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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#9 THE CHARIOT
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「フン! 馬鹿馬鹿しい!」

 多恵子は鼻で笑った。

「なによそれ! 能力のアップ? 何を言い出すかと思えば、また意味不明なことを……。ここって本当に探偵事務所なの? 何かの研究所の間違いじゃないの? さっきから、SFやオカルト的な話ばっかり。もし仮にあたしにサイコキネシスの能力があったとしてもよ、どうして君の側にいるだけで能力がアップするわけ? そんな荒唐無稽な話、どこの誰が信じるっていうのよ」

「まあ……普通、誰も信じないでしょうね。オレ自身にだって、何がなんだかさっぱりなんですから。ただ……叔父さん命名の〈特殊能力増幅ブースター性質〉と呼ぶものが、このオレの中にあることは事実なんです。

 そして、松井さん……あなたは、それを身をもって実感したはずです。信じる信じないなんて話は、あなたには意味がないはずですよ。あなたは、どこの誰が、の中には入りません」

「なっ……!」

 涼介の強引とも言える言い回しに、多恵子がわずかに椅子から腰を浮かせた。

「天野くん!」

 彼女は怒鳴ったが、

「それじゃあ、そろそろ……松井さんも大好きなミステリー的な話でもしましょうか」

 構わず、涼介は静かに話を進める。

「ミステリー的な話?」

「そうですよ。別にあなたの嫌いなSF的な話をしなくても、ミステリー的な方面からのアクセスでも、あなたを疑うことができる要素はあるんですよ。

 まず第一に、あなたは水島さんに作為的な誘導を行っています。

 確かに、水島さんがこの事務所を訪れたのは、川崎先輩の勧めがあったからでしょう。けれど、その後押しをしたのはあなたです。多恵子さん、あなたはこの前事務所にやって来た時、〈嫌がらせ犯=ひき逃げ犯〉説を強く主張なさっていましたね。そして、水島さんもあなたの意見に賛成のようでした。あれが、誘導です。あなたは尤もらしく、嫌がらせ犯が川崎先輩にまで手を出したと、水島さんに吹き込んだんです。そして、不安を煽った。つまり、あなたの言っていた〈精神的な苦痛〉というやつですね。

 普通、探偵事務所なんて、やっぱり訪ねにくい場所ですからね。けれど、『自分のせいで恋人まで……』となると、話は変わります。先輩の勧めもあります。水島さんは思い切って、ここを訪ねることにしました。あなたの狙い通りにね……」

 言うと、涼介は、持っていたタロットカードを多恵子の許へ弾いた。

 それは上手く、彼女の右の太ももに着地する。

「どうして、あたしがそんな事をする必要があるの? 玲奈をここに連れてきたからって、何がどうなるっていうのよ」

 多恵子が、パンツの上に着地したカードに手を伸ばす。

「一つは……これはまた、SF的な話になりますけど、そのカード、法王の逆位置であるオレの力を利用し易くするためです。水島さんが依頼人になれば、何の気兼ねもなくオレの側に居られますからね。もう一つは……きっと、こちらがメインなんでしょう。水島さんに対する精神的苦痛を、より完璧なものにするためです。というよりも……恒久的なものに、と言った方が正確でしょうか?」

 恒久的なものに……という言葉に、法王のカードを持つ多恵子の指先が震えた。

「念動力を使った犯行なんて、普通なら絶対に見破られるわけがありませんからね。あなたは絶対安全圏に居て、オレの増幅性質の援助を受けつつ犯行が行えるわけです。そして、事件は未解決のままに終わる……。

 そうなれば、水島さんの心の中はどうでしょう? 同じ自然消滅のままに嫌がらせが終了するにしても、探偵事務所に依頼した結果の未解決と、何も対策しなかった時の未解決……この二つはやっぱり違うと思いませんか?

 開設半年余りとはいえ、うちにはそれなりに実績があります。加えて、所長の慎也叔父さんは元刑事です。曲がりなりにも実績のある専門家といえる人間が調査して、何の成果もあげられずに終わるんです。

 いくら嫌がらせが自然消滅したとしても、専門家に依頼しての未解決という結果じゃ、必ずあとを引きますよ。これからもずっと、水島さんは、言い知れぬ不気味な不安に悩まされることでしょうね。それは、間違いなく最高の精神的苦痛の一つだと、オレは思いますよ。

 これが、あなたが水島さんをここへ……探偵事務所なんてところへ誘導した理由です」

 見ると、多恵子の持つカードの震えが少し大きくなっていた。

 ……どうして? どうして分かったの?

