楽都ワーダン③ ― 声なき霧の元へ
◆前書き
音楽の都ワーダンには、ひとつだけ禁じられた“舞台”がある。
湖の真ん中の、誰も近づかない静けさ。
水面の下に眠るのは、かつて歌と祈りを捧げた古い神殿。
今はただ──
声なき霧が渦巻き、歌姫長の拍を鎖で縛りつける場所。
杖の勇者と仲間たち、そして聖歌騎士リンネは、
沈黙の主《沈黙王》へ続く、その“門”を叩きに行く。
鳴らすために。
奪われた声を、取り戻すために。
◆1 湖の上の“舞台”
夜明け前。
楽都ワーダンの中心、鏡のような湖面は、まだかすかな霧に覆われていた。
湖の周りには、弧を描くように白い石の座席。
そこから伸びる一本の桟橋が、水上の小さな舞台まで続いている。
「ここが……湖上野外ステージ、だっけ」
ジージーは伸縮棍を肩に担ぎながら、足元を覗き込んだ。
水は深い青だ。
静かすぎる。
魚の跳ねる音も、波のさざめきも、ほとんど聞こえない。
「昔は、ここで“水上コンサート”が開かれてたんだってさ」
リゲロが片手をポケットに突っ込んだまま言う。
「夜になると、湖の上に光の譜面が浮かんで、
歌姫たちが順番に歌い継いでたらしい」
「素敵ですねぇ……」
ミナが、座席の上をふわふわと漂いながら目を細めた。
「今は……“声なき霧”のせいで、中止中と」
セルグレンは静かに盾を撫でる。
「この静けさは、穏やかさじゃない。
……抑えつけられた沈黙だ」
隣で立っていたリンネが、小さくうなずいた。
白いローブに、喉元のスカーフ。
瞳は、夜の湖に似た深い青。
「湖の底に“神殿”があります。
そこが、沈黙王の気配がいちばん濃い場所です」
「歌姫長さまも、そこに?」
「はい。あの夜を境に、歌姫長さまは姿を消されて……」
リンネはぎゅっと拳を握りしめる。
「かわりに、霧だけが濃くなっていきました」
風が吹く。
湖の中央に、何かが浮かび上がった。
丸い、水の柱。
鏡のように平たい円盤が、その上にそっと乗る。
「星鏡です」
リンネの声が少しだけ震えた。
「夜の星を映して、神殿への“道”を見せてくれる装置……
本来は儀式用なのですが、今は……」
「霧の向こうの、唯一の足場ってわけね」
ミナがくるりと回って、ジージーたちの方を向く。
「さ、支える勇者。出番だよ?」
「だね」
ジージーは伸縮棍を手の中で鳴らした。
トン、と一拍。
棍先が、星鏡のある方向を“指す”ように震える。
(……行こう、って言ってる)
「準備は?」
セルグレンは盾を確かめ、リゲロは影を足元に馴染ませ、
ミナは霊体の揺らぎを締める。
リンネは自分の喉に手を当てた。
「……少し怖いです。でも、わたしの歌で守れるのなら」
瞳に、決意の光。
「行きます。歌姫長さまを取り戻すために」
「うん。行こ」
ジージーは頷き、桟橋に足を踏み出した。
──音のない湖へ向かって。
◆2 星鏡が指し示す道
湖上ステージからさらに先。
星鏡の円盤の上に立つと、足元の紋様がぼんやりと光り始めた。
リンネがそっと歌い出す。
「♪──
最初は、かすれた小さな声。
けれど、それは確かな“旋律”だった。
紋様の光が線になり、湖面へと延びていく。
「……道が、見える」
ジージーには見えた。
静かな湖面の上に、かすかな光の足場が弧を描いているのが。
「星鏡は“正しい歌”にだけ道を見せるのです」
リンネは細く息を継いだ。
「歌姫長さまから教わった道筋……忘れていません」
セルグレンが足を踏み出す。
光の上に靴が乗り、沈まずに支えられた。
「問題なさそうだ。慎重にな」
「落ちたら?」
ミナが軽く首をかしげる。
「幽霊だから平気だけど?」
「俺はごめんだな」
リゲロがため息をつく。
「水の中って、音の通り方が違う。影術がどこまで使えるか……」
ジージーは伸縮棍で足場を軽く叩いた。
コン、コン。
音は出る。
それだけで、少し安心した。
「影が薄くなるなら──代わりにあたしが拍を刻むよ」
「……へ」
「大丈夫。
リゲロの影が届かないところは、あたしの音で繋ぐ」
ジージーはニッと笑った。
「あたしたち、“支える勇者と影走り”でしょ?」
リゲロは少しだけ肩の力を抜いた。
「……ああ、そうだな。支え合いってやつだ」
「いいですねぇ、そういうの。友情〜って感じで」
