姉。第2夜
人は弱い。
たとえ多くの事を学び経験をしたとしても、ひとつの不安で壊れてしまう。
クラスメイトの一人から時々『最近彼の様子が変だと思って確認したらアナタの名前を言ってたんだけど?彼に色目を出さないでくれる?』
___私はそんなコトしてない。
完全に言い掛りなのだが、相手の男性がどう思うかまで私に責任がある訳もない。
それに私にはまだ守るべき妹がいる。
恋とか愛とかは、勉学よりも後回しになる。
『そう言えばアンタ。妹さん居たっけ』
『妹……居るけど……何か?』
明るい髪で健康的に焼けた美人顔をしたクラスメイトの言葉に少し嫌な予感がした。
『前に駅前でアナタと一緒だったのを目撃したけど、とても可愛い妹さんだったね……あたし可愛い女の子も大好きなのよね。だからアナタの事を……お・ね・え・さ・ん……って呼んじゃおっかな~』
『えっ……』
『そんなにショックだったぁ?顔色悪いわよお義姉さん。妹さんに誘惑しちゃおかな~』
『……まっ』
やっと喉の詰まりから絞り出した声の前には日焼けしたクラスメイトに届かなかった。
恐怖だった。
彼女に妹を取られる事よりも、妹を一人の女性として見ている。
それは級友を友達として好きとは全く違う、独りよがりでワガママで醜い歪んでいると気付いた自身の心の声に気付いてしまった事がただ怖かった。
気をそらそうにも妹を思い浮かべて胸を熱くする。
こんな自涜行為に浸っていて、『私は妹にどんな顔を見せて良いのか分からない』。
普段なら当たり前に妹を迎えに行ってから帰宅するのだが、その日は妹の姿を見るのがとても怖かった。
それでも私は妹の姉で良かった。
妹が女生徒の一人だったら、ここまで強く愛せなかったはずだ。
若くして両親の死という憂き目に遭いながらも強くいられたのは妹の存在が大きかったからである。
玄関で妹の靴が無くて安堵した。
「………はぁ。………落ち着かない」
妹が居ないという特殊な環境。
妹と離れている時間が寂しさと切なさ、そして歪んだ心を増幅させる。
パァン!
両手で頬を叩く。部屋に渇いた音が響く。自分に喝をいれた。叩いた頬は熱を帯びてじくじくと痛む。
少し強く叩きすぎたが、痛みで逆に気持ちが戻りつつあった。
愛すべき妹の為に夕飯を用意しなきゃ。
自分の歪んだ気持ちを隠す様に妹が好きなメニューばかり考える。
射干玉の黒髪を一つに纏め、手早くエプロンを付けると後ろ手に腰椎の辺りにリボン結びを作る。
トントン、ことこと。
まな板の上でリズミカルに包丁の音。そして鍋から湯気が立ち上る。
煮物の決めては煮詰め過ぎない程度に食材に味を染み込ませることだ。
火から離した鍋を蓋をしたまま手早くバスタオルで包む。
温度が下がるのに任せての保温調理。パスタを茹でる時にも沸騰したら麺を投入して規定時間バスタオルで包めば茹で上がるから麺に気を取られながらパスタソース作りをしなくて済む………話がズレてしまったがそれだけ時間に余裕が出来るのだ。
調子に乗ってデザートまで用意したところで時計を見たら、帰宅してから二時間以上も過ぎていた。
___遅いなぁ。
ダイニングテーブルに箸置きを乗せると妹の箸を直交に置く。
今どき旅館とかで無ければ省略してしまう箸置き。最初は西施の顰みに倣う感じでマナー本を教本に作法を学んでいたが馴れた頃には生活の一部になっていた。
いつもなら妹の視線を背中で感じ暖かな気持ちで料理をしてるはずなのに。
今は不安な気持ちがのしかかってくる。
小一時間ほど経って玄関の扉が静かに開いた。
「おかえりなさい。……今日は遅かったのね」
斜め下に視線を送り姉と目を合わせようとしない。
「……ごめん。色々あって疲れちゃったから今日は休むね」
「……なら、お夕飯くらい……」
「友達と食べて帰ったから……ごめんね」
食い気味に夕飯の誘いを妹に断られた。
知らずに握った拳は爪が食い込むほど強く握られていた事に私自身驚いていた。
姉の横を通り過ぎ自室向かう妹の背中にどんな言葉を掛けたら良いか今の私には見つけられなかった。
それでも夜中にお腹を空かせてきたらと思い簡単におにぎりを作ってラップをしてテーブルに置いておいた。
寝る間際、日焼けしたクラスメイトが浮かび憎い気持ちになったが何度か寝返りを打つと妹に気持ちがスライド出来た。
今度は逆に嫉妬と愛憎が混ざり、自涜行為をしなければ鎮められないほどだった。
抑えられないほどの声は虚空に消え、叫びは喜悦とただ妹を欲し続け、その日は眠りに落ちた。
基本に忠実な姉妹物に……なってればいいな。
ではまた。




