給与外労働
「いらっしゃいませ」
「お邪魔するよ」
バーについたころには、九時を回っていた。
外で坂本には遭遇しなかった。
毎日いるというわけでもなさそうだ。
「わあ、お兄さま。椿に会いに来てくれたのですね」
浴衣姿の椿が、いきなり抱き着いてきた。
両手に荷物を持っているから、どうにも対処できない。
それにしても、本当にちょうどいい位置に頭がある。気を抜いていたら、とっさになでてしまうかもしれない。
「離れなさいよ、椿。私の英雄が困ってるでしょ?」
エーデルワイスが注意すると、椿は「はぁい」と素直に離れた。
俺はカウンターには座らず、ソファへ腰をおろした。
丸まっていたマッポーちゃんが邪魔そうに見てきたが、気にしない。
「なあ、マッポーちゃん。お土産があるぞ」
「マポ?」
「こないだみんなでチョコ食ったとき、君だけなにもなかったからな。だけどなに買ったらいいか分からなかったから、適当に買ってきた。食えそうなのだけ食ってくれ」
「な、なん……マポ……」
目を丸くしている。
警戒させてしまったか。
いや、マッポーちゃんはいきなり動き出し、コンビニの袋に頭を突っ込んだ。
「うおお! なにも見えねぇマポ!」
「いま出すから」
獣め……。
ネコ用の缶詰、カリカリ、干物。
それぞれ一品ずつ。
「衆生、やはり気づいたマポ? このマッポーちゃんこそがキーパーソンだということを……」
「は?」
パーソンじゃなくてクリーチャーだろう。
いや、そうではなく。
マッポーちゃんは目を細め、こちらを見た。
「ふん。お前はきっとこう言いたいマポ。いったん魔界に帰って、不浄な武器を手に入れてこいと。マッポーちゃんはそう簡単に買収されないマポ」
考えもしなかった。
たしかに魔界なら、神を傷つけるような武器が手に入りそうだ。
だがエーデルワイスが難色を示した。
「あなた、魔界に帰れると思ってるの? 言っておくけど、私、その魔法陣は知らないから」
そうだった。
それはいいが、今日はなぜか髪をツインテールにして、ピチピチの女児服を着ている。
ついに頭がおかしくなったのか……。
マッポーちゃんは「ふふん」と余裕の態度だ。
「魔法陣ならマッポーちゃんが知ってるマポ」
「は?」
「魔界の常識マポ! どいつもこいつも気軽に召喚術を使うから、マッポーちゃんみたいな小型悪魔は、だいたい本人の承諾もナシに連れ去られるものマポ。ゆえに幼いころから帰還用の魔法陣を叩き込まれるマポ。ま、自分で使えるかどうかはともかくマポ……」
たしかに、この毛玉が自分で魔法陣を描けるとは思えない。描いてるそばから腹で消してしまうだろう。
エーデルワイスはきょとんとしている。
「え、じゃあ教えてくれるの?」
「うーん、教えてやってもいいマポ。ただし、教えたくなるような態度を見せてくれたらの話マポねぇ……」
クソ凶悪なツラになっている。
小型とはいえ魔族は魔族だ。
エーデルワイスのシューズが弧を描いた。
マッポーちゃんの顔面に叩き込む気だ。俺はその爪先を、とっさに手で受け止めた。靴の先端が手に突き込まれたが、ただ痛いだけで済んだ。
「やめるんだ」
「あっ」
だいたい、そんな短いスカートで足を振り上げたら、いろいろ見えるだろ。
「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったの! 痛くなかった?」
「大丈夫だ。それより、冷静になってくれ。マッポーちゃんを虐待してもいいことはなにもないぞ。今回の作戦は、この子の善意にかかってるんだ。マッポーちゃんが魔界に帰ったあと、二度と戻ってこない可能性だってある」
わざわざ言わずとも、ちょっと考えれば分かりそうなことだが。
エーデルワイスは涙目になっていた。
「ごめん。ごめんなさい。私、頭脳担当なのに……」
「分かってくれればいい」
あと頭脳担当はもうクビになっただろ。
マッポーちゃんは身をゆすって笑っている。
「マッポーちゃんのために衆生どもが醜く争う姿は愉快極まりないマポねぇ。あー、だが人間。お前は許すマポ。マッポーちゃんのために食料を用意してくれたマポ。むしろ愛が芽生えたとも言えるマポ。だが妖精、おめーはダメマポ! 土下座して許しを乞えマポ!」
立場が上になった途端これだ。
さすがに土下座は気の毒な気もするが。
俺は缶詰をあけた。
「まあそう怒らずに。ほら、缶詰だ。おいしそうだぞ」
「んー! 人間、だいちゅきマポ! 交尾したいマポ!」
「そ、そうか……」
さすがにこの毛玉とヤる気は起きないな。
だが嫌われるよりはいい。
すると、いきなりエーデルワイスが崩れ落ちた。
かと思うと、床に頭をこすりつけて土下座をして見せた。
「ほら、謝るわ! だから許しなさいよ!」
「おやおや。土下座というのはポーズだけマポ? この期に及んで、まだマッポーちゃんに命令するマポ?」
「こ、これまでの……これまでの行為はお詫びします……。だから……」
女児服で土下座。
見たことのない光景だ。
というか、あってはならない光景だ。
ツインテールだから、余計に違和感が増す。
しかも厄介なことに、椿まで参加してきた。
すっと近づいてきたかと思うと、エーデルワイスの後頭部を草履で踏みつけたのだ。
「ほら、エーデルワイス。まだマッポーさまが満足していませんよ?」
「ぐぎぎ……」
