかに棘が混じった。
「まずは順を追って、ご説明しましょう」
ザハルは、指先で卓を軽く叩く。
そのリズムは、まるで自らがこの場の指揮権を握っているかのようだ。
「諸君が“魔将”と呼ぶ存在――我々の資料では“魔軍大尉”と分類しておりますが――彼らは元来、北方凍土地帯の魔族勢力を束ねる、ある種の“現地司令官”に過ぎませんでした。
帝国は長年、彼らと限定的な不可侵協定を結び、凍土の魔物を国内へ引き入れない代わりに、一定の物資供給と情報交換を行ってきたのです」
ルーデンスの枢機卿レナトが、鼻で笑うような息を漏らした。
「それを俗に、“取引”と呼ぶのですよ。殿下」
ザハルは、あくまで笑みを崩さない。
「聖教国も、南方の異端勢力と“取引”をされていると、風の噂に聞きますがね。
……ともあれ、問題はそこではない」
彼の声が、少し低くなる。
「三ヶ月ほど前から、彼ら“魔軍大尉”の一部が、我々の要請や制御を明らかに無視し始めました。
帝国側の補給隊を襲い、凍土線に独自の陣地を築き、“人間との協定は破棄した。次に従うは魔王のみ”と宣言しているのです」
今度は、会議室全体がはっきりとざわめいた。
ロマニア法制国のユリウスが、慌てて羽ペンを走らせる。
「つまり――それまで帝国に従属的であった魔軍大尉たちが、帝国との縁を切り、“魔王の復活”を掲げて独立した……と?」
「語弊はあるが、大筋ではその通りですな」
ザハルは、あっさりと認めた。
「彼らは今、“魔王軍”と自称し始めている。
我が帝国が制御できる枠からは逸脱しました。これは、諸国共通の脅威となりうる存在です」
アルヴェイン王は、ゆっくりと椅子に身を預ける。
「つまり帝国は、“長年、火薬庫に火種を供給していたが、いまやその火が制御不能になった”と、そう言いたいのだな」
その婉曲な表現に、宙海連邦のアレッサンドロが吹き出した。
「言い方がうまいな、陛下。海の上なら『樽ごと火薬を積んで、今さら“船が爆ぜたのは事故だ”と言ってるようなもんだ』ってとこだ」
笑いながらも、その目は笑っていない。
「こっちはな、北の海路で“黒旗の船団”が出始めてるんだ。
甲板に乗ってるのは人間じゃねぇ。鱗と角の連中だ。帝国の港を素通りして、航路を勝手に占拠してやがる」
アレッサンドロは、卓の西方海図を指で叩く。
「帝国が『制御不能になった、助けてくれ』って顔をするのは結構だがな。
その前に、“誰が最初に門を開けた?”って話は、どうやって落とすつもりだ?」
ザハルの笑みが、わずかに薄くなった。
「……過ぎた過去の責を問うより、今は未来の脅威に対処すべきでは? 評議員殿」
「過去を片付けないまま未来に進もうとするから、いつも同じ穴に落ちるんだよ。
――まぁ、海としては、現実的な話をしようじゃないか」
◇
沈黙を破ったのは、湖畔公国のエドゥアルトだった。
「……失礼を承知で、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
温和そうな顔の参事官の声が、場の温度をわずかに変える。
「我がレーヌ湖畔公国でも、最近“異常な魔物の増加”や、“人攫いと魔族の連携”が報告されています。
これは、今お話の“魔王軍”と同一のものと見なしてよろしいので?」
ザハルが何か言いかけるより早く、ヨーネロのリュシアンが頷いた。
「北送りの奴隷ルート……あれは、帝国と凍土の魔族の線で、半ば公然と行われてきました。
ですが最近、彼らは“帝国を通さず”に直接人を攫い始めている。
その行き先の一部が、レーヌ湖畔公国近辺だという噂も……」
リュシアンは、言いにくそうにエドゥアルトを見る。
「……すでに、何か被害が?」
「幸い、致命的な被害は出る前に、我らの冒険者たちが幾つかの“影道”を潰してくれました」
エドゥアルトの脳裏には、勇者たちの背中がよぎる。
「とはいえ、あれもまた“魔将たちが帝国の枠を超えて動き始めた兆し”だったとすれば――」
参事官は深く息を吸う。
