朝会議の決定 ― 誰が送致されるのか
【前書き】
※本話は街編の山場、朝会議の内容が少し踏み込んだ形で描かれます。
暴力描写はありませんが、やや重ための心情回があります。
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鈍い鐘の音が、まだ冷たい空気を震わせていた。
リルモアの街のほぼ中央、理事会館のある小高い丘。
そのふもと、石段の陰に身を潜めながら、ジージーは自分の心臓の音を数えていた。
(一つ……二つ……)
弾む鼓動に合わせて、手にした細い杖がかすかに揺れる。
隣ではセルグレンが壁にもたれ、腕を組んだまま空を見上げていた。
彼の顔はいつものように無造作で、けれど目だけが鋭く光っている。
「緊張してるな」
「……してないです」
「嘘つけ。杖が震えてる」
言われて初めて、ジージーは自分の指先のこわばりに気づいた。
理事会館の中では、ちょうど“朝会議”が始まったところだ。
施薬院から運ばれてきた帳簿の束――
従順度、不満度、送致候補表。
(あの中に、グレンさんの名前があるかもしれない。
ミーヤの弟の名前も……)
そして、もうひとつ。
(あたしの知らない“誰か”の名前も)
昨日、薬草庫で見つけた追跡印。
誰かが“選別対象”として印をつけられた証。
あれが、今どう扱われているのか。
ジージーには想像もつかなかった。
「中で何が決まるか、見えないのが一番タチが悪いですよね」
ぽつりと呟くと、セルグレンはわずかに口元をゆがめた。
「中でやってることは大体決まってる。
帳簿を開いて、数字を見比べて、
“今年度の送致枠”に合わせて名前を選ぶ」
「送致枠……?」
「帝国から下りてくる“要員数”だよ。
この街から一年で何人送れ、っていう数字だ」
ジージーは思わず顔を上げた。
「そんなの、最初から決まってるんですか?」
「ああ。
帝国は北方の鉱山と工場で人間を欲しがってる。
聖教国は、その人間たちがどれだけ従順だったかの記録を欲しがってる。
だから理事会には“毎年これだけ出せ”って枠が回ってくる」
「……ふざけてますね」
「数字だけ見れば、どこの街も似たようなもんさ。
問題は――」
セルグレンはゆっくりと目を細めた。
「その数字の中に、“誰が”押し込まれるかってことだ」
それを決めているのが、
今この瞬間に鳴った鐘の奥――理事会の朝会議。
ジージーは息を飲んだ。
と、そのときだった。
「ジージー!」
階段の下から声がして、振り返る。
ミーヤが駆け上がってきていた。
息は上がっているのに、目だけがぎらぎらと冴えている。
「アンタも来てたのね」
「……うん。弟さんのこと、気になって」
「それはこっちの台詞。
あんた、変な帳簿のことに首突っ込んでたんでしょ」
睨むと言うより、涙をこらえている目だった。
(この人も、待つしかできないんだ)
ジージーは胸の奥が締めつけられるのを感じた。
「中で何を決めてるか、アンタ知ってるの?」
「…………少しだけ、ですね」
言いよどむジージーに代わって、セルグレンが口を開く。
「朝会議は、施薬院や街の役人、それから国家平和理事会の連絡官が集まって、
“誰を送致候補にするか”を決める場だ」
「平和理事会、ね……」
ミーヤは吐き捨てるように笑った。
「せいぜい、あたしたちの生活を数字に変えて上に送るだけの連中よ」
その言葉には、
長年積もった怒りと諦めが滲んでいた。
ジージーは思わず訊いてしまう。
「ミーヤ……怖くないんですか?」
「怖いわよ」
即答だった。
けれどミーヤは、同時に顎を上げて言い足した。
「でも、行かないわけにもいかない。
弟がどうなるか、誰かから聞かされるくらいなら、
自分の目で確かめたいもの」
その姿を見て、ジージーは小さく息を飲んだ。
(強いな……)
エイリアスに似た強さだ、とジージーは思った。
恐怖を消しているわけでもないのに、そのまま抱えて前に進む力。
それは、まだ自分が持っていないものだった。
◆
一方その頃、理事会館の中。
重い扉が閉ざされた会議室では、
長机をぐるりと囲んで十数名の男たちが座っていた。
