第12話 パワーレベリング 後編
『24時間、戦えますか?』
かつて、そんなフレーズが流行った古の時代があったらしい。
今の時代なら即座に労働基準監督署が飛んでくるような狂気の一言だが、今の俺なら胸を張って答えられる。
――ええ、戦えますよ。戦わされてますから。
「はっ……はっ……!」
俺は、三日目の朝を迎えても、まだ戦っていた。
赤黒い空の向こうから、白み始めた朝の光が差している。
夜を越えた。
越えてしまった。
俺は光の壁を背に、『鬼軍曹』を振り続けていた。
意識はすでに半分ほど飛んでいて、腕はもう、自分のものじゃないみたいだった。
視界は霞み、喉はからからで、肺は呼吸するたびに熱した鉄を飲み込んだみたいに熱い。
それでも、敵は止まらない。
屍どもの迫りくる咆哮が聞こえるたびに、俺の体は反射的に『鬼軍曹』を叩きつけ、砕いていた。
灰が舞い散る。
夜のあいだに、俺の周りだけ灰の地面になっていた。
「次ぃ……」
「善一郎様」
ギンコの声が聞こえた。
遠い。
とても遠い。
まるで、水の底から呼ばれているみたいだった。
「限界です。一度、壁の内側へ」
ギンコの声色が、少しだけ強くなった。
次の瞬間、光の壁が俺の背後で揺れた。
淡い光が、俺の体を包む。
「は……?」
気づけば、俺は光の壁の内側へ引き戻されていた。
外では、屍ゴブリンどもが壁を叩いている。
がん。
がり。
ぎぃ。
俺は数歩よろめき、そのまま教会の前の地面に倒れ込んだ。
大の字になると空が見える。
朝の空なのに、相変わらず赤黒い。
俺の息だけが、やたらとうるさかった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
「善一郎様」
「休憩か……?」
俺は、かすれた声で聞いた。
正直、目を閉じたら、そのまま一週間くらい眠れそうや。
だが、ギンコは俺の顔を覗き込み、黒ぶち眼鏡を前足で押し上げた。
「いいえ」
「……え?」
「自己投資の総仕上げです」
「鬼ぃ……」
「狐です」
「どっちでもええわ……」
俺は地面に転がったまま、笑った。
もう怒る気力もない。
ツッコむ体力すら惜しい。
「善一郎様の討伐数は、すでに千体を超えています」
「……千」
「正確な内訳は後ほど精査しますが、現時点で保有ポイントは過去最大です」
「へぇ……」
すごい。
そう思ったはずなのに、頭がうまく回らない。
「……もう、数字見てもよう分からんわ」
「分からなくて構いません」
ギンコが前足を振った。
メニュー画面が浮かぶ。
そこには、見慣れない桁の数字が並んでいた。
だが、俺の目はほとんどそれを追えなかった。
「今から、善一郎様をさらに強化します」
「また……あれか……」
「はい。この量のポイントです。劇的に変わりますよ」
ギンコは容赦なく画面を操作した。
光が走る。
メニューの文字が、次々と切り替わる。
マッスルマニア、がらん堂、金魂屋、ステータス画面。
俺はもう、細かい項目を追わなかった。
いくつもの項目が光った気がした。
その中には、見慣れないスキル名も混ざっていた。
「善一郎様」
「なんや……」
「歯を食いしばってください」
「嫌な予告やな……」
次の瞬間。
体の奥が、燃えた。
「っ――!」
声が出なかった。
体に流れ込む熱量が、今までとは次元が違った。
筋肉が膨張し、血管を流れる血がガソリンに変わったような感覚。
頭の中に、また膨大な知識が流れ込んでくる。
視界が異常なほどクリアになり、空気の揺らぎさえもが情報として脳に突き刺さる。
世界の見え方が、変わっていく。
「ぐ……ぅ……!」
地面を掴む指先に力が入る。
痛い。
気持ち悪い。
吐きそうだ。
でも、前ほど怖くない。
怖くないことが、逆に怖かった。
俺は、この痛みに慣れ始めている。
この世界で強くなることに、慣れ始めている。
「……完了です」
ギンコの声がした。
俺はゆっくりと目を開けた。
体が軽い。
疲労感は残っている。
精神的にも摩耗したままだ。
だが、体の奥から見えない力がマグマのように吹き上がる感覚がある。
さっきまでなら、立ち上がることすら億劫だった。
なのに今は、この溢れ出す力を解放したい。
この全能感に酔いしれてみたい。
ただの社畜サラリーマンやった俺が、こんな危険な思考に至ることが、酷く恐ろしかった。
「……ほんま、俺の体どうなってんねん」
「強くなっています」
「説明が雑やな……」
俺は『鬼軍曹』を掴んだ。
持ち上げる。
