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最後の1枚……。
それが何なのか、涼介の言う通り多恵子には予測がついていた。
動機について彼が正しい解答を導き出しているならば、自分に向けられるべきカードはアレしかないだろう。
おそらく、カードは逆位置のはずだ。
カードはわかっていた……けれど、多恵子はそれを自分から口にするつもりはない。
沈黙を守る。双方ともに無言のままに、静かな対峙が続いた。
待ち切れなくなったのか、先に沈黙を破ったのは涼介の方だった。
「多恵子さん、正直にお話します」
涼介は、いったんカードを引っ込めた。
「オレは、今回の件であなたを理詰めの推理で追い詰めるのは、はっきり言って無理だと思っています。あれこれと理屈をこねたって、この事件のカラクリは念動力によるものです。推理の土台にそんなものがあるんです。それがある限り、オレの推理はどんな机上の空論よりも現実味なんてありません。
いえ、推理ということすら出来ないかもしれません。そうなれば、オレの言っていることはただの戯言です。このタロットカードにしたって、そうです。こんなカードを持ち出したところで、所詮はただのこじつけです……」
「確かにそうね。普通、探偵のやることじゃないわね。カードの寓意から無理やり推理を導き出すなんて……」
「それは違います」
しかし、涼介は多恵子の言葉を否定した。
「それは逆です。オレが言ったのは、そういう意味じゃありません。確かに、カードは閃きのヒントくらいにはしました。だけど、こじつけというのは、オレの推理に無理やりカードの寓意を結び付けたということです。カードの寓意からじゃなくて……先にオレの推理があって、それに都合よく三枚のタロットカードの方を関連づけたんですよ」
「なるほどね、確かに逆みたいね。でも、こじつけには変わりないみたいね」
言いながら、多恵子は不思議に思った。
どうして、涼介はそんな不利になることを言うのだろう。
こじつけでも現実味がなくて、犯人は自分のやった事をよく承知している。
多恵子は確実に追い詰められていた。
そのことは、涼介にもわかっていたはずだ。
なのに……。
「ええ、こじつけです。だからです。オレは初めから、あなたを完璧な推理で追い詰めようなんて思っていません。それは無理な話です。それにオレは……理詰めであなたを追い詰めたくはないんです。できることなら、あなたの方から自分で話してもらいたんです。
もう一度、お聞きします。この最後の一枚が何なのか、あなたなら分かりますよね?」
どうしても、涼介は多恵子の口からこの先を語らせたいらしい。
彼は、多恵子の人としての良心に訴えているのだ。
たぶん、チャンスを与えてくれているのだろう。なんとも詰めが甘い。
(なんて青臭い人なんだろう……)
それとも、多恵子のことを信じてくれているのだろうか。玲奈が、親友の自分に一番の信頼を寄せてくれているように。
まあ、なんにしろ……。
(……こんな甘ちゃんな人、ダメだ)
涼介は探偵役には向かない人間だ、多恵子は思った。
けれど……人のことは言えそうにない。
どうやら、自分も犯人役には向かない人間のようだ。甘すぎる探偵役の涼介に、どこか共感してしまっている。彼のささやかな心遣いを嬉しく思ってしまっているのだから……ダメだ。
中途半端なのは、涼介だけではなかった。
「THE CHARIOT」
多恵子の唇は、自然とカードの名前を紡いでいた。
「最後のカードは、〈戦車〉の逆位置ね? 意味は今の場合、ライバル……それも恋愛におけるライバル。どう、合ってる?」
穏やかに告げた多恵子に、涼介の口が微笑んだ。
前髪の下の部分は例のごとく見えない。けれど、彼は確かに笑っていた。
残念だ。その笑顔が見たかったな、なんだか的外れなことを思ってしまう。
それだけ、気持ちが落ち着きを取り戻したということかもしれない。
くるり、涼介が右手に持ったカードを引っ繰り返した。
二頭だての獅子が引く戦車に騎った、若く雄々しき戦士の図。
果たして、目の前に現れた絵柄は多恵子が答えた通りのものだった。
