【ドラゴンさん!Ⅳ発売記念番外編】龍は人族を理解しきれるか?前編
こちらは、ドラゴンさん発売記念番外編です。
テンが幼女になってとどまると決めた紆余曲折のお話となります。
『――……これが、大社と柱巫女のお役目だよ』
テンがとうとう話したその事実に、白い狐耳の少女は、ゆっくりと目を閉じた。
拒絶するように、あるいは何とか受け止めようとするように。
膝の上で重ねられた手が震えているのに気付いたテンは、泣くかな。と思った。
無理もない、大人ですら酷なお役目だ。巫女頭である砂羽にも時期尚早だと言われた。
けれど、今でダメなら後でも駄目だというのをテンは経験上知っている。
だから成人した15歳の今、話したのだ。できれば残ってほしいと思うけれど、これ以上一緒にいたら手放せなくなると思ったから。
『無理だと思うのなら、正直に言って。君の記憶を消して、分社勤めになることができるから』
びくりと、彼女の肩が震えたのに、テンはあきらめの心地でゆったりと笑った。
『今まで、ありがと……う?』
刹那、少女の赤の瞳が、鮮やかにテンを射貫いた。
峻烈な紅玉から涙が一滴、頬を伝ってもなお、少女の心情を表すように燃えさかっている。
『わたくしが受け入れぬと、どうして思いました』
己の愛した天城の初代は、優美で物静かでありながら苛烈な女だったことを思い出した。
*
あの頃から、真琴は怒ると怖かったと、テンはしみじみと思い返す。
大社の秘密を明かしたときでさえ、なぜすぐに明かさなかったとなじられて、そのままお説教タイムに突入したのだから。
大社の巫女達はそれぞれに良いところや楽しいところがあるが、真琴は近年まれに見る格別さで、テンの世界を彩ってくれた。
なにせ、初めて出会った12の時から素晴らしい美人になるだろうとも思っていたわけで。真っ白な尻尾も耳も格別の触り心地になってくれたのだ。
おっとりとしている真琴だが、芯は恐ろしく強い。テンが柱巫女の本当の役割を教えた時でさえ、涙を流しながらも、赤の双眸は光を失わなかった。
大事な、大事な半身だ。今までたっぷりわがままを聞いてもらった分だけ、幸せでいて欲しい。
だからテンは覚悟を決めて、真琴と向かい合っていた。
成人を越え、匂い立つような美女へと成長した真琴は、褥から身を起こしていた。
が、その胸中の困惑を表すように、白い狐耳がひくひくと動いている。
『その、テン。わたくし、あなたに何か怒らないといけないことがあるのでしょうか?』
それはそうだろう、テンが怒られる気満々のせいで、部屋を訪れて早々正座で向かい合っているのだから。
ここは華陽からほど近い分社内の一室。
蝕竜の討伐後の紆余曲折の末、倒れた真琴が目覚めてまもなくという時分だった。
たった半日で目覚めてくれて良かったと、テンは心から思う。
すでにテンが霊体であるとはいえ、ドラゴンであるテンを人の身で受け入れるのは、心身に多大なる負担をかける。
そう何度もできることではないのだ。本来は。
彼女のたぐいまれなる才能と素質によって、軽い魔法ならば行使すらできるが、早々に負担が抜ける訳ではない。
『君に、一番に言わなきゃいけないと思って』
『なんでしょう?』
この短期間で意識を取り戻せたのは、ただ受け入れたのみであること。
そして。
『あたしは、もう持たない。遠からず消滅するよ』
テンがすでに大半の力を失っていたからだった。
若干顔色の優れない真琴が赤の瞳を真ん丸にした。
病み上がりの彼女に話すには、重い内容だというのは重々承知している。
だが、それでも急がねばならなかったのは、今このときにもテンを構成する霊体が揺らいでいるからだ。
溶岩と夜の竜ラーワには厳重に秘匿していたが、刻の魔法を繰るたびに、テンは己の存在証明が難しくなっていく。現在にいる、と己自身で証明することでテンは存在できるが、違う時をいじればいじるだけ、己の存在を証明する力が弱くなるのだ。