さっきまで肩に食い込むような重さがあったはずなのに、まるで羽だ。
「……うわ」
「どうしました?」
「めちゃくちゃ軽い」
「よかったですね」
「よくないわ。俺、もうほんまに人間やめかけとるやん」
「そうですね。今の善一郎様は、この世界の人類でも上澄みの部類に入るでしょう」
「人類で上澄みレベルって、引っ掛かる言い方やな」
「世界は広いですから。上を見上げれば、まだまだ天井知らずです」
「そんな現実知りとうなかったわ」
がん。
がん。
がん。
外では、屍ゴブリンたちが光の壁を叩き続けている。
俺が内側へ戻ったことで、あいつらは壁の前に押し寄せ、密集していた。
壁の向こうが、腐った顔と武器と爪で埋まっている。
「このまま開けたら、なだれ込んでくるんちゃうか?」
「はい」
「はい、やない」
「ですので、開けた瞬間、最初の一撃で道を作ってください」
「また無茶言う」
「今の善一郎様なら可能です」
「ほんまかいな」
「試せば分かります」
「試す対象が命なの、ほんま嫌やわ」
ギンコが光の壁の前に立つ。
俺は『鬼軍曹』を両手で構えた。
いや、両手で支える必要すらない。
でも、あえて両手で握る。
腰を落とす。
足を開く。
頭の中に、さっき流れ込んだ知識が浮かんだ。
振る。
ただ振るのではない。
体の芯から力を通す。
足から腰へ。
腰から背中へ。
背中から肩へ。
肩から腕へ。
腕から『鬼軍曹』へ。
敵を点で捉えず、面で見る。
前方の塊を、まとめて砕く。
「善一郎様、開けます」
「……おう」
「三、二、一」
光の壁が、縦に裂けた。
その瞬間、外で押し合っていた屍ゴブリンたちが、雪崩のようになだれ込もうとする。
腐った顔。
濁った目。
槍。
爪。
牙。
それらが一気に迫る。
俺は、息を吐いた。
「ヘビースラッガー!!」
『鬼軍曹』をフルスイングした。
次の瞬間、空気が爆ぜた。
――ドォォォォォォォンッ!!
ただの打撃音じゃない。
一振りの重撃が衝撃波を発生させ、前方へ走った。
壁の入り口に殺到していた屍ゴブリンたちが、『鬼軍曹』が直接当たっていないはずなのにまとめて吹き飛んだ。
先頭の数体だけじゃない。
その後ろにいた連中まで、波にさらわれるみたいに弾け飛ぶ。
灰が、爆発したみたいに舞い上がった。
前方に、道ができた。
五十体。
いや、もっとかもしれない。
俺は『鬼軍曹』を振り抜いた姿勢のまま、固まった。
「……ヤバすぎる」
「ナイススイングです。一回十万円のスキルとしては上々の効果です」
「いやいやいやいや」
「お仕事再開です」
「感動と困惑する時間もくれへんのか!」
「ありません」
ギンコの声が飛ぶ。
「前へ!」
「くそっ!」
俺は光の壁の裂け目から飛び出した。
そこから先は、もう昨日までの戦闘ではなかった。
体のキレが段違いだ。
視界がクリアになり、敵の動きがのろく見える。
屍ゴブリンの腕が伸びる前に、もう俺はそこにいない。
槍が突き出される前に、軌道が読める。
騎乗個体が横へ回ろうとした瞬間、その進路に『鬼軍曹』が襲い掛かる。
下級では、相手にすらならなかった。
俺に触れようとした瞬間、砕けて灰になる。
屍ゴブリンナイトたちが前に出てきた。
昨日までなら、手こずった相手。
そいつらが、低い姿勢でそれぞれの武器を構える。
ゴブリンナイトたちが一斉に踏み込む。
いくつもの剣筋が俺に殺到する。
速い。
だが、見える。
俺は上半身の動きだけで、効率よくそれらを避けた。
いくつもの剣筋が空を切る。
「スラッシュライン!」
そのスキル名を告げた瞬間、『鬼軍曹』が勝手に走った。
高速の八連撃が、ゴブリンナイトたちの胴をまとめて叩き潰す。
鎧がひしゃげ、そのまま胴ごとぶち抜く。
ゴブリンナイトたちの上半身が吹き飛び、地面を転がりながら灰になる。
「……全部、一撃かよ」
自分でやっておいて、かなり引いた。
「善一郎様!」
「分かっとる!」
次のナイトも来る。
その次も。
もう止められない。
俺は『鬼軍曹』を振り回しながら、荒野を駆けた。
光の壁を背にした防衛ではない。
今度は、俺の方から前へ出ていた。
敵の波を、内側から割っていく。
灰が舞い、耳障りな叫び声が上がる。
目に映るすべてが、早回しのように流れていく。
その時、前方で奇妙な声が響いた。
「ギ、ギギギ……!」
見れば、骨と布をまとった小柄なゴブリンがいた。
手にはねじれた杖。
屍ゴブリンとは違う。
そいつの周りだけ、空気が揺れている。
「ギンコ!」
「ゴブリンシャーマンです! 魔法を使います!」
