03 定位置は教室のうしろの端っこで
王立アゾート学院の中等科から高等科に上がると、生徒達の顔ぶれもある程度変わる。
学費の関係で貴族ではない生徒は二年で卒業する場合も多いし、高等科から入学する平民の生徒もいる。
貴族の場合は家を継ぎ、自分の領地に帰る者や、令嬢の場合は結婚をするから、という場合もあった。
私、エステル=リューブランはもともと四年間通う予定だったので、高等科一年目として今日も勉学に励んでいる。
教室の、一番うしろの端っこの席で。
別にいじめられている訳ではない。あの日以来、遠巻きにされているだけで、何かをされることはなかった。危ないやつか、頭をやられたとでも思われているのか。
かつて私をちやほやしてくれた少年達も、卒業をしたり怖じ気づいたりで、そのほとんどが話しかけてこなくなった。
髪を令嬢らしからぬ短髪にして、据わった目をした私に好きこのんで関わるものはいないだろう。どうか私にかかわらず、楽しい学生生活を送ってほしい。
私はといえば、嫁の貰い手もないだろうから、なんとか手に職をつけなければならない。
頭がお花畑だった頃とは違い、今はひとりなので時間もそれなりにある。勉強に打ち込んだおかげで、成績がかなり上がったのは幸いだった。
自分に出来るとしたら、父親の伝手で何か商業を始めるか、それとも学問の道へと進むか。戦技の授業も嫌いではないので、騎士とまではいかなくとも、護衛業や冒険者なども悪くないかもしれない。
しかしまずは次の授業をきっちりと受けなければ。あやふなや進路を頭の隅へと置き、私は教室の移動を始めた。
一年近く前のことだが、私の起こしたことは生徒達も噂で知っているらしい。廊下を行き交う彼らは時折振り返り、私のことをこっそり覗き見る。けれど現在はおとなしく、勉学に打ち込むだけの面白みがない私なので、すぐに忘れて新しい話題を追ってくれる。
二の轍は踏まないことを心に決めていたので、まわりにも注意を払っておかなければ。おしゃべりの声に耳を傾け、誰かの邪魔にならないように行動すればいい。
誰も私に気を止めず、まるで空気になったよう。
それはとても平和なこと、そう思いながら歩いていると、廊下の先に、ぴたりと私に視線を留める姿があった。
私がそれに気付くと、件の人物は組んでいた腕を緩め、指先だけをちょいちょいと動かす。それが『来い』という意味だと知っていたので、ごく自然な足取りで方向転換して其方へ向かう。
会話もなく、まわりからは一緒に歩いているとは思われないだろう。
空き教室に順に入り込むと、私は挨拶と疑問を投げかけた。
「ごきげんよう、スヴェン=ブレンドレル様。今日は、何か私にご用でしょうか?」
仰々しくならない程度に丁寧な、淑女としての礼をする。ちょっとわざとらしいだろうか。目の前に立っている、金髪に翠眼が麗しい侯爵令息はため息をついた。
「何って、お前が人前で話しかけるのを嫌がったんだろう……」
「ええ、おぼえていて下さって嬉しいです。その方がブレンドレル様のためでもありますから」
涼しい顔で答える私に、スヴェンは二度目のため息をつく。幸せが飛んでいってしまうから、少し抑えた方がいいのではないかと思う。さすがに彼が不幸になるのは、私も心苦しい。
「……髪! 何故伸ばさないんだ、エステル。また短く切りそろえてるじゃないか!」
よく気付いたものだ。教室が同じだから目に入ったのかもしれない。
「え、だって襟足がちくちくしますし」
「いや、そういう問題じゃない! というか後頭部がハネてる! 寝癖は直せ!」
おっと、確かに短髪だと頭の後ろはハネやすい。手ぐしで適当に直しておく。あと正直、頭の軽さと涼しさは癖になる、などと口に出したら目の前の彼から小言が飛び出すだろう。口は災いの元、それは私の身に染みているのだから。
「そんな適当にするな、きちんと櫛を使え」
どっちにしろ小言じみたことを言われるのか。
懐から出した櫛を差し出してきたので受け取るが、一体なぜ彼はこんなものを常備しているのだろう。いや、貴族の令息としての嗜みなのかもしれない。よくわからないけれど。
「……せめて鬘か付け毛を用意したらどうだ、親御さんに泣かれるぞ?」
「あ、もう泣かれました、前に。この間実家に戻った時にはなんだか諦めた目をしていたので大丈夫です」
「大丈夫の意味がわからん!!!」
ツッコミも鋭いスヴェンは、ブレンドレル侯爵家の跡取りである。そう、幼少のみぎりに出会った淡黄色の少年だ。
昔は性別もあやふなくらい可愛らしい子供であったのに、今は見上げるほどに立派に成長した。けして私の身長が低いわけではない。多分、ない。
スヴェンとは偶然、たまたま親に連れられていった貴族のお茶会で再会し、学院でも共に中等科へ通うことになった、いわゆる幼馴染みだ。
貴公子然とした彼は、私に花を贈り、歯の浮くような甘い言葉を捧げてくれた。極上の微笑みは私だけに向けられ、地に足がつかなくなるほどに、大事にしてくれた。
──それは、私が選択肢に従ったからで。
去年起こした出来事の後も、付き合いがそれなりに長かったからか、スヴェンとは縁が切れなかった。こうして時間をみつけて話しかけてくれる彼は、本当に優しいのだろう。
でも、もう貴方が好ましく思うような、楽しい時間を過ごせるような、耳心地のよい言葉は返せません。
面白くも無い、愛想も捨て去った私には用などない筈でしょう。
その言葉は飲み込んでいたけれど、現在の私の態度で伝わったのではないか。
そして現在、彼は何故か口うるさくなった。
どうしてそうなった。
女が髪をざっくり切るという残虐シーンが、トラウマにでもなったのだろうか。そうだとすれば、かなり反省をしたい。
青春時代の大事なひとときを弄んだことに対するお詫びとして、オカンからのお小言は殊勝な態度で聞いておいた。
そんな私であるのに、スヴェンはまた長いため息をついたのだった。