第2話 そういうつもりのドラゴンさん
魔鎮祭が開催されるとお触れが出されてから間もないにもかかわらず、どこからともなく商売人達が集まって露天や出店が始まっていた。
それを目当てに人も集まり、すでに分社へ続く参道は縁日さながらの賑やかさだ。
生活用品を扱う露店も混じっているところが、未だに復興中な感じはするけれど、それ以上にリンゴ飴っぽかったり、イカ焼きっぽいものや、串に刺した焼き肉だったりの食べ物屋さんが立ち並び、そこかしこから良い匂いが立ち上ってきている。
お好み焼きやらたこ焼きらしきものをみつけて、私までそわそわしてしまうのはしょうがない。
アールは特に顕著で、亜麻色の髪を楽しげにゆらしつつうきうきと左右を見渡していた。
「やっぱりすっごい、いろんなのが並んでる!」
「当日になると、夜に明かりがともって、もっと賑やかになる。けど私達は観られないから、今のうちに回るよ」
はじめおじいちゃんにめちゃくちゃ緊張していた美琴だったけれど、食べ物の屋台を前にした瞬間、目が狩人になっていた。
本当にお腹が空いていたんだろうなあ。
舞は静かな動きが多いけど、足腰にすごく力を使うようだから見た目よりも体力を使っているようだったし、練習でもわずかに魔力を使っていたからさらに疲労しやすい。
「みこさんっ、まずはあれ、行きましょうっ!」
先にお小遣いは渡していたので、アールと美琴がたちまち屋台の一つに突撃していった。
「子供はいつの世も、元気なものじゃのう」
しみじみとつぶやくおじいちゃんを、私はそっと伺った。
アールと美琴がどんどん品さだめをしていく姿を眺めるおじいちゃんは、落ち着き払っていて、ほほえましげに和ませている姿は何一ついつもと変わらなかった。
あんな話を開かしたあとだというのに、その図太さが少しうらやましい。
顔には出さないけど、ひそかにそんなことを思っていると、ふいにネクターがおじいちゃんに問いかけた。
「御師様の、準備のほうはいかがですか」
「うむ、良き資材には目星がついたぞ。あとは陣を組んで作業を始めるだけじゃ」
案の定何でもないことのように語ったおじいちゃんは、ネクターに向けて片眉を上げて見せた。
「気になるかの?」
「もちろんですとも。蝕をその身に封じた竜を再封印するものなのですから大変にそそられます!」
「いつも通りだねえネクター」
私は顔を引きつらせたのだが、ネクターは大いに青い双眸を危ない感じに光らせていた。
「私から探究心をとったら何が残るというのでしょう! 急がねばならない理由がなくなったのですから、御師様の秘術を盗むことに全力をかけられます!」
「素直な弟子を持ったものじゃのう」
さすがに少々呆れた風になるおじいちゃんにも、ネクターは怯まなかったが、興奮は去ったようで落ち着いた面持ちで言った。
「もちろん、リュートが晦冥の封印を解き、原初の竜を目覚めさせようとしていることも、封印を解けば、原初の竜がその身に封じていた蝕があふれ出ることも理解しています。リュートの思惑を鑑みるになるべく早く、たどり着かねばならないでしょう」
ネクターはうっかり我を忘れることも多々あるけれど、締めるところはきっちり締めるんだよなあ。
つい先日、おじいちゃんととテンは、この分社に居る私や、ネクター、カイルに対して、晦冥の封印について、そしてリュートが何をしようとしているのか話したのだ。
5000年前に、メーリアスも、東和ですら比べものにならない蝕の大災害があったこと。
あふれ出した蝕を封じるために、原初の竜が封印の要となって納めたこと。
竜から願われて、おじいちゃんが封印具である、リュートともう一人の絵筆の女性、パレットを作り上げたことも。そして、テンからはリュート達の思惑まで。
ネクターもカイルも、おじいちゃんがその時代に居合わせたことを、何より古代人と古代魔術が断絶した一端を知って絶句していた。