「小国とて、ただ湖のほとりで魚を数えているわけには参りませんな」
「ふむ」
アルヴェイン王が顎に手を添える。
「では、情報を整理しよう。
ノルヴァ帝国からは、“魔軍大尉”と呼ばれる魔族指揮官たちが、帝国の制御から離反し、“魔王軍”を自称し始めたとの報告。
リヒト砦国、ヨーネロ、アルデンヌからは、その軍勢による砦の消滅と、黒旗の確認。
宙海連邦からは、黒旗を掲げた魔族船団が海路を侵しつつあるとの報告。
湖畔公国からは、人攫いルートと魔族の独自行動。
――これを総合すれば、“魔王軍”は既に、北から海路、内陸の地下回廊まで、複数の経路で世界へ手を伸ばしつつある、と見ていいだろう」
円卓を囲む視線の色が、重くなる。
そこへ、ルーデンスの枢機卿レナトが、わざとらしく咳払いをした。
「忘れていただいては困りますな。
東方でも、魔物の活性化は明らかです。
我が聖教国の辺境修道院が、異形の軍勢に襲われたとの報告が、既に三件。
彼らは人語を解し、“魔王の名の下に浄化の時代を告げる”と叫んでいたそうです」
その言葉に、ユリウスが苦い顔をする。
「“浄化”……ですか」
「しかも困ったことに、その文言は――」
レナトは、わずかに目を細めた。
「我が教会の、古い預言書の一節と、一字一句違わぬものであった」
会議室の空気が、さらに冷たくなる。
「まるで、我らの“言葉”を盗み、歪めて掲げているようなもの。
……これは、信徒の心を試す邪悪な誘惑に他なりません」
「つまり、そちらとしては“信仰への宣戦布告”と受け取っているわけだ」
アレッサンドロが肩をすくめた。
「海としては、貨物と船乗りへの宣戦布告ってとこだな。
砦国とヨーネロからすりゃ、領土と民草への宣戦布告。
帝国から見れば、かつての“便利な共犯者”が牙を向いたって話か」
彼は、杯の底を見つめるようにして呟く。
「……こいつは、思った以上に厄介な海図だ」
◇
「では――」
沈黙を破ったのは、ダリア王国の主であった。
「諸国の情報は出揃った。
次に問うべきはただ一つ。“どうするか”だ」
アルヴェインは、円卓をゆっくりと見渡す。
「我らは、魔王軍に対抗するための“連合”を組むべきか。
それとも、各自が自国の守りを固めるに留めるか。
あるいは――」
「“帝国と魔王軍”、どちらかと妥協して手を結ぶか、ですね」
ユリウスの皮肉混じりの一言が、静かに落ちる。
「法の書を読むまでもなく、選択肢はその三つに集約されます」
「冗談を」
レナト枢機卿が、露骨な嫌悪を隠そうともせず言い放つ。
「我らは悪魔と手を結ぶことなどありません。
帝国がどれほど“被害者”を装おうとも、長年魔族と取引してきた罪は消えません。
――聖教国としては、明確に“魔王軍およびその協力者”を、人類共通の敵と宣言します」
「協力者、ね」
ザハルが、レナトを見返した。
「ではお聞きしたい。
“異端審問”と称して、亜人や反対派を帝国へ“送って”こられた記録が、いくつか浮上しておりますが。
それも、その“協力者”に含まれるのでは?」
枢機卿のこめかみに、ぴくりと血管が浮かぶ。
「根拠の薄い中傷には答えかねますな」
「根拠は充分にあると存じますがね。――まぁ、今ここでぶちまけるのは趣味が悪い」
ザハルは、わざとらしく話を切り替えた。
「帝国は、魔王軍を正式に“反逆した敵勢力”と認定します。
諸国と協調しうる条約の枠組みを検討する用意もある。
その前提で、“連合”の構想をお聞かせ願いたいものですね。陛下」
アルヴェインは、短く息を吐いた。
(――それぞれが、他の罪を指差しながら、自国の影を隠そうとしている。
だが、魔王軍はそんな駆け引きを待ってはくれまい)
王は、円卓の中央に視線を落とした。
「ダリア王国としての提案は、こうだ」
低く、しかしはっきりとした声で続ける。
「まず、“魔王軍”の名をもって活動する一切の軍事勢力を、人類諸国の共通敵と認める宣言。
次に、各国の情報を統合する“観測協議会”の設置。
――これは、軍の指揮権を束ねるものではなく、ただ“魔王軍の動きを見誤らない”ための目と耳だ」