 涼介を見る多恵子の瞳は、明らかにそう言っていた。

 しかし、それは愚問というものだ。

 涼介がその視点に気づかないわけがない。

 多恵子は相手にした人間が悪かった。

「ただ、現実には、それが裏目に出たようですけどね。何といっても、ここは幽霊の所員がいるような事務所ですから。依頼の解決編が、幽霊の仕業なんていう時もありましたからね。超能力だって十分に考慮の対象になるんですよ。残念でしたね、松井さん」

「……証拠は? 何か証拠はあるの、あたしが念動力を使ったっていう……」

 ミステリーではお決まりのセリフを吐いた多恵子に、「もしそれを示せば、すべて話してくれますか?」と涼介は穏やかに言った。

「えっ……。まさか……」

「はい、ありますよ。ちゃんとカメラに映っているんです」

「…………」

「松井さん。この前ここに来た時、あなたは何か悪戯をしませんでしたか?」

 涼介の問いに、多恵子の顔に少なからず動揺が走った。表情がやや引き攣っている。

 心なしか、顔から血の気が引いたようにも見えた。

「どうやら、心当たりがあるようですね。実はこの事務所には、防犯用に何台かの隠しカメラが設置されているんですよ。本当は良くはないんでしょうけど、依頼人が来た時にはそれが回されていて、資料映像にもなったりします。もちろん、調査や事件が終了すれば、録画はすぐに破棄しますけどね。その録画データに映っていたんですよ、あなたの悪戯が。

 図書館の件を話していた時です。あなたは、突き指をしたっていう小指を立てて、ひょこひょこと動かしましたよね。あの時、オレたちはみんな、あなたの指に注目してもいましたし、誰も気づきませんでした。でも……カメラには、ちゃんと映っていましたよ。あなたの指の動きにあわせて、叔父さんのデスクの上で、ボールペンや付箋たちがひょこひょこと可愛らしく飛び跳ねている様子がね」

「…………」

「どうですか、これでもまだ話してもらえませんか?」

 訊いたけれど、多恵子からの返答はない。

 涼介に顔を見られるのを避けているのか、じっと俯き、手に持ったカードに視線を落としている。

 多恵子を降伏させるには、まだ攻勢が足りないらしい。

 どうやら、2枚目のカードも必要になりそうな情勢だ。

「……仕方ないですね。それじゃあ、もう少し話を続けましょうか。ミステリー的な話の第二ですが、昨日の植木鉢落下、あれも状況があなたの犯行を示唆しているんですよ。さて、松井さん。どうして、昨日のあの時間、嫌がらせ犯は、あなたがあの赤レンガの校舎前を通ることを知っていたんでしょうね?」

「……たまたまでしょう。犯人が罠を仕掛けていた場所に、あたしが偶然通りかかっただけのことでしょう」

 そう言う多恵子の声に、最初の頃の勢いはなかった。どころか、その声は震えていた。

「それは無いですよ、松井さん。あれは計画的なものです。確実にあの時あなたが通ることを知っていて、あの植木鉢は落とされたんです。けれど、現場の校舎前を通る習慣は、あなたにはありません。それなのに、犯人はなぜ予測できたのか。それは、犯人が他ならぬあなた自身だった……だからです。待ち合わせの場所に、あの赤レンガの校舎を指定したのは、あなたでしたよね、松井さん?」

「だからって……」

 弱々しい声。けれど、まだ抵抗の意志は感じられた。

「あの時も……昨日も、そんな風に震えていましたね」

 昨日と同じように、多恵子は身体を震わせていた。

「砕けた植木鉢を前に、あなたは怖がっていました。身体を震わせて、脅えていましたね。オレは、あれも嘘だった……脅えているふうを装った演技だった、とは言いません。あの時、あなたは本当に怖がっていました。

 けれど。あれは、あなたが危険にさらされたからじゃない。あなたがあんなに脅えていたのは、オレが飛び出したからです。オレがとった予想外の行動、それがあなたを怖がらせたんです。もし、あの時、オレの頭にでも鉢が命中していたら、命に関わる事態になっていたかもしれません。今回のことで、あなたは誰かに大きな危害を加えるつもりはなかったはずです。それが下手をすれば、人を殺すことになったかもしれない。それで、急に恐ろしくなったんです。違いますか? 絶対に当たるはずのない植木鉢が、人に命中しそうになった。そのことで、あなたはパニックに陥ってしまったんです。