おじいちゃんは肩をすくめつつも、ネクターに応じる。
「リュートの正体は、当時の技術の粋を集めて創られた自動演奏式魔術封印具じゃ。器物の精霊は本体の存在意義に反した行為はできぬからの。あやつに晦冥の封印は解けぬ」
「原初の竜……アドヴェルサでしたか。リュートが彼の解放を望んでいるのなら、ただ封印を解くだけでは意味がない。そのために、晦冥の封印を移せる可能性のあるラーワを求めたと言うことなのでしょうね」
真摯に表情を引き締めたネクターが私を見て、ちょっと居心地の悪い気分を味わう。
お爺ちゃんは、深く頷いて補足した。
「当時氾濫した蝕は、原初の竜が身のうちに取り込み、晦冥の封印で眠りにつくことで納められた。しかし封印がほどけかけたことが今回の連続する蝕の災害の要因じゃろうて。なにせ自動演奏器によって定期的に更新されていたとはいえ、5000年前じゃったからのう。たびたび緩んでいたようであるのに気付かなんだのは不覚じゃった」
白いひげを撫でつつ言うおじいちゃんに、ネクターがなんとも言いがたい表情になった。
「御師様が、その封印に関わっていたのも驚きなのですが……。疑問がいくつか」
「話したときでさえ散々質問しておったくせに、まだあるか」
うんざりした顔を隠さないおじいちゃんにも一切頓着せずに、ネクターは問いかけた。
「晦冥の封印によって眠りにつくアドヴェルサの、代わりとなるものをリュートが探していた。そこまでは分かります。人々の間で眠りについた竜のことが忘れ去られていたのも、五千年の月日が流れているのでしたら無理もないことです。ですがなぜ、竜たちは蝕と共にその存在を忘れていたのでしょう。さらになぜラーワだったのでしょう。ほかのドラゴンでも良かったのでは」
「竜どもは、蝕の耐性を持つ竜と持たぬ竜がおった。じゃが偶然こやつはアドヴェルサ同様蝕に対する耐性を持っておった。ゆえにリュートはこやつに目を付けたのじゃろうなあ」
「私も、何でかわかんないけどね。ただ、ほかの竜が忘れていた理由は、ドラゴンネットワークのせいじゃないかな」
私が付け足せば、ネクターはすぐに思い至ったようだ。
「なるほど、共鳴現象ですね」
ドラゴンネットワークで通じるのは意識だけではない。魔力や色んなものを通じさせてしまう。
意識的に閉ざしていたとしても、アドヴェルサの存在を認知しているだけで、ドラゴンネットワークを通じて、アドヴェルサを刺激してしまうのだ。
アドヴェルサが目覚めることがなくても、蝕がにじみ出て感染してしまう可能性がある。
だから、縁の深い古いドラゴンたちはアドヴェルサと蝕を忘却した。
存在をないことにしたから、私やアールみたいな若いドラゴンには受け継がれなかったのだ。
と、私とおじいちゃんは念入りに口裏を合わせた。
「私は、原初の竜を直接知らなかったから、縁も薄い。アールにも言ってネットワークは切ってるから当面は大丈夫だと思う」
念のために名前だけは呼ばないように気をつけてるし。
「それは安心しました。つまり、結局、蝕の正体は御師様にも分からないのですね」
ほんの少しだけ、身体がこわばったことは、気付かれなかっただろうか。
そっと伺えば、ネクターは残念そうにしつつも、少々わくわくとした雰囲気を醸し出していた。
「まあ、それが妥当なのでしょう。私もすべてが分かる、とは思っていませんし、でなければ探求しがいがありませんから。……それで、当初の質問に戻りますが、御師様の晦冥の封印の再強化はどのような媒介を利用するのでしょう!」
「おぬしの知りたがりも大概じゃのう」
すちゃっとノートとペンを取り出すネクターに、おじいちゃんは顔を引きつらせながらも答えるようだ。
「まあのう、媒介についてはちいと聞かねばと思っていたのじゃ。……とちょうど良いな」
おじいちゃんがつぶやくのに惹かれて顔を上げれば、ぱたぱたとアールと美琴が戻ってくるところだった。
