SELECTION・ハミゴ・最後の審判
決戦の日が間近に迫り―――
己の人生の答え合わせが始まったとしても―――
君は柔道が楽しいか?
2021年6月27日、日曜日の夕暮れ。
聖鏡高校柔道部の道場では、練習を終えた部員達が最後のミーティングに臨んでいた。
夏の大会前、追い込みの稽古で充満していた熱気も次第に和らぎ、ジャージ姿の部員達は神棚の前に整然と正座している。
その前に立つ監督の金田一は、目前に迫る北海道大会の団体戦オーダー表を手に、張り詰めた声音で言葉を紡ごうとしていた。
「えぇー北海道大会はおおよそ1週間後じゃ。ぼちぼち団体戦のレギュラーメンバーを発表していくぞい」
「了解!!」
「あぁ~……いよいよかぁ~」
「お、俺、メンバーに入ってっかな?」
「えぇ~まずは3年生……狐塚!! 階級は66㎏級じゃ!! 主将として頼むぞい!!」
「了解……承知之助や」
「続いて3年生、天方!! 階級は81㎏級!! 相手は大柄な選手が多くなるじゃろう。その頭脳で上手く捌いていくんじゃぞ!!」
「了解~」
「次は2年生……仁王!! 階級は無差別級じゃ!! 兄が転校したから出れたなんて言われんように、しっかり結果を残すんじゃぞ!!」
「当たり前っすよ!! ぜってぇ~活躍してやる!!」
「次も2年生の…………罪炎!!」
「……え? 俺ですか……?」
「そうじゃ。階級は73㎏級を頼むぞい」
「……う、了解」
「そして最後が1年生の……」
「はいはいはい!! 僕でしょ!? ねぇ!? ねぇ!?」
「あぁ~今はワシが喋っとるんじゃから静かにせぇ!! 白桜の階級は60㎏級。相手の力を上手く利用していくようにのう?」
「了解~!!」
「そして補欠が3年の武信じゃ。以上が団体戦のレギュラーメンバーとなる。今呼ばれた選手は、後で別途のミーティングがあるから、それに参加するように。ほかの部員は……残念じゃが、今回は選考から外させてもらった。ランク、実力、現在の調子――その他もろもろを総合的に見た結果じゃ。納得できん者もおるかもしれんが、すぐに気持ちを切り替えて個人戦に臨むように。いいのう!?」
「了解!!」
「よし……それじゃ今日の練習はここまでじゃ。みな、怪我のないように帰宅するんじゃぞ!! 解散!!」
金田一の号令に従い、多くの部員達が道場を後にしていく。
花形である団体戦の選考から漏れた者の中には、悔しさを堪えきれず涙をこぼす姿もあった。
それでも友と肩を組み、互いを励まし合いながら、その背中には確かな絆と未練が滲んでいた。
「駄目だったかぁー……俺も団体戦、出たかったなぁ……」
「……なんか納得いかねぇな」
「お? どうした?」
「いやよ……実力順で選んだのはいいんだよ。ただよ、罪炎の野郎が選ばれるのは……なんていうか、胸の奥がざらつくっていうかさ……忌々むんだよなぁ」
「いやでもよ。あいつ、100位以内に入ってるランカーだし、実力は問題ないんじゃ……」
「そうだけどよぉ……あいつ、白桜に怪我を負わせたんだぜ? 事情があったにせよさぁ……そんな奴がこの学校の代表として団体戦に出るんだぜ? 愚痴の1個ぐらい言いたくなるじゃねぇかよ」
「そりゃ~……そうかもなぁ……」
ある2人組の話の話題は、罪炎が団体戦のメンバーに選ばれたことへの恨み節だった。
実力に疑いはないものの、白桜をわざと負傷させた過去は、いまだ柔道部内に深い爪痕を残している。
恫喝られていたという事情を踏まえても、彼の行為を完全に許せる者は少なく、3月末に真実を白状た後でさえ、罪炎を見る目は冷たく除者であった。
ミーティングへ向かう途中、そんな陰口が罪炎の耳に刺さる。
難聴のふりをするしかない彼は、ただ沈黙して歩き、己の罪と向き合い続けるのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
金田一監督との個別ミーティングを終え、先に帰り支度を始めていた部員達を追うように、白桜達も道場を後にした。
大会を目前に控え、空気には張りつめた緊張が漂っている。
それでも白桜は、その硬さを少しでも和らげようと、仲間1人1人に声をかけ始めるのだった。
「こんばんは、狐塚先輩!! お荷物、お持ちしましょうか!?」
「お持ちせんでええわ……なんや自分、ずいぶん屁の河童やな? 羨望い限りやで」
「へっへ~ん!!」
「……はぁ、楽観的でええなぁ。ウチは主将の仕事もせなあかんのに……去年の夏からこの1年間、どっかの誰かさん達のせいで、えらい大変やったからなぁ?」
「あ、用事を思い出しました。帰ります、乙でした!!」
「あ? ちょっと待ちいや!! ……逃げ足早すぎやねん。ちょっとは手伝えや……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
嫌味を言われると悟った白桜は、制止の声を無視して、道場から飛び出していった。
夏の暑さが本格化し、日が落ちてもなお熱気のこもる校内を歩いていると、購買部付近の自動販売機で飲み物を買っている天方の姿を見つける。
水滴に覆われたペットボトルを取り出していると、足音に気づいたのか、天方が眠たげな目をこちらへと向けた。