蝕竜討伐に全力を尽くした結果、テンは自分自身の証明すらおぼつかないほど弱体化していた。
明日には自分は消滅していてもおかしくない。
それこそが、何より彼女に話すことを急いだ理由だった。
真琴とは、「本当のこと」を話し、柱巫女としての縁をつないで以降、一心同体も同然だ。
彼女がいたからこそ、テンは今回の騒動を引き起こすことができた。自由に動くことができた。
そんな彼女に一番に話すことが、己に身を預けてくれた真琴に対する礼儀だと思ったのだった。
穏やかな雰囲気で隠されがちだが、真琴は意外と内面の感情を表さない。
けれど、情深いことは5年以上の付き合いでよく知っていた。
テンにすれば、瞬きに近い時間だが、知りたいと思えばたくさん知れる。
そんな真琴ならば、悲しんでくれるか、悼んでくれるだろう。あるいは、そこまで無理を通したテンを怒るかもしれないが、あれが最善だと思ったのだ。
それをわかってほしくて、テンは居住まいを正して驚く真琴に続けた。
『すぐってわけじゃない。気がかりなことはあるし、果たさなきゃいけない責任もあるからね』
『あのとき、あの場所で、りゅうと様との約定は果たし終えたのは存じております。気がかりと果たすべき責任というのは、ラーワ様のほうでございますね』
いつもの調子で問いかけてくれた真琴に、案外冷静らしいとほっとしつつテンはうなずいた。
『けど、あたしはもう介入するほどの力は残ってないから』
今回テンが引き起こした事件は、本来なら起こりうるはずのないことだった。
なぜならテンは要の竜としての責務を果たせる身でなくなっていたし、東和を守る以外のことに力を裂く余裕がなかったからだ。
けれど、リュートが現れて動かざるを得なくなった。
思うがままにやってきて後悔しないテンだが、それでも後悔がないわけではない。
5000年前、東和を守り切れなかったこと。
そのせいで、柱巫女なんてものを選ばなければならなかったこと。
そして、大事な友を止めきれなかったこと。
朗らかさを装いながらも必死なまなざしを向けるリュートの願いは、まさにテンの後悔そのもので。
結局、テンは彼の望む答えを返せなかったが、それでも彼の切実な想いをむげにできず、協力することにしたのだ。
いや、そうじゃない。テンも願ってしまったのだ。
ほんの少しでもあの後悔を晴らせるのなら、どんな小さな可能性でも追い求めたいと。
……おそらく。リュートにもラーワにも厄介な相手だと苦々しく思われているだろうが。
よくつかみ所がなくてやりづらいと言われるのが不本意だった。
いつだって、大まじめで真剣であるというのに。
すべては東和を守るため、そして、ドラゴンとしての責任を果たすため。
ただ今回は、テンのわがままもだいぶ入ってはいたけれど。
『わたくしは、あなたの大事な方を救いたいという願いに応えて今回のことに荷担いたしました。それを取りやめる、ということでございますか』
『もちろん今でも救える可能性があるなら救いたい。けれど、それを貫く資格があたしになくなっちゃったんだ』
『資格がない、でございますか』
真琴が困惑にするのも無理はないと思う。
柱巫女になる際にはもちろん、今回のことに協力してもらうために、蝕や5000年前のいきさつについては話していたが、それとラーワについては別問題だ。
今回出会ったラーワというドラゴンは、テンにとっても予想外だった。
蛇蝎のごとくドラゴンを嫌うリュートが目をつけたというだけで興味を惹かれたが、会えば彼女が感じるという蝕の負の思念からなにまで、その時はただただ喜ばしいもので。
遠からず東和の存続に関わる出来事だったとはいえ、真琴と大社の巫女達を拝み倒して協力してもらって、心の底から良かったと思った。
なぜなら、今の世界にとって新たな竜が現れるのは祝福に他ならない。
そして、ラーワが生じたということは、まだこの世界に希望があると言うことだったから。
けれど、それは蝕竜討伐の時に垣間見た記憶で変わった。
