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【ドラゴンさん!Ⅳ発売記念番外編】龍は人族を理解しきれるか?後編


『……え?』

『なりません、と言いました』


 真琴に言葉を繰り返され、そこで、テンはようやく彼女の様子が奇妙なことに気が付いた。

 言葉自体は否定と拒否だったが、穏やかすぎる。


 恐る恐る顔を上げてみれば、白い髪に彩られた彼女は、目じりの下がった柔らかな顔立ちに、淡く微笑みすら浮かべていて面食らった。


『お、怒ってないの?』

『怒っておりますよ。あなたが大事な人に置いて行かれて、わたくしが幸せになれると思っておいでとは』


 そこで、白いまつ毛に彩られた赤い瞳が鋭くなるのに、テンは反射的に背筋を伸ばす。


『わたくしが大事な人の幸せを願うのは、いなくなって欲しくないからだと見抜いたではありませんか。ならば、わたくしの大事な人にあなたが入っていることも見抜いてくださいな』

『それは』


 彼女がいつも穏やかな態度を崩さないのは、少数の特別以外がどうでも良いからだと知っていた。逆に言えば、特別として懐に入れたものが傷つくことを極端に嫌う。


 だから、真琴は東和の柱巫女になったとたん、彼女の特別である仙次郎と美琴を東和以外の土地へ縁づかせるために工作をしていたのだ。

 美琴が国外へ留学すれば、まず間違いなく橋渡しのために国外滞在が増えることを見越して。

 己が柱巫女として封印に身を捧げる時は、東和が危険であるという証だからと。


 その何をしてでも大事なものを守る思考は、テンと共通していた。

 だからこそ、わかってしまう。なぜ、彼女が今の今まで、テンに協力してくれていたのかを。

 テンも、同じように大事だったからだ。ともすれば、自身よりもずっと。

 それはとても嬉しかったが、5000年も前のことを引きずっている自分に照らし合わせれば、容易に想像できた。


 自分が消えれば、一生引きずって過ごすだろう。

 ようやく思い知ったテンだが、今一つ深刻になれないのは諭す真琴が全く深刻ではないからだ。


『お説教はここまでにして、ではまいりましょうか』

『へ!?』


 朗らかに、口元に笑みすら浮かべた真琴は立ち上がると、近くにおいてあった杖を握って部屋を出たのだ。

 彼女の唐突な行動に面食らいながらも、テンは慌てて後を追った。


『ど、どこいくの。まだ寝てなきゃ!』

『大丈夫です。うふふっ』

『なんか嬉しそうだね!?』

『あら、はしたのうございました』


 彼女は口を押えたがそれでもこぼれる笑みのまま、分社内を歩いて行く。

 途中、何人もの人間とすれ違い、寝込んでいるはずの真琴が歩き回っているのにぎょっとしていたが真琴は一切気にしなかった。


 そのまま答えらしい答えを聞けずに、野外に出て鎮守の森を突っ切り、そうしてたどり着いたのは、蝕の封印の要となっていた、要石の社だった。

 鳥居の向こう側にあるのは、分社によって違うが、ここにあるのは大きなさざれ石である。


 その前でようやく立ち止まった真琴は、テンを振り返った。


『あなたの状況は、実体がない上で、力を使い果たしたからでありましょう。ならば、あなたの霊体を受け止められる器があればよろしいのではありませんか』

『いや、そうだけどっ「微睡みの御鈴」は外界と断絶させるだけだから、力のない今じゃ中で消滅するだけだよ』


 テンが東和国外へ移動のために利用した「微睡みの御鈴」は本来ならば高位精霊や魔族を幽閉するために開発された魔道具だ。


 中に入れば、外から働きかけられない限り、外界に干渉できないそれは、言い換えれば、外の影響を一切受けない難攻不落のゆりかごとなる。

 おかげで分社外に出れば存在証明が難しくなり、消滅するテンでも外に出ることができた。