 もう一つ言いましょうか。なぜ、あの時、オレがあんなに素早く行動できたと思います? それは、あなたが視線を上に向けたからです。植木鉢を落とす前、あれは無意識にやってしまったのかもしれませんが、あなたはほんの一瞬、視線を上にやりましたよね。その一瞬の視線に釣られたおかげで、オレは植木鉢が落ちてくる瞬間を目撃できたんです。

 ピッチングマシンの時もそうです。マシンからボールが発射される前、あなたは何気ない風を装って確認作業をしました。さすがに、こちらは目視での確認が必須だったでしょう。あの時、あなたはオレと水島さんの前を歩いていた。そして、マシンがボールを撃ち出す前、あなたはオレたちの方へ身体の向きを変えましたよね。その時、オレたちと会話しつつも、あなたは素早くボールの軌道上に人がいないこと等を確認していたんです。あとは、タイミングを見計らって、マシンのスイッチをONにした。

 これが、今回の事件についてのオレの推理もどきです。どうですか、松井さん?」

 長口上を言い終えて、涼介は黙った。

 1枚目のカード、法王のカードに関連して語ることは、もうこれ以上ない。

 短かったのか、長かったのか。少なくとも涼介には長く感じられた沈黙の後、多恵子が静かに口を開いた。

「……まだよ。まだ……ダメね。そんなことじゃ、あたしは納得しないわよ。もう一つの件、川崎さんのひき逃げ事件の件はどうなっているのよ? そっちが解決してないんじゃ、あたしは……君のくだらない推理なんて認めないから……。玲奈と川崎さんの事件を別件だって言い張るんなら、ちゃんともう一つの方も解決してもらわないと……」

 残念ながら、2枚目のカードにもご登場願わなくてはならないようだ。

「それならもう、解決してますよ」

 涼介はまた、Gジャンのポケットからカードを取り出した。

「最初に言った通り、先輩の件は事故です」

 言いながら、〈塔〉カードを多恵子に示す。

「THE TOWER……。塔……。破滅、思い上がり……」

「そうです。そして、このカードは予期せぬ災難、アクシデントに巻き込まれることを暗示しています」

「それで、事故ってわけね……」

「はい。もちろん、もうひき逃げ犯の名前も分かっています。あと二、三日もすれば、犯人は逮捕されるでしょうね。因みに、叔父さんが警察に行くって言ってたのは、ひき逃げの犯人情報をあちらに伝えるためですよ」

 言い終えると、涼介はさっきと同じようにカードを弾いた。

 しかし今度は失敗し、カードは多恵子の足元に落ちた。

 塔……。本当は、このカードが暗示するものを涼介は別の意味に解釈していた。

 この救いようのない解決編の後の破滅、それぞれにとっての今までの関係の崩壊……。事故やアクシデントなどではなく、もっと深刻な解釈を涼介は採用していた。

 けれど、それを口に出すことはしない。

「なんだ……もう分かっちゃってるのかぁ……。でも、よく見つかったわね。誰か目撃者でも見つけたの?」

「ええ、まあ。ただし、裁判所の証言台には立てない目撃者ですけどね」

「ああ……なるほどね。幽霊って、わけね」

 多恵子の声には、半ば諦めの響きが交じり始めていた。

「じゃあ、アレは? 天野くん言ってたでしょう、もの凄い敵意の視線を感じたって。あの時、あたしはまだ5号館の2階に居たからね。アレは絶対、あたしじゃないわよ」

「ああ、あれですか。あの視線の正体もちゃんと分かってますよ。あれは、高屋一紘っていう勘違い人間の嫉妬の視線ですよ。フラレ男の敵意ってやつですね」

「そう……。これ以上は続けても、無駄のようね。どうやら、あたしの反論点はことごとく押えられてるみたいだし。すると、残るはあと動機だけね。もちろん、それも見当がついているんでしょう?」

 ……動機。多恵子はとうとう、ミステリーにおける最後の砦を持ち出してきた。

「はい、たぶん間違ってはいないと思います。この中の最後の一枚、犯人を示すカードにもそれはしっかりと出ていますよ」

 涼介は、Gジャンのポケットへ手を入れた。

 けれど。今度はそれをすぐに取り出さなかった。

「松井さん……」

 静かに呼びかけて、多恵子の顔を真っすぐに見つめる。

 それから、手をポケットから抜き出した。

 目の前には、上下が逆様の絵柄。

 涼介は、願いを込めて言った。

「この最後の1枚……これが何のカードか、当ててみませんか?」

 ……きっと、あなたになら分かるはずですよ。


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