「ふふ。パンツ丸出しで土下座とは無様ですね。それにしても、なんですかこの絵は?」
「これはプリキュ……」
「言わなくていいです。どうせ分かりませんから。こんな下着でお兄さまを誘惑しようなんて、愚かにもほどがあります」
クソ、向こうから見たら丸見えなのか。
マッポーちゃんはまだ遊び足りない様子だ。
「ふむ。苦しうないマポ。けど土下座はもう見飽きたマポ。もっとほかのことをしろマポ」
「……」
エーデルワイスは追い詰められた子犬のような、悔しそうな声を漏らした。
見ていられない。
「なあ、マッポーちゃん。もう許してやってくれよ。お望みとあらば、もっと食べ物を買ってくるから」
俺がそう告げると、毛玉はニチャアと不気味な笑みを浮かべた。
よからぬことを思いついたツラだ。
「分かったマポ。ならもう自由にしていいマポ。ただし、ひとつだけ条件があるマポ! この人間を、マッポーちゃんの支配下に置くマポ! つまりマッポーちゃんが命令したら、なんでも言うことを聞くマポ! マッポーちゃんの所有物なのだから、勝手に交尾することも許さないマポ」
このクリーチャーはいっぺんぶっ殺して、別の魔族を召喚したほうが平和な気がしてきた。
だがエーデルワイスは、土下座したまま応じた。
「いいわ。承諾する」
「勝手に承諾するな」
俺は即座につっこんだ。
人権はどうなってるんだ、人権は。
マッポーちゃんは愉快そうに身をゆすった。
「安心するマポ。拘束力のある契約じゃないマポ。マッポーちゃんは、あくまで誠意を見たいだけマポ」
誠意、か。
魔界に行って武器を取ってきてくれるのだ。
他の誰かにできることじゃない。
それに比べればたいしたことじゃないかもしれない。
だが、俺は見てしまった。
土下座していたエーデルワイスがニヤニヤ笑っていることに。
「じゃあ決まりね」
椿の足を払いのけて、彼女は顔をあげた。まだ笑っている。
「な、なにマポ? なにがおかしいマポ?」
「え? だって英雄はあなたの支配下に置かれたのよね? そしてあなたは、私の支配下にある。それってつまり、英雄が私の支配下に置かれたってことじゃない?」
「いや、いま誠意の話をしたばかりマポよね……」
「それ以上言わなくていいわ。いまこのときをもって、私がヒロインに決定したんだもの。英雄、命令よ。私を選びなさい」
選ばないぞ。
マッポーちゃんも溜め息だ。
「なんでこいつは自分を頭脳担当だと思い込んでるマポ? どう考えてもド底辺マポ……」
きっとエーデルワイスちゃんは生まれつき頭がアレなのだ。
みんなで見守るしかない。
俺はマッポーちゃんをなでて、食べ物の袋をあけ始めた。
「ま、彼女の言うことはスルーでいいだろう。一通り食べてみて、好きなのを教えてくれ。明日も買ってくるよ」
「んー! やっぱり人間だいちゅきマポ! もっとなでなでするマポ!」
「よしよし」
ゴロゴロいっている。
やはり大部分はネコなのかもしれない。
カウンター席につくと、タイガーリリーがウイスキーを出してくれた。
「お疲れさま」
「ありがとう」
つまみにナッツとチーズまである。
これも餌付けだろうか。
現時点で、俺がもっともヒロインに選びたいのはタイガーリリーだ。見た目が好みというのもあるが、性格がいい。なぜ彼女をヒロインに選ぶ英雄が少ないのか理解できない。
まあ、あんまりぐいぐい来るタイプでもないし、他のヒロインの攻勢に負けてしまうのかもしれないが。
神さまがいないから、今日は左に椿が、右にエーデルワイスが座った。
本当に、無料のガールズバーみたいだ。
期間限定ではあるが。
人生で、こんなに女性に囲まれたことはない。
鋼の意思でおらねば、簡単に堕落してしまうだろう。
「そうだ。面白い情報が手に入ったぜ」
俺はスマホを取り出し、ブックマークしておいたサイトをひらいた。
例の召喚術のサイトだ。
するとヒロインたちが、中を覗き込もうと身を乗り出してきた。いいにおいがする。いや変な意味ではなく、本当に花のかおりがするのだ。これが妖精の体臭なのだろうか。
「この写真を見てくれ。あいつだよな?」
「え、いつ撮ったの?」
エーデルワイスは無邪気な質問を投げてくる。
まったく背景を理解しようとしていない。
「俺が撮ったんじゃない。1999年……つまりだいぶ前に、召喚術を試した人間がいたんだ。そいつが彼を呼び出した」
「え、じゃああの子、どこかよそから来たってこと?」
「そうなる」
さもこの世の神であるかのような態度だったが、事実は違ったのだ。
俺はグラスを手に立ち上がり、こう続けた。
「種族は違うが、俺たちと似たような生命体だ。倒せない相手じゃない」
もっと言えば、戦う必要さえないかもしれない。
マッポーちゃんを送り返すことができるのだ。あの少年だって、送り返せるかもしれない。そのための魔法陣があれば、だが。
タイガーリリーが笑みを浮かべた。
「すごいね。いままでいろんな英雄を見てきたけど、ここまで突き止めたのはあなたが初めてだよ」
「あれこれ調べるたちでね」
というか、することもないのに無給で残業させられているから、半ばネットが本業になっているせいなのだが。
あのブラック企業に感謝する日が来るとは、皮肉な話だ。
だがもしこの戦いを生き延びたら、転職するのもアリかもしれない。懸念があるとすれば、転職先も似たようなものかもしれない、という点だけだ。
(続く)