ユリウスが頷く。
「情報の共有であれば、法制国としても協力しやすい。
軍事同盟と違い、拒否権や中立の余地も残せますからな」
「そうだ」
アルヴェインは続ける。
「現時点で、完全な“連合軍”を組むのは現実的ではない。
国力も事情も違う。
だが、せめて“敵の位置と規模”だけは共有しなければ、各個撃破されるだけだ」
ベルンハルトが、重々しくうなずいた。
「砦国としても、その案に賛成だ。
前線にいる我々は、何より“背後の状況”を知りたい。
補給線や避難路がどうなっているのか、海路が生きているのか、それとも……」
アレッサンドロも指を鳴らす。
「宙海連邦としては、“観測協議会”に海図と船の視界を提供しよう。
魔王軍がどの港を押さえ、どの海峡を狙ってるか。
その情報は、陸の国々にとっても悪い話じゃないはずだ」
「湖畔公国も、微力ながら、冒険者ギルドと連携して情報の集積に協力できます」
エドゥアルトが言う。
「人攫いや影道の情報は、“戦場の地図”とは別の形で、きっと役に立つ」
「ヨーネロ、アルデンヌも、前線からの報告を優先的に回そう」
リュシアンが視線を交わし、セラフィーヌが短く応じる。
最後に、全員の視線がザハルへと向かった。
帝国特使は、少しだけ肩を竦めた。
「……帝国としても、“観測協議会”への参加を検討しましょう。
ただし、軍事機密との線引きについては、個別協議が必要です」
その言い回しに、ユリウスが小さく笑う。
「“検討”の意志表明だけでも、今日は前進と見ておきましょう。
法の文章に落とす時には、上手く濁しておきますよ」
レナト枢機卿は、わずかに眉をひそめながらも言った。
「聖教国としては、“魔王軍に与する一切の者”を異端として糾弾する宣言を準備します。
……観測協議会とやらの情報は、信徒の避難誘導にも役立つでしょう」
「では――」
アルヴェインは、ゆっくりと立ち上がる。
「本日の結論として、“魔王軍観測協議会”の設立をここに合意としよう。
詳細な条文はロマニア法制国に草案を依頼し、各国で持ち帰って承認を得る。
その間も、現場の被害は待ってはくれない。……だからこそ、一刻も早く“目と耳”だけでも共有せねばならない」
王の声が、静かに会議室の石壁に反響する。
「魔王が本当に“復活”するのか、まだ誰も見てはいない。
だが、“魔将たち”がこの世界を支配しようと動き始めたことだけは確かだ。
――ならば、我らもまた、この世界をどう守るのかを、互いに問わなければならない」
◇
会議が散会に向かい、各国代表がそれぞれの側近と小声で言葉を交わし始めた頃。
エドゥアルト・レーヌは、そっと窓辺に歩み寄った。
遠く、王都の屋根の向こうに、細く青い空が見える。
その向こう側には、自国の湖と、小さな城下街と、孤児院と――短杖を振るう小さな背中がある。
(魔王軍。魔将。帝国。聖教国。
大きな言葉ばかりが飛び交うけれど)
彼は、目を閉じて小さく呟いた。
(――結局、守らねばならないのは、あの湖畔の夕暮れの灯だ)
宙海連邦のアレッサンドロが、隣に並んだ。
「渋い顔だな、小国の殿」
「海の匂いは、宮廷の空気よりずっとましですね」
「だろ? 潮風は嘘をつけない」
アレッサンドロは、窓の外を見やりながら言う。
「魔王軍がどれほど強かろうが、
“人の世をひっくり返したい奴”と、“今ある日々を守りたい奴”の喧嘩って構図は変わらねぇよ」
「守る側が、いつも弱いのが悩ましいところですが」
「弱いから、手を組むんだろ」
海の男は、白い歯を見せた。
「それに――俺はけっこう楽しみにしてるぜ。
お前んとこの勇者たちが、このでっかい盤面にどう絡んでくるのか、な」
エドゥアルトは、一瞬だけ目を見開き、それから苦笑した。
「……さぁ。それは、彼ら自身が決めることでしょう」
その頃――
レーヌ湖畔公国の小さな街では、ジージーたちがまだ知らないまま、
世界のどこかで鳴らされた「黒き開幕ベル」の余韻だけが、微かに空気を震わせていた。




