1. 大神殿の朝
目覚めたとき、もっと違和感があるかと思っていたけれど、そうでもなかった。
――熟睡できなかったせいかな。
頭の芯がぼうっとする。でも、眠いわけではない。
いっそ、眠ければよかった。緊張し過ぎて、胸が痛い。
それでも、このまま横になっているわけにはいかないから。
アリスティアは起き上がり、身支度をととのえた。
部屋はあまり広くはない。高い位置にある小さな窓から、朝の光がぼんやりとさしている。
家具は、簡素な寝台と、荷物をおさめるための箱がひとつきり。白い壁には、金属の掛け鈎が四つほどついている。さっきまでは、服を掛けてあった。今は、肩掛けの鞄だけが残っている。
――なんて静かなんだろう……。
孤児院では、ひとりになる時間なんてなかった。寝るも起きるも、お祈りの時間だって皆で一緒。いつだってうるさくて、ちょっと面倒で、でも、あたたかくて。
今は違う。
静けさは、体温まで奪っていくようだ。手足の先が冷え切って、感覚がおかしい。
なにもかも、ふわふわとしている。
たぶん、やるべきことがないのに当惑してもいるのだと思う。年下の子たちの面倒をみたり、食事のしたくをしたりといった仕事がないから。
――生きている実感が、ないみたい。
大げさな表現だとは思う。
でも、誰にもなにも要求されないということは、自分がここで必要とされていないのと同じように感じて、妙に怖かった。
必要とされないどころか、辺地から参加するアリスティアの到着を、全員が待っていたらしいのだが。
それでも、アリスティアにはわかる。自分は待たれていたけれど、欲されているわけではない。出迎えてくれた神官の態度が、どんなに丁重であっても。違うんだ、と気がついてしまう。
この国で、孤児であるというのは、そういうことだ。
無償で与えられる愛情などなく、なにをしなくとも評価は低く、だから、次の行動を選ぶときは慎重にもなるのだ――評価を高くするための頑張りが、逆に、生意気だと貶められることに通じかねないのだから。
――誰も、わたしに期待なんてしてない。
〈聖女〉の素質がある者を見出す〈判定〉の儀式は、各教区から選ばれた年頃の少女を〈試練の乙女〉として集め、王都の大神殿でおこなわれる。
重要な儀式であることは間違いないが、アリスティアに関していえば、純粋な数合わせのための参加だ。生まれ育った教区で、候補にふさわしい年齢の女の子が、アリスティアしかいなかったから。ここにいる理由は、それだけだ。
素質を見出されたとか〈聖女〉の血筋だとかで、〈聖女〉になる見込みがある、ほかの乙女たちとは違うのだ。
招いた方も、事情は知っている。それでも公平に扱ってくれようとしているのだから、ありがたい話だ。
やがて、呼び出しがあった。
回廊に面した部屋の扉を叩く音が少しずつ近づいていたから、心の準備はできていた。
部屋を出ると、ほかの〈試練の乙女〉たちと並ぶことになる。教区の誇りを、あるいは家の威信をかけて、この場に来ている者ばかりだ。華美な服装は避ける決まりなので、着衣は似たようなものだが、それでも布の材質が違う。そしてなにより、その服を纏う本人の、気概が違う。
皆、選ばれようと真剣なのだ。
アリスティアは、乙女たちを眺めた。この中の誰が、〈聖女判定〉を通過するのだろう、と思いながら。
――わたしには、関係ないことだけれど。
でも、〈聖女〉がいれば、魔族との戦いで優位に立つことができる。そういう意味では、関係ないどころではない……。
どうか、誰かが〈聖女〉として選ばれますように、と。祈らずにはいられない。
魔族の大攻勢がはじまったのは、十年ほど前だ。ろくに守りのない、辺地の集落は、次々につぶされた。大神殿がある王都は、まるで平和に見えるが、この国は端からぼろぼろと崩れ落ちているところなのだ。
最後の〈聖女〉が没してからすでに二十年。〈聖女〉の席は空位のままだ。
アリスティアのような若い世代は、〈聖女〉を知らない。年寄りが、〈聖女〉様がいらした頃はよかった、と語るのを聞いたことしかない。
