10.ジーランティア到着1年目③
もともと切れ長の目をしていたが、そこに猜疑心が混ざるとかなり鋭い印象があった。この二人が特殊なのか、それとも冒険者がそういうものなのかは分からない。視線に加えて存在自体の圧力も、体にのしかかるように重かった。
居間が急に狭くなったような錯覚に襲われた。視界にはジリーの顔だけが迫り、周囲の壁や家具は意識の外へ押しやられていく。
「ジリー」
穏やかな声に嗜めるような響きがあった。
その一言だけで、肺を締め付けていた見えない重石がふっと軽くなった。浅くなった息をそのまま整えると、タカオは素早く思考を巡らせた。危険だ。口を滑らせると火薬庫に火を放つような危険な遊びになるかもしれない。もっと注意深く話す必要がある。男へ目を向けると、彼は申し訳なさそうに言った。
「すまないタカオ。でも、大樹林から来たなんて、そんな話は聞いたことがない。それ以前はどこに住んでいたんだ?」
「大樹林の向こうに」
それだけ言って相手の反応を待った。男は眉を寄せ、何かを思い出すように宙を見た。
「え、じゃあ君はアズリアッド山のケシュミル族なのか」
全然分からない地名が出てきた。余計にボロが出そうだ。ともかくこの方向で走り出してしまったからには、止まるべきではない。しかし具体的な名前は困る。根掘り葉掘り聞かれても答えられない。ふと、歴史学の講義で聞いた話を思い出した。民族名なんてものは、案外いい加減だ。征服者や周辺民族がつけた名前が、そのまま後世の正式名称になることだってある。
あまり不自然な間をあけないように、タカオは次の言葉を絞り出した。
「それがもし僕たちのことを指すなら、その名前は知りません。ただ、山で仲間たちと暮らしていました」
ジリーは距離を詰めるように、円を描いてタカオの横へ回った。その目はまだ鋭くこちらを見つめている。
「それで、どうやって大樹林を越えたの。あそこはあなたのような普通の人が生きていけるような場所ではないわ」
なぜ彼女はこんなに警戒心を抱いているのだろう。なぜ保安局の尋問手順のようなアメとムチの役割を彼らが自然にやっているのだろう。それはタカオにはまったく分からない。だが答えを間違えると、良くないことが起こりそうだった。
「仲間が居ました」アカデミア号の友人たちの顔を思い浮かべた。「はぐれてしまいましたが、仲間とともに大樹林に入りました。安住の地を追われて」
「住んでいた場所を捨ててきたのか?」
「恐ろしい怪物に襲われて、仕方無く」
口に出した瞬間、胸の奥に古い怒りが蘇った。―――クソ。あのAIめ。本物の怒りがもっともらしい表情を作った。
「そう。大変だったのね」
ジリーの口元が少しだけ優しいものになった。しかし同時に男の方は初めて猜疑心を覚えたようだった。
「いや、おかしい......君は一年前にここに来たと言ったな」
今度は男から不穏な圧力が漏れ出していた。
「なら、どうしてトレディア地方の言葉をそんなに自然に話せる?」
不味いことになったとタカオはすぐに理解した。『必要な範囲での必要な調整』について、具体的に話すことはできない。そもそもタカオにも分からない。だが問題はそこではなかった。見知らぬ土地から来た人間が、なぜ現地の言葉を完璧に使えるのか。宇宙時代なら翻訳機がある。言語の違いなど、ほとんど問題にならない。しかし、この世界では違う。
言葉は、その人間がどこで生まれ、誰に育てられたかを示す証拠になる。それを説明できない自分は、ただの怪しい異邦人だった。口から取り繕う言葉は出ていたが、意識の外を上滑っていた。
「その、山にはトレディアから移り住んできた老人が居ました。僕は彼と…...」
その瞬間、ジリーと目が合った。彼女の視線は、もうタカオの言葉の先を追っていなかった。聞いているのではない。確かめ終わったのだ。
「―――」
言葉を最後まで聞く前に、彼女の姿が消えた。
気づいたときには、体が反応していた。喉を掴むように伸ばされた手を掻い潜り、半身を彼女の体の後ろに入れながら、腰で引っ掛けるように勢いを利用した。今まで散々ホブリムにやられてきたことが、自然と体につながった。伸びきった腕を制して、後ろからうなじに滑らせるように手を差し込むと、そのまま彼女の体は一回転して床に転がった。驚きに見開かれた目が、やけにはっきり見えた。
タカオは脱兎のごとく家の外に逃げ出そうとした。しかし男のほうが早かった。彼の蹴りが臀部を捉え、出入り口のドアに向かって吹き飛ばされた。そのまま扉を突き破るように外へ転がり出た。
痛みに悶えながら顔を上げると、ホブリムが驚いた表情でこちらを見ていた。
「何をやっとるんだお前は?」
慌ただしく出てきた冒険者二人がホブリムと顔を合わせた。しばらくの間、空気が固まったような沈黙が落ちた。
「なにか行き違いがあったようだな。お若いの。少し話をしようじゃないか」
そうして気まずい沈黙のまま、四人でタカオの家の居間に戻り、次の話し合いが始まった。
―――ホブリムの大きな笑い声が響く。
「こ、こいつが隣国のスパイだって?」
またホブリムは大きく吹き出した。
「いやしかし、こいつは明らかにおかしい!」
ジリーが勢いよく反論したが、村の長老を務める老人は少しもうろたえなかった。なお大きな笑い声をあげると、光をよく反射する瞳が面白そうに冒険者を捉えた。
「ああ、たしかにタカオは変なやつだ。最初の頃は村人も気味悪がってあまり近寄らんかった。だがここに来てからの一年間、毎朝畑を耕して、午後はわしと槍の訓練をして半べそをかいとる」
老人は眉を上げた。
「一年も潜り込んで、調べるものが肥料の配合か、それとも村人の寝言か?」
老人はまた笑いの発作を起こして、苦しそうに咳き込み始めた。タカオが差し出したカルバリエ茶をひったくるように奪うと、喉を鳴らしておおきくため息を吐いた。落ち着きを取り戻すと、今度は笑いを引っ込めて真剣に語りだした。
「あんたらが何を感じたのかは知らん。だが、わしはこいつを気に入っとる。もしトレディアの衛兵に突き出そうというのなら、その前にすこしこいつを知る機会を持ってはどうかね」
ジリーは床で打った腰をさすってみせた。
「もう十分に分かったと思うけどね。この男は怪しい」
もう一人の冒険者は顎に手を当てて少し考え込むように黙ると、老人に問いかけた。
「どうやって?」
「ふむ、あんたら大樹林に行くんだろう。そう報告は受けた。ならこいつを連れて行ってみてはどうかな?」
「そんな手間かけずに、拘束して町へ連れていけばいいのよ」
まあまあと男がジリーを制する。
「なるほど……監視する手間が省けて良いかもしれない。俺もタカオには引っかかるところがある。でも血相変えて対処しなきゃいけないほどでもない」
不釣り合いな優しげな笑顔で、男は続けた。
「でも大樹林につれていくのは反対だな。たぶん死んじゃうからね」
タカオはゾッとしてホブリムを見た。ホブリムも片眉を皮肉げに上げてこちらを見ていた。今まで男のほうが話の分かる人間に見えていた。だが今、その認識は音を立てて崩れた。ホブリム様、なんとかしてくださいよ。タカオは心のなかでそう念じた。




