第8話 二日目の異変
翌朝。
ぼんやりと目を開けると、折れた剣の根元に供えたビール缶が、朝の光を受けて鈍く光っていた。
「……頭痛い」
「おはようございます、善一郎様」
横からギンコの声がした。
どうやら俺は教会の壁にもたれかかるようにして寝ていたらしい。
体は痛い。
頭も重い。
だが、昨日の夜みたいな吐き気は消えていた。
「これ、二日酔いか? 知識酔いか?」
「両方では?」
「最悪の合わせ技やな」
「自業自得ですね」
「労わりは?」
「ありません」
俺は額を押さえながら、ゆっくり立ち上がった。
手元には木製バットがある。
それを握った瞬間、妙な感覚がした。
昨日までとは違う。
ただの棒ではなく、武器としての使い方が、ぼんやり頭に浮かぶ。
両手の位置。
構え。
間合い。
相手の攻撃を払う角度。
突き込む場所。
「……なんか、分かる」
「棒術指南書・初級の効果ですね」
「怖いな。寝て起きたら、バットの使い方が頭に入っとる」
「便利でしょう」
「便利やけど不気味や」
「癒しの書も試してみますか?」
「今?」
「はい。善一郎様の手のひらに擦り傷があります」
言われて見れば、手のひらの皮が擦れていた。
昨日、バットを振りすぎたせいだろう。
「どうすればええんや?」
「手をかざし、『癒しよ』と唱え、傷が塞がるイメージをしてください」
「雑ちゃう?」
「初級ですので、感覚で十分です」
俺は半信半疑で手をかざす。
頭の中に、昨日流れ込んできた知識が浮かんだ。
手のひらに、淡い光を集める。
傷口へ流す。
痛みを押さえ、皮膚を閉じる。
「……こうか? 『癒しよ』」
指先に、ほんのり温かい光が灯った。
それが手のひらの擦り傷へ染み込んでいく。
じんわりとした感覚。
痛みが引き、擦り傷が綺麗に消えた。
「おお……!」
「成功です」
「俺、今、魔法使った?」
「初級の癒しです。魔法と呼んで差し支えありません」
「うわぁ……ほんまに異世界やん」
「今さらですね」
「昨日から今さらの連続や」
俺は自分の手のひらを見た。
擦り傷は完全に消えていた。
痛みはまったくない。
これは使える。
俺自身にも。
誰かを助ける時にも。
「ただし、過信は禁物です」
ギンコが言った。
「初級の癒しでは、大きな傷または欠損は治せません。ポイントの消費もあります」
「はぁ!? これポイント使うんか? 俺に魔力とかないんか?」
「ある訳ないでしょ? 善一郎様はこの世界の人間ではありません。ポイントを魔力の代わりに消費して発動しているだけです」
「魔法すら金かい……。夢がしぼむわ。ちなみにおいくら?」
「初級なので千ポイント。十万円です。善一郎様は現在ポイント残高ゼロですので、借金に上乗せしておきます」
「朝から金で殴るな!」
「我々はキャッシュ至上主義なので」
その時だった。
光の壁の外から、がり、と音がした。
俺とギンコは同時にそちらを見る。
まただ。
また、集まってきている。
屍ゴブリン。
屍ウルフ。
夜のうちに寄ってきたのか、数はそれなりにいる。
「二日目の研修開始です」
「朝礼もなしに始まるんか?」
「朝礼など必要ですか?」
「いらん。時間の無駄やな」
「そういう事です。本日もバリバリ稼ぎましょう」
俺は木製バットを握り直した。
昨日と同じ武器。
だが、握り方が少し違う。
昨日はただ、力任せに握っていた。
今は、手の内に少し余裕を持たせる。
振るだけじゃなく、突く。
払う。
受ける。
それが、頭の中にある。
「……行くで」
「はい」
光の壁が開く。
俺は外へ踏み出した。