「魔法!?」
ゴブリンシャーマンが杖を掲げた。
赤い光が集まる。
火の玉だ。
拳ほどだったそれが、一瞬で人の頭ほどに膨れ上がる。
「火球、来ます!」
「避け――」
避けようとした。
だが、俺の思考は別の動きを選んでいた。
足を開き、腰を落とすと『鬼軍曹』を構える。
まるで、バッターボックスに立つみたいに。
「……いけるか?」
火球が飛んでくる。
赤い尾を引いて、まっすぐ俺へ。
それなりの速度だが、真っ直ぐすぎる。
打ちごろの球や。
「おらぁ!!」
俺は『鬼軍曹』を振った。
カッ。
金属音とも爆発音ともつかない音が鳴る。
火球が、跳ね返った。
綺麗な放物線なんてものではない。
叩き返された炎の塊が、無理やり軌道を変え、撃った本人へ向かって飛んでいく。
屍ゴブリンシャーマンが逃げようとする。
だが、遅い。
火球が直撃し、爆発した。
屍ゴブリンシャーマンと周囲の屍ゴブリン数体が、炎と灰に包まれて吹き飛んだ。
俺は『鬼軍曹』を振り切った姿勢で、しばらく固まる。
「……野球、ここで役に立つんかい」
「まさか、魔法を打ち返すとは。素晴らしい反応です」
「褒めるとこ、そこなん?」
「魔法を打ち返す人材は初めてですので」
「普通は打ち返さんのか?」
「普通なら、当たった瞬間火だるまです。『鬼軍曹』のお陰かもしれませんね」
「さらっと怖いこと言うたな」
だが、疲労が吹き飛ぶほど、身体が熱を帯びた。
魔法すら、打ち返した。
敵が、遠く見える。
世界が、遅く見える。
俺が動けば、敵が砕ける。
俺が振れば、道が開く。
俺が走れば、灰が舞う。
気持ちいい。
怖いくらいに。
「はは……!」
俺は笑った。
もう、隠す気もなかった。
気付いてしまった。
俺は、このろくでもない状況を愉しんでしまっている。
胸の奥がどうしようもなく熱い。
こんなの、俺じゃない。
そう思う一方で。
これも、俺なのかもしれない。
そんな考えが、頭の隅をよぎった。
「次ぃ!」
俺は荒野を駆け抜け、『鬼軍曹』を振るう。
敵の群れの中を走り回りながら、次々と灰に変えていった。
いつの間にか、押し寄せていた軍勢の形が崩れている。
前へ出る者。
横へ回ろうとする者。
追いすがろうとする者。
そのすべてが俺に追いつけていない。
俺の動きに。
俺の『鬼軍曹』に。
俺の暴力に。
「善一郎様」
ギンコの声が聞こえた。
今度は、はっきり聞こえた。
「なんや!」
「もう間もなく、三日間の保護期間が終了します」
ギンコに告げられて、初めて気づいた。
すでに夜を越え、地平の彼方が徐々に明るくなっていることに。
異世界に放り込まれてから、もうすぐ丸三日。
保護期間の終わりが近づいていた。
「もう朝かいな……」
どれだけの敵を、この『鬼軍曹』で打ち砕いてきたのだろう。
もう、数なんてあやふやだ。
俺の周りには、すでに敵はなく、夥しい量の灰があるだけだ。
道が開いたその先。
荒野の奥。
朝焼けを背に、そこだけ敵の密度が違っていた。
まるで、何かを守るように。
屈強な屍ゴブリンたちが、円を作っている。
その中心に、巨大な影があった。
他のゴブリンとは比べものにならない。
ただ立っているだけで、空気が重くなる。
背中が、ぞわりと冷える。
ギンコが、俺の横に並ぶ。
いつもの軽い声ではなかった。
低く、静かな声。
「ようやく、お出ましですね」
屍ゴブリンの軍勢の中心。
大きな影が、ゆっくりとこちらを向いた。
今までのゴブリンとは違う、分厚く引き締まった体躯。
赤く濁った目。
歪んだ冠のような骨飾り。
武骨で巨大な大剣。
そして、周囲の屍ゴブリンたちを従える、異様な圧。
それは、紛れもなく王やった。
「善一郎様」
「……」
「あれが、屍の王です」
俺は『鬼軍曹』を握り直した。
さっきまでの全能感が、少しだけ冷めていく。
あれは、今までの敵とは違う。
別物や。
屍の王が、俺を捉えた。
怒りなのか、それともこれから起こりうる戦闘の高揚なのか。
王は大きく息を吸い込んだ。
「ぐぅがあああああああああああぁっ!!!」
王の放つ狂った声に、俺の心臓は今までにない鼓動の高鳴りを覚えた。
※話のテンポが悪くなるので、後書きにラクガキしておきます。
現在の善一郎のステータス
【成樹善一郎】
【筋力 22→45】
【体力 33→60】
【敏捷 20→50】
【精神 5→10】
【スキル・知識の書一覧】
【ヘビースラッガー】 【スラッシュライン】【中級・癒しの書】
【上級・棒術指南書】 【中級・防御術指南書】