 だが、それは己にある程度力があってのことで、万全の状態だったときでもかなり気をつかった。


 今では無理だ。


 それを彼女はわかっているはず。もう、とれるすべはないのだ。

 そう言いたかったのだが、真琴はまったくひるまなかった。


『あるではありませんか。こちらに』

『な……』


 真琴はにこにこ笑顔のまま、持っていた杖の石突きをさざれ石に叩き付けたのだ。

 普段からは考えられない乱暴な所行に絶句していれば、真琴の霊力が急激に高まる。


『かけまくもかしこき 東和の守護者たる 螺旋を描く嵐の刻 その一片よ

 汝に身を捧げし柱巫女 天城真琴の名において かしこみかしこみ申す 

 今一度 我が身許に現れたまえ』


 玲瓏たる声音で紡がれたのは、神降ろしの祝詞。

 当代一と謳われる真琴の霊力がうねり、石突きに集まった瞬間、二抱えはあろうというさざれ石が轟音とともに割れた。


 そこから溢れ出すのは、要石に宿っていたテンの力の本流だ。

 だが、それはテンの意思から切り離されたものであり、意思を持たない純粋な力そのものだ。

 今でさえ徒人(ただびと)であれば意識を失うような濃密な霊力が荒れ狂う。

 さらに言えば、神降ろしの儀は心身に多大な負担をかけるものだ。

 たった一日前に行使したばかりで疲れ切っている今、再びやるのはもはや危険という段階ではなかった。


『真琴、無茶だ! なにを……』


 だがすでに遅く、暴れ回る意思のない暴威は呼び起こした真琴へ殺到する。

 真琴はひるんだ様子もなく、再び杖を振るった。


『いざ、いらせませ!』


 真昼の薄暗い森が光芒で満たされた。

 濃密な魔力が衝撃波となって荒れ狂い、周囲の樹木を乱暴にざわめかせる。

 視界が塗りつぶされた後、再び深閑な森へと戻った中でテンが見たのは、小さな光を両手に抱く真琴であった。


 その脇には無造作に杖が地面に転がっている。

 薄汗をにじませて、荒く息をついた真琴は、穏やかな表情で手に握ったものを差し出してきた。


『分社にある要石は、あなたの力の核を砕いたものを用いているのでしょう。これならば、器の代わりになるのではありませんか』


 真琴が回収したのは、テンの竜珠、そのひとかけらだった。

 はじめにこの分社の蝕がすでに一掃されていると説明していたとは言え、いきなり要石を壊すのは真琴の普段からは考えられない所行だ。


 けれど、確かにそうだった。

 封印を維持する必要がなくなった今、要石に溶け込ませていた竜珠を回収しても問題ない。取り込み直せば十分にテンの器の代わりになることだろう。

 真琴のほっそりとした手の上には、親指ほどの小さな深緑色のかけらが淡く光を帯びて鎮座していた。


 あれに手を伸ばせばまだ、今の世に存在することができる。


 懐かしい、自分と同質の残滓に、けれどテンは一歩後ずさった。


『でも……』

『ためらいますか』


 穏やかな声音で問いかけられ、テンはびくりと体を震わせた。


『あなたが、このような簡単な解決方法に目を背けていたのは、これ以上続いて行くのが恐ろしいからでございましょう』


 テンは心を見透かされたような気がして硬直した。

 すべてがひとまず落ち着いて、己の状態を知った時真っ先に考えたのは、これでやっと終われるということだった。


 好いた人は、みな短い。自分をおいて逝ってしまう。


 別離は避けられず、5000年を生きてもなお、いやだからこそ積み重なり、慣れることはない。

 ドラゴンが記憶を封じてまでも避けたいと思った感情を、テンが失いたくなかったのも本当だ。

 もちろんそれ以上に、いいこともたくさんあった。


 けれど、自分が居なくてもいいと思ったら、限界だった。

 じわりと、心から溢れ出す。


『やだよ……誰かを見送るのは……もうやだあ……』


 何度も、何度も、不本意な形で。彼ら、彼女らに憂いがないように、魂が根幹に還るのを笑顔で見送って、またどこかで魂には会えても。

