プロローグ 静かな朝、騒がしい予感
四月の朝は、光が柔い。
リビングの窓から差し込む陽射しが、テーブルの木目をゆっくりと温めていく。庭の桜はちょうど七分咲きで、時おり風に揺れた花びらが窓ガラスに触れてから落ちる。その音すら聞こえるほど、今のこの家は静かだった。
私はキッチンの端に立ち、コーヒーを淹れている。湯が落ちる音。豆の香り。それだけが、この空間を満たしている。
——いや。それだけ、ではない。
少し離れたところから、包丁がまな板に触れる音が規則正しく聞こえている。とん、とん、とん。一定のリズム。迷いのない運び。確認するまでもない。この家で、私より早くキッチンに立つ人間は一人しかいない。
声はかけない。向こうも、かけてこない。朝のこの数分間だけは、いつもそうだ。言葉はないのに、包丁の音が聞こえている限り、朝は正しく始まっている。三年一緒に暮らしていると、そういう信頼のかたちができる。
コーヒーをカップに注いだ。湯気の向こうで、庭の桜がぼんやり揺れた。
この家の名前は、六花円舞曲という。
私と、六人の義妹が暮らしている。血のつながりはない。全員が朝霧の姓を名乗り、歳は二十から十五までばらばらで、性格はもっとばらばらだ。共通していることがあるとすれば、全員がこの家を自分の場所だと思っていることと——全員が、やたらと私に甘えたがることくらいだろう。
甘え方も、六人六様だ。
余裕を装いながら耳まで赤くなる子がいる。今この瞬間も黙って朝食を仕込んでいる子がいる。何も言わず毛布ごと隣に座る子がいる。全員を仕切ろうとして自分が一番動揺する子がいる。玄関から全力で突撃してくる子がいる。完璧な策を立てたはずなのに最後にひとつだけ何かを間違える子がいる。
六人。六通りの「おはよう」。
それが毎朝、この家を騒がしくする。
時計を見た。六時二十分。あと十分もすれば、この静けさは終わる。
二階の廊下を、スリッパが忍び足で進む気配がする。一番に降りてきたことを「偶然」に見せたいのだろう。階段の上の方では、何かを引きずる音。毛布ごと移動してくる誰かだ。三階からは、まだ何も聞こえない。けれど静かな方が来るときは突然来る。
包丁の音が、少しだけ速くなった。あの子も気配を察したらしい。
コーヒーを一口飲んだ。苦い。でも、嫌いじゃない。
階段を駆け下りる足音が、一つ、二つ、三つ——。
ここから、いつもの一日が始まる。




