第5話 ドラゴンさんと眠る村
アールには出かけることを告げて、翌朝早くに、私とネクターはくだんの村へと飛び立った。
念のため、おじいちゃんにもなるべくアールのそばに居てもらえるように言付けたから大丈夫だろう。
というわけで、ドラゴンに戻った私は背にネクターを乗せての遊覧中だった。
「ネクター寒くない?」
《問題ありませんよ。東和の衣装は風を通しますが、今は夏ですし、あなたの背は落ち着きます》
「それ全然関係な……みゃっちょ、ネクター! その撫で方はやめてくれっ」
《嫌ですか?》
「嫌じゃないんだけれど、ぞわってするんだぞわって」
《では地上でやりましょう》
「分かってやってるね?」
ネクターと思念話で他愛なく話してというかじゃれ合うのはなんだか、すごく落ち着いた。
《ラーワ、御師様が今されている作業は、封印維持用の自動演奏器づくりなんでしょうね》
世間話のようにさりげなく投げかけられた言葉に、私はうなずいた。
「あれ、すごいよね。自動演奏の術式にくわえて封印の上書き用の術式も追加してるんだもん」
《ええ、今とはまったくアプローチが違っていて、ちらりと盗み見るだけでも勉強しがいがあります。ただ、具体的な再封印の準備はしていないようなので、一体なにをされているのかなあと》
「あれで、おじいちゃん、5000年しか持たせられなかったことを気にしてるからねえ。それでも、こういうことはありえると思ってたみたいだから、封印用の術式は元々用意してたんじゃないかな」
《そうで、しょうか》
「うんうん。音楽とか楽器はその時その時で親和性の良いものを選びたいというか、好みもあるだろうしって、あえて決めてなかった節があるから」
愁いを含んだ思念に、やっぱりネクターには分かるよなあと、私は苦笑いをこらえる。
少し、会話が途切れた。
さて、そろそろカルラさんから教えてもらった村の近くなんだけど。
《ラーワ……》
「あ、あれじゃないかな。例の村。降りるねー」
《……待ってください、その勢いのままで近づいたらっ!》
「ぴぎゃっ!?」
ネクターの制止の思念が届くのとほぼ同時に、前方に結界が張り巡らされているのに気づき。
私は避ける間もなくごちんと頭をぶつけたのだった。
いひゃい。
*
よろよろしながら、私達が村の外れにある、田んぼと田んぼの間に通されていた太めの道に注意深く降りた。
とたん、土下座で平謝りしてきたのはと簡素な作務衣みたいな服を着た獣人の青年と、人間の巫女さんだった。
『まことに申し訳ございませんっ。まさか空から来られるとは思わず、流行病であることを考慮して結界で封鎖していただいていたのです』
『申し訳ありません申し訳ありません! 竜神様になんたるご無礼を』
『うん、いいよいいよ。うかつだった私が悪いから』
カルラさんから向こうの人に連絡を入れてもらっていたとはいえ、村の巫女さんは村を守るために未確認の人外生物には防御態勢を取ることを忘れていた私が悪い。
青年の頭頂部には小さな丸い耳が、腰からはふっくらとした尻尾がある。
一体なんの種族なんだろうと思いつつ、私の石頭で割ってしまった結界を直せば、巫女さんはもはや泣き出しそうな勢いだ。
巫女さんは榛名さんという20代後半くらいの女性の人間だった。
黒い髪をゆるく束ねているどこか気弱そうな彼女は、よく見れば帝さんに出会ったときに結界を張っていた巫女さんの一人だ。
蝕の白い霧を収めていたくらいだから、かなりの実力者だろう。
さらに言えば、となりに居る作務衣の青年もどっかで見たことがある気がするんだけど……。
すると、ネクターは青年に意外そうな眼差しを向けた。
『咲間さんがこちらの調査に派遣されていたのですか』
『はい、お久しぶりであります』
『誰なんだい?』
『彼は、帝様の側勤めの術者です。”門”の制作時にも助力をいただきました』
通りで見覚えがあるはずだ、と改めて彼を見ていれば、咲間さんは少し照れたように尻尾を揺らしつつ頭を下げてくれた。
『狸族の咲間と申します。このたびの妖魔災害を収めてくださり、まことにありがとうございました。さらには調査にまでご協力していただいて、感謝の念に堪えません』
『君たちが国を、大事な人を守ろうと奮起したからこそ、あの災害は治められたんだ。そんなにへりくだらなくても良いんだよ』
榛名さんと共に深々と頭を下げた咲間さんに、私はなんとも身の置き所のない感じを味わう。
「ラーワ、あなたはそれだけのことをしたのですから、感謝の気持ちを素直に受け取って差し上げるのも優しさですよ」
「そうは言ってもね、なんか恥ずかしいというか照れるというか」
ネクターに西大陸語で突っつかれて、もごもご言っていれば、咲間さんが顔を上げつつも曇った表情で言った。
『この眠り病についてまったく分からない中で、増援が来てくださるのは本当にありがたいんです。ここは自分の故郷なので』