 もう、二度と同じ彼らには会えないことに、テンは疲れ果てていた。

 それならせめて、彼らの魔力がたゆたう場所へ、還りたかったのだ。


 初めて吐露した嗚咽だったが、この体はすでに涙を流せない。

こみ上げる想いはただ体を焦がすだけだ。

 行き場のない感情に耐えきれずに、顔を覆う。


 と、その手を取られた。


『ならば、わたくしがあなたと共におります。最後まで』

『なに……』


 呆然と顔を上げれば、そこには凪いだ真琴の顔があった。

 当然のこととでもいうように、真琴は言う。


『わたくしが死ぬ時は、誰に止められようともこの竜珠を砕いてみせましょう。あなたが消え果てるときには、わたくしも果ててみせましょう』


 それはいけない。と思う自分がいる。

 彼女には生きていて欲しい。終わりある者なのだから、その生を精一杯謳歌して欲しい。

 けれど。けれども。


『ほん、とう』


 問い返してしまうのだ。

 その言葉が嬉しくて、終わりたい、というテンの願いを否定しないことにたまらなく安堵して。

 すがるようなテンに、白と赤の狐人の娘は朗らかに微笑んだのだ。


『ええ、約束いたします。わたくしは柱巫女。お役目は終わっても変わりません。任せてくださいませ』


 気負いなく、だが真摯にうなずいた真琴に、テンは震えるような安堵と喜びに包まれた。

 真琴はそっと握った手に視線を落とす。


『それに、このかけらを取り込んだとて、あなたが元に戻れるとは思えません』

『確かにこの竜珠は、要石にしている間にずいぶん力も削られているだろうからね。全盛期の何十分の一取り戻せればいいほうだ』


 おそらく、消滅までの寿命をのばすくらいの効力しかないだろう。

 けれど、真琴の笑みは変わらなかった。


『ええ、言い換えればあなたも終わりあるものになるのです。これで最後と思えば気楽なのではございませんか』


 テンは、彼女の強さを改めて垣間見た気がした。


 少なくとも一人は、見送らなくても良い。

 こんなことを考える自分は、とことんまで、ドラゴンとしては失格なのだろう。

 でも、たったそれだけのことで、あれほど思いつめた心が晴れてしまったのだった。


『……うん、そうだね。ほんとうに、そうだ』


 たった20年ほどしか生きていない少女に完全に白旗を上げたテンは、握られた手に力を込める。そうして、ころりと手に移ってきたかけらを握り込み、胸に押しつけた。


 要石がほどけた時点で、テンへ吸収されなかったのは、己が生き延びることを拒絶していたからだろう。

 あっさりと竜珠はテンの中へとなじんでいった。


 とたん、枯渇していた霊力が指先にまで行き渡り、四肢に重みが戻る。

 だが、体が重すぎるように思えて、テンがいぶかみながら目を開ければ、真琴の緋衣の裾が飛び込んできた。

 視線をうんとあげれば、高い位置にある真琴が赤い瞳を丸くしていた。


『……あれ』

『まあ、かわいらしい!』


 ぱちぱちと目を瞬かせたとたん、ぱあっと表情を輝かせた真琴に、ようやく己が小さくなっていることに気づいた。


『うわっちゃあ。今の竜珠で最低限維持できる体格になるだろうとは思っていたけど、ここまで小さくなるかあ』


 四肢を確かめてみればだいたい4,5歳ほどであろうか。

 しばらく消える心配はなくなったが、これだけ小さいのは不便である。

 ほかのかけらを集めれば変わるだろうが、まだ蝕がはびこる分社もあるから、しばらくはこの小さい体で過ごすことになるだろう。


『大社の皆と協力して、かけらを集めればもう少し大きくなるでしょうが、このかわいらしさをしばらく愛でていたくなりますね』

『あーまあどっちでも良いよ。今はこの姿だけど、力を蓄えられれば自由に容姿を選べるようになるだろうし』

『では、ただちに回収いたしましょう』