ミナが妙に嬉しそうだ。
「からかわない」
セルグレンが苦笑しつつ前進を指示した。
「行くぞ。ここから先は、一歩踏み外したら冗談抜きで危険だ」
四人と一体(幽霊)と一人(聖歌騎士)は、
星鏡の指す光の道を、湖の中央へと進んでいった。
◆3 湖底神殿の門
やがて光の道は、湖の真ん中──
ぽつんと浮かぶ小さな石の島で終わりを迎えた。
島の中央には、石でできた門が立っている。
半円形のアーチ。
その向こうは水面ではなく、黒い穴だ。
「ここが……」
「湖底神殿への“落ち口”っすねぇ」
ミナが覗き込みながら肩をすくめる。
「うわ、雰囲気悪〜い。嫌いじゃないけど」
「リンネ」
セルグレンが慎重な声を出す。
「ここから先は、本当に危険だ。
君はここで待っていてもいい」
だがリンネは首を振った。
「わたしの歌がなければ、道が見えません。
それに──歌姫長さまは、わたしの“師”です」
瞳は揺れていない。
「ここで背を向けたら、
きっとずっと、歌うたびに後悔します」
「……分かった」
セルグレンは短くうなずいた。
「危なくなったら、自分の身を最優先しろ。
守れる範囲には限界がある。その中で、全力を尽くす」
「はい」
リンネは胸に手を当て、一礼した。
「ジージー」
リゲロが顎で門を指す。
「行くか、前衛殿」
「もちろん」
ジージーは伸縮棍をくるりと回した。
トン、と地面を叩き──
そのまま黒い穴の中へ躊躇なく飛び込む。
「続け!」
セルグレンが飛び込み、
「いやぁもうちょい躊躇おうよ!?」
リゲロが毒づきつつ続き、
「ひゃっほー! 落ちるのだけは得意〜」
ミナが嬉々として滑り込み、
「……っ、いきます!」
リンネが最後に身を躍らせた。
世界が、裏返る感覚。
音が遠くなり、
代わりに心臓の鼓動だけがやけに近く聞こえた。
◆4 水の中の“ホール”
──着地。
足元は水かと思いきや、
しっとりとした石畳だった。
「……ここ、水の中?」
ジージーは息を確かめる。
息は、できる。苦しくない。
周囲を見渡すと、淡い青の光が宙に漂っている。
「水の膜の内側、って感じだな」
リゲロが指を伸ばして光に触れる。
指先を通り抜ける柔らかな抵抗感。
だが濡れはしない。
「古い結界ですねぇ。
“水の神殿”っぽい雰囲気」
ミナがくるりと回りながら壁を眺める。
壁には、古い楽譜のような浮き彫りや、
波と竪琴をかたどった紋章が並んでいた。
「ここで、かつては“沈まない歌”を捧げていたのでしょう」
リンネの声には、敬意と悲しみが混じっていた。
「今は……沈黙の王の“前室”ですけれど」
奥から、かすかな響きがした。
コン、コン、コン……
靴音でも、石の音でもない。
何かが“叩かれている”音。
「嫌な音だな」
セルグレンが盾を構える。
「……リゲロ?」
「分かってる」
影が、スッと伸び──
その先が、ぴたりと止まった。
「……反応あり。
“音のない影”がうろついてる」
「音のない影?」
「普通、影は足音と一緒にやってくる。
でも、こいつらは足音も呼吸音もない。
“音だけ喰われた存在”だ」
ミナが眉をひそめた。
「つまり……“音だけの幽霊”みたいな?」
「いや、“音だけを奪われた生者かもしれねぇ”」
リゲロの声は低い。
「気を付けろ。躊躇ってる余裕はないが、
むやみに斬り捨てても後味が悪すぎる」
「うん。
あたしたちは“倒す”んじゃなく、“繋ぎを戻す”んだよ」
ジージーは伸縮棍を握りしめた。
「鍵穴じゃなくて──蝶番へ」
棍が、静かに一拍鳴る。
◆5 音喰らいとの遭遇
広間を抜けた先に、
半球状のホールがあった。
中央に、大きな水晶のような球体。
その周りを、無数の“影”がうろついている。
影には形がない。
ただ、いびつな人型の“輪郭”だけ。
耳も、口も、喉も、無い。
「……音を奪われた人たち?」
ジージーは息を呑んだ。
リンネの手が震える。
「この気配……ワーダンの歌い手たちです。
合唱団の仲間も混じっている……」
「じゃあ、余計に“ただ壊す”わけにはいかねぇな」
リゲロが前へ出る。
影が一斉に振り向いた。
──足音も、咆哮もない。
ただ、世界から「音」が引き剥がされる感覚だけが走った。
「来る!!」