テンが喜べたのは、彼女がドラゴンとして生まれてきてくれたからで、前の世を覚えたまま、ドラゴンになってしまったなんて思わなかったからだ。
生まれ落ちて数千年、テンは初めて創造主を呪いたくなった。
こんな酷なことを、あの竜に任せるわけにはいかない。
今の状況は、生きとし生けるものの責任であり、自分たちドラゴンの怠慢なのであるから。
彼女たちの大切なものを害したことについては償うつもりではあるものの、ラーワに五番目の疑問に答えるのは、ためらっている。
『もともとリュートが現れなければ考えなかったことでもあるし。フィセルに余計なお世話だって言われちゃったから。あとは彼らに任せるよ』
『ふぃせるとは、テンが会いたいと願われていた、精霊の方ですか』
『そうそう。馬鹿者って怒られた。ひどいよなあ、相談しに行こうとしたときには連絡つかなかったくせに』
海向こうの言葉の発音がうまくいかず、真琴が舌っ足らずになるのがかわいい。
場違いなことを考えながらも、数千年ぶりに再会した友人の理不尽さにテンは不貞腐れる。
海向こうへ行く際に余力があれば訪ねたかった彼は、何の因果か最後の最後で現れた。
昔っから絶妙なタイミングで現れるやつだと思っていたが、今回は極め付きだ。
しかも友人はラーワについてのすべてを知っていたのだ。
いきさつを聞いてラーワの養い親をしていた部分なんて、びっくりしたしなにやってんだお前と頭をはたきたくなったものだが。
テンはこの件に関しては部外者に等しいから、知ってなお、彼女の判断にゆだねると決めた友人を尊重するしかない。
一番の加害者であり、被害者である彼が、何よりの適役なのだから。
『もう、あたしも潮時だと思うんだ。無垢なる混沌の封印のためにあった大社はもう必要ない。5000年の間、魔族達を散々こき使って恨みも買ってるしね。ラーワ達のおかげで、蝕はほぼ一掃できたから、これからは今代の帝に任せても大丈夫だろう』
蝕は完全に東和から消え去ったとは言えないものの、もはや脅威とはなりえない。
さらに言えば、あのドラゴンの旦那である精霊によって編み出された新たな契約形態によって、東和国側の戦力も増強されている。
分社の結界を解除しても良いくらいには収束にむかっているのだ。
テンはもう、この東和に必要ないし、害悪にしかならないだろう。
『まあでも、これでも結構満足しているんだ。だって東和はもう、あたしの手を離れて歩いて行ける。夢にまで見た状況だ! 死人は死人らしく往生するよ!』
努めて明るく言えば、真琴の表情が初めて険しくなった。
そこで、テンは少し違和を覚えたが、理由に思い至る前に桜色の唇が開かれた。
『本当に心残りは、ないのですか』
『ないって言ったら嘘になるけれどねえ……。でもあたし、もう死んでるんだよ?』
ドラゴンの死は曖昧とはいえ、すでに実体を失ったテンはこの場にいる方が摂理に反する。
直に世界の根幹に還る引力に、あらがえなくなるだろう。
後のことを、すべて彼らに任せなければいけないのは、気が咎めるし心残りであるのだが、テンの意志がというよりは、すでに決定事項なのだ。
彼女も理解したのか、黙りこくる。
怒られるのはいいけれど、悲しい顔を見るのは嫌だなあ。
『でもね、悪いことばかりじゃないと思うんだ。もう君は自由でいられる、死なずに済む。好きな人のところへお嫁にも行ける。幸せになれる。まこっちの花嫁姿が見れないのは残念だけどね! きっと綺麗だろうなあ』
慰めにしかならないのは自分がよくわかっていた。
だが、テンはよく知っている。人は、どうしようもない状況に出会ったとき、泣いてわめいて、落ち込んで、それでも立ち上がることを。時として、竜よりも強くなることを。
だからテンは、今まで生を共にしてくれた彼女に、万感の思いを込めて頭を下げた。
『今まで、あたしのわがままに付き合ってくれてありがとう』
『なりません』
間髪入れず、真琴の玲瓏な声音が耳朶を打った。
後編は明日更新です。