施薬院の理事長、街の有力商人、
国家平和理事会の連絡官。
そして端の席には、
昨日薬草庫に現れた黒衣の監察教士の姿もある。
机の中央には、
何冊もの帳簿の山が積み上げられていた。
ベルツ事務官が、
淡々とページをめくりながら報告を続ける。
「……以上が、今季の従順度・不満度集計です。
例年比で“不満度高”の家が増えておりますが、
従順度平均はまだ基準値内にあります」
「ふむ……」
理事長と呼ばれた初老の男が、
眼鏡越しに帳簿を覗き込む。
「では、本年度分の送致候補者の選定に入ろう。
帝国からの要請数は?」
「こちらです」
ベルツが別の帳簿を開く。
淡い青のインクで数字が並んでいた。
「昨年と同じく、“成人労働力”枠で二十名。
それに加え、“若年訓練枠”として十名。
計三十名を、一年かけて出すことになります」
「ふむ。すでに今年度分で決定・送致済みなのは?」
「成人枠で五名。若年枠で三名。
残り――成人十五名、若年七名です」
「ではその数を目安に、候補者を挙げていこう」
理事長がそう言うと、
会議室の空気がわずかに重くなった。
監察教士は一言も発さず、
ただ静かに帳簿と顔ぶれを見比べている。
「まずは“成人枠”だな」
平和理事会の連絡官が顎をさすりながら言った。
「従順度が低く、不満度の高い者。
加えて、生活保護費の支出が大きい家から優先していきたい」
「老人や病人を優先しろということか?」
「ええ。
聖教国側からの“帳簿形式”でも、
そういう者は“社会圧迫度・高”と分類されますので」
まるで古びた家具を選り分けるような口ぶりだ、とベルツは思った。
だが彼自身も、その作業に慣れてしまっている。
(これはただの事務処理だ。
自分は数字を写しているだけ――)
そう言い聞かせて、
次のページを開いた。
「成人枠候補、まず一人目――
“グレン・ハーヴィス”。六十二歳。
元鉱夫。現在は施薬院通院中」
「おお、あの男か」
数人がうなずく。
「確かに、最近は窓口で文句を言っている姿をよく見るな」
「不満度の評価は?」
「先日の来院時に“政府への不信を口にした”として、
不満度四。最高値です」
ベルツが淡々と読み上げると、
平和理事会の連絡官は小さく頷いた。
「家族は?」
「妻は数年前に病没。
子どもは戦役で失っており、扶養する者なし」
「ならば、送致候補として問題はあるまい」
理事長が判を取り出す。
「本人の生活は厳しくとも、
街の秩序に対して不満を口にする者を残しておく理由はない。
帝国の鉱山のほうがまだ役に立つだろう」
乾いた音が一つ、帳簿に刻まれた。
“送致候補・優先”の印だ。
◆
丘の下。
理事会館を見上げながら、ジージーは拳を握りしめていた。
「長いな……」
ミーヤがぽつりと漏らす。
「いつもこんなに時間、かかるんですか?」
「そうね。
数字を見て、
誰を切り捨てるかを“慎重に”決めるんでしょうよ」
その声色には、
皮肉と諦めが入り混じっていた。
と――石段の途中まで登ってきていた男が、
ジージーに気づいて笑いかけてきた。
「おや、小娘じゃないか」
「あ……グレンさん」
煤けた上着に古い帽子。
いつもと同じ服装のまま、
グレン老人がそこに立っていた。
「こんな朝っぱらから、何してんだ」
「えっと……その……」
ジージーが言葉に詰まると、
ミーヤが前に出た。
「アンタこそ、何してるのよ。
今日は施薬院じゃないでしょ」
「おう。今日はこっちの用事さ」
グレンは、
理事会館の重い扉をちらりと見上げた。
「……昨夜、呼び出しが来たんでな」
ジージーの背筋がぞくりとした。
「呼び出し……?」
「“今後の支援について相談したい”とか、
まあ、そんな穏やかな文句が書いてあったよ」
老人は肩をすくめる。
「そりゃまあ、俺だって勘づくさ。
こんな身体じゃ戦にも出せん。
街においても金ばかりかかる。
だったら――」
ゆっくり、と。
グレンはジージーの頭をぐしゃりと撫でた。
「若い奴らの代わりに、年寄りが一人くらい行ってやらにゃ、
話にならんだろ」
「そんな……!」
ジージーは思わず叫んだ。
「グレンさんは、悪いことなんてしてないのに!
