プロローグ
春――。
大都市『おとぎ市』の街路樹は、桜が満開だった。淡い花びらが風に乗り、空中へ舞い散る。澄み切った青空の下、無数の飛行車が飛び交う。空中を滑るように進む車たちは、互いに距離を保ちながら整然と流れていた。清掃ロボットがゴミを拾い、警備ドローンが無機質な視線で人々を見守っている。
空中には色鮮やかなホログラム広告が咲き誇る。企業ロゴやAIの案内が、桜の花びらと重なり合い、現実と虚構の境界を曖昧にしていた。
穏やかな春の昼下がり――。
輝夜は杖を腰に差し、人混みを縫うように駆けていた。
「イザナギ、現在の状況は?」
イヤホンマイクの向こうで、無機質な声が響く。
『――対象、駅前広場にてエージェント『千鶴』と交戦中。周辺の避難誘導は完了していません』
イザナギの声には抑揚がない。
輝夜は走りながら尋ねた。
「他の三体は?」
『すでに制圧完了。残るは駅前広場の一体のみです』
イヤホンマイクから司令官の声が割り込んだ。
『輝夜、お前は民間人の避難を優先しろ』
「えっ、でも……」
『対象の処理は別のエージェントに任せる』
「……了解」
輝夜は不本意ながら答えた。交差点を曲がり、噴水のある駅前広場へ飛び込んだ。そこで目にしたのは、人型ロボットと対峙する一人の少女――千鶴だった。
千鶴は膝をつき、息を荒げながらロボットを睨みつけていた。
抜けるような青空を背に、ロボットは浮かんでいた。全長二メートルほどの人型機体に、翼のように広がった推進ユニット。真昼の陽光を反射する装甲が、痙攣するように明滅している。制御を失っているのか。それとも――千鶴を狙っているのか。
その場にいた人々は、突然の異常事態に足を止めていた。大人たちは呆然と立ち尽くし、子どもたちは何が起きているのか分からないまま、その光景を見つめている。
その周囲では、駅前交番の警察官たちが無線からの指示を受け、市民の避難誘導を進めていた。
「皆さん、こちらへ! 危険ですので、駅の中へ避難してください!」
その間にも、ロボットがゆっくりと右手を突き出した。手のひらの装甲が音を立てて開く。内側で、青白い光が渦を巻きながら収束していく。日差しの中でもはっきりとわかるほどの、禍々しい輝きだった。
輝夜の表情が引き締まる。
「させない!」
考えるより先に、体が動いていた。輝夜は杖の柄を握りしめ、力強く地を蹴った。コンクリートの地面が砕けるほどの勢いで、一気に飛び出す。
司令官の声が耳元に響く。
『待て、輝夜! これ以上騒ぎを大きくするな!』
しかし、輝夜の耳にはもう、その声は届いていなかった。
ロボットの頭部からピピッと音が鳴った。輝夜の接近を捉えたロボットが、左腕を突き出す。機械音を響かせながら、装甲の一部が展開し、内部から銃口が現れた。
次の瞬間、マシンガンが火を噴いた。無数の銃弾が、雨のように輝夜へ襲いかかる。
だが、輝夜は止まらなかった。
銃口の向きと、引き金が引かれる瞬間――その二つを見極める。身体をわずかに傾け、頬のすぐ脇を銃弾が掠めていく。次の一発は首を捻るだけで躱し、さらに迫る弾丸も、踏み込む位置をわずかにずらして避ける。速度を落とさない。すべて最小限の動きだった。
そして最後の一歩を強く踏み込み、高く跳躍した。そのままロボットへ一直線に飛び込んだ。
隠密裏に、目立たぬように――それが『天照』のやり方だ。けれど、あと数秒で千鶴が殺され、駅前一帯も消し飛ぶ。迷っている暇はなかった。
「月詠流・月華一閃!」
光が収束しきる寸前、杖の中から一筋の刃が抜けた。日光を受けて、その軌跡だけが白く光った。
刃が機体の中枢を斜めに裂いた瞬間、機体が激しく火花を散らした。次の瞬間、爆風が広場を薙ぎ、噴水のしぶきが霧のように舞い上がった。