「……あたしの負けのようね」
多恵子はぽつり零すように言った。
「いいわ、認めるわ。あたしが、君たちのいう〈嫌がらせ犯X〉よ」
「ありがとうございます、松井さん」
多恵子の敗北宣言に、涼介が軽く頭を下げる。
「なんで、そこでそんな言葉が出てくるかなあ……」
正直、馬鹿だと思う。
(お人好しすぎるよ、君は……)
……こんな馬鹿な人、ホントに知らない。
多恵子は一人、心の中で苦笑する。
「さあ、何でも訊いてくれていいわよ。ここまで来たら、ちゃんと答えてあげるから」
「はい、ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて……」
また言ってる……。
どうにも調子の狂う相手だ。
「やっぱり、今回の件のきっかけは川崎先輩のことですか?」
「そう、まさにそれね。君の言うとおり、それがきっかけだった……」
多恵子は椅子から立ち上がり、涼介の手から戦車のカードを攫った。
それから、ゆっくりと話し出す。
「……あたしと玲奈の付き合いが始まったのは、中学の時だった。よくあるパターンってやつね。松井と水島、教室での席が前後だったから自然と仲良くなったっていう、あれよ。
でもね。正直言って、玲奈と仲良くなったことを、すぐに少しだけ後悔するようになったわ。なにせ、彼女はあの通りの器量良しでしょう。その内、周りのクラスメートたちが、あたしのことを玲奈の御付きみたいに言うようになってね。
もの凄く腹が立ったわ。なんであたしが玲奈の御付きなのよ!って。こう言うと嫌味に聞こえるかもしれないけど、あたしだって結構美人な方よ。それなのに……玲奈の側にいると、あたしは彼女の引き立て役。そんなの、間違ってると思わない?
容姿だけじゃなく、テストの点数なんかでも周りは玲奈とあたしを比べたわ。あたしも成績は決して悪い方じゃなかったけれど、玲奈みたいな優秀な娘には敵わなかった。おまけに、あたしの成績が良いのは、彼女に勉強を教えてもらっているからだ……みたいに言われるし。
……お姫様は崇めなくちゃいけない。けど、その御付き相手になら、何でもアリなのよ。……何を言ってもいい。相手は御付きだから……何を気にすることもない、ってね。
分かる、天野くん? あたしは玲奈と一緒にいるだけで、ある種のイジメにあってきたようなものなのよ。あたしは、ずっと精神的苦痛を受けてきたのよ」
「…………」
涼介は何も言わなかった。
ただ黙って、多恵子の話を聞いている。
美咲も涼介の後ろで神妙にしている。
「ねっ、何かおかしいと思わない? あたしは何もしていないのに……玲奈の側にいるだけで、コンプレックスの塊になって……。しかも、もしこんな話を他人にしたって、まともには聞いてもらえないわ。嫌味な女だって嫌われるのは、まずあたしの方よ……。
だから、中三のあのリンチ事件の時、あたしは玲奈に同情しつつも、心の奥では〝ざまあみろ、いい気味だ〟って少しは思ってた。それを否定することはできないわ」
その言葉に、美咲が眉を顰めるのが見えた。
けれど、何か言ってきたりはしなかった。
「今までに、何度か恋ってものをしたことはあるわ。だけど、その度に、あたしが好きになった人は玲奈の方へ行っちゃうのよ。なんか救いようのない失恋ばかりよ。あたしね、失恋して、哀しい涙を流したことがないの。哀しいはずなのに、あたしが流すのはいつも悔し涙だった。……でも、これまでは我慢できた。なぜなら、玲奈がその誰とも付き合ったりすることがなかったから。あたしが好きな人を振っていく玲奈には腹が立ったわよ。だけど……我慢できた。
でも、今度は……玲奈が川崎さんと付き合い始めた……。教育学部のセミナーで、あたしの方が先に知り合ったのに。玲奈だって、あたしの気持ちには気づいていたはずなのに……。
彼女は後から出てきて……だから……あたし……玲奈を……」
「松井さん……。違いますよ」
そこでやっと、涼介は静かに口を挟んだ。
「先だとか、後だとか……そんなことがどれだけの意味を持つのか、オレにはよく分かりません。ただ、もし松井さんが後先に拘るのなら、後はあなたの方ですよ」
「えっ……」
(あたしの方が、あと……?)