送り込まれなきゃいけないなんて、おかしいですよ!」
「おかしいさ。
だがな、小娘」
グレンは目を細める。
「“おかしい”ってだけで世界が変わるなら、
とっくに誰かが変えてる」
「……」
「俺たちみたいなちっぽけな奴は、
自分の番が来たら、
ただ格好つけるくらいしかできねえんだよ」
優しい笑いだった。
ミーヤが唇を噛む。
「格好つけてる場合じゃないでしょ……」
「そうか?」
グレンは肩を竦める。
「俺ぁ、自分より若いのが泣いてるのを見るほうが苦手でな。
だから、泣く暇与えずにさっさと行っちまうのが、
せめてもの礼儀ってやつさ」
そう言って、
彼は片手を差し出した。
「小娘。手を貸せ」
「……?」
ジージーが戸惑いながら手を伸ばすと、
グレンは小さな布袋を握らせた。
「それ、俺の“ツキ”だ。
昔、鉱山で拾った小石が入ってる。
本当は墓場まで持ってくつもりだったがな」
「そ、そんな、大事なもの……」
「いいから持ってろ。
お前、杖を振る時に握ってみな。
ちょっとだけ、怖さが減る」
ジージーは言葉を失った。
自分のために何もできない。
止める力も、奪い返す力もない。
それでも――
老人は最後まで、他人を気遣って笑っている。
「じゃあな、小娘。
そして……あんたも」
グレンはミーヤにも視線を向けた。
「弟のこと、ちゃんと見てやれよ」
「……当たり前よ」
ミーヤが涙をこらえながら言うと、
グレンは満足そうに頷き、
ゆっくりと石段を登っていった。
重い扉が開き、
彼の背中を飲み込んで閉じる。
それを見届けた瞬間、
ジージーの胸に、形容しがたい熱がこみ上げてきた。
(あたしは――何もできなかった)
悔しさと、情けなさと、
どうしようもない怒り。
それらがぐちゃぐちゃに混ざって、
うまく言葉にならなかった。
◆
会議室。
グレンが通されたのは、本会議室の隣にある小さな応接室だった。
やがてベルツが帳簿を小脇に抱えて入ってくる。
「グレン・ハーヴィスさんですね」
「おう」
「本日は、今後の生活支援についてのご相談ということで……」
型通りの文句を口にしながらも、
ベルツは目を伏せた。
(……本当は、“送致候補者への最終確認”だ)
それは彼自身がよく知っている。
グレンは椅子に腰掛け、
ゆっくりとベルツを見上げた。
「単刀直入に聞こうや、兄ちゃん。
俺は、“北”に送られるのか?」
ベルツは一瞬ためらい、
それから静かに頷いた。
「はい。
帝国の鉱山での労働が、
あなたの今後の“支援先”として決まりました」
「そうかい」
老人は笑った。
「だったら、ひとつ頼みがある」
「頼み……ですか?」
「ああ」
グレンは天井を見上げる。
「もし数字の帳簿にまだ空きがあるならよ。
俺の分を使って、誰か若い奴を一人、
“こっちに残す”ってことにできねえか」
ベルツは目を見開いた。
「そんな、勝手な……」
「勝手なのはわかってる。
だがな」
老人は椅子から身を乗り出した。
「数字ってのは、結局は人間が書いてるんだろ。
だったら、たまには人間の都合でいじったって、
バチは当たらねえさ」
ベルツは返す言葉を失った。
目の前の老人は、
自分が帳簿に押した“送致候補・優先”の印の意味を理解しながら、
なお、他人のことを気にかけている。
(これは……ただの数字じゃない)
胸の内で、
何かが軋む音がした。
「……検討します」
精一杯の答えを返すと、
グレンは満足そうに目を閉じた。
「それで充分だ。
あとは、あんたらの良心次第さ」
◆
鐘が二度、三度と鳴る。
朝会議は終わりを告げた。
人々は自然と、丘のふもとの掲示板の前に集まり始める。
“本日発表分”の札が掲げられ、
係の役人が新しい紙を貼り出していく。
ジージー、セルグレン、ミーヤも、
人垣の後ろからその様子を見守った。
「見えない……!」
ミーヤが背伸びをする。
セルグレンが無言で彼女の肩を支え、少しだけ前へ押し出した。
ようやく文字が見える位置に来たミーヤの目が、
一行一行を追っていく。
――成人送致候補者。
グレン・ハーヴィス。
その他、見たことのない名前がいくつか並んでいる。
ミーヤの顔が歪んだ。
だが、すぐ下の欄を見て、
彼女はハッと息を呑む。
――若年送致候補者(今季内保留)。
その一行目。
弟の名は、そこにはなかった。
「……っ」
膝から力が抜け、
ミーヤはその場にしゃがみ込んだ。
「ミーヤ!」
ジージーが慌てて支える。
「だ、大丈夫ですか?」
「……大丈夫。
まだ、あの子の名前は載ってない」
震える声だったが、
その目には安堵の涙がにじんでいた。
「でも――」
紙の下のほう。
彼女は別の欄に目を留める。
――要注視者/従順度変動者。
そこには、弟の名が小さく記されていた。
「……これ、何ですか?」
「すぐに送る予定はないが、
今後の様子次第では“候補者”に格上げされる者の一覧だ」
セルグレンが低い声で答える。
「病気が長引いたり、
家族が職を失ったりすれば、すぐに上に移される」
「つまり――」
ミーヤは拳を握った。
「まだ、猶予ってことね」
「そうだ」
セルグレンは頷く。
「時間は稼げた。
だが、帳簿から名前が消えたわけじゃない」
