親の仕事と未来の格差
あの夜、二段ベッドの上でノートに『大妄想』を書き殴ってから、ぼくの世界の解像度は一気に跳ね上がった。
十一月、十二月、そして年が明けて一月。ランドセルが肩に食い込む感覚が、日に日に小さくなっていくような気がする残り半年の小学校生活。みんなは相変わらず「中学に入ったら何の部活に入る?」なんて話をしているけれど、ぼくの目はどうしても、学校のあちこちで「働く大人たち」の姿を追いかけてしまっていた。
たとえば、給食の時間。
二〇五〇年の今、給食の調理や配膳のほとんどは、衛生管理プログラムが組み込まれたアーム型のロボットが自動で行っている。髪の毛一本すら混入しない完璧なシステムだ。
その日の四時間目が終わった直後、給食係だったぼくは、クラスのみんなの牛乳箱を受け取りに、一足早く一階の配膳室へと向かった。
静かな配膳室の奥には、いつも栄養士の先生が一人立って、ロボットの動きをじっと見つめている。ぼくが牛乳箱を抱えて近づいたとき、先生がロボットの制御パネルに向かって、ボソボソと英語で話しかけているのが聞こえた。
「"Adjust sensory mapping. The temperature today is lower than expected. Increase the warmth of the soup by 1.5 degrees, and soften the root vegetables for comfort."」
流暢な、だけどどこか優しいプロンプトだった。
次の瞬間、給食ロボットがガチリと電子音を立てて内部設定を書き換える。ぼくはそれを見届けて、たまらず先生に話しかけていた。
「あの……先生、いまのは何の指示なんですか?」
先生は驚いたように振り返り、それから優しく微笑んだ。
「これ? 今日は朝から急に冷え込んできたでしょ? だから、ロボットの設定をちょっといじって、スープの温度をいつもより一度半高くして、野菜を少し柔らかく煮込むように命令したの。AIは数字通りにしか動かないから、こういう人間の体調に合わせた微調整は、私たちが言葉で足してあげなきゃいけないのよ」
その直後の給食の時間。
配膳室から運んできたばかりのスープを口に含んだ瞬間、ぼくの体にじわっと温かいものが染み渡った。
栄養士の先生は、完璧な機械のシステムに、プロンプトを使って『人間の優しさ』をリアルタイムで付け足していた。これこそが、人間にしかできない高付加価値の仕事なんだ。
いつもより温かいスープがぼくの喉をゆっくりと通り過ぎていく。向かいの席で夏帆が「冷めないうちに食べなよ」と笑っているのを眺めながら、ぼくの脳内は、新しく見えてきた「大人の社会のグラデーション」で熱く渦巻いていた。
日本語の簡単なプロンプトでロボットを動かす一般的な仕事と、三雲さんや恵美さんのように世界共通の「英語プロンプト」を駆使して機械を支配する高度な仕事。
(じゃあ……ぼくの親はいいったい、どんなレベルの仕事をしているんだろう?)
その日の夜。ぼくはリビングで、お父さんとお母さんがそれぞれ端末に向かっている姿をじっと観察していた。
お父さんは民間企業のコンサルタントとして、国や自治体の事業企画や予算の最適化を提案する仕事をしている。お母さんは、動画配信プラットフォームの会社で、世界中からアニメや映画のコンテンツを買い付ける調達の仕事をしている。
二人とも、三雲さんみたいに英語のプロンプトをバリバリ打ち込んでロボットを動かすような、いかにも未来っぽい働き方ではない。二〇二〇年代の昔からずっと続いているような、人間同士の話し合いや調整、好みの分析ばかりの、泥臭い仕事だ。
「……何よ航太、さっきからジロジロ見て」
お母さんが端末から目を離し、お茶をすすりながら苦笑した。
「あ、いや……二人の仕事ってさ、ロボットじゃ代わりにできないの?」
ぼくの唐突な質問に、ソファでお堅い数値を睨んでいたお父さんがフッと鼻で笑った。
「ロボットに自治体の予算が組めるかよ。あいつらは『一番効率のいい数字』は出せるが、『碧浜市の住民が今、何に困って何を求めているか』っていう人間の感情は計算できないからな」
「お母さんの仕事もそうだよ。世界中のAIが『このアニメが流行る』ってデータを叩き出してきてもね、最後にそれを観て『うわ、これめちゃくちゃ面白い!』って涙を流すのは人間なの。人間が感動するポイントは、AIのデータの先にあるんだから」
二人の言葉を聞きながら、ぼくは自分の『妄想ノート』のページを頭の中でめくっていた。
お父さんとお母さんの仕事は、古いんじゃない。AIがどれだけ進化しても絶対に届かない、一番高い場所にある『人間のセンス』の仕事なんだ。
だとすれば――。ぼくの頭の中で、深夜のベッドの上で考えた大妄想が、カチリと音を立てて一段上のレベルへと進化を始めた。
未来の世界では、普通の人間は働かない。代わりに自分専用の労働AIやロボットを社会に就職させる。
だけど、その未来で量産される一般的なAIやロボットは、きっと基礎的なプロンプトにしか対応できないはずだ。放っておけば、荷物を運ぶとか、データを整理するとか、単純な作業しかできない。
じゃあ、どこで差がつくのか?
それは、オーナーである人間の「プロンプトスキル」だ。基礎的な量産型マシンに対して、どれだけ複雑で高度な要求を、正確な言葉で指示できるか。それによって、そのマシンの能力(拡張機能)が解放され、生み出す生産性が何倍、何十倍にも跳ね上がる。その向上した分の利益が、そっくりそのままオーナーの懐に入るんだ。
それだけじゃない。コンピューターのメモリやストレージを増設するように、稼いだお金でAIのユニットのスペックを上げたり、ロボットをより性能の高い最新の期待(機体)へと買い替えたりする「投機」の競争も始まるはずだ。
より高いスペックのマシンを買い揃え、それをより高いレベルの英語プロンプトで完璧に操れる人間が、圧倒的な富を手にする。未来の社会格差は、学校のテストの点数なんかじゃない。自分の代わりに働くAIのスペックと、それを支配するプロンプトの掛け算で決まるんだ。
だからこそ、英語なんだ。
世界基準のトップAIに、エラーを吐かせずに複雑な命令を一発で通すための、最強の言語。
「航太? 難しい顔してどうしたの。お父さんのコンサル病がうつった?」
お母さんが笑いながら、ぼくの頭を小突いた。
「なんでもない! ぼく、部屋に戻って勉強する!」
ぼくはそう言って、自分の部屋へと駆け上がった。
机の上の英語のテキストを開く。今まではただの退屈な記号だったアルファベットが、今は、未来の自分の身代わりAIに「最強の追加装備」を施すための、ゴリゴリの戦闘プログラムのコードに見えていた。
ただロボットに使われるだけのガキでいちゃダメだ。この世界のシステムを、自分の言葉で動かせる大人になってみせる。
ぼくはシャーペンを強く握り締め、英語の海へと飛び込んでいった。