屍ゴブリンが唸りながら近づいてくる。
屍ウルフが低く構える。
昨日と同じ敵。
けれど、俺の見え方は少し変わっていた。
屍ゴブリンが腕を伸ばしてくる。
俺はバットを横から振るのではなく、先端で顔を突いた。
ごっ、と鈍い音。
屍ゴブリンの頭が後ろへ跳ねる。
そのまま踏み込み、流れるように横から頭を薙いだ。
頭が砕け、灰になる。
「おお……!」
「力任せより効率的です」
「すげぇ……。一連の動作がめちゃ綺麗に動けた」
まるで、俺の体やないみたいや。
「油断しない! 次きます」
屍ウルフが横から飛ぶ。
俺はバットの柄を少し引き、体の前で受けるように構えた。
牙が迫ると同時に、バットで軌道を逸らす。
体が流れた屍ウルフの頭めがけてバットを打ち下ろした。
頭蓋が砕ける鈍い感触が手に伝わる。
「今のも良かったんちゃう!?」
「まぁまぁです」
「辛口ぃ!」
「ですが、昨日よりは断然良いです」
「それ褒めてる?」
「一応」
「一応かい!」
俺は動いた。
突く。
払う。
流す。
踏み込む。
昨日よりも無駄が少ない。
もちろん、達人になったわけやない。
何度も空振りはするし、屍ウルフの動きには何度も焦る。
加護にも助けられる。
それでも、昨日とは違う。
棒術指南書は、確かに効いていた。
しばらくして、教会の周りにいた屍ゴブリンと屍ウルフは灰になった。
俺は息を吐きながら、バットを肩に担ぐ。
「ふぅ。……昨日よりはマシやな」
「はい。最低限、バットを武器として扱え始めています。昨日はバットを持った素人でしたので」
「今日は?」
「バットを持った見習いです」
「ほぼ変わってへんやんけ!」
「十分な進歩ですよ」
「そ、そうか……」
俺がそう言いかけた時だった。
ギンコは灰となった魔物達を見つめていた。
「……」
「どうしたんや?」
「いえ、少し気になる点がありまして」
ギンコの声が、低くなる。
「明らかに寄って来る屍が、ゴブリンやウルフばかりだなと」
言われてみれば、そうだ。
灰になった屍たちを見て、俺は首を傾げる。
昨日から、ゴブリンとウルフばかりや。
この世界には、他の魔物はいないのか。
そう口にする前に、ギンコが続けた。
「それに今の群れ、ただ集まってきたにしては、動きが揃いすぎていたような気もします」
「そうなんか?」
「屍化した存在は、基本的に本能で動きます。ですが今の群れは、妙にこちらの反応を見ていました」
「不吉なこと言うなや」
俺は荒野の奥を見る。
赤黒い朝の空の下。
遠くに、いくつかの影が見えた。
最初は、屍ウルフかと思った。
だが違う。
屍ウルフの背に、小さな影が乗っている。
緑色の肌。
小柄な体。
だが、ただの屍ゴブリンではない。
革の防具のようなものを身につけ、手には短い槍や錆びた刃物を持っている。
そいつらは、ただふらふら歩いてくるのではなかった。
列を作ってこちらを伺っている。
まるで、獲物を観察するみたいに。
「……なあ、ギンコ」
「はい」
「あれ、普通の屍ゴブリンちゃうよな?」
「ええ」
ギンコの視線が鋭くなる。
「武装したゴブリンライダーですね」
「ゴブリンライダー……?」
「そして、あの動き」
ギンコは黒ぶち眼鏡の奥の目を細めた。
「統率されています」
「統率?」
喉が乾いた。
昨日までの敵とは違う。
ただ集まってくるだけの屍ではない。
誰かが、あいつらを動かしている。
「おそらく」
ギンコが低く言った。
「この近くに屍の王がいます」
荒野の向こうで、武装したゴブリンライダーたちが、静かにこちらを見ていた。