ミーヤは唇を噛んだ。
「……それでもいい。
今日、あの子の名前が上にないだけで、
十分よ」
その表情を見て、
ジージーは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
(グレンさんの分の“枠”が……)
誰かの犠牲が、
誰かの猶予になっている。
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、
ジージーにはまだ答えが出せない。
◆
人々が少しずつ散り始めた頃、
ジージーはふと、掲示板の端に貼られた別の紙に気づいた。
「……セルグレンさん、あれって」
“外来者・身寄りなし要員登録一覧”。
旅人や流民、
街に定住していない者の名前が並んでいる。
その中の一行に、
見慣れた文字列があった。
「……ジージー?」
自分の名だった。
脇には小さなメモが添えられている。
――年齢不詳。
――身寄りなし。
――従順度:保留。
――補助労働要員として“適性あり”。
「……どういう、ことですか」
ジージーは、
喉の奥が乾いていくのを感じた。
セルグレンが紙を一瞥し、
眉をひそめる。
「窓口で“帳簿のこと”を嗅ぎ回ったせいだろうな。
ベルツか誰かが“記録”していたんだ」
「じゃあ、あたしも――」
「今すぐ送られるわけじゃない」
セルグレンは静かに言った。
「外来者枠は、
街の枠が埋まらなかったときの“予備”みたいなもんだ。
だが――」
その目は真剣だった。
「このままここに長居すれば、
いつか本当に、その枠が回ってくる」
「……」
ジージーは、自分の名前が記された行から目を離せなかった。
(あたしも、この街の“帳簿”に組み込まれた……)
外から眺めているだけだと思っていた世界に、
自分もいつの間にか含まれていた。
グレン。
ミーヤの弟。
そして、自分。
数字のうえでは、
等しく“ひとつの行”でしかない。
掌の中で、
グレンから渡された布袋が小さく鳴った。
(止めたい。
この帳簿を、いつか必ず)
それは、
まだ形にならない誓い。
けれど、
確かに胸の奥で灯がともった瞬間だった。
◆
その日の午後。
理事会館からは二種類の封筒が出ていった。
一つは、北方帝国へ向かう定期便。
“送致候補者一覧”と“労働適性評価票”が封入されている。
もう一つは、
ルーデンス聖教国へ送られる教国便。
従順度・不満度の統計と、追跡印の報告書が入っている。
両方の封筒に記された数字は同じだ。
だが、そこから引き出される結論は違う。
帝国にとっては“どれだけ働かせられるか”。
聖教国にとっては“どれだけ支配できているか”。
そして、そのどちらにとっても――
“誰が”という名前の一つひとつは、
些細な差でしかない。
だが、その数字の裏で泣き、怒り、諦め、
それでも生きようとする人々の姿を――
今、杖を握りしめた少女は、確かに見ていた。
(いつかきっと、
この“情報の流れ”そのものを止めてやる)
砂のように、
静かに。
しかし確実に。
ジージーの中で、“支える杖の勇者”への道が、
少しずつ形を取り始めていた。
―――――――――――――――――――――
※本編ここまで。
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【後書き】
読んでくださり、ありがとうございます。
今回はいよいよ
「朝会議」と「帳簿の情報の流れ」 が本格的に顔を出しました。
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■ 朝会議とは?
•街の理事会+国家平和理事会の連絡官+聖教国側の監察教士が集まり、
「帝国に何人送るか、その枠に誰を当てはめるか」 を決める会議です。
•ここで使われるのが、これまで出てきた
従順度/不満度/送致候補表/追跡印 などの帳簿群。
•“誰が送られるか”だけでなく、
“誰に猶予を与えるか” もここで決まります。
グレンが身を引き受けたぶん、ミーヤの弟に時間が与えられた、
という形になりました。
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■ 情報の流れ(ざっくり)
•施薬院・窓口
→ 住民の体調・生活状況・“文句”が記録される
•理事会
→ 帳簿をまとめ、誰を候補にするかを朝会議で決定
•北方帝国
→ 「労働力リスト」として受け取り、鉱山や工場へ
•ルーデンス聖教国
→ 「従順度の統計」として受け取り、“支配が順調か”を判断
ジージーが見ているのは、
まだこの流れの“末端”ですが、
今後少しずつ“上流”にも手が届いていきます。
⸻
■ 次回予告(軽く)
次は、
グレンの“出立”のあと、
ジージーたちがそれぞれ何を選ぶのか。
•ミーヤと弟の今後
•ベルツ事務官の揺れる良心
•セルグレンがジージーに打ち明ける「かつての自分の罪」
このあたりを描いていく予定です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
よろしければ、また次話でお会いしましょう。