輝夜は軽やかに着地すると、仕込み刀を流れるような一動作で杖の中に収めた。何事もなかったかのように杖を腰へ戻す。そして視線を落とした。地面に散乱するロボットの残骸を見つめ、ぽつりと呟く。
「ごめんね」
振り返ると、千鶴がぽかんとした表情でこちらを見つめていた。
輝夜は彼女のもとへ歩み寄る。
「大丈夫? 怪我はない?」
輝夜が手を差し出すと、千鶴は一瞬遅れて反応した。
「……あっ、はい!」
「よかった」
千鶴は差し出された手を握り、立ち上がった。
その時、輝夜は「はっ!」と我に返った。慌てて周囲を見渡す。大勢の人々が、自分を見つめていた。
「あ、えーっと……」
(どうしよう。この状況、なんとか誤魔化さないと)
必死に言い訳を考えるが、何も思いつかない。イヤホン越しに、司令官の深いため息が聞こえてきた。きっと今頃、司令室で頭を抱えているに違いない。
直後、避難誘導をしていた警察官たちが、輝夜たちのもとへ駆け寄ってきた。
その姿を見て、輝夜の焦りはさらに増した。
「は、はは……逃げるよ!」
輝夜は千鶴の手を取り、その場から駆け出した。
人々は呆気にとられていた。ざわめきが広がり始める。
「今の、何だったんだ?」
「ロボット……だよな?」
「何かのパフォーマンス?」
戸惑いの声が入り混じる。だが、警察官たちが周囲の安全を確認し、市民を誘導し始めると、人々も少しずつ歩き出した。ほどなくして広場には、再び人の流れが戻り始めた。
ただ一人、少し離れたビルの屋上に立つ青髪の少女だけは、しばらく輝夜の背中を目で追っていた。その足元には、可愛らしい傘が置かれていた。傘の先端からは、わずかに銃口が覗いている。
「……へぇ」
少女は興味ありげな笑みを浮かべた。
その夜。
「派手にやってくれたな、輝夜」
本部の一室。司令官の声には、怒りよりも疲労が滲んでいた。机上のホログラムには、動画サイトで拡散されている映像が映し出されていた。輝夜と千鶴の姿は、別人に差し替えられている。それでも、再生数はすでに数百万を超えていた。コメント欄には、「まるで映画みたいだ」「続きが観たい」「これは事件だ」などの声が溢れている。
「情報部が総出で火消しに走った。事件そのものは、ロボットの制御事故として処理している。ネット上に出回った動画も、フェイク映像だと公表した」
司令官はホログラムに目を落とした。
「幸い、今の世の中では出どころの怪しい映像を鵜呑みにする者は少ない。面白半分で騒いでいる連中がほとんどだ」
顔を上げ、輝夜を鋭く見据える。
「だが、これだけ大勢に目撃されては、そう簡単には収まらん。何か弁明はあるか?」
「いや~、まさかここまで騒ぎになるとは。はは……」
輝夜は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
司令官はため息を吐き、輝夜をまっすぐ見据えた。
「『天照』の存在は、決して知られてはならない。それは分かっているな?」
「それはもちろんです! はい」
「……お前の判断が間違っていたとは言わん。あのままでは、甚大な被害が出ていただろう」
「ですよね!」
「だが、命令を無視して動いたことは別問題だ。今回は結果が良かったからいいものの、いつもそうとは限らん」
「……」
「それに、我々の存在を世間に知られかねない事態を招いたこともまた事実だ」
「うっ……!」
「よって、お前には相応の処分を受けてもらう」
「え……?」
司令官は机上に、一枚のホログラム書類を浮かび上がらせた。その書類の上部には『人事異動通知書』と記されていた。
「今日付けで、お前を支部勤務とする。本部直属からの異動だ」
輝夜は目を見開いた。
「……えぇええええええ!!!」