思いがけない涼介の言葉に、多恵子は驚きで目を見開いた。
「去年の秋のことです。学校帰りに川崎先輩に会った時、恋人ができたってオレは聞かされているんです。理由があってその人を紹介することはできないけど、相手はすごい美人だぞ、って」
「…………」
「これって、どう考えても水島さんのことですよね?」
「そんな……」
「松井さん。あなたが去年、予備校通いをしていた頃にはもう……一足先に大学に入学していた水島さんと先輩の付き合いは、始まっていたんですよ。たぶん、あなたが先輩とセミナーで初めて会った時には、先輩の方はあなたのことを知っていたんじゃないでしょうか。
あなたは水島さんにとって、一番の親友です。きっと、水島さんは折を見て、あなたにだけは先輩のことを話そうと決めていた思います。だけど、その前にそれが妙な具合になってしまって……」
「あたしが川崎さんのことを好きになってしまったから……。玲奈は言い出せなくなってしまった……」
ぽろり、多恵子の手からカードが床に落ちた。
(それじゃあ、まるで……あたしって、親友を裏切っただけのただの性悪女じゃない)
ピエロ、道化師……。
ふと、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
「今回の事件のきっかけは、つまり誤解めいたすれ違いだったんです。ある意味、不運ともいえる不幸な事件でした。確かに、あなたの中には、水島さん対する劣等感や心の傷もあるかもしれません。……でも、松井さん、あたなは水島さんのことが嫌いじゃないんでしょう? ちゃんと親友だって思っているんでしょう? どんなに仲の良い友人同士だって、何かしらお互いに含むところはあるものですよ。それが全くないなんていう方が、珍しいと思います。
今回はそれが爆発してしまった。ちょっとしたすれ違いと……オレのせいで……」
「涼ちゃん!」
涼介の後ろで美咲が声を上げる。
それに構わず、涼介は床に落ちたカードを拾い上げながら続けた。
「ちょうど、あなたたちの間にすれ違いが生じた時に、オレが松井さんの側にいた。そして、オレのブースター性質という〈法王〉の逆位置が、あなたの持つ力をマイナスの力〈戦車〉の逆位置へと変えてしまった。オレが居なければ、あなたは今度のようなことはしなかったはずです。いや、能力的に無理だった……出来なかったはずです……」
ほとんど独り言のように、涼介は喋り続ける。
多恵子の方も、どこか呆然とその言葉を聞いていた。
一面で玲奈を憎みつつも、多恵子は彼女を親友だと思っている。……涼介の言う通りだった。
今度のようなことをしておいて、とてもじゃないが言えた義理なんてない。
でも、それでも……。
(天野くんの言う通り、あたしは玲奈を友達だと思ってる……)
その気持ちに、嘘偽りはなかった。
そして。逆に自分が玲奈を疎ましく思っているのも、また真実だ……。
(今なら、それが受け入れられそうな気がする。けれど……)
今までは、その気持ちの矛盾をずっと否定し続けてきた。
だから、一方を打ち消し……玲奈の良き友人の面だけを表に出し続けてきた。
それが、今回のすれ違いで逆転した。
劣等感や心の傷が大きく育ち、広がり、閉じ込められていた暗い思いが外へと吹き出した。
けれど、矛盾は許せない。……認められない。
多恵子の中で、玲奈への友情が心の奥に押し込められてしまった。
そして、憎しみが表に出た。
きっかけは、嫉妬と天野涼介……。
「オレがいなければ……。今回の事件は、半分オレのせいです……。オレの……」
「確かに、君がいなければ……あたしはこんなこと、やらなかった……」
それは、別に涼介を責めるための言葉でも、自分の行為を責任転換するための言葉でもなかった。ただ、何気なく零れてしまった言葉で……。
しかし。たとえそうであっても、それはひどく無神経な言葉だった。心配りに欠けていた……。
――パシン!
頬に弾けるような痛みが走る。
すぐ目の前には、涼介に代わり美咲のひどく怒った顔があった。