二人とも、幸せ一杯の表情で両手一杯に食べ物の包みを抱えている。
「かーあーさーまー! これ持ってて、向こうにもおいしそうなのあったからもう一回行ってくるっ」
「あっちに、座れる場所、あるので待っててください」
どうやらまだ買い込む気満々の美琴に苦笑しつつ、私は提案した。
「いやいや、美琴のほうがお腹空いてるでしょ。教えてくれれば買ってくるから、先食べてなよ」
「ですが……」
遠慮と空腹の間で揺れ動く美琴をどう説得しようか迷っていると、ひょいとおじいちゃんが進み出た。
「お嬢さんや、ちいと聞きたいことがあっての。食事がてら、この老いぼれの話し相手になってくれんか」
「私で、よろしければ」
おじいちゃんは、美琴の葛藤を見抜いた上で、受け入れられる言い回しでやんわりと承諾させていた。
……もしかしておじいちゃん、ほんとにぶいぶい言わせていた時期があるのかな。
ともあれ、私もアールを向いて言った。
「じゃあ、一緒に待っててね」
「わかった! じゃあそことこことあそこでお願いね」
快活にうなずいたアールから、思念話経由で買ってきて欲しい屋台の数々に若干顔を引きつらせた。
わあお、多いな!?
まあ、食べる分には胃袋は沢山あるから大丈夫だろけど、物理的に持ちきれるだろうか。
「私もご一緒いたしましょう」
「助かる」
真剣に悩んでいれば、同じ思念話を受け取っていたネクターが言い出してくれたので、私はアール達と別れて二人で歩き始めた。
「うむ、聞きたいのはほかでもない、舞の音楽に使われておった楽器でな。笛の音が混じっておったじゃろう」
「龍笛のことでしょうか」
「ふむふむそう言う名であったか……」
どこから回れば一番都合が良いか考えていると、ふとおじいちゃんと美琴の声が風に乗って聞こえてきた。
そっか、おじいちゃんは、それにするんだ。
「ラーワ」
「ん、なに?」
振り向けば、ネクターがなんとなく迷うように薄青の瞳をさまよわせて言った。
「その、御師様は、晦冥の封印を施す際にラーワの手が必要だと、おっしゃっていましたが。本当に私はなにもお手伝いできないのでしょうか。あなたに無理がかからないかと」
「大丈夫大丈夫。おじいちゃんあれでも慎重派だからね。できると踏んだこと以上のことはやらないよ。私も、概要を教えてもらったけどそんなに難しいことはなかったから」
おじいちゃんから、コツは教えてもらった。
ごまかすときは、若干の真実を混ぜること。そうすれば、ある程度信憑性を持たせられるから。
「ただ、準備に時間がかかるらしいから、本格的に動き出せるのは、魔鎮祭が終わってからになるだろうねえ」
「そう、ですね。ほかの魔術師の魔力が入れば、だめになってしまう儀式もありますから」
ネクターは、なんとか納得してくれたようだ。
よかった、これだけは本当のことを言うわけにはいかないから。
「さてと! まずは温かくなくても大丈夫なやつから買って回ろうか」
「そうですね、……ただ、美琴さん、本気でこの分量を食べきるのでしょうか」
さっき買っていたのも合わせるとかるーく10人前はあるもんね。
いつもの雰囲気に戻ってくれたネクターが、若干心配そうな顔をするのに、私はあははと苦笑した。
「まあ、なんとかなるでしょ、私もアールもいざとなったらいくらでも食べられるわけだし。ほらっ行こっ」
私はネクターの手を取って、軽く引いた。
ネクターが薄青の瞳を丸くしながらも、反射的に握り返してくれて、ほんのりと胸の奥が温かくなって。改めて決意が宿る。
このぬくもりを、失いたくない。
だからそのためなら、何でもするよ。
そうして私は一件目の屋台を探すために前を向いていたから、ネクターがその時どんな顔をしていたかは、知らないのだった。
ちなみに、美琴は私たちが買ってきた分をきっちりとお腹に納めて、幸せそうな顔をしていたのは余談である。
 