その間も、判定を突破した乙女がいなかったわけではない。だが、在位を認められる一年を経る前に、ほとんどが力不足としてその任を降り、あるいは魔族の襲撃で儚く散った。
だから、乙女たちのあいだには怯えもある。
弱い気もちを押し殺し、それでも選別の場に立つそのしなやかさを、アリスティアは尊いと思った。
報われてほしい。
この中の誰かが、無常の強さを誇る本物の〈聖女〉になってほしい。
「〈試練の乙女〉たちに、明るい朝の訪れを言祝ぎ申し上げます」
並んだ乙女たちに、神官が一礼した。
乙女たちも礼を返す。アリスティアも、それに倣った。
「本日は、まず〈祈りの間〉にて〈聖女の御遺灰〉を前にお祈りを捧げることとなります。その後、身体を浄めていただきます。私語は慎んでください。祈りの言葉以外、発することがないように」
厳かな雰囲気の中、一同は神官に先導され、〈祈りの間〉へ向かった。
大神殿は、女神信仰の中心である。
白い石だけで建てられた神殿に、彫像などの装飾はない。だが、そこには、極限まで無駄を削りきったときにたちあらわれる、独特の美があった。
一行が歩く廊下の右手側には、祈りを捧げるための小部屋がいくつも並んでいる。左手側には壁がなく、薬草園に通じていた。水をかけたり、葉や花を摘み取ったりといった作業にいそしむ神官や巫女たちの姿が見える。
――ここではたらくのは、どんな気分だろう。
はたらくのではなく、女神にお仕えする、という表現が正しいのだが。
アリスティアがいた神殿は、孤児院であり、救貧院だった。寄進してくれるような有力者も残っていなかったため、わずかな予算をやりくりし、命にすがりつくようにして生きてきた。
ここでは全員が清潔な服を着て、怪我をしている者もいなければ、病気をおしてはたらく者も見かけない。眼に飢餓の色など、もちろんない。
すがりつかなくても、しぜんに生きていける場所なのだ。
――やっぱり、なにもかも夢みたい。
やがて廊下は建物の内部に入り、巨大な扉に突き当たった。
神官がその扉を押し開ける。扉の向こうにあったのは、青白い光に満たされた円形の広間だった。
床はすり鉢状に中央が低くなっており、その中心部には八芒星が描かれており、さらにその真ん中に、八角形の台座がある。
――あれが、〈聖女の御遺灰〉……。
台座の上に置かれた小さな容器。神殿のすべてがそうであるように、白く簡素なその器がおさめているのが、尋常のものでないことは、すぐにわかった。
乙女たちが一様に息を飲んだのは、全員が察知したからだろう。
空気が違う。魔力の密度が違う。
目を逸らせば、飲み込まれてしまいそうだ。そんなことがあるはずはないと、わかっているのに。
畏敬の念を飛び越え、アリスティアはそこにあるものに恐怖を覚えた。
踏ん張ったはずの足から力が抜けて、まずい、このままでは倒れる――と思ったとき。
誰かが、アリスティアの身体を受け止めてくれた。
他者と接触したせいか、足に力が戻る。無様に倒れるのを防いでくれた人を確認しようとふり返ると、ごく間近に顔があった。
――うわ、なんて綺麗な……。
男性――だと思うが、性別より先に、とにかく美しいと思ってしまった。なんだか、神殿そのものが人の姿をとったような。飾り気はなく、削ぎ落とされて無駄のない、純粋な美がそこにある、といった感じだ。
淡い水色の瞳に、アリスティアの顔が映っている。おそろしく間抜けな顔だ。
相手はわずかに眼を伏せ、長い睫毛がその瞳を隠した。アリスティアが自分で立ったことを確認すると、彼は身を離そうとした。
アリスティアは――
1)「すみません」と謝る
2)「ありがとうございます」とお礼する
3)黙ったままで見送る
アリスティアの行動三種類、どれを選ぶかは twitter のアンケート結果で決定します。
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