第23層 ――崩れた駅と、空の向こう
――壊れた駅と、遠すぎる青
階段を上り切った瞬間、ジージーは立ち止まった。
「……なに、ここ」
足元は、石でも土でもない。
冷たく硬い床。規則的な継ぎ目のある、灰色をした未知の素材。
それは割れ、剥がれ、表面には「黄色い凸凹の線」が意味ありげにどこまでも伸びている。
「……建物、か?」
セルグレンが慎重に一歩を踏み出し、周囲を見回す。
「砦でも神殿でもねぇな。装飾がない。……あまりに無機質だ」
「ああ、気味が悪ぃぜ。魔力の流れも、風の通りもおかしい」
リゲロが、鼻をつく焦げたような、独特の金属臭に低く唸る。
ミナは、その場から一歩も動かずに言った。
「……霊が、変。たくさん残ってるのに、“形”がないの。みんな、バラバラに砕けて、この床に染み付いてるみたい」
ジージーは、ゆっくりと空を見上げた。
――天井が、ない。
広がるのは、これまで見てきたどんな夜空よりも深い闇。
大気による揺らぎすら排除された、無数の鋭い光点が散りばめられた、底なしの黒。
(……宇宙)
心の中でその単語を呟いた瞬間、背筋を凍りつくような戦慄が走った。
(そんなはず、ない。ここはダンジョンの地下……深く、深い場所のはずなのに)
その時。
剥き出しになった鉄の柱の向こう、視界の端に「青いもの」が映った。
「……え?」
考えるより先に、体が動いた。
「ちょ、ジージー!?」
セルグレンの制止を背に、ジージーは走り出していた。
肺に流れ込む空気はひどく薄く、冷たい。それでも、確認しなければならない。
(お願い……見間違いであって……)
砕けたタイルの床を越え、折れ曲がった看板のような板をすり抜け、崩れた壁の向こうへ。
視界が、一気に開ける。
そこに――
巨大な、あまりに巨大な青い球体が浮かんでいた。
白い雲を優雅にまとい、陽光を反射して輝く、完璧なまでの丸い世界。
「……っ」
息が、止まる。
ジージーの瞳に、その「母星」の輝きが焼き付く。
(……地球)
喉が、激しく震えた。
それはかつて、映像や写真でしか見たことのない、けれど魂のどこかが覚えている故郷の姿。
(地球だ……。私たちは、外にいるの? それとも、ここは……)
遅れて、三人が追いつく。
「おい、ジージー! 勝手に行くなって――」
セルグレンは、言葉を失った。盾を構える手から力が抜け、その視線は青い巨星に釘付けになる。
「……なんだ、ありゃあ。星なのか? あんなにデカいのか?」
リゲロが、畏怖を込めて思わず呟く。
「空に……浮かんでる」
ミナは、宝石のような瞳で静かにそれを見つめた。
「……命が、ぎっしり詰まってる。あんなに遠いのに、叫びたくなるほどたくさんの鼓動が聞こえる」
ジージーは、拳を白くなるほど握りしめた。
(私だけ、知ってる。あれが何なのか、どんな名前なのか)
(でも……言えない。言っても信じてもらえない。それに、言ったら「帰りたい」っていう気持ちが爆発して、もう戦えなくなっちゃう気がする)
「……月じゃねぇな」
リゲロが首をかしげる。
「月はもっと白くてカサカサしてる。ありゃあ、なんだ……水の塊か?」
「神話に出てくる天の座でも……こんな形、聞いたことねぇ」
セルグレンが、低く言った。
「天にあるものは、人の手には届かない、もっと遠い神聖なもののはずだ。なのに……」
ミナは、少しだけ首を傾けた。
「……近すぎる。まるで、私たちが落ちていくのを待ってるみたい」
ジージーは、唇を噛む。
(ここ、どこなんだ。なんで……ファンタジーの世界のダンジョンに、こんな場所があるの?)
文明の残骸、宇宙、そして青い地球。
このミスマッチが、モルガレンとの戦いとはまた別の、根源的な恐怖を煽った。
その時。
「うぇー……なんだこりゃ。また一段と趣味の悪い階層に来ちまったな」
間の抜けた、けれど聞き慣れた声が、背後から響いた。
振り返ると、そこにリテラとガンドラが立っていた。
「訳が分からんな。岩も鉱石もねぇ。あるのはこの、腐った鉄の棒ばかりだ」
ガンドラが不機嫌そうに腕を組む。
「ダンジョンってのは聞いてたが……」
リテラが、眼鏡の奥の目で空を見上げる。
「これは、さすがに想定外だ。天球儀の中にでも放り込まれた気分だよ」
セルグレンが、小さく息を吐いた。
「……全員、揃ったな。動揺してる暇はなさそうだ」
ジージーは、もう一度だけ青い世界を見た。
あの青い星のどこかに、自分がいた場所があるのだろうか。それとも、あれはただの精巧な幻影なのか。
(帰りたい、って思うのは……まだ、早い……)
そう、自分に言い聞かせる。
モルガレンが「興味深い」と評したこの杖は、この異様な場所で何を示すのか。
第23層。
理を逸脱し、過去と未来が混濁したような沈黙の階層。
ここはまだ、何も始まっていない。
ジージーは震える足を一歩前へ踏み出し、カチリ、と床を鳴らした。