 楽しげな空気を発散する真琴にまあいっかと、思っていると、ふと、森の向こうから喧騒が近づいてくるのが聞こえた。

 それは当然だろう。いきなり封印が解かれた上に、要石を割った時の光芒と衝撃は森の外にまで伝わっていたはず。様子を見にやってくるのは想像に難くない。

 真琴も気がついたのだろう、杖を取り上げつつ改まったように向き直る。


『さて、テン。帰ったらともにラーワ様たちに謝りましょうね。しっかり償いましょう』

『うん、そうだね』


 生き延びても、大半の力をなくしてしまった己では、これからの運命を託されるであろう彼女たちの力になれない。

 真琴が一緒に謝ってくれる、と言うのはとても心が惹かれるが、その贖罪も含めて、一人で謝りに行こうと決意していると、真琴がさらに言った。


『それと、砂羽様達と、今回の独断についてお説教ですからね』

『うええ!? なんで!?』

『当たり前ではありませんか。今までの発言を考えてくださいな。りっぱなやらかしかけた案件です』

『や、やっぱり消えるのは……』

『テン?』

『なんでもありませんちゃんと怒られます!』


 よろしいばかりにと微笑む真琴に、テンは大社の巫女達に囲まれての正座詰めの未来が容易に想像されて、がっくり肩を落とす。

 だが、甘んじて受けるしかない。悲壮な覚悟を決めたテンだったが、視界に緋色の袴が入る。


 膝をついた真琴がのぞき込んでいたのだ。


『それから、あなたがわたくしの言葉を勘違いされているようですから、誤解を解いておきますね』

『なあ、に……っ!?』


 これからのお説教地獄を想像し暗澹たる気分でいたテンは、ふわりとした白い髪に覆われ。

 頬に、温かく柔らかな感触がともった。


『ネクター様とラーワ様で学んだのですが、海向こうではこうして愛しい方に愛情を表現するようですね』

『まって、あれ、え』

『あなたに対するわたくしの大事な人。というのはこういう意味なのです』


 彼女は世間知らずな面があるから、勘違いしたのだととっさに考えたが、彼女の次の言葉で否応なく考えを改めさせられた。

 何より、東和では、よほど親しい相手でも、滅多に接触はしない。

 手をつなぐことはおろか、口づけなどというものは、特別な相手にだけのものだ。


 テンは何度も経験はあるが、真琴は初めてなのは自分がよく知っている。

 小さな手で頬を抑えたテンは、呆然とわずかに離れた真琴を見上げるしかなかった。


『今まではあなたが東和を一番に考えていらっしゃって、打ち明けても重荷になるだけでしたからお伝えしませんでしたけど。これからは覚悟してくださいな』


 気恥ずかしげに頬を染めて、顔をほころばせた真琴は、数多き愛を通じてきたテンですら見惚れるほどの鮮やかに咲き誇っていた。


 つまり、彼女が喜んでいたのは、テンが東和から解放されて共に歩めるからで。

 何よりテンに恋心を打ち明けてもよい状況になったからなのか。


 さすがに恥ずかしかったのか、真琴はさっと立ち上がると、駆けつけてくる人々のほうへ先に歩いて行った。

 白い尻尾がそよそよと揺れていくのを見送ったテンは、驚きのあまりその場にへたり込んだまま動けない。


 何度も意識の隣にいたにもかかわらず、気づかなかった。

 けれどその想いは紛れもないもので。

 ちょっと前まで、かわいい子どもだと思っていたのに。


『うわあ……人って、いつまでたってもわかんないやあ!』


 勝手に熱くなる頬に、早鐘を打ち始める心臓に途方に暮れつつ。

 テンは5000年たっても己を惹きつけてやまない彼ら彼女らに対し、万感の思いを込めて叫んだのだった。






ここまで応援してくださった皆様、ご購入くださった皆様、ありがとうございます(深々

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