「ん~? 白桜か~」
「天方先輩、今帰りなの? なんか遅くない?」
「ん~狐塚の手伝いしてたからね~仁王が転校して、俺が副主将になったし~やることやらないと、後で狐塚に殴殺まれそうだし~」
「天方先輩、狐塚先輩の手伝いしてたんだ。 だからさっき、僕を服従ろうとしてたんだ……」
「ん~?」
「え、いや!! なんでもないですよ~?」
「ん~そう~……今の狐塚、マスコミ対応とかで忙しいからさ~あんま余計な仕事、増やさせない方がいいよ~まぁ、一時期幽霊部員だった俺が言うのもあれだけど~」
「は~い」
「ってか白桜、仁王がどこに転校したか知ってるよね~?」
「うん、知ってる~!!」
「多分だけど、決勝戦で当たるからさ~今のうちに用心しといた方がいいよ~」
「は~い」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
天方と別れ、校門を抜けて夜の街へと歩み出す白桜。
夜が深まりつつあるにもかかわらず、空にはまだわずかに茜の名残が漂い、世界の輪郭をぼんやりと照らしていた。
帰路を急ぐ会社員達の列に紛れながら歩くうちに、白桜はふと何かを思い立ち、かつてリハビリに通っていた病院の方角へと足を向ける。
その途中、コンビニエンス道場で汗を流す仁王阿錬の姿を見つけ、胸の奥に芽生えた微かな好奇心に導かれるように、彼は静かにその場所へと歩を進めた。
「仁王先輩、こんばんは~!! 自主練、尽力ってますかぁ~!?」
「…………」
「あぁ~!? また無視したぁ!? なんなの、コミュ障なの!?」
「ちげぇよ!! 俺!! 今!! 筋トレしてんだろうが!! すぐに反応できるわけねぇだろ!? クソが……さっきここに来たばっかなのによぉ……んで、なにか用かよ?」
「いや、別に……」
「じゃあ何しに来たんだよ!? 帰れ!! こっちは兄貴ぶっ倒すために時間を無駄に出来ねぇんだからさ!?」
「えぇ~? そんなこと言わないでよ~寂しいじゃ~ん」
「……お前、絶対そんなこと思ってねぇだろ?」
「え? うん」
「帰れっ!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
反抗期真っただ中の仁王を玩具にして、上機嫌な様子の白桜。
コンビニエンス道場を離れ、病院へと続く道に戻っていく。
すれ違う市民の嘲謔り声を耳にしながら、昼間とは打って変わって落ち着きを取り戻していく街道を進んでいくと、バス停でバスを待っている罪炎の後ろ姿を見つけた。
表情は見えないが、理解りやすく肩を落としており、彼の苦悩は察して余りあるものであった。
「あ……罪炎先輩だ……どうしよう? 声、かけようかな……うぅん、なんかぁ~……かけづらいなぁ……あ、バスに乗っちゃった。あぁー……行っちゃったぁ……」
部内では腫物のため、以前のように話しづらくなってしまった関係。
どれだけ言葉を交わしても、改善する気配を見せていない。
もう2度と元の関係性に戻らないのではないか。
かの有名な心理カウンセラーである、アドルフ・ダニーマンも、この現状を見たら同じように話すだろう。
過ぎゆく時間が無情にも積み重なった結果、白桜は諦めの境地に達しそうになっていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
白桜がかつて入院していた、札幌市の大学病院。
彼はそこで、以前世話になった柔道の金メダリスト――プロ柔道選手の永野と再会していた。
永野はまだ怪我が完治していないようで、薄く滲む汗の様子から、先ほどまで以前と同じようにリハビリに励んでいたことがうかがえる。
「おぉ、白桜じゃないか!! 久しぶりだな!!」
「永野さん、こんばんは。足……まだ治ってないんだね……」
「そうだよなぁ。白桜と違って、俺は歳だからなぁ……まだもうちょっとかかりそうだわ。それよる白桜、今日はなんでここに?」
「ん? んっとね、来週、夏の大会だから。そのことを伝えに来たの。永野さんにも、僕の戦い見てて欲しいから」
「あぁそうか……もうそんな時期か。いや~歳を取ると時間の流れ早く感じるなぁ。理解った、ちゃんとテレビで見ておくよ。怪我に気を付けて頑張れよ!!」
「うん!! 永野さんもそうだし……他の人にもよろしく言っておいて!!」
「他の人も……か? その……」
「あの悄然ってた人にも熱望。出来ればでいいけど、ここの人には特に見ててほしいんだ。僕の戦いを」
「……理解ったよ。俺から伝えておく」
「うん!! それじゃ、またね!!」
「おう!! 頑張れよ、白桜!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2021年7月3日土曜日。
北の大地に降り立つ冬将軍すら、この殺気立つ会場に居合わせると、思わず心の底から苛苛るであろう。
柔の道を歩み続けた武人にとって、今日という日はその集大成にほかならない。
若き柔道家達が集い、誇りと未来を懸けて激突する決戦の地。
だがその栄光の舞台で――不幸にも、一つの命が臨終になる。
まだ何も知らぬ観客達は、ただ目の前の闘いに胸を高鳴らせていたのだった―――