セルグレンが盾を構える。
その時。
水晶球の上に、
ぬるりと“何か”が現れた。
ぐにゃりと歪んだ音叉のような腕。
耳の形だけがやたら大きな顔。
喉はなく、代わりに黒い穴。
「……こいつが」
「沈黙王の幹部、《音喰らい(サウンドイーター)》」
リンネの声は震えながらも、
名を正確に告げた。
音喰らいは、笑った“ように”見えた。
音はない。
だが、確かにあざける気配。
「私の歌が……何度も、喰われた相手です」
「リリスティアの眷属みたいなもんか」
リゲロが目を細める。
「奴の糸をたぐる“中継点”だろうな」
音喰らいが、指のようなものを鳴らす。
──音が消えた。
「……っ!?」
ジージーは思わず喉を押さえた。
声が出ない。
「声が……」
ミナも口をぱくぱくさせるが、音が空気へ届かない。
セルグレンの靴音も、
リゲロが影を踏み出す足音も、全て無音。
“完全な無音の世界”。
(やば……このままじゃ)
思考が、妙にばらばらになっていく。
そんな中──
伸縮棍が、ひとりでに震えた。
コツン、と、かすかな一拍。
(まだ……届く)
ジージーは全身の力で棍を握り、足元を叩いた。
トン。
音は、出た。
信じられないほど小さいけれど、確かに。
音喰らいが、びくりと顔を向ける。
巨大な耳が、ジージーの方を“聴いた”。
◆6 リゲロの“影”が喰われる
影たちが一斉にジージーへ殺到する。
黒い輪郭が、波のように押し寄せる。
「っ……!!」
セルグレンが前に出る──が、
盾に当たる“感触”はあるのに、衝突音がない。
衝撃だけが身体を削っていく。
(まずい、リズムが狂う……!)
音がないせいで、
自分の動きのタイミングすら掴みづらい。
そこへ──
地面を走る影が、
稲妻のように駆けた。
リゲロの影術だ。
無数の刃となって、輪郭たちの足を噛む。
影たちはバランスを崩す──が。
音喰らいの耳が、リゲロを向いた。
黒い穴が、ぱくりと開く。
“何か”が、リゲロの足元へ伸びた。
「……っぐ……!!?」
リゲロの影が、引き抜かれた。
足元から一本の“黒線”がずるずると剥がれ、
音喰らいの口の中へ吸い込まれていく。
影が喰われる。
リゲロの身体から、血の気が引く。
「リゲロ!!」
ジージーは叫ぼうとしたが、やはり声にならない。
リゲロは膝をつき、
必死に地面へ自分の“影”を取り戻そうとする。
だが、影は空回り。
いつものように形にならない。
(影が……俺の“音”が……)
リゲロの目が揺れる。
影走りのすべては、
足音や呼吸、心臓の鼓動――
自分の“拍”を影に通すことで成り立っている。
その拍が、抜き取られつつあった。
(まずい……このままだと)
リゲロは、初めて“恐怖”で指先を震わせた。
音喰らいは、愉快そうに腕を広げる。
黒い耳が、
リゲロの鼓動だけを狙っている──そんな気がした。
◆7 リンネの歌、覚醒
その時。
静寂の中で、
たったひとつだけ──別の“音”が生まれた。
リンネが、歌った。
「──ぁ」
最初の一音は、掠れていた。
沈黙に押し潰されるような、小さな吐息。
だが、彼女は諦めなかった。
喉を押さえ、
胸を張り、
目を閉じる。
(歌姫長さまなら、こんなところで止まらない)
(ジージーさんたちも、ここまで声を守ってきた)
(わたしだって──)
もう一度、音を出す。
「──ラ」
今度は、少しだけ響いた。
星鏡の時と同じ旋律。
けれど、もっと深く、まっすぐな音。
湖と、神殿と、自分自身を貫く音。
沈黙の結界に、ひびが入った。
音喰らいが、苛立つように耳を振る。
リンネは、声を重ねた。
「ラ──ララ──」
音は細い。
だが、真っ直ぐだ。
沈黙の世界に、一筋の“道”が通る。
ジージーの耳にも届いた。
(……聞こえる)
伸縮棍が震える。
リンネの歌の“拍”に同調するように。
ジージーは棍を振り上げた。
トン。
リンネの旋律の合間に、
自分の拍を挟む。
ラ──トン──ララ──トン──
歌と拍が、混ざり始めた。
空間の“無音”が剥がれていく。
セルグレンの息づかいが戻る。
ミナのふわりとした浮遊音が戻る。
そして──
「……っは!」
リゲロの胸の奥で、心臓がどくんと跳ねる音が自分で聞こえた。
(音が……戻ってきた……!)