『そうだったんだ』
彼が、悲しみに満ちた眼差しで村の方角を見るのに、私とネクターは当初の目的を思い出して表情を引き締める。知り合いや家族が目覚めないのは心が穏やかでいられるわけがない。
さらに榛名さんが、不安に揺れる眼差しでぎゅっと杖を握る。
『それに、今朝あらたな発症者が出てしまいまして……予断を許さないのです』
『もしや、三人目の調査員が居ないことと関連しておりますか』
ネクターに問いかけられた榛名さんはこくりと頷いた。
『ともかく見ていただいたほうが早いかもしれません』
榛名さんと咲間さんに促されて、私たちはくだんの村へと踏み入れた。
*
咲間さんの故郷だという咲間村は、狸族が中心となった小さな村らしい。
都市部からは離れているので、いつも情報が届くのも遅く、おそらく白の妖魔の大反乱も終わったあとに知っただろうと、咲間さんが歩きながら話してくれた。
米作りが盛んで、子供達があぜ道で遊ぶ声がひびく、のどかで豊かな村なのだという。
だけど、その村はしんと静まりかえっていた。
真昼で、晴れた青空が広がっているにもかかわらず、水に沈んだ砂のような不思議な空気に包まれている。
淀む、のとはまた違う、なんとなく息苦しさというか、そう、澄み切りすぎて逆に圧迫感を覚えるような感じだ。
薄く、白い霞が漂っているせいもあるのかもしれない。
……いや、ちょっと待て。
『今日の朝から、こうしてもやが出てくるようになったんです。最初は山から霧がおりてきたのかなって思ったんですけど』
『こんな時期に霧が出ることなんてありませんし、日が高くなっても消えないなんてことはありません。しかも、今日の朝は一緒に調査に来ていた守り人が眠ったまま目覚めなくなりました』
『あなたたちはどうなのですか?』
口々に言う榛名さんと咲間さんにネクターが訊ねれば、咲間さんが言った。
『自分たちも、朝からとても眠かったのですが、村から離れてお二方に出会ってからは通常通りです』
『一応、私が作った魔除けの護符を持っていますが……』
あんまり効果がないようだったのは、二人の顔を見れば分かった。
『なるほど、ともあれこの霧が関係しているのは間違いなさそうですね』
『ねえ、君たちは魔族、神々と盟約していたりするのかい?』
ネクターが考え込む横で、私が質問すれば、榛名さんは不思議そうな顔をしながらも黒髪を揺らして首を横に振った。
『先の災害では、神の一柱と契約をさせていただきましたが、その場限りのことでありました。それが、何か』
『自分も同様です』
咲間さんも同じ答えで当てが外れたけれど、ネクターは私の考えたことが分かったらしく、顔色を変えた。
『ラーワ、もしやこれは蝕なのですか』
『今まで遭遇した蝕とは違う気がするけど、似たようなものだと思う』
とたん、東和の人である咲間さんと榛名さんが青ざめた。
目の当たりするたびに感じていた負の思念が混じっていないし、先に調査をしていた榛名さんと咲間さんがどうして無事かというのも分からない。
けれど、この薄もやが蝕と同質なことは確かだった。
もしかしたらこれだけ薄いからこそ、生物への影響が変化している可能性もある。
とはいえ、ともかくこのままじゃまずいと、東和の人である二人が青ざめるのを横目にしつつ、私は西大陸語に切り替えてネクターに聞いた。
「なあネクター、一時的に二人と契約させてもらってもいいかい?」
「……そうですね、私ではこころもとありませんし、それが一番確実でしょう」
ため息をついたネクターがちょっと不本意そうなのはしょうがない。
「ありがと、あとで君とのつながりも強化しようね」
私とネクターは誓約でむすばれているとはいえ、蝕に対抗するためのものとはまた違ったものだ。
先の蝕災害の時は私が全力を出さなきゃいけなかったから悩んだ末にやらなかったけど、東和の盟約方法を応用した術式自体は作り上げてあった。
あれをやればネクターも濃い蝕に触れただけで消滅はなくなるだろう。
「そうですね、私にも必要ですよね! 仕方ありませんやりましょう」
ちょっと現金なくらい機嫌を直したネクターに、東和国の二人が目を白黒させていた。
発動キーをキスにしただけなんだけどねえ!
肉体的な接触や象徴的な行動の方が、契約を結ぶときには適しているというただの利便性なんだけれども。いつもやってるくせに何でそんなに喜べるのか、不思議というかなんというか。
「何を言っているんですか、愛情を確かめ合う行為はいつだって歓迎! なのです!」
「そんなに強調しなくてもいいよ!」
熱くなる頬を感じながらも、ネクターが亜空間から引っ張り出した杖の葉っぱをもらった私は、そこに術式と私の魔力を乗せた。
『はいっ。私は木の葉が枯れるまで、君たちと縁を結ぶことを望むよ! ラーワ、と名前を呼んでくれ』
私はそう宣誓をしつつ、葉っぱをちぎって彼らに差し出したのだった。