影が、一瞬だけ濃くなる。
リゲロは地面に手を叩きつけるように触れた。
「影は──俺の“拍”から離れねぇんだよ!!」
地面から、黒い牙が突き出た。
◆8 影走り、復帰
リゲロの影が、
音喰らいへ向かって鋭く駆けた。
今度は、奪われない。
リンネの歌と、ジージーの拍が、
“影の拍”を守っている。
「《影双牙・改》──“沈黙噛み”!!」
影の牙が、音喰らいの“耳”を噛み砕いた。
耳の殻が裂け、
黒い煙が漏れ出す。
音喰らいが初めて、
分かりやすい“悲鳴”をあげた。
音が出た。
ひゅううううう、と、
中途半端な、くぐもった絶叫。
「よし、出るじゃねぇか音!!」
リゲロが歯を見せる。
「だったら、遠慮なく黙らせてやるよ。
“正しい静けさ”ってやつにな」
「ジージーさん!!」
リンネが息継ぎの合間に叫ぶ。
「今です!! わたしの歌に……
拍を、重ねて!!」
「了解!!」
ジージーは伸縮棍を両手で握り、
リンネの旋律にぴたりと合わせて、足元を踏み鳴らした。
ラ──ララ──ソ──
トン──トン──
歌と拍が重なり、
空間に“ひとつのリズム”が生まれる。
ミナがそのリズムを霊体の幕に変え、
セルグレンが盾の表面に刻む。
「音喰らい!!」
ジージーは前へ出た。
「お前が飲み込んだ声は──返してもらう!!」
伸縮棍が、
リンネの歌と同じ拍で震える。
響音撃
──解呪の連打!!
棍が空気を叩くたびに、
音喰らいの身体から黒い“音の糸”がほどけていく。
リゲロの影が糸を噛み切り、
ミナが迷子の声を導き、
セルグレンの盾が、最後の一撃を受け止める。
「うおおおおおッ!!」
ジージーの一撃が、耳と口と喉の“穴”を貫いた。
音喰らいの身体が砕ける。
黒い砂となって、霧のように散った。
次の瞬間──
ホール中に、
ささやき声や笑い声、練習の音階や外れた音程が、一気に溢れ出した。
「……みんなの、声だ」
リンネの頬に、涙が一筋、こぼれた。
◆9 鎖に囚われた歌声
音喰らいが消え、
水晶球もひび割れ、崩れ落ちた。
その背後に、
さらに深く降りていく階段が現れる。
「……まだ、奥がある」
セルグレンが息を整えながら言う。
「沈黙王は、ここが“門の前”だとでも言うつもりか」
「らしいな」
リゲロが肩を回す。
「でも、音喰らいを潰したことで、
ここに縛られてた声はかなり解放されたはずだ」
「上の街も、少しは息がしやすくなるでしょうねぇ」
ミナがくるりと回る。
「ただ、本丸は──」
「まだ、沈黙してる」
ジージーは、階段の方を見つめた。
そこで、聞こえた。
かすかな歌声。
細い、細い。
それでも、見覚えのあるワーダンの“祈りの歌”。
リンネがはっと顔をあげる。
「……歌姫長さま」
震える足で、階段の一段目に足を乗せる。
降りた先の小さなホール。
そこには、
水の鎖で空中に縛り付けられた一人の女性がいた。
長い水色の髪。
閉じられた瞳。
歌い手の衣装のまま、動かない。
その喉元にだけ、うっすらと光る“封印”。
「歌姫長さま!!」
リンネが走り出そうとするのを、
セルグレンが慌てて止めた。
「待て、罠かもしれない!!」
だが、ジージーには分かった。
歌姫長の胸の奥から、
かすかな“拍”が聞こえた。
(まだ、生きてる)
伸縮棍が、それに共鳴するように震える。
「大丈夫。
生きてる。まだ、間に合う」
ジージーは一歩前へ出る。
リンネが彼女の袖を掴んだ。
「……助けられますか?」
「助けるよ。絶対」
ジージーは笑う。
「だってあたしたち、“支える勇者と仲間たち”だから」
その時──
ホールの最奥、さらに下へ続く闇から、
ぞわりとした“視線”が這い上がってきた。
声は、まだ聞こえない。
けれど、はっきり分かる。
沈黙王が、
こちらを“聞きに来ている”。
(……来る)
ジージーは、伸縮棍を構えた。
「鍵穴じゃなくて、蝶番へ。
沈黙王、あんたの“拍の外し方”を──
ちゃんと、直してあげる」
湖底神殿の空気が、
次の戦いの予感で静かに震えた。
⸻
◆次回予告
楽都ワーダン④ ― 沈黙王と鎖の歌姫
・歌姫長救出なるか
・沈黙王との初対面
・「声を奪う呪い」と「拍を守る勇者」の真正面衝突
・リンネ&リゲロの“合わせ技”、セルグレンの限界盾、ミナの魂リンク
次回、湖底神殿クライマックス。
拍を刻んで、待っててください